第49話 情報戦

 浜辺に乗り上げた小舟。

 そこにテントを張れば、これが僕たちの新しい基地となった。ヒルデダイト軍を監視して三日目になると、洗濯物も増えてリッリは朝から大忙しだ。


「ヘルメス、ヒルデダイトのほうに何か新しい動きはあったり?」


「ううん、朝からいつもと同じ。みんな祭りにそわそわしてる」

 僕の日課はヒルデダイト兵士たちを談笑しながら、子供捜しの進捗を探ることだった。


「子供らの行方はまだ分からず?」


「あの船のこと?」

 僕はヒルデダイトの軍船を眺めた。その軍船の警備をエキドナがしていたのだから、子供攫いと関係があるのは明らかだ。「あそこだと思ったんだけど、ミツハちゃんが違うっていうなら、やっぱり違うんでしょうか」と言うように、すでにミツハちゃんが調査した後だが……。


「まだ船を疑りや?」


「だって」


「それなら、ミツハと同じように夜にこっそり船に飛び乗って見てきたら良きや」


「あんな芸当は普通の人間にはできないんですよ」


 僕の子供捜しは難航していて、有益な情報を僕はまだ知らない。


「それなら、ワレを手伝えり」


 リッリは昼間から当面の食事の仕込みで人手がほしいと言った。寝転んでいるシェズには、「ナタと一緒にその辺で魚でも釣ってきや、昼ごはんを作れり」と指示しておく。「その後は水を汲んできやり」とさらにその先までスケジュールはびっちりだった。


「あたしはモーセの護衛だけど、持ち場離れていいのか?」

 とシェズの愚痴がくれば、


「もう三日りゃ」


 リッリはため息。「モーセがファラオに会って三日、ファラオがモーセを探そうとする様子もなきや。なにかしら反応があるかと思いきや警戒してみたりが、ワレは心配しすぎたり。モーセもずっとテントの中だと退屈りゃろ」こうなると、小舟の周囲は平和そのもの。


 僕はヒルデダイトの軍船を見上げる。


「ファラオのほうもですけど、そろそろヒルデダイトに動きがあってもおかしくないと思うんです。そうしないと、いつまでもアザゼルがここに滞在しなくちゃいけないし。恰好つけた手前、それなりの結末って用意されてないとおかしいですし――」


 僕はそんな期待をしていた。


「うみゅ」

 リッリが頷く。彼女も期待はしていたのだろう


「昼からはちょっと郊外のほうを歩いてみようと思います。なにか手がかりがあるかもしれませんし」

 僕はまだ探索していないラムセス郊外を思った。


 その前に、

「ミツハちゃんから連絡はありました?」


 手がかりがあれば些細なことでも仕入れておきたかった。ミツハからの報告は全てリッリが受けているのだから、リッリに聞けば最新の情報は得ることができる。


「ワレも待てりや」

 とのことなので、しばらくミツハを待つことにする。


 そうして一時間もしない内、


 そのミツハからの連絡で。


 僕は事件が動いたことを知った――。


 いつもは目立たないように遠回りして、ヒルデダイトの船からみて裏側から戻ってくるはずのミツハが、街からほぼ一直線に走って来た。違和感はその時からすでにある。


 彼女はテントを破くような勢いで払いのけると、リッリとモーセを見やって早口だ。


「子供たちが連れて行かれた場所がわかった」

 そのひとことで数ヶ月の苦労が報われたと思った。殺されたジャガールやサーム、エージェントたちがずっと探し続けていた回答。


「お?」

 賢者はいよいよかと腰をあげる。


 僕も、「どこ?」と半ば心ここにあらず。


 ただ、

 ミツハは険しい顔で答えた。


「ファラオの別荘」

 考えてみれば、ミツハが子供を見つけたのなら、そのまま解放してくればいい。それができない状態がそこにあった。


「ミツハちゃんが見つけてきたの?」

 聞けば、

 ミツハの返事は、


「ナタは?」


 そのひと言だ。


 彼女一人で解決できない案件だと吐露する息遣い。


 だから、

「何があった?」

 と聞いたほうが良かったのかもしれない。

 実際にそれを聞いたのはかけつけたナタ。

 

「民衆がファラオの別荘に向かっているわ。子供たちを取り返すんだって。気付いた時にはそうなっていた。わたしだけじゃどうにもできない」


 ミツハの呼吸が乱れていた。


「集まった民衆って子供たちの親のことか?」

 と、ナタが僕の前に出る。


「そう。ものものしい雰囲気になってる」


「俺たちが気付く前になんで他の連中がそれを知ってる?」


「わからないけど、噂になってて、わたしも今それを知ったところ」


「ただの噂か?」

 ナタは半信半疑だっただろう。


「噂かどうかは確かめて来た。何人かわからないけど、子供たちを閉じ込めているのは確認した」

 ミツハはすで走って来ただろう。そのせいでまだ息が荒々しい。もしくは他に彼女が取り乱す理由がそこにあっただろうか。

 

