第42話 祟りの時間
早朝になって、ミツライム軍兵士一〇〇〇人が郊外の広場に集められていた。将軍ウバルの命令で、人攫いたちのアジトを根絶やしにするためだった。
そこになぜか、僕たちも居る。
「朝早いと、結構寒いね」
僕が言えば、
「まだ眠い。ヘルメスは元気いいな」
シェズが倒れかかる。
「重い」
とそれを受け止めるのはナタだ。
肩を寄せ合って立つのは、僕たちには他に行き場がないからだった。周囲は上半身に筋肉を飾り付けたようなミツライムの戦士たち。
「総攻撃?」
リッリが首をかしげる作戦がそこにあった。
「ワレはどうしてこんなところにいやりや?」とは全くこの状況を理解していないリッリの口ぶりになる。酔っ払って寝ていたはずが、起きてみると右を向いても左を向いても裸同然の戦士たちの姿。これから戦争をしにいくのだと意気込んでいれば困惑するのも当然だろう。
僕は言う。
「置いて行くかどうか迷ったけど、置いて行くのも危険だから我慢して。ジャガールさんが殺されたんだ。その犯人がどこにいるのかまだわからないから」
「ジャガールと言えば、あのエージェントりや?」
リッリは目を細く開けていた。
「うん。昨日の夜聞いてなかったの? 子供たちを助けにいって、そこで殺されたみたい」
「いや、襲われたらしきところまでは聞いたような気がしてり。だが確認がとれておりん。そのようなことで……」
「確認してきたよ。僕とナタであれから見て来たんだ。リッリとシェズを宿に寝かしたあとで、現場まで行ってさ」
これではリッリも疑う前に行動を起こす必要があっただろう。
「ほう」
ちょっと屈伸してみる。酔い覚ましというか、準備運動のようなものだった。
「しかるに、なぜワレがというか、なぜそれらは朝からこんな物騒な軍隊と一緒のおりや?」と頭がすっきりしたところで賢者の疑問はそれ。
「ウバル将軍から来てくれと要請があったんだよ。僕たちが犯人を捕まえたでしょ。それでナタとかシェズの剣の腕が見込まれているみたい。これから敵を一掃するって話で、戦力がいるんだって」
「ワレとヘルメスは、役に立てるによらんが」
「置いて行かれたら僕たちが狙われる可能性があるし、そうなったら僕なんてすぐに殺される自信があるよ。だからナタが行くなら、僕も行くしかないじゃん」
「ふむ」
「それに人攫いって、エージェントを狙ってきているんだ。昨日の話、覚えてる?」
僕はそこで昨日の話を思い出す。
リッリも当然覚えていると言う。
「ミツマの話かや。エージェントの女子は、ミツマ一族の女子であったり」
「それ。僕たちは彼女に用事があるから。だけどまだ何も話せていないんだよね。彼女も昨日襲われたみたいでさ、今後も狙われると思う」
「はみゅ」
「ミツハちゃん。あの娘も今日ここに来ていると思うよ。とりあえず僕たちで彼女を護んなきゃ。犯人が狙っているのは彼女だろうから。そしてこの騒ぎが終わったら、彼女から話を聞き出したいし。その時にリッリが居てくれたら助かるし。僕まだ嫌われてるかもだから」
僕は、「つまり、みんなで一緒のほうがいいよね」と呟いた。
こうなるとリッリも納得だ。
夜が明ける前から戦士たちが集まり、松明を持って走っていた。それに気がついた民衆が窓から顔を出す。何が起こっているのか確かめようと外へ出てくる頃には灰色の空だった。
空が赤みを増す頃になると、ミツライム軍が街道沿いにまで溢れる事態になっていた。
中心に居るのは将軍ウバル、その人。
「敵のアジトは南の洞窟だ。すでに我が先遣隊が包囲している」
将軍は胸や肩を覆う鎧装束に兜をしていた。自らも戦うという覚悟の身なりだ。「後は我々が突撃するのみ、ミツライム兵にあるのは前に進む足だけだ。それを思い知らせてやれ」と言えば、これに続いて兵士たちが呼応した叫びをあげる。
僕はそんな声を背中に受けながら、「おー」と一応声を合わせてみた。
続いて将軍は無念を語った。
「昨日の夜。我々の兄弟がまたも奴らに殺されることになった。サーム、ジャガール、心優しきミツライムの戦士たちがなぜ犠牲にならなければならなかったのか」
