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 記憶が戻った――とは香美村孝幸は口にしなかった。ただ「お久しぶりです」と改めて挨拶をしただけだ。

 その後、別室で話したいということで面会用に使っている部屋に案内してもらった。通路を少し歩いて奥の角を曲がった先にある、外から鍵のかかる部屋だった。

 壁にカレンダーが掛かり、中央にテーブルと椅子が四脚、他に小さな棚があり、そこにはパンフレットと介護や老後についての冊子や書籍が置かれていた。寄贈されたものだろう。窓はなく、壁紙は白で統一されていた。ベッドでもあれば病室と呼んでも差し支えない。そういった圧迫感を彩は感じた。


「もし何かありましたらそこのボタンを押して下さい」


 案内してくれた吉田はテーブルの片隅に張り付いた日本のファミリーレストランでよく見るタイプの押しボタンを見てそう言うと、軽く頭を下げて退室していった。鍵の音はしなかったから、鍵は掛けなかったようだ。彩は孝幸に自分も部屋を出るべきかどうか尋ねたが、既に彼は彼女への関心を失っているようで何も返答をせずにただ目の前の車椅子の男性へと視線を注いだ。


「それでは終わられた頃に戻ってきます」


 そう言って彩も退室しようとしたが、


「どうせ外で待機しているんだろう? 姉ちゃんも同席すればいい。な、そうだろう?」


 石塚の言葉で部屋に居残ることになった。

 その石塚扇太郎は口元を緩ませた顔で彩ばかりを見つめている。だがそんなこと一切気に掛けず、孝幸は「お元気そうですね」と、彼が絶対に口にしない社交辞令を言った。


「元気なもんかよ。こんなところに閉じ込められて、一日中、何考えてるかわかんねえ奴らと一緒にされてただ生きてるだけだ。生は苦痛だ。そう言ったの、まだ覚えてるか?」

「はい、先生。生きることそのものが苦痛であり、悲しみであり、ただ生きているだけだと人は人として生まれた価値がないのだと、教わりました。今でもそれはしっかりと刻まれています」

「そうだろうな。忘れられるはずはない。お前は俺が鍛えてやったんだ。俺がいなけりゃ今だって道端でクソを啜って生きなきゃならない。そんな人生しかなかっただろう。感謝してるからこそ、今日ここに来たんだろう?」

「ええ、その通りです。先生のお陰で今、私は世界でも著名なピアニストの一人として活躍することができています。先生には本当に感謝してもしきれません」


 ああ、そうだ――満足そうに笑みを浮かべて頷く石塚に対して、孝幸はいつもと同じく無表情だ。それでも彩にはどこか彼が楽しそうにしている空気を感じていた。普段そんなことを思ったことはないし、そもそもそういった感情を持たないんじゃないだろうかと思っている。本人の口からも「楽しい」と出たことはなく、彼の感情の中からそういったポジティブなものは全て失われてしまっていると思い込んでいた。それなのに、確かに今、一瞬だけ唇の右側が上がった。


「酒が飲みたいな。ここじゃあそういったものは一切厳禁でな。それでもチップを握らせて一部の奴は夜勤スタッフから貰ってる。百三十五ミリ缶だがな」

「持ち込みは制限があるようなので、外に出たらご馳走しますよ。それにしても、良かった。ずっと探していたんですよ、先生のこと。あの日。僕の新人コンクールの優勝を見ずに、一体どこに消えてしまったんですか」


 香美村孝幸が一番最初に注目を浴びたのが野々浜岬国際ピアノコンクールだ。三年毎に野々浜市で開催され、一位と二位の人間にはショパン国際ピアノコンクールへの本審査に参加することができる。若手ピアニストの多くがここを目指していて、実際このコンクールから世界に羽ばたいた者も多い。それだけに過酷で、自分の才能と向き合えずに脱落していく者も多いと云う。

 しかし香美村孝幸は見事に結果を出し、その後のショパン国際コンクールで二位の快挙を得て、世界に認められた。その後の活躍は多くの雑誌やウェブの記事で追うことができるが、どの会場を撮影した写真でも観客は泣いている。出始めの頃には「悲しみの貴公子」という不名誉なあだ名が付けられていたが、今ではそれが「嘆きのピアニスト」という称賛に変わっている。


 けれどそこに彼を教えた師匠が存在するという話は一切出てこない。最近のインタビューでも時折質問があるが、それに対して彼は「自分の才能を伸ばした結果です」としか答えていない。

 だからこそ彩は、失礼な目で見られようと、その彼が「先生」と呼ぶ人物のことが気になった。


「消えた訳じゃねえよ。ただ運悪く闇金の取り立てがきて山の中に連れていかれただけだ。すぐに金ができる。金の卵が今孵るところだって言っても奴らは才能を担保になんてできるかと言いやがった。音楽を理解しない奴には本当に付き合ってられん。そして暴力だ。雨が、酷かったな」


 それから石塚が語った話にどこまで信憑性があるのか、彩には確かめようがなかったが、おおよそこんな内容だった。


 コンクール当日、自宅アパートから出ようとしたところで闇金の取り立て屋たちに捕まり、バンに乗せられてどこかの山中に連れて行かれ、そこで記憶がなくなるまで殴られて放置された。気づくと知らない病院だったらしい。しかも、自分が何者なのか、名前すら覚えておらず、全治半年の療養期間を経て放り出された。身寄りはなく、保護者のような人間もおらず、金は財布に僅か千五百円で、それはどうやら会場までの交通費だったらしい。

 ホームレス生活が始まり、時々施設や支援者の世話になりつつ、何も思い出せないまま五年が過ぎた。

 ある日、街頭のテレビからピアノが聞こえてきたそうだ。それは明るいユニゾンから始まるバルトークのピアノ協奏曲第三番ホ長調だったそうだが、何とも物悲しい旋律だったという。何故なら当時「悲しみの貴公子」とまだ呼ばれていた香美村孝幸のニューヨーク公演の様子だったからだ。

 一時的に記憶を取り戻した石塚は何とか香美村孝幸に連絡を取ろうとしたらしい。だがその石塚は再び闇金の連中に出会ってしまう。

 それからは逃亡と盗みで逃げる日々だった。

 そのうち石塚には幽霊が見えるようになったらしい。幻覚と本人は認めなかったが、認知症の一部の症状にはそういった幻視や幻聴といったものもあると、彩は聞いたことがある。

 酷い衰弱状態で行き倒れていたところを保護団体によって助けられ、ここ、月光の園に入れられた。ここはそういった身寄りのない高齢者の中でも、認知症などの酷い人間を入れておく施設らしい。


「気づいたらここだった。ここは少なくとも借金取りに怯える必要はない。そういう意味では天国かも知れないが、俺にとって音楽のない生活なんざ、死んでいるも同じだ。お前が来てくれて助かったよ。なあ、孝幸。お前、俺をここから出してくれるんだろう?」

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