第44話 自由の翼

 ミツライム軍は相変わらず人攫いの殺戮集団を包囲したままだった。司令部になるテントには、成果を待つ軍人たちが待ち構えている。

 そんな中、ものものしい勢いで戻って来た僕たちには誰もが目を向けただろう。


「どうなさいましたか?」とはエージェントであるミツハを心配する声。


「襲われた」


 ミツハはそれを言うだけだった。他にも何が言おうとしたが、彼女は言葉を呑み込んでいた。


 聞きたいことは山ほどあっただろう。


「人攫いが待ち構えてりや」


 赤頭巾は、自分たちが捕まえたはずの犯人が復讐に来たと言いたいのだろうが、詳細は語らない。「ワレは将軍に話あり」と強く主張するに留まった。


 ミツライムの兵士たちが心配してくれる中、僕も多くは報告しない。


「あのウバルって奴が黒幕だろ。締め上げようぜ」

 シェズはそんなことを口走るが、


「まだそう決まったわけじゃないから」


 と、僕は口を紡ぐ。


 囁くなら、次のような内容だ。


「さっきの打ち合わせ聞いてなかったの? 将軍が黒幕だとしたら、どうしてこんな回りくどいやり方をするのさ?」


 僕に言われて、シェズは曲がった剣の代わりになる武器を探したり持ちやすいように加工したりで忙しかったと惚けた顔をする。リッリと僕の相談なんて聞いてなかったわけだ。


 そんなシェズに分かりやすく説明するなら、


「将軍がわざわざ人攫い集団を討伐しているんです。討伐される側なのにね。正義の人を演じてる。それって他人の目を欺くやり方なんですよ。だからこそ、その立場を利用して将軍から聞けることを聞いておきたいんです。今、将軍が犯人だなんて叫べば、僕たちは敵同士。将軍からはもう何も聞けなくなってしまうじゃないですか」


「あいつから何を聞くんだ?」


「子供を攫う理由とか、子供をどこに連れて行ったのか。そういうことです。できればヒルデダイトとの繋がりもね」


「あいつが喋ると思う?」


「まともには喋らないと思います。でもやり方はいろいろあるから」


「いろいろって、どんな?」


「たとえば、財産を隠している人がいて、どこに隠したかなんて尋ねても教えて貰えませんよね。正体不明の財産が見つかったと騒いだりしたら、その隠した人はもしかしてって心配になって、隠した場所まで確認しに行っちゃうんです。それを観察していれば隠した場所がわかってしまうみたいな?」


「お前、頭いいのか?」


「えへへ」

 実は同じようなことをさっきリッリから教わったり……。


 とりあえず、僕はシェズに忠告しておいた。


「だから、余計なことは喋らないでくださいね」と。



 ウバル将軍が報告を受けて僕たちを呼んだのは、小一時間も経ってからのことだった。


 テント前に並ぶのは兵士の死体。それはエキドナによって殺された三〇名だ。

 二頭の馬に引かせるチャリオッツはミツライム軍の武力の証だ。これに乗り込んでマントを羽織る男がウバル将軍。


 探索を追えたミツライム兵士を三列に並べて、戦死者を横に並べれば葬儀でも執り行うかのような雰囲気がある。

 戦死者は土を被った者たちばかり。


「私は胸を痛めている」


 ウバル将軍は死者達の前で胸に手をあてて悲しみの声をあげた。

 僕たちは死体の隙間を歩いて、そしてウバル将軍の前で頭を下げる。


 哀悼の意を表した。


 もちろん黙っているばかりでは話は進まない。


「ウバル将軍に聞きたりや」

 こちらはこちらで用事がある。旅人の声が届く場所までくれば、リッリも声をあげていた。


 ウバル将軍は僕たちにはしゃべらせない。


「我がミツライムの戦士たちが死んだ。それなのになぜお前たちは生きて居るのだ?」

 それをミツライム兵士たちの前で叫んだ。「なぜだ。昨日も私は愛する部下たちを失った。多くの者があの惨状を眼にしただろう。だが疑問があった。なぜあんな状況でお前だけが生きて出てこられるのか」これは、「そこの奴隷戦士」というミツハに向けられた言葉だ。


