第53話 それは始まりの

 僕たちは次の日の朝には行動を起こすだろう。


 だけど、この夜、

 ミツライムという国の存亡に関わる異変はすでに起きていた。


 僕がこのことを知るのはずっと後になるが、

 この異変に最初に気がついたのは、港を離れるヒルデダイトの戦士たちだったのかもしれない。僕の運命を決定付けたのは、僕の行動ばかりではなくて——。


 つまり、

 深夜の海のことだった。

 

 奴隷も商人も冒険者も、誰も眠れない夜に、

 ミツライムを離れつつある船があった。


 ヒルデダイトの軍船は荷物を下ろすと、ミツライムの騒動を避けて、一隻、また一隻と港を離れていく。深夜のことだから、船を見送る民衆は誰ひとりいない。


 船はそうして、夜の闇に消えていくわけだが、

 後には海をたゆたう波がその痕跡をかき消すようにうねるばかり。


 船には波が船を叩く音だけが残っていた。


 そんな船の上で、波に揺られながら、

 愚痴というものを同じ海に流す男が居た。男というより奇妙な生き物と言ったほうが良かっただろう。


「ミツライムの灯りが懐かしいわい」

 王冠を被ったぬいぐるみのガラスの目には表情は映らない。祭りの喧噪もそこにはない。


 対岸にあるのは祭りではなく暴動だろうに、ぬいぐるみは祭りとばかりにはしゃぐ声を出していた。


「軍船が入れ替わり港に入っていくわ。これだけ武器を供給すれば、ミツライムもただではすむまい、お前もそう思うじゃろ」

 とぬいぐるみの王は読む。


「どうでもいいじゃん」

 話しかけられた少女は軍船の上でひねくれていた。


「まだ拗ねておるのか?」

「いいところだったじゃん。なんであたしが本国に帰されなきゃいけないんだよ」

 というのが少女の機嫌の悪い理由だった。それは蛇のように髪を結ったエキドナだ。


「アホかぁ」

 ぬいぐるみの王、ムルムルは煽った。「お前がファラオの神殿に乗り込んで、勝手に兵士を殺してくるからじゃろが。あんなことをしでかしておいて、もしお前がヒルデダイトの将校だとバレたら、それこそ始末におえんわ。強制送還は当たり前じゃ」これは、「まあ、わしと同じよ、くふふふふ」という結末だった。


 ムルムルのほうは、一度ミツライム軍に捕まっている。ここで顔を見られているわけだから、その後のヒルデダイトの行事には一切参加せてもらえなかった。


「君と一緒にしないでよ。騒がれたって、どうせ最後は殺すつもりだった、それで解決できるじゃん」

 エキドナはそっぽを向く。


 この戦闘狂エキドナは、神と戦うためにムルムルについて来たと言っていい。今日まで我慢させてきたが、暴動の熱気にあてられて、その我慢も限界だと言うのだろう。


「順番というものを考えんか。いきなりはまずかろうが。本当なら奴隷とミツライム軍を戦わせて、わしらが戦場を支配する予定じゃった。ミツライム軍が強ければその力を削ぐ。つまりその時に、ミツライムの神とやらを暗殺する手筈じゃったわ」