「ちょっと待って」

 何が起きたのか、僕には説明できる自信がなかった。予想外の展開。どこがと言えば、


「子供たちがファラオの別荘に居たってことは、ファラオが犯人ってこと? だよね?」


「それだと、犯人がわざわざエージェントを組織して自分を捕まえさせようとしていたってことになる。ヒルデダイトに事件の解決を任せておいて、自分が犯人なんておかしくないか?」


 ナタにそんなふうに言われると、


「そうそれ、なんか変だよね」

 僕はさっきの結論をすぐにひっくり返してみる。ファラオが犯人でないとすれば、


「つまり、別に真犯人がいて、その人がファラオの別荘に子供を押し込んで、ファラオが犯人だって吹聴しているとか?」


 他にも。いろんな可能性があった。


 僕は筋書きを詮索する。


 だけど、

「犯人なんて俺たちがいくら考えても出てこない。騒ぎになっているのは事実なんだ。行ってみるしかない」

 ナタは、モーセに目配せしていた。


 それはいつかナタが僕に言った願望を想起させる。ファラオと奴隷たちが争うことになれば、最悪な結末だろう。だけど、だからこそ奴隷を解放させる動機もそこに出てくると彼は言った。


 だからナタはモーセを誘うのかもしれない。


 僕は一緒に行くとは言い出せなかった。

 戦争になれば、奴隷解放どころじゃない。イザリースのときだってそうだ――。


「どうします? 戦争なんかになるんだったら……」

 僕は賢者に判断を仰いだ。


「胡散臭い話やりや、話の出所のほうが気になりん」

 リッリはそれを考えていたらしい。


「噂の出所?」


 子供が見つかったと言うのに、いまさら噂の出所なんて意味がわからない。


「この噂、どうやりや広まらりん? ミツライムの兵士なら事実を確認しやこれは口には出せやらんし、商人たちの間でも確証無き噂をここまで広めたりはファラオの恨みを買おうよ。しかも今はオプト祭を控えてりや。信仰はファラオにあり」


「変な噂流したら、首が飛ぶ?」


「それでも噂は流れりや。それもワレが気付かぬ内に」


「そんなことできるのは、やっぱりヒルデダイトです?」


「ヒルデダイトが噂を流しても、隣のミツライム人が止めるわな。むしろ噂の類いは権力闘争での常套手段やり。本来はファラオのほうに地の利があり」


「ますますわからなくなりました」


「分かれば、犯人の特定に繋がりやら。今のところ、ファラオが犯人だと言ってりようなも。ファラオからすれば、エージェントまで組織してヒルデダイトにもお願いしてこの結末は納得いきかねり。ヒルデダイトからすりゃ、今調べている最中のことあり、これ、間違った噂なら否定してなければなりん。もし肯定するならば、それこそヒルデダイトが陣頭に立つべき案件やり?」


「ヒルデダイトが指を咥えて見ているだけってことないですよね?」


「うみゅ」


「じゃあ、ちょっとヒルデダイトの様子を偵察してきます?」

 僕にできることは、ヒルデダイトの監視だけ。旅人に成りすまして、遊び歩くヒルデダイト兵士に話しかけるのは簡単なことだった。


 だけど僕を止めたのもリッリだ。


「それもありんが、重要なのは噂が拡散しやりこと。その方法を知るべきや」


 賢者は身支度をしていた。噂の出所を突き止めるために街に繰り出そうというのだろう。


「噂を流した人を突き止める?」

 かというとそうではない。


「噂ひとつで、大勢の奴隷がファラオの別荘に向かって大移動してり?」


「そうみたいですね」


「であれば、噂ひとつでミツマの民がカナンに大移動する道もありやら? これを押さえておきたり」


 言われて僕は、はっとする。


 僕はずっと子供たちを探すのを手伝っていたけれど、ミツマの人たちをミツライムから解放する手伝いなんてしなかった。どうしたらいいのか分からなかったし、現実的だとは思えなかったから。


