第55話 海賊船団現る

 この時の海賊騒動がなければ、未来はまた違ったものになったかもしれない。

 僕たちの物語には、僕も知らない一面がある。


 首都ラムセスの沖。大型の帆船が、小舟に混じって波を立たせていた。


 夕闇に浮かぶラムセスの街並みをこの船上で眺めるのは、黒いローブを頭の上からかぶってしまった少女だ。


「今日はやけに地鳴りがしておる。先日川が赤く染まったのもナイルの上のほうで地盤がズレたせいであろう。この調子だと、もう一発でかいのが来るかもしれん」


「地鳴り?」

 少女の隣で、顔に入れ墨をした女戦士は黒ローブの少女を見上げる。

 その少女というのは、さっきから帆が受ける風の中に居た。


 その時、船上の誰もが気にするのは、地鳴りなどではなかった。入れ墨顔の戦士も同様で、心配事は別にある。


「地鳴りよりミツライム軍がそろそろ反撃してくる。これで本当にやれるのか?」

 海賊船が喧嘩を売った相手は大国ミツライムだ。


「ミツライムの連中をからかう陽動作戦じゃ。貢ぎ物がたくさん集まっておろう、あれをごっそり頂くとしよう」

 少女の狙いはそれ。


 ただしこの船の雇い主はこれを聞いて黙ってはいなかった。


 慌てて甲板にでてくるのは、剣を携えた姫装束の女。黒い髪を馬の尾のように縛り付ければ、指先から首筋までがその辺の男たちよりも毅然として見えた。体幹の強さは誰の目にもわかるだろう。剣を持てば、知る人ぞ知る一流の修羅。


「やはり見える景色はミツライムだったか。私は戦力を貸してくれとは依頼したが、こんなことは聞いていないぞ」

「サムライの姫は頭が硬いの」

「これでは海賊行為をしているようにしか見えない」


 サムライのヒメは少女に抗議した。


 サムライは旅の巫女を護衛するときの出で立ちのまま肩をミツライムの街並みに向ける。


 その人はナタに剣を教えたこともあるチイ先生だ。彼女は「何をやっている」と歯ぎしりさえ見せた。なぜ、チイ先生がこの船にのることになったかと言えば、「ユッグ・ドー、答えろ」彼に問わなければならない。


 ユッグ・ドーと呼ばれた男はキリーズの商人だった。白いシャツの襟をたてて胸元を大きく広げて荒波を前にため息だ。


「まあ、そんなに怒ることはないだろう。何かの手違いということもある」

 とは、暢気な返事で、チイはこれに納得することができなかった。見たところユッグ・ドーという男も黒ローブの少女には頭があがらないらしい。


 手違いではすまされない現実だけがサムライの目には映っただろう。


「ユッグ・ドー。この船団は私が借りたもので間違いないのだろうな?」

 サムライはついに商人に詰め寄った。


「そのはずだが」


「ではなぜ、略奪などしようとしている。海賊行為は我々のすべきことではない」


 チイの焦りが、半ば叫び声のようになる。いや、今乗っている船が海賊船だからこそ、周囲の怒号に負けない声を出す以外なかった。


「傭兵団を集めたはずだが、海賊船にも見えるな」

 ユッグ・ドーは、「あれま、寝てる間に進路が随分逸れたな」などと寝言を言う。


「ミツライムだぞ。進路がそれたどころの話じゃない」


 ミツライム。


 それはナタが向かった先だとチイは知っていた。この時代においては最強を誇る軍事大国だ。


「どっちみち、ミツライムにいく手筈だ。丁度良かったとも言える。あんた、船団を借りて、ナタやリッリを支援したいってうちに来たよな?」

 これがユッグ・ドーが聞いた話の内容。


「ザッハダエルの時に世話になったからな。傭兵の力量は知っている。しかしもともと船団を借りたいとは言っていない。ナタがミツライムの犯罪組織と戦うとか奴隷を連れてくるなどと言うから、一応支援できる戦力がほしいと要求しただけだ。わたしたちだけでは手が足りない」