 僕は表情を失っていた。


 さっきまで僕たちはミツライム兵士と一緒に人攫い集団を捕まえようとしていたはずだった。


 なのに、今のは何だろう。

 まるで僕たちが犯人だと言わんばかりの口調。


 ウバル将軍曰く、


「今日まで多くのエージェントたちが殺されてきた。なぜこうも容易く屈強な男たちが殺されていくのか、私には不思議で仕方なかった。だが我がミツライム人民のなかに裏切っている者がいるとわかれば、理屈は簡単だ。我がファラオは奴隷にも慈愛をもって接してきた。だが奴隷どもはどうだ。不平や不満をいうばかり。つまり、ミツハ、裏切っていたのはお前だな?」


 それは将軍の命令も同じだ。ミツハを殺せと指示している。


「私じゃないけど?」


 奴隷戦士が何を言ったところで、誰がそれを信じるだろうか。


 最初からウバル将軍はそのために彼女をエージェントに加えていたにすぎない。


「そこの旅人四人も協力者だ。おそらくは攫った子供たちを外国にでも売り飛ばす算段でもあったのだろう。立ち上がれよ、ミツライム兵士。今こそこの者達に報復の鉄槌を下せ」


 ウバル将軍はそこで槍をミツハに向けた。


「何言ってるんですか?」


 僕は大声で答えた。「犯人はあなたじゃないですか?」と言いたいが、ぐっと押さえた。


 周囲にはナタやリッリを知る者、あるいはミツハとは仲良く会話したことのある兵士も居ただろうが、

 そこには並べられた遺体がある。


 その兄弟や友人もまた数多く居たことだろう。その誰もが怒りによって武器を手にすれば、もはや誰にもその先は止められない。


「おいおい、どうなっているんだ?」

 シェズはここでミツライム兵士からくすねた槍を構えた。「来るなら、来いよ」と挑発すれば、ミツライムの兵士は身動きとれなくなる。


 こうなったら、

「ウバル将軍が人攫いだった」

 僕はもうそれを言うしかなかった。


 これは真実だ、これでどこまでミツライムの兵士たちが目を覚ましてくれうだろうか——。


 兵士たちが一斉に僕たちに襲い掛かってきたのが、この結果だ。ミツライム兵士は将軍を侮辱されて怒り狂っただけ。

 これで見守っていた兵士たちからも沈黙は消える。


 あとには、「呼吸をあわせて槍を繰り出せ」とウバル将軍が叫べば、兵士たちは猛った。


「そりゃあ」


 槍をまとめて弾いて、シェズは槍を振りきる。槍は折れて、シェズの手から飛び散るように飛散した。ミツライム兵士のほうでも槍や盾を放り投げる者が出る。


「盾だ。盾をもって敵を押さえ込め、貴様らの肉体はただの飾りか?」

 これを将軍が叫べば、


「にゃろう」とばかりに、シェズが別の槍を拾い上げて、思いっきり地面に叩きつけた。


 木製の盾など吹っ飛ぶように割れて、後ずさった兵士がドミノ倒しになる。これはシェズの槍が地面を揺らすほどに豪快だったからだ。


 周囲は混乱した。


 たちまち何十本もの槍が僕たちを抹殺するために突き出され、交錯した。その中でシェズが土煙を巻き上げながら槍を振るうと、ミツライム兵は隊列を維持することもままならない。


「なんだあの戦士は、あの怪力では近づけないか」

 将軍ウバルをも唸らせる風圧だ。「右に回り込め」言えば、次には状況がかわる。「左だ」


 ミツハは槍を躱すし、僕は槍に当たりながらもなんとか拾った盾のおかげでしのげている状態だった。ウバル将軍はしびれをきらして、たまらず槍をついたが、僕の持つ盾はそれを通さない。