「その計画、破綻してたじゃん」


「お前がぶち壊したんじゃろが」


「あたしじゃないよ。放っておいたら、どっちみち、あいつらがやってた。鳥のいような戦士と白い奴」


 エキドナが不満を言えば、

 ムルムルも不満だ。


「あいつらってのは、オルトニスとウバルをやった奴らか」


 思い出すだけで、ムルムルは不愉快になった。


 つまり、

「それにしても憎たらしいのは、あいつらよ」

 かつてムルムルを捕まえた犯人は、赤頭巾の賢者に白装束の剣士、手の大きな剣士にひょろい金髪の男。


 ムルムルはそれを思いだして、地団駄を踏む。


「あいつらのせいで、わしはアザゼル様の演説の時もひとりあのお立ち台にあがれんかった。他の将校が英雄のように扱われる中でわしだけがカヤの外じゃ」


「子供たちの前で踊れたじゃん」


「それとこれを一緒にするな」

 エキドナはどうでもいいと言うかもしれない。

 ムルムルには今でも腹立たしいこと。


「あいつら、上手くミツライムに隠れておるのかも知れんがそれも明日で終わりじゃ」


 ムルムルは呪いの言葉を紡いだ。


 今度こそ旅人たちの未来は終わる。


 ついでに言っておくなら、

「明日の朝見ておれよ。祟りがどういうものか思い知らせてやるわ。奴隷が武器をもち、ミツライム兵士と壮絶な戦いを繰り広げる世界がくる。最後には誰も生き残れんのじゃ」


 ムルムルはそう予想する。


「あいつらがその程度で死ぬと思う?」


「くふふふふ、置き土産じゃ。わしが神を喰らう化け物に火種を呑み込ませた。神が邪神となって暴走すれば、そこは地獄そのものよ」


「火種って、あたしの槍に宿っている炎の力みたいなもの?」


「それよ、人体に直接投与すれば、人体とて化け物となるのじゃ。というか、お前の練習相手に何体か用意したことがあったじゃろ」


「あの程度じゃ準備運動にもならなくない?」


「元になる人間の性能次第よ」


「それより、あの火種を喰らった奴って暴走してさ、手当たり次第に人間を食い始めたような気がするけど」


「それも精神次第。血の渇きに耐えられなくなれば、人間をも食い始めるわ」


「そんなのをミツライムに解き放って大丈夫だった? あんたの計画ってことごとく失敗するじゃん。どうせまたその怪物ってのはあんたの思った通りの活躍はしないかもよ?」


「それでも構わんわ。みんな死んでしまえばいい。恐怖するが良い」


「それ、あたしに言って、意味あった?」


「お前に言ったわけではないわ。相手に聞こえなくても、こういうのは雰囲気じゃ」


 ムルムルは「くふふふふ」と笑い始める。焼ける町の匂いが鼻先を掠める中、この笑い声もまたおどろどろしい雰囲気となるだろう。


 と思ったが、目の前をスタスタと歩いて行くエキドナがいれば雰囲気などぶち壊しもいいところ。


「エキドナ?」


 ムルムルは、「今のちゃんと聞いとったか?」と不審に思って確認してみた。エキドナは船の外に身を乗り出すようにして、海を眺めていた。夜の海だ。ムルムルには何も見えやしないというのに――。


「あの船——」

 エキドナが言うのは、ミツライム首都ラムセスの灯りが見えるか見えないかの洋上のこと。


「船なんかあるか?」


「たくさん船が集まってる。その中に大きなのがある。帆船だ。ミツライムの漁師じゃない」


「お前良く見えとるな。そんなもんあるのか?」


「貴族の船じゃなさそうだね。かと言って商人ってわけでもない?」


 それならムルムルには思い当たることがある。

「今ミツライムはオプト祭のまっただ中じゃ。商船もくれば、貢ぎ物も集まってくる。それをねらって海賊どもが来るのも毎年のことじゃ。夜にまぎれて、これから襲う船でも吟味しておるのじゃろ。もし海賊どもがこちらに来ても、ここにはエキドナ、お前がおる。そもそもヒルデダイトの軍船じゃ。こちらに喧嘩を仕掛けてくる者がおるとは思えんが」


「あれが海賊?」

 エキドナはその時、臨戦態勢だった。


 シャン


 彼女が槍を立てたのは、なぜなのか。


「海賊じゃなければ、幽霊船団じゃろ? そんな噂も聞いたことがあるわ」


「幽霊船。そのほうがしっくりくる。ムルムルはここに海賊が集まっているって知ってたわけ?」


「海賊が暴れておれば、ミツライムの軍船が動くのじゃから、それを見ておれば、わかるわ――」


 わかる。


 それを言おうとしてムルムルは確かに何かがおかしいことに気がついた。海賊がいるなんて今の今までムルムルも知らなかったことだ。


 これは周囲に海賊の被害にあった者がいないからこそ、噂も立たないし、軍も動かなかったことを意味する。


「あいつら何か嫌な雰囲気。乗り込んでみない?」

 エキドナはむしろ興味津々だっただろう。


「アホかぁ。やはりどう考えても海賊じゃ。強盗しようとしたが、いつもと違ってヒルデダイトの軍船があったから、手が出せないだけじゃ。宝を奪った海賊なら、討伐してわしらが財宝を頂くのもいいが、襲撃前の腹を空かせた貧乏な海賊を襲ったところで、わしらに何の利益がある?」


