110 クローゼットの奥には

ある男が、都会の一室に引っ越してきた。その部屋は古くて狭いが、家賃が非常に安いことで決めたのだ。引っ越しの日、大家から一つだけ不思議な警告を受けた。


「夜中に、絶対にクローゼットを開けてはいけない。」


意味不明な忠告だったが、男は深く考えずに笑って流した。

しかし、夜が更け、静けさが部屋を支配し始めると、奇妙な感覚が彼を包み込んだ。クローゼットの向こう側から微かな音が聞こえるのだ。最初は風か何かだと思ったが、音は明らかに人の声だった。


意識しないように努めたものの、夜が進むごとにその音は明確になり、まるで誰かがクローゼットの中で囁いているようだった。

「ぁぁぁ……」という声が、時折低く響く。

男は恐怖と好奇心の狭間で揺れ動き、ついにその夜、好奇心に負けてしまった。


午前2時、彼は恐る恐るクローゼットの扉を開けた。中には何もない。安堵したのも束の間、クローゼットの壁に手をかけた瞬間、壁がスライドし、隠し部屋が現れたのだ。部屋の中は薄暗く、古びた家具や埃まみれの書物が並んでいた。

だが、その奥には見知らぬ人物が座っていた。


彼は、男の目をじっと見つめながら、こう囁いた。

「ずっと待っていたんだ、君が来るのを。」


男は急いで隠し部屋の扉を閉め、クローゼットの前に立ちすくんだ。


翌朝、恐る恐る大家にそのことを話すと、大家は青ざめた顔で言った。

「あの部屋には誰もいないはずです。あそこは、ずっと前から封印されていたんです。」


男はもう一度クローゼットを確認したが、隠し部屋はどこにもなかった。まるで最初から存在しなかったかのように。

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