 ただし、

 将軍ウバルは時間が味方をしていると考えただろう。


 ミツライム兵は長い槍を持っている。相手が五人なのに対して、ミツライム兵士は数に制限がないのも同じ。相手が疲れて動けなくなるのを待つだけでいい。


 そんな顔でウバル将軍は僕をつつくように槍を出す。


 僕は槍でつつかれて地面を転がるような男だ。将軍ウバルと比べれば筋肉の分厚さが違っている。


 だけど僕だって冒険者だった。


 旅の途中でナタから剣の技を教えてもらうことだってあるし、シェズと一緒に鍛錬することもある。槍だってそれなりに使えるはずだった。


 僕は槍を拾い上げた。


 できる気がした。


 エキドナという怪物の槍捌きと威力を間近に見た後では、普通の人間の持つ槍など怖くはない。


 ただ。

「ごめんなさい」

 と叫んだのは、ウバル将軍が怒ったように僕を叩くからだ。


 僕は戦おうとした。


 それだけは分かって欲しい。


 僕は思わず盾を引き寄せて、槍を捨てていた。盾で防ぐだけならできるかもしれないと考えたからだ。

 だけど戦意を失った者には生きる権利もない。それが戦場。


 僕は盾を落とした。叩かれた拍子に手がすべってしまったのかもしれない。


「——っ」

 絶体絶命だと思った。


「ウバル将軍」

 僕は叫ぶ、残った武器は声だけだった。「なぜジャガールさんを殺したんですか?」きっとジャガールも今の僕と同じように殺されたんだと思う。


 返事は短い。


「ジャガールを殺したのはお前たちではないか。こちらにはその証拠もある」


 証拠なんてどんな風にでもでっちあげられる。


 ウバル将軍の顔に笑みが登った時、空から光が差し込んだ気がした。雲が空を覆っていつしか太陽を曇らせている。そこに亀裂でも入って一瞬だけ太陽の光が抜けて来たか。


 果たして、時間はウバル将軍を味方したか。


 それを僕は見た。


 赤頭巾の賢者もみただろう。

 

「いつまでも舐められっぱなしは好きじゃないんだって」


 そろそろ本気出す。そんなシェズの宣言だ。


 叩き落とした槍を三本まとめて手に持ったまま、彼女は大地を揺るがす勢いで振り抜いていた。


「あ――」


 そんな声と共に、数人のミツライム兵が空に舞った。


 太陽と鳥の世界へと放り上げられたのだ。

 状況を覆す一撃だった。


 いや、空。


 僕が見たのは、いつかミツライムの上空に見た鳥の影。

 巨大な翼を広げる猛禽類が餌を探して遙か上空から地上を眺めていた。


「もうそんな時間?」

 ミツハは空を見上げた。

 

 この時間がきたと彼女は言ったか。


 ミツライム兵士の隊列は完全に崩壊した。シェズの勢いの前では、前列の戦士たちは背後の味方を押しのけて逃げようとする。背後の味方からすれば前列のことなど見えていないのだから、少しでも敵に槍を届かせようと前に詰め寄ってくる。


「何をしているか」

 将軍ウバルは事態に絶句した。


 間合いを取るか、この混乱に乗じて自分の手で奴隷どもを葬るか。そういうことを考えていたかもしれない。ただふいに聞こえた口笛の音に思考が奪われることになる。


 ミツハが空に向かって口笛を吹いていた。


「ニケ」

 呼んでいた。そして「つまみ上げろ」と指先を上げる。黒いコートが翻った。


 その刹那、


「一体なんだ? 何の合図だ」


 ウバル将軍は咄嗟に振り返る。当然ながら右も左もウバル将軍を崇拝する兵士たちばかり。


 空が覆われたと思った時、やっと将軍は空をみあげた。


「うおぉぉぉ」

 唸り声がでるのは、巨大なハヤブサがウバル将軍に乗りかかってくるからだ。大きな爪はウバル将軍の肩を掴むと軽々と空へと持ち上げてしまう。


 ウバル将軍は、耳をそぎ落とすかのような音と風圧の中にいた。相手はまるで怪物だ。いや鳥そのものだ。地面から足が離れてもがいたが、ウバル将軍には鍛え上げた肉体がある、その筋肉の重さは巨大なハヤブサであってもそうそう持ち上げられるものではない。さらにウバル将軍は足でこれを蹴り上げた。だがハヤブサを振り払った時にはもう地面は遠い。


 いや、たかだか五メートルほど。


「将軍――」

 ミツライムの兵士は突然のことに唖然としただろう。


 だが、

「心配ない」


 将軍は冷静だ。将軍は身体を丸めて、地面へと落ちるその衝撃に備えた。これは頭上に注意を払っていなかった代償だ。「ミツライムの英雄ベヒモスに殴られるよりはましだ」そう思うことにした。かつて一度だけ手合いを頼まれて戦ったことがある。まるで勝負にはならず、ベヒモスの一撃で気を失ったのが懐かしい。あの怪物の一撃と比べれば、この程度は笑い飛ばせる程度のこと。