 モーセに初めて会った時のミツハの態度や、ファラオの興味ない素振りを見れば誰だって僕と同じ気持ちになるだろう。


 今の段階でモーセが数千人の民を率いて凱旋する姿を僕は想像できない。


 モーセの気持ちは理解できるけど、他の誰もがモーセの気持ちを理解しようとはしないのだから、モーセについて行く人間なんていないんじゃないかって思っていた。


 でもリッリに言われて、初めて僕はこの物語の結末をイメージすることができたと思う。


「僕も手伝います」

 何ができるかわからないけれど、僕はリッリを追いかける。


「おい、子供を助けに行くんじゃないのか?」

 シェズはナタを追いかける気配を見せたが、それも一瞬のこと。


「民衆がみんなそっちに行ってり、ワレが行っても何もできやらん。今は事件の全体像が見てみたりやら。仮に噂の根元で真犯人が特定できれば、ファラオの別荘にいない子供らを助けることも視野に入りや?」


 これを言われると、ミツハはボロを脱いで、黒いコートを荷物の中から引っ張りだしていた。それは人攫いを追いかけるエージェントの制服。


 子供は見つかったが、全員が見つかったとは限らない。


 相手はこれまで何人ものエージェントを殺して逃げて来た連中だ。今度もまた上手く逃げるに違いない。


 それでも敵を追いかけるなら、今までの方法では駄目だ。


 ミツハは何も言わないけれど、そんなふうに考えているのが僕にはわかった。



 場所は変わって、

 港が見える宿場街。


 奴隷たちが仕事を放棄して子供たちを探しに行った後でも、医者だけは患者を置いて行くわけにもいかない。そして医者ならば、どんな職業の患者とでも世間話はするだろう。


 そして以前にシャガールが僕に話してくれたように、ミツマの民は医者やミツハのような戦闘員がいる特別な奴隷だと言う。


 だからこそ、リッリは町医者がいる建物に詰めかけた。


 僕はと言えば、ヒルデダイトの守備兵に一応探りを入れてからの合流だ。


 僕が少し遅れて、リッリの後ろ姿を見つけた時、

 そこはちょっとした人だかりになっていた。

 

 町医者が囲まれるのは、子供たち発見の噂を聞きつけた民が新しい情報を求めて集まっているからに他ならない。ここに人攫いを専門に調査するエージェントのミツハがいれば、この事件の真相を確かめようとさらに人が集まってくる。


「ちょっと通してください」

 僕が言えば、


 やっとリッリやミツハが僕に気がついて振り返ってくれた。


 まずは僕の報告から話は始まる。


「ヒルデダイトの兵士は、騒動が落ち着くまで待機するって。そういう命令が出ているって言ってました。ファラオの味方をすれば暴動に巻き込まれるし、奴隷たちの味方をすればファラオと敵対するからだって、あっちも何が起きているかわかっていない感じでした」

 僕はそこまで言うと、息を切らした。

 

「なんたりや、ヒルデダイトは完全に指をくわえて見てりだけや?」


 リッリは少し呆れた顔をする。「ヒルデダイトが事件を解決するのかと思いきや……」というのが落胆する理由だ。


「それで、そっちは何かわかったんですか?」

 ヒルデダイトから情報が得られないなら、僕が期待するのはリッリが言う噂の出所。


 これについては、リッリがあらかた医者の男から事情の説明を受けた後らしい。


「子供らが攫われるようになってから、民の間で伝達網が形成されてり。これがよく出来てりや。ここのところ事件続きで、訓練もよくされてり。これなら子供らをすぐに保護しやりや、悪用すればミツライム軍に検閲されることなく変な噂もすぐに広がらんや」


「伝達網?」


「怪しい人間を見つけたら、所定の場所に報告すり? するとそこから各拠点に話が伝播し、そこから多くの民に素早く情報が届きやり。すぐに子供を保護できゃんや、この伝達網がクモの巣のように張り巡らされてり」


「へえ、そんなものがあったんですね」


 僕は思い返してみて、ムルムルという男が首都からかなり離れた場所で子供を攫っていた理由を察した。それはミツライムの軍隊が怖かったからという理由だけではなかったのだろう。


 もうひとつ、僕には確認したいことがあった。


「今流れている噂ってファラオの別荘のことですよね。それって結局犯人はファラオってことなんですか?」


「そこは未だわからず。にゃが間違いならばこの伝達網ですぐに真実が知られり」


 リッリには楽観視している様子があった。

 それほど伝達網というのはよく出来ているのだろう。


「噂って取り消せるってことです?」


「問題はこの連絡網が寸断されりや、噂を止められり手段がないくらいか。ファラオが犯人だという噂にでもなれば、ファラオにとってはこの連絡システムは武器を持たれるよりやっかいなや」


