113 雨と晴れ


雨が降り続く午後、静かで薄暗いカフェの片隅。窓際の席に座る凛は、つややかな長い髪を軽く束ね、手元の小さなノートに何かを書きつけていた。

彼女の姿をそっと見つめる瞳があった。優美な佇まいの女性――葵が、窓の向こうの降りしきる雨越しに、ただ一人その存在を感じていた。


「また雨ね。」


不意に凛が口を開く。葵は肩をすくめ、窓の向こうへ視線を移したが、心の中では凛の言葉が静かに響き渡る。


「うん。ずっと、止まないみたいだね。」


言葉は少ない。それでも、この間に流れるものがある。長い付き合いの二人は、こうして言葉を交わさずとも、互いの心を感じ取ることができた。葵はコーヒーカップを軽く持ち上げると、まだ湯気の立つ黒い液体を一口飲む。苦味が、心の深い部分を少しだけ和らげた。


「……ねえ、葵。」


凛が静かに口を開いた。葵はそれに反応するように、そっと目を向ける。凛の瞳は、どこか不安げでありながら、決意を秘めた輝きを帯びていた。


「もし、ずっと雨が止まなかったら……私たち、どうする?」


その問いに葵は一瞬、言葉を失った。けれど、微笑むように唇をかすかに開く。


「それでも、私はここにいるよ。雨が降り続くなら、それと一緒に歩いていけばいい。あなたと一緒に。」


凛の目がふと揺れた。葵の言葉は、思ったよりも深く彼女の胸に届いたのだろう。静かに震える唇が、何かを言いたげに動くが、すぐには言葉にならない。


「葵、私は……」


凛の言葉は途切れた。しかし、葵はその続きを待つ必要がなかった。二人の間に流れる空気が、すでに答えを示していたからだ。


葵はそっと手を伸ばし、凛の手の上に自分の手を重ねた。その触れ合いは、やさしく、温かい。まるで、長い雨の季節が続いても、二人ならそれを乗り越えられると告げているかのように。


「私も同じ気持ちだよ、凛。たとえどんなに雨が降り続いても、私はあなたのそばにいたい。」


凛はしばし黙っていたが、やがて微笑みを返す。彼女の心が次第に安らぎ、二人の間には再び穏やかな空気が流れた。


外では雨がまだ降り続いていた。しかし、二人の心の中には、もうすでに晴れ間が差し込んでいた。


二人の立ち位置は違っても、気持ちは重なっていた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る