 ムルムルは、「若いもんはわかっとらんの」と呟いた。


 しばらくして、

「まあ、いっか」

 エキドナも満天の星空を仰いで寝転んだ。結局何が起きようと軍船の足が止まることはない。この軍船のその先は地平の向こう。朝があるだけ。そして広がる海原には、朝が来るのを妨げるものはもう何もなかった。


 まさにこの海賊船団の到来こそ、歴史を揺るがす大事件になっていく――。

 それは僕やナタの英雄譚と関係のない話ではなかった。


 ただ、僕はその時分にはまだ寝付けずに、首都ラムセスの小さな宿屋の中、ベッドの上に横たわっていたと思う。


 寝ようとしても眠れない夜だった。


 宿の外で奴隷たちが子供たちを探して歩く音が絶えず聞こえていたし、


 明日の朝のことを考えると、


 とても寝てなんていられない。


 今日までは、何をしても何を言っても僕は自由だった。僕が英雄だと騒いだところで、僕を相手にする人はいない。ミツライムの兵士に睨まれれば逃げるだけで良かった。


 今までだってそうだ。


 魔王を討伐するにしたって、途中でやっぱりやめますって言って逃げることもできた。


 だけど、明日になれば、僕たちはモーセと一緒にミツマの民をカナンへと連れて行く。

 一度動きだせば、もはや後戻りのできない旅だ。


 僕たちが旅の途中でミツマの民を放棄すれば、彼らは生きていく場所を失ってみんな死んでしまうことになる。リッリと一緒に居た時には、全てがお祭りの中みたいに思えていたけれど、熱が冷めてみればこんなに重い責任が僕の肩にのしかかっている。


 僕は、それを考えると少し怖くなっていた。


 目を閉じると、


 いろんな音が外から聞こえてくる。


 あれが盗賊たちの足音であるなら、

 僕はどんなに怯えただろう。


 その向こうの海には、海賊が待ち構えているかもしれない。

 そう思うと、明日の旅の行く末に僕は不安を覚えるばかり――。


 こんな時、本物の勇者なら、何を考えるだろう?

 僕はふいにそんなことを思った。


 そして朝。


 僕は朝の光で目を覚ました。


 小舟のテントではなくベッドで寝たのは何日ぶりだっただろうか。古びた宿のベッドだったが、それでも小舟に比べれば雲泥の差がある。


 頭を持ち上げてみると、隣のベッドで寝ていたナタの姿がない。窓の外には人通りはなく、昨日暴動が起きていたとは思えないほど穏やかな朝になっていた。


「今日は確か、ミツマの人たちとカナンに出発する日だ――」

 それを思い出さなければ、もう一度頭を沈めて眠っていたかもしれない。


 僕は咄嗟にベッドから飛び出していた。朝出発するというのに、僕だけが眠って居て周囲に誰もいないとはおかしな話だ。


 リッリたちがどこにいるだろうかと思って走ると、川沿いにはすでに人だかりがある。服装から奴隷たちだとわかるが、暴動のような粗暴さはどこにもなかった。そして彼らの多くは白いパンのようなものを食べている最中だ。


 炊き出しをしているところに赤頭巾の姿があった。


「焼けたものを出したら、冷えたものからどんどん袋に入れちぇり」

 赤頭巾が指示すると、石の窯で焼いた白いものをヘラのようなもので掻き出すナタの姿がある。板の上でこれを冷やした後は、まとめて袋詰め。


 モーセはその袋を馬車にどんどん積み込んでいた。


「何やってんのさ?」

 僕だけはさっきまで寝ていたところ。


「これから長旅りや。その間に食べる保存食を作りやい。それも朝飯にひとつ食べてけ」

 赤頭巾は火の加減を見ながら、僕に白い食べ物を勧めてくる。


「ありがと」」


「旅には兵糧が必要りや?」


「言ってくれたら、僕も手伝ったのに」


「ヘルメスには、旅の途中でしてもらわりことあり。別に仕事は用意してりや。ゆうりぃ」


 と、ここで賢者は次のように付け加えた。


「そろそろみんな揃ったところで、作戦を教えやり」と――。


 リッリの作戦は次のようなものだ。

「携帯食が焼き上がったら、すべてを積み込んで出発すれ。モーセはワレの杖をもって民を導きゃ。ナタとミツハ、それにヘルメスはその背後を守りゃんせ」


 ここで赤頭巾は地図を広げる。「目指す先はここなり」と指差すのはワニの海に面する一点だ。


 その場所は、

「あれ? 僕たちが向かうのって、カナンじゃないんです?」

 カナンまでまだ半分もいかない場所だ。そこで道が途切れるのは、海があるからだ。周り込めばシナイ山だが、一直線に目指そうとすれば必ず海にぶつかってしまう、そういう地形だった。