「一応そうなっている」


「話が違うと言っている。なぜミツライムの首都まで行って略奪になる? ユッグ・ドー、あたなと話しても埒があかない、船長と話がしたい」

 チイは周辺の戦士たちを睨みつけた。


「船長は確かな人物だ。間違うはずがないんだが――」

 ユッグ・ドーは周囲を見渡す。


 船長とは、黒いローブの少女だ。


 そして、騒ぎが大きくなる中、彼女の声は聞き取れるだろうか。

「この時期、ミツライムではオプト際をやっておる、世界中から金銀財宝を集めて、盛大な宴よ」


 帆を片手でたぐるところに、船長がいた。黒いフードを外して、海風に狼の耳をそよがせる少女だ。そのシルエットは人間だったか怪物のものか、彼女はいらずらげに笑う。


「フェンリル」とユッグ・ドーが呼ぶその少女こそ船長にして、狼の傭兵団のボス。ザッハダエルの時には、狼の兵団を送りつけた張本人だった。


 そよかぜに任せて彼女は言っただろう。

「軍船を動かすわけじゃ。命がけともなればそれに見合った報酬も必要になる。どうせなら。この財宝、もらっていってもよかろうよ」と。


「ダメだ。他人のものだぞ」

 チイは否定した。


「十戒があると言うのじゃろうが、その十戒で定められた相手はぬしの兄弟であろう。それ以外の誰から何を盗もうと十戒には触れておらん」

 フェンリルは言った。


「別にあなたたちに十戒を守れと言っているわけではないが」


「ぬしらそれを気にしておるのではないか?」


「気になると言えばそれはそうだ。やっていいことと悪いことくらいはどこにでもある。マナーのようなものだ」


「正直に話せばな」

 フェンリルはチイの話には聞く耳をもたなかった。彼女が見ているのはあくまで未来だ。とは、次の台詞にある。


「ぬしはわしにナタを手伝えと言うが、奴がしようとしていることは途方もない馬鹿じゃ。この軍事大国から奴隷を解放すると言うが、言い換えれば大国ミツライムを潰すのと同じよ。最初に聞いたとき、わしは笑い転げたわ。普通にできることではない。じゃから、ぬしはわしを頼ったのであろうが、わしとしても準備というものがある」


「準備とは何だ」


「敵を知らずに戦などできはしないよ。大国ミツライム相手じゃ。つまり事前に敵の戦力を測っておく必要がある。ぬしも戦闘を懸念するからこそ、わしらを呼んだのであろう?」


「それはそうだが――」


「ついでにオプト際の財宝を頂いておくのも戦略上の要じゃ」


「それは関係ないことだと思う。敵になるかもしれないからと言って、相手から何でも盗んでいいなんて道理はない――」

 フェンリルの戦術について、誰が口を挟めるだろうか。チイはそこで固まってしまった。


「と思って昼間、ミツライムに上陸してみたわけじゃが、当初わしが想定していたものと少し状況が変わった」

 フェンリルは楽しげに笑う。


「なにがおかしい?」


 チイは、ミツライムの軍船が一斉に動き出すのを見た。こちらに向かってくるということは海戦の始まりだった。これを前にフェンリルという少女は気でもふれたか。


「おかしいのはぬしらの仲間よ。わしが上陸した時にはすでに奴隷たちを連れ出しておったわ。国が大騒ぎよ」


「何?」


「先にミツライムの首都に来て正解であったわ。もう少しでこの一大イベントを見逃すところじゃ。見よ、ミツライムの街並み、様子がおかしかろう。あれはわしらが来てからだったか?」


「何を言っているのかわからないが、奴隷を解放したということなら、我々の出番はないってことか」


「奴隷がいなくなれば国が傾く。それを黙って見ているファラオではないと言ったら?」


「お前の言う通りだ。ミツライムが黙ってそんなことをさせるようには思えない。ナタは何をやった?」


 フェンリルは「だからこそじゃ」と言った。

「このままではナタの奴らは追いかけられて全滅じゃ。誰もカナンには辿り着けぬ。そういう準備が着々と進められておったわ。奴らも詰めが甘い。わしなら逃げるよりも奴隷どもを手なずけてミツライムを乗っ取るところじゃ」


「ならば我々もすぐにナタを追いかけなければならないのではないか?」


「逆よ」


「逆とは?」


「このままミツライムの軍勢があいつらを追いかけては賭けにもならん。だからこそ、ここで陽動をかけるわけじゃ。ここにミツライム軍をできる限り引きつける。そうすればあいつらを追う兵士の数は減る。簡単な計算じゃな」


「では財宝を奪うという話ではないのだな?」

 チイはそれを最後に確認してみた。


「財宝はついでよ。ここに集まっておる傭兵どもは財宝には命をかけても、ぬしらに命をかけるものはおらん。ものは言い方よな」


 これを言われては、チイにも叱責する言葉がない。その通りで、ミツライム国相手の陽動は命がけだ。赤の他人に命をかけろと言ったところでどれだけの意味があるだろうか。彼らには彼らで命をかける理由が必要だった。


「わかれば、ぬしも手伝え。ここでミツライムの兵士に舐められては全てが海の藻屑よ、どれだけ奴らを引きつけられるかが勝負じゃ」


 フェンリルはそういって、飛んでくる矢を躱した。「敵は船をくっつけて乗り込んで来る気じゃな。サムライはどう動く?」

 問いかけはサムライの背中を押すものだったか。


 チイは鉄の剣から留め具を外すと、一気に走り出していた。


 すれ違う船から船までは最短でも五メートルはあっただろうか、そこを飛び越えた。一閃する挙動はあまりに早く、ミツライム兵士は戸惑うばかり。チイが剣を足元におろせば、すでにミツライム兵は大半が海の中だ。この技に海賊を思う者は、誰一人いなかった。


「誰だ。何者だ?」


 他の船から悲鳴に似た声が聞こえていた。戦っていたのがギリシャ方面の海賊かと思えば、フェニキア人であったり挙げ句にサムライまで出てくる始末だ。ミツライム兵士にすれば、誰だと言いたくもなるだろう。


 誰と言われてもチイには答える名前がない。海賊として名乗る名前など持ち合わせてはいない。


 だから次の言葉が聞こえた時は不思議な気持ちになった。


「我らは海の民よ、この国もらい受ける」

 大きく啖呵をきったのはフェンリルだ。


「そりゃなんだ? 海の民なんて聞いたことがないぞ」


 ユッグ・ドーが尋ねるところ、


「ザッハダエルでそんな噂を聞いた気がするわ。丁度良い呼び名であろう」とだけフェンリルは答えた。

 

 ここにミツライムと海の民の一大海戦の幕があがった——。

 とは言っても、フェンリルが言うには、これはほんの遊びのようなものだったらしいが——。

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