そんな風に言われると、殺された二人の同僚であるミツハは総攻撃に参加せざるを得なかっただろう。これは敵討ちになるからだ。エージェントにもなると、これを断る道はない。
将軍が見据える先に、ミツハの姿があった。
相変わらず興味もないと言ったように、少し離れたところで少女は黒いコートに肩を寄せている。
さらに将軍は特別なゲストをここで呼び出していた。
「ミツライムを訪れる旅人もまた、我らと共に剣を取る良き友人である。今日のこの瞬間は、この友人たちの働きよってもたらされた。彼らが犯人を捕まえなければ敵のアジトは未だわからぬままだっただろう」
これは僕たちのことだ。
僕はこういう時、将軍の前で一礼し、敬意を表する仕草をする。都市で商人をするなら貴族相手に身につける作法だった。
「異国の勇者に祝福あれ」
僕の頭上に降り注ぐそんなかけ声もまた作法のようなものだっただろう。
最後に将軍は槍を振り上げる。
「今日ここに、我らは勝利する。ミツライムに平穏を取り戻す」
こうなれば、朝から大合唱だった。
洞窟は一時間も歩いた場所にあった。何気ない草原の陰に窪みがあり、入り口こそ狭いものの、中は戦士たちが数十人入っても探索しきれないほどの奥行きがあると言う。
僕たちが到着した時にはすでにウバル将軍は洞窟の前で号令をだしていた。兵士達が洞窟に入っていけば、制圧もすぐだ。これだけの大軍隊だ。僕たちにできることはほぼない。
ミツハを横に見ながら僕たちは一時間散歩しただけ。
本当にそれだけで良かったのだろうか。
思っていると、
ここで将軍は振り返る。まさにミツハや僕たちを呼ぶためだった。
「報告によると、この裏手にも入り口があるらしい。エージェントと旅の人にはそちらをお願いしたい。きっと中には子供たちがいることだろう。怯えている子供たちをどうかよろしく頼む」
それがウバル将軍からの唐突な命令だった。
これをエージェントたるミツハが言い直すと次のような任務だった。
「この辺りはそもそも墳墓になっているわ。昔から盗掘されていて、もう誰のお墓なのかは判らないし、見向きする人もいない。殆どが崩れてしまっていると聞いた事があるわ」
「墳墓?」
「お前に言ってない」
「ごめんなさい」
そんなわけで僕はリッリと会話相手を交代する。
「それでこんなに洞窟みたいなのがたくさんありやら。入り口も見えるところになき」
リッリは少し背伸びして周囲を眺めてみた。起伏の激しい草原だ。
「隠し部屋なんかがあるって噂もあったみたいで、辺り構わず掘り返しているから近づくなって言われてた」
「人攫いはこんなところにアジトを作っていたり?」
「中は人が通れるくらい広いところもあるし、部屋もいくつかあると思う。子供を隠すには丁度いいかもしれないけど」
ミツハは、「後はもう、行ってみないとわからないわ」と締めくくった。
さて実際に入り口の前に案内されると僕は意気込む。犯人一味がいるとすれば戦闘になるだろうからだ。
ただ突入する前にいくつか聞いておかなければならないことがあった。
「ミツハさん、昨日は運が悪かったよね?」
昨日から考えるとこれがミツハにとっては二度目の突入になる。殺されかけて彼女は怖くないのだろうか。
「昨日は昨日でしょ」
ミツハには思い出したくもない出来事だろう。
「子供を取り返しにいくって行ってたけど、子供はどうだったんです?」
「いなかったわ」
「どこか別の場所に移されていたってこと?」
「そうかもね。居たのは柄の悪い男たちだけ。部屋に入ると出口を塞がれて、あとは挨拶もなく殺し合いだったわ。まあお前もあいつらと一緒みたいなものだけど」
「殺し合い……」
それを聞いて僕は世界の違いを認識してしまっていた。
「お前は即座に殺されるでしょうね」
そんなふうに言われるまでもないのだけど——。
「よく逃げて来られたな」
と、ナタが話しかければ、また違う内容がある。
「相手が弱かっただけ」
ミツハは僕とは違う態度で、なんとなくナタに寄り添っていた。ナタのほうが頼りになると考えたらしい。