 モーセもこれには唸った。


「どういうつもりなのですか? その場所には村などありません。荒野と海があるだけです」


 言えば、

 賢者の答えは明解だ。


「ワレとシェズとで先周りして、そこに船を用意しやり、それで海をこう、まっすぐ突っ切ればシナイ山りょ」


 地図で言えば、海を渡った先がシナイ山。


「シナイ山への近道?」

 言われると、確かにそれは近道にも思えた。

 あくまで地図上ではのことだ――。


 ただし誰が考えても、大勢の民が移動するには不向きな道。


「シナイ山を目指すのなら、カナンに続く道から、ワニの海を迂回するべきでしょう。カナンへはそれなりに良い道が通っています。ですがリッリさんの言われるその場所は歩くのも困難な荒野。道があるわけでもない」


 モーセが顔をしかめる理由がこれだった。

 僕の記憶でも同じ。


「カナンまでは通って来た道を戻ったほうが分かりやすいよ。昔ミツライム軍がカデシュの戦いで使った道があるんでしょ。シナイ山に寄るのも、そっちからのほうが安心じゃない?」


 近道とは言え、知らない道を通るのにはリスクがある。ましてや、僕たちが案内するのは旅をしたこともない民衆。


 だが賢者は首をふる。

「だからこそ、その道は駄目なりゃ」


 これだ。


「なんで?」


「追っ手がかかり。これをワレらは振り切らねば、カナンへは辿りつけりん」


「追っ手?」

 僕は振り返った。さっきからミツハも警戒している先。ミツライム軍はいまだ動かない。

 

 だって、

「ファラオには昨日断ってきたよ? 一応許可は取ったと思うけど――。なんで? ファラオに内緒で誰かが動くってこと? ファラオの気が変わるってこと? だったら、ファラオがその気になっている内に素早くみんなで移動したほうがいいんじゃない?」


 僕はそんなふうに思う。


「戦う相手を間違えりなや」

 賢者が言ったのは、「敵は最初からヒルデダイトのみ」だ。


「ヒルデダイトって? アザゼルはまだ何も発表してないし、傍観してるみたいだけど」


「ヒルデダイトは、ここでファラオと奴隷を争わせる手筈だったり。それをワレが連れ出して困るのは、ミツライムにあらずや」


「そっか、確かにね。ヒルデダイトが連絡網とか数年かけて用意していたんだよね。それも全部無駄になるし、アザゼルのあの演説も意味がなくなっちゃう」


 と、僕は当たり前のことに気がついた。


「あい、ヒルデダイトはミツライムで戦争を起こし、国を破壊することを目論んでり。それが戦わせる奴隷がいなくなってハッピーエンドとはいかん。敵は必ずファラオを仕掛けさせてくると見やり。ヒルデダイトは数ヶ月前、あるいは数年前からすでい仕込んでやり。最低でもここでミツライムの半分を破壊しなければ納得しならん」


 これを聞いては、僕も身構えるしかなかった。


「そっか。僕たちが逃げると、ヒルデダイトが困るってことかぁ。でも、ミツライムを滅ぼすなら、むしろ僕たちを逃がしたほうがいいって考えないのかな? 戦って殺すとなれば大変だけど、僕たち勝手にいなくなるって言ってるのに」


「昨日の騒動でアザゼルが動いておらん。ファラオの友達だと言うてりよなもの。民衆を支援しやりもまるで表には出てこん。これではどちらの味方かもわかりぬ。あえて言うなら、どちらの味方でもあって、どちらの味方でもなき」


「自分たちの手は汚さずに、僕たちを戦わせるってこと?」


「そうしておいて、いつかミツライムを救う英雄を演じて出てきやり?」


「え? 英雄って」


「以前それがワレに話した、オーガの件も同様の構図であろうが。ファラオと奴隷が勝者のいない戦いをすれば、民にとってはどちらも害悪。いない敵を作って民衆をコントロールしやり?」


