第41話 殺戮の天使

 ウバル将軍は真夜中の住宅街に居た。

 将軍の二頭の馬に引かせたチャリオッツはミツライム軍の力の象徴だ。それが篝火に照らされると、長閑なはずの住宅街は騒然となる。もともと大捕物ではあったが、喧嘩程度のことならばそれはよくあることだ。だが戦車までが来るとなれば、誰がおちおち寝ていられるだろうか。


 住民たちの注目の中、ウバル将軍は民家の入り口に立った。


「首尾はどうか?」

 報告は受けているが、将軍は現場の声を今一度聞きたかった。


 兵士たちは将軍の手前で機敏だ。


「賊が籠もっていた拠点を制圧しました。我々ミツライムの兵士が完全に包囲しております」

 これを有能な部下と評価する。


「賊の生き残りは?」

「ワッツとビライが残りの一人を追っているようです」


 そんな報告を受けて、ウバル将軍は眉をよせた。


「子供たちのほうはどうだ? 無事に解放することができたか」

「子供たちは——」


「我々ミツライム軍は人攫いなどに決して屈しない」

 と言えば、それは民に対する宣伝文句だ。今、ミツライム軍は確かに人攫いをする犯罪者どもの拠点を壊滅させたのだと言いたい。


「子供たちは保護し我々の詰め所に護送しました」


「その言葉を待っていた。うむ、大義」

 ここまではウバル将軍も納得の戦果だった。


 だが、

「逃げられたということか?」


 将軍ウバルは民家に入るところで低い声を出した。


 外では、「将軍が視察される、道を開けろ」とばかりに声が飛び交っている。将軍の声は外には聞こえないだろう。


 そんな中、


「相手は少女です。追っているワッツは鉄の拳を持つ男、ビライは投げやりの名手です。彼らにはウサギを狩るよりも簡単な仕事になるでしょう。残りの一人も時間の問題かと――」


 兵士はウバル将軍の前で小声になる。


 これを受けて、ウバル将軍は一度立ち止まった。


「せっかく逃げることができたというのに運がない。追いかけているのがあのワッツ、あのビライでは、少し可哀相だ。あいつらはもともと奴隷の監督官だった。逃げる相手を追いかけるほうが得意な連中だ。ここで死んでおいたほうが楽に死ねたかもしれない」


 逃げた相手が気の毒だと笑った。


「もっともです」


 兵士は続けて、「この小屋は小麦を貯蔵するのに使っていた建物です。少し衣装が汚れてしまうかもしれませんが?」とウバル将軍を気遣う。夜だからこそ、部屋の中はよく見えていない状況。


「良い」


 ウバル将軍は歩き始めた。「最後の別れくらいしてやらないと、奴らも働いたかいがないというものだ。ワッツが報告してきたら、すぐに私に連絡してこい」 

 言うべきことはそれだけだったか。

 

 ウバル将軍は右手にある最初の部屋に入った。


「これは誰だ?」


 と、壁によりかかるようにして絶命した男を見る。槍を三本も身体に突き立てられて、逃げることも戦うこともなく死んだ男だ。最後は武器を手から離して逃げだそうとでもしたか。戦った痕跡はない。


「サームか?」

 ウバル将軍は死んだ男の顔の覗き込んで、その名を呼ぶ。


「お前は貴族に憧れていたようだったが、お前の家系は奴隷と混血している。どんなに頑張っても貴族としてファラオが認めることはない。このような死に方で良かったじゃないか。将軍である私の役に立てて死んだのだから、さぞ親も喜ぶだろう」

 男の顔を足で蹴って、それをサームと確認したがゆえの言葉だった。


 次にウバル将軍は通路の先を目指した。


 ここには、折れた槍もあれば、折れた盾も散乱している。地面や壁に血が染みついているのは、激しく戦った痕跡だった。その通路の奥に仰向けの死体がある。大きく開いた口からは涎とも血ともわからない吐瀉物が出ていた。それでも戦おうとするから、目を見開いたままだ。剣も持ったままだった。だが男はすでに息をしていない。


「ジャガール」

 ウバル将軍は死体の前でしゃがみこんだ。


「お前は勇敢に戦ったな。さすがミツライムの戦士だ。やる気がないのかと思っていたが、お前はやるときはやるやつだったのだな。お前の死に様からは無念さを感じるぞ。それともそれは絶望の表情だったか。お前は奥の扉を開けたのか? どうだ、ジャガール。ここに子供たちなどいない。待ち伏せだったのだからな。それを知って、お前はどうした?」