 だけど僕はその後の景色を見た。


 黒い影がミツライム兵士ひとりの身体を踏み台にして頭上にあがると、さらにその兵士達の頭を蹴って空へ――。


 一瞬でさらに高く、

 

 飛翔した。


 黒いコートがなびくのを黒い羽と見た者もいる。


「ギャン」と鳴く双振りの剣が混じり合って、彼女の腕の中で広がるのを白い羽と見た者もいるだろう。

 僕にもそう見えた。


 かつてミツライムの地には王がいた。ミツライムとは数々の王国を滅ぼし統一してきた国だ。そこには多数の王国の歴史がある。


 戦乱のミツライムの歴史の中でひとときの王だったかもしれない。

 その王は、ハヤブサと太陽を国印にしていたという。


 将軍ウバルは見た。ハヤブサを振り払ったと思ったのにまだそこに羽ばたく鳥がいる。いや少女が自分と一緒に空から落ちているだけだったか。


 少女の表情は空を謳歌して穏やかだった。伸びた首筋から広げる腕は、空に吸い込まれそう——。


 自由に空を舞う鳥に思えた。


 空を自在に飛ぶものだから、思わず見惚れてしまう。


 少女は凄まじい速さで両手の剣を振る。その軌跡は見えなかった。だから羽ばたきのようなものだ。


 その瞬間、ウバル将軍には痛みはない。ぐるんと回って首から下が離れた感覚があった。


 ミツハの技は、人間のものではない。


 それが人間の技ならば、ウバル将軍とは何だろうか。

 彼は想像しただろう、自分も鳥なのだと。 


 痛みもなく、もはや自分がどこにいるかもわからない。


 地面を見下ろして、ただ見ていただけ。


 生まれたばかりの雛には羽がない。高き木の上の巣から落ちれば、潰されるだけ。

 死ぬことを恐れる時間もそこにはなかった。


 将軍が落ちたときには、すでにそれは将軍ではない。ただ呻き声をあげるだけの潰れたひな鳥も同じだった。



「この人が人攫いを指示していました。ジャガールさんたちを殺していたのもこの人です」

 僕は改めて声を出した。


 だけどむなしいものだ。


 僕の言葉なんて信じる人はいない。ここにあるのは殺された将軍の屍。そして異国の旅人四人と奴隷戦士がいるだけ。


 将軍が言うには、僕たちのほうが人攫いなのだそうだ。

 そこにはたぶん、将軍の協力者もたくさん居ただろう。そんな状況で僕たちを指示する声などおこらない。


「まだやるかぁ?」


 シェズがここで再び槍を引っ張り出せば、ミツライム兵にはもはや勝負を挑む威勢もなかった。


 これを見て、ナタは動いた。


 戦車から馬を外すと、その馬にリッリを乗せて走らせる。


「逃げるぞ。ヘルメスも乗れ」

 言われて、


 僕は走り出す。

 それが今回できる最後の行動だった。


「来いよ」


 そしてナタは、ミツハを引っ張った。手を引いた。


「ちょっと――」


 そんなつもりはないとミツハは言おうとしたが、リッリがその口元に杖を当てていた。


「帰るところなどあるまいり。旅は道連れも同然なや」


 それくらいのことはミツハにもわかっていただろう。突然のことで、生き方を選ぶ間もない。会ってから三日も経たない相手だから、お互いに善人か悪人かもわからない。

 それでも、ナタの背中だけは見えていたに違いない。



「心配しないで、僕たちは海の民だよ」

 僕はなぜかそんなことを口にしていた。

 

 ウバル将軍を殺しては、もはやミツライムに居場所などはなかった。奴隷戦士では汚名を晴らす機会すらないだろう。


 それは僕たちも同じだ。

 なのに、ナタは迷い無く走る。


 ふと、

 そう思って空を見ると、

 ハヤブサのニケはすでに遠く――。


 遠く――。

 自由を歌っていて、僕は息を呑んだ。

 

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