「そう言えば、ヒルデダイトで英雄って言えば、そんな感じでした」

 僕はため息をついた。


「英雄って何?」

 ミツハもその単語は知っていただろう。民衆の希望となる存在だった。だけど、僕たちがしているのは、そんな英雄の話ではなかった。


「英雄って言っても、単純に僕たちが憧れている英雄とは逆の存在だよ。オーガっていう魔物を作って奴隷を支配するんだ。英雄がオーガを倒せばみんな喜ぶでしょ? でもその英雄がオーガを使って民衆を襲わせていて、民衆には英雄こそが正義だって言って民衆を洗脳していくの。そうなったら英雄に逆らえる人がいなくなっちゃって。あとは悪事のやりたい放題——」

 これがヒルデダイトのレッドプラエトリウムがやってきたこと。


「英雄と呼ばれているのに、中身は悪党か。じゃあウバルと一緒じゃない。ウバルが私のことを裏切り者と呼んだのと同じようにするわけ?」


「それ。まさにそれだよ。そうやって罪のない人間を殺害して英雄を作り上げるんだ。英雄の敵になると、自動的にどんなに正しい人でも悪党ってことになっちゃう」

 僕は身近に同じ事例があったとことを思いだした。


「ヘルメスも英雄になりたいって言ってたっけ。そういうのに憧れていたんだ?」


「違うよ。僕が目指してる人とは真逆だって」


「ふーん」


「信じてよ。僕が目指していたのは、みんなが平等で暮らせる世界を作るために頑張ってた人だよ? アザゼルに殺されちゃったけど」


「その人も英雄?」


 英雄かと問われると、僕には答えられない。誰にだって憧れる人はいるだろう。


「その、その人は自分では英雄なんて言わなかったけど、僕から見たら英雄だったし、むしろ僕にとってはその人が本物の英雄だと思うし」


「ま、なんとなく分かる気がするわ」

 初めてミツハが僕に頷いてくれたような気がした。「私のお父さんも私から見たら、英雄そのものだったわ」と言われれば、まさにそれは僕の答えと同じだ。


「そうそう。そんな感じ。本物の英雄は自分のことを英雄なんて呼ばないんだ」


「ふーん、そう言われてみれば、ウバルは自分のことを英雄だとほざいていた。典型的な悪党ね」


「だよね。まさにそうなんだ」

 僕は頷き返した。


 ここにそれらしい人がいるとすれば――。

 ナタやモーセだ。

 リッリもそうなのかもしれない。


 みんな自分のことを英雄だなんて言わないけれど——。


「だとしたら」

 とミツハは言う。


「なに? 僕の顔に何かついてる?」


「あんたは三流で偽物の勇者ね」


「なんでさ」

「自分で勇者になりたいって言ってるもの。英雄だったかな。どっちも一緒か。本物はきっと、そういうこと言わない」


「ちょっと待ってよ。最初から勇者で生まれてくる人なんていないんだよ。だから目指すならちゃんと言葉にしないとって思っただけで」


「ふーん」

 と言うミツハの目は完全に冷めていた。


「僕の話、聞いてくれてる? 心構えってさ、大切じゃん?」

 僕は援護を求めたい。


 こう言うとき、ナタならきっと僕のことをわかってくれるはずだった。ナタが僕のことを褒めてくれれば、ミツハちゃんだって僕のことを見直すかもしれない。


「ヘルメス、ちょっと走って来てくれるか?」

 どうやらナタは僕たちの話を聞いていなかったようだ。彼のほうから僕に近づいてきたのは所用のため。


「どこに?」


「シェズが馬を引いて来た。すぐにリッリはシナイ山へ走る。俺たちもすぐに後を追いたい」


「それってすぐ出発ってこと?」


「ここに長居をしても仕方ないだろ」


「うん」


「だから街に残ってる奴に声をかけてきてくれないか。明るい内にできるだけミツライムを離れたい」


「わかったよ」

 僕は友人の頼みに大きく答えていた。


 ただ、振り返ると、

「使いっ走り?」

 そう言いたげなミツハちゃんの目。


「あの――」

 僕はこうみえて勇者ですって反論しようとしたけれど、

 本物の勇者はそんなことは言わないもの――。


 そう思えばこそ、

 むぎゅっと口を閉じた。


 かくしてミツマの民は歩き始めた。目指すはシナイ山。そしてその先はカナン――。

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