「今日も同じだったらどうする? 一度戦ったなら、相手は対策してくるだろ」
「わたしに同行するミツライムの兵士が三〇人。これだけいれば十分じゃない?」
ミツハはポケットに手を入れて、そもそも彼女自身が戦う必要すらないと答えた。あるいは手の内は見せないという意味だったのかもしれない。
ただこの三〇人は張りぼても同じだった。
「ええ?」
僕は暗い入り口で松明を手渡されて首をかしげた。兵士三〇人はみんな後方にいて、先頭にはミツハとナタ、シェズとリッリだ。その後ろを僕がついていくわけだけど——。
ナタの言いたいことはわかる。
「俺たち後ろに行こうぜ。敵が狙っているのは、ミツハだ。リッリとヘルメスは戦うの苦手だし、前は戦士で固めたほうがいいだろ」
僕でもそう思うのだから、この台詞の翻訳はストレートだ。
すると、
「なりません。将軍様は戦士様の剣の腕前を見込まれているのです。是非先頭に立って、我らに勝利をお導きください」
そんな返事があった。
「それはそうかもしれませんけど。女の子を盾にするような感じで本当にいいんです?」
僕にはどうにも居心地が悪かった。
「我々はエージェントを手伝うように言われております。そちらの方はファラオが任命したエージェントです。賊相手に負けるようなこと、あるはずがありません」
「それでも」
僕はどこかで翻訳を間違っただろうか。そう思った矢先。
「勇者様がおられるではありませんか。あなたが先頭を歩けば安心です。それとも戦われるのが怖いとでも?」
僕に突きつけられる言葉。
さっき僕が商人風の挨拶をした時だ。ナタやシェズが突っ立っているところで、挨拶を返したのが僕だけだったから、まるで僕一人が勇者に見えるような光景があったに違いない。
僕は勇者と呼ばれて、引き下がれなくなっていた。
一応補足しておくと、僕は勇者を否定したくはない。なぜならミツハちゃんが見ている前だから——。
そんなわけで——。
結局、ミツハとナタを先頭にして、僕とシェズ、リッリが続く並びになっていた。その背後を兵士三〇人がついてくるという恰好だ。
この三〇人は洞窟の奥に扉があっても動かない。
真っ暗な洞窟の中を歩くと、すぐに大きなドアがあった。
「このドアの向こうから灯りが漏れている?」
僕は振り返ったが、こんな怪しいドアはこれまでにあっただろうか。「この光って太陽光とかじゃないですよね? 誰かが篝火を焚いている?」こんな洞窟の中で?
ミツハは目を細めるような顔をしたままだし、
ナタはもう何も喋らない。
「誰か、いりゃり?」
リッリはここが当たりだとでもいいたげだった。
そんな中、兵士三〇人は頷くだけだ。早く中へ入れと要求するように、逆に僕たちの退路を塞いでしまっていた。
「罠ってことあります? そう言えば、昨日のジャガールさんたちも待ち伏せにあったって言ってましたよね」
僕がそれを指摘しても、誰も答えない。
唯一、声をあげたのは赤頭巾の賢者だったか。
「ゆーりぃ。ワレは気になってり」
ここで思いだしたことがあると彼女は呟いた。
「何です?」
僕はドアには手をかけない。これがおかしい状況だと理解していた。結構がっちりしたドアがあって、中に誰かが居る気配。待ち構えられている感覚。
それを後押しするのが賢者の知恵だ。
「将軍はナタを剣の達人といいやりや、協力しろと言うたり、都合がよき。今になってそれが気になってり」
「それは仕方ないよ。ナタが強いのは本当のことだもん。ナタが行くほうが手っ取り早いと思う。相手はジャガールさんを殺すような手練れだよ」
「ワレはナタがジャガールより強いとは紹介しておりんや。将軍にとって武術の達人とはどのような人間でありんや?」
「どのような人間って強ければ、民族とか関係なくていいんじゃない?」
僕はナタの横顔を窺っていた。ナタには別の意見もある。
「俺が剣を持ってるからだろ、鉄の剣を持っていれば素性はある程度推測できる」
と彼は言うけれど、
「剣など誰でももてり。問題はいつそれ、ナタは将軍の前で剣の技を披露したりや? 犯人捕まえるときも取り押さえて縛るだけやったり?」