 この壮絶な死に様には、ウバル将軍も唸った。言葉が多くなるのは、戦士への敬意だ。


 ウバル将軍はもの言わぬジャガールの死体に語り賭ける。


「お前は優秀な部下だった。私は少し後悔しているよ。こうして私の部下を私が始末しなければいけないのだから、私の気持ちもせめて察してくれジャガール。私も辛いんだ。こんなことをもう何回も繰り返しているが、優秀な奴ほど早く死ぬ。どうにかならんものかな。お前はそれほど優秀ではないと思ったんだが、運はなかったよな? あの旅人がヒルデダイトの要人を捕まえさえしなければこんなことにはならなかったのに」


 ウバル将軍はため息をついて、立ち上がった。


「さて、あとは逃亡した奴隷戦士の小娘か」

 そう思ったところで、また振り返る。


「ジャガール?」

 それをウバル将軍は思った。


「お前まさか。あの小娘を逃がしたのはお前か、ジャガール。自分が殺されても娘を助けようとしたのか? お前はそんなに正義感の強い男だったか? 口ではそんなことを一度も言ったことがなかったじゃないか。そんなにできる男だったのか。そんな恨めしそうな顔をするな」


 ジャガールは何も答えない。すでに死んでいた。


 ウバル将軍は、再度ため息をつく。


「優秀であるが故に、知ってはならないことを知ってしまう。こんなことが起きないように今度の人選には気をつけたのだがな」


 これは独り言ではなくて、背後の兵士への言葉だ。「あのヒルデダイトの賢者がよけいなことをしてくれた」という愚痴も仲間内のものだった。


「まったくです。勝手に捕まって、勝手に秘密をばらされては、こちらとしても対処しようもありません」


「尻ぬぐいのために、部下を処分する者の身にもなってほしいものだ」

 ウバル将軍はさらに一歩、部屋の奥へと歩いた。


 将軍は、やがて建物の奥へと辿り着いた。本来なら攫われた子供が居るとされる場所だ。納屋であり、天井は高く、通気性を確保する窓が手の届かない場所にあった。


 まさにこの場所に子供がいると思って、エージェントたちは涙ぐましい努力をしただろう。


 ウバル将軍は珍しく感傷的だった。ジャガールの死に様は、それまでのエージェントとは異なっていた。それだけのことだが……。


 そんなことでも、

 しばらく同じ場所にウバル将軍を留まらせる理由にはなったかもしれない。


 目の前にあるのは望まぬ争いを招いた部屋。まさにこの部屋に子供たちが閉じ込められていると信じてジャガールはここに来た。彼の正義感に敬意を表したい。


「だが実際にはここには何もない」

 ウバル将軍はそれを確認した。


 あるのは虚無。


 そう思った時、ウバルの腕にぽたっと何かが落ちてきた。水滴。空から雨でも降ってきたか。


 ここは小屋で空を仰いだところで、あるのは天井だけ。

 ならば雨漏りでもしているのか。


 そもそも雨など降っていたか。


 将軍ウバルは思って、天井を見あげた。


 絶句した。


「おぉ」

 と言えば、兵士たちも同じようにそれを見上げて悲鳴をあげた。


「ワッツ! ビライも――」


 天井の梁や窓を開閉させるための縄に人間が引っかかっている。首に縄がかかってぶら下がっている者もいる。人間と言えるかどうか、それらはすでに肉の塊だった。


「死んでいるのか?」

 ウバル将軍はあえて言った。


 なぜならワッツは目を開いたままだからだ。首が背中を向いていたり背中から手が生えているように見えたりと、様相は異常だ。


 奇怪な死に方だった。


「ワッツやビライは残りのひとりを追っていたのではなかったか」

 問えば、兵士は首を振る。


「姿が見えないので、てっきり追って行ったのだと思っておりました」


 事実は違っていた。

 とっくの昔に殺されていた。


 生き残った者たちが目を離した一瞬に。


 もの音も悲鳴もなく――。


 ウバル将軍は言葉にはしなかったが、これはどう見ても、人間の技ではない。狭い部屋でワッツやビライを誰にも気付かれずに、誰が彼らを殺せるだろうか。


「一体何が?」

 誰もが息を呑んだ。


「殺戮の天使でしょうか?」

「天使?」

 

「そんな噂を奴隷たちから聞いた事があります」

 と、部下は言う。


 ウバル将軍は、天使など信じない。敵が一人とは限らないと察して、戦闘態勢を取るも、そこには誰の気配もなかった。

 

 奇妙な夜。

 あとには「ギイィ」と音を立てて開く天窓があるばかりだった。

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