「武器よりやっかい?」


「今広まってり噂が嘘だったとしてみよ。こんなもので、簡単に暴動が起きよりゃ、そりゃファラオにとっても脅威になりん? これを放置しておく国の指導者などおりゃんせ」


「それはそうですけど……」


「そう考えると、この状況がいつまで続きや……」

 とは口には出さないが、彼女が危惧するのは、せっかくの民族大移動の手段が長く使えないことだろう。


「今回の件で、ファラオがこの伝達網を取り上げるかも? そうなったら、僕たちも困るんですよね?」


 僕は相づちをうつだけ。この後でどうなるかなんて僕にもわからなかった。

 だけど、この情報網を運用する医者にはまた別の視点があるらしい。


「ファラオがこの連絡手段を奪うことは考えづらいよ。何しろこの方法はウバル将軍が考案して、その将軍がわざわざ導入させたのだから。最後はミツライムの兵士ではなく、大人たち、私たちが子供を守るのだと言ってね。結局自分たちの子供たちは自分たちで守るしかない。今までこれでどれだけの子供たちが助けられてきたことか。ウバル将軍は人攫いの集団に殺されてしまいましたが、あの方は本当に良いお人でした。それをファラオも理解なさっているはずですよ」


 町医者は得意げにそう語った。


 これを聞いた時、

 僕は、

「え?」と変な声が出たと思う。


 そして、

 カラーンと。


 賢者が杖を落としたのは偶然だったか。


「どうなさいました?」

 医者が気遣えば、


「め、目眩がしたゆえ」

 リッリはふらふらと頭を回していた。


「ウバル将軍って人攫いやってた将軍?」


 僕は一応僕たちの間で事実になっていることを口にしてみた。


 これを僕が言ったとき、周囲の誰もが僕を睨んでいた。言葉の間違いだったとしても、それはあってはならないと言う民衆の気持ちが出ていたかもしれない。


 この温度差に僕はたじろぐが、

 ミツハが言えばまた違っている。


「ウバル将軍は、わたしたちが捕まえた犯人を逃がしていたし、ヒルデダイトの将校とも繋がっていたわ。ジャガールやサームもあいつに殺された。完全にあっちの人間。でも、人攫いが人攫いから子供を守るようなことをするの?」


 同じミツマ一族の戦士で、子供捜しを専門にしていたエージェントたる彼女が言えば、周囲の人間は誰を疑うだろうか。


 沈黙があるだけだった。


「ウバル将軍のは子供を守るとかそういうことではなき。ヒルデダイトと連携してり。ヒルデダイトは動いていないのではなん。ウバル将軍を通じて、見えないところでとっくに動いてやり。それも昨日、今日の話ではなくちぇり」


 これがリッリの見解だった。


「ヒルデダイトって動いてました?」

 どの辺りにそんな話があっただろうと僕は思い返す。


「子供を攫うが連絡網を作らせるための口実だと考えれば。これで奴隷をコントロールできゃんや。つまり奴隷が動くはヒルデダイトが動くのと同異議と見ることができや」


「えー?」

 僕は医者や周囲に集まった民衆の顔を見た。

 当たり前だけれど、誰もヒルデダイトに命令されて動いて居る人間がいない。


 しかし、


 リッリはすぐに外に出た。


 ヒルデダイトはすでに動いている。

 その確信があっただろう。


 僕も慌てて外に出てみた。


「見やれ」

 それは港を差す賢者の叫びだ。

 

「船?」


 僕はずっと船がおかしいと主張してきた。子供たちが隠されていると感じたのには根拠がある。


 混雑する港に軍船を並べるのは迷惑だし、全ての船に大量の財宝を積んできたわけでもないだろう。ヒルデダイトの皇帝が見栄を張るために並べていただけ。それが見栄じゃなければ何のために軍船を並べるのか。


「ヒルデダイトの軍船が動き出してやりゃ。ここ数日微塵も動きよらんかったりが、今この時に」


 これを聞いて、僕には言葉がなかった。


 僕がさっき偵察してきたヒルデダイト兵士に動きはなかった。だが街全体を見ればその動きは明らかだ。


 停泊していたヒルデダイトの軍船だけが、動き慌ただしくなっていた。


 だからこそ、このタイミングだったのだと思う。

 僕は同時に拡散される新しい情報を耳にしていた。


 それが誰の言葉だったかわからない。


「ファラオが犯人だ。ファラオの別荘で見つかったのは子供たちの死体だけだった」


 戦争を誘う言葉に思えて、

 僕は絶句する。


 これが真実だと思えたのは、


 咄嗟に見たミツハが全く動じていなかったから――。


 彼女がナタと一緒に行かなかったのは、そこに助けるべき子供たちがいないことを知っていたからだ――。

 僕はこの国で何かが変わるのを感じた。

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