「うん、僕も手伝ったよ」
僕とナタは考えてみた。
「剣を持っているのは商売。剣は商品だと考えることもできり。商人がミツライムの兵士よりすごい剣の使い手になりや?」
それがリッリの疑問だった。
「あれ? 僕たち確か、商人だとしか自己紹介してないかも」
僕はそのことに思い当たった。
少なくとも一緒にいたジャガールは、ナタを剣士だとは思っていなかっただろう。異国の商人や異国の旅人として見ていたはずだ。サームも同じだ。なのに、将軍だけがナタを特別な剣士として認識している。
ナタも思い当たることがあっただろう。
「ちょっと待てよ……」
ナタが剣の技を使った相手は限られている。ミツライムに限っては、それは蛇のような戦士が相手になった時だけ——。
僕も同時にそれを思った。
「ナタが剣士だと知っているのって、ひょっとして——。あの蛇みたいな殺人鬼だけ?」
その時。
ドタッ
音がした。
シェズがドアを開けていた。
「さっさと行こうぜ。相手があいつなら一度勝ってる」というのが理由だ。
「今そういうタイミングじゃなかったよね?」
と、僕は言いたい。
だが開いてしまったものはもうどうしようもなかった。
「ひゃ」
僕が叫ぶのが早い。尻餅をついたのは、同時に獣の唸り声があったからだ。
ギャラギャラと鳴る音は鉄の鎖を引きずる足音だ。僕が見上げた先にライオンの顔があった。どう猛な目が僕を捕まえて離さない。大きな顎が動くと刃物のような牙から涎が流れ落ちた。猛獣は若者の柔らかい肉という餌を前にして欲望を剥きだしにする。
猛獣が吠えたのは一回だったが、
洞窟全体が震え、恫喝に似た声で共鳴した。
「下がってろ」
シェズは咄嗟に前にでた。これこそ騎士の仕事だ。だが、相手が鎖に繋がれ、檻に入っていたのでは拍子抜けもいいところ。
ランタンが吊された部屋は飼育小屋のようで獣臭ばかりが鼻をつく。向かい側に通路が続いていたが、大きく段差があった。その段差を利用して檻が作られているから、猛獣とはこれ、番犬のようなものかもしれない。
「ライオン?」
僕はその番犬がどんな生物なのかわからなかった。
「ライオンじゃないだろ」
ナタも鉄剣を手にしたところで、状況を把握した。身体が半分ミツハの前にでるのは、彼女を守るためだろう。
安全だと判れば、赤頭巾の賢者も舌が回る。
「身体が羊のようでありゃ。尻尾が蛇のようにギラギラしてり。でも顔がライオン。これは伝説のキマイラに違いなかりや。ヒルデダイトで神聖な生物として祀られてり」
リッリは、「まさか実在するとは」と言いながらそろりと足を一歩前に出した。
近づけるのなら、もっと近づいてみてみたい。
それが学者の好奇心。
だがそんな状況も、檻の扉が倒れただけで一変だ。
キマイラの手足が引きずる鎖というものはすでに引きちぎられていた。檻のドアが外れてキマイラが顔を出せば、あとは猛獣が餌を貪り喰うのを誰が止められるだろうか。
「うあわわわわ」
わかった瞬間、僕は叫んでいた。ギリシャからアマゾン海にかけてはよく熊がでる。人食い熊と遭遇したときの対処はここでも同様に通用するかもしれない。
それを考えようとしたが、咄嗟には対策なんて何も思い出せなかった。逃げるな、背中を見せるなと言われたって、僕も必死だ。
声のない絶叫が僕の口から涎や鼻水と一緒に出た時、
ナタは静かに、アマのオハバリに手をかけていた。これは護身用の鉄剣。
シェズのほうは、鉄剣を覆う布を外すのもめんどくさいとそのまま振り上げていた。すでに戦いは始まっている。
ミツハは、すっと沈み込んで姿勢を低くしただろうか。
リッリは呼吸を止めて、足音を立てないようにナタの背後に周り込んだ。
笑っていたのは誰か。
ここで、
「祟りの時間じゃ」
宣言した者がいた。
どこかで聞いた声に僕の思考は完全に止まってしまう。
何が起きているのか、理解が追いつかなかった。
檻のドアを開けたのは小さな縫いぐるみの王様だ。その檻の上でそいつは笑っていた。
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