第40話 ラムセスの夜

 ミツライムの首都でのご馳走。それは褐色の肌の踊り子たちに囲まれ、色とりどりの果物と世界中の料理を堪能できる甘美な時間だ。貿易港から商人や旅行客がやってきて、一晩中賑わう街は一層華やかになる。


「やっと、ここまで来たな」


 ナタが座ったのは、踊り子の立つステージからほど遠い場所だった。そこがジャガールが案内した場所。


「踊り子の目の前は人だかりになる。メシを食うなら、これくらい離れていたところのほうがいい」


 現地の人間ならではの知恵だ。そうしておいて、ジャガールは店員を呼び止めて次々に料理をオーダーしていく。手慣れたものだった。

 

 すでにテーブルには、僕とシェズ、そしてリッリの姿がある。

 僕が始めに注目したのは、踊り子だ。男の子ならどうしたって、女の子の際どい姿があれば目を離せなくなる。


 シェズのほうは、「もう限界だぜ」と息巻いていた。というのも、「さっさとご馳走ってやつを出して貰おうか」と言うのが理由だ。メシを宣告されてから、我慢もここまでだと言う。


 ナタもシェズと同様にこの時ばかりは、期待があっただろう。


「ミツライムって無駄に広すぎじゃね?」

 そんな状況の末の食卓だ。


「ミツライムの首都ラムセスは川のこっち側だけだ、川の向こう側には村がたくさん広がっている。初めてなら、これが全部首都の街並みだと勘違いしてもおかしくはない」


 ジャガールはすこし笑いながら、すでにアルコールを入れていた。「しかしどうだ、なかなかのもんだろう。俺の言うとおりに我慢してよかっただろうが」とは、仕事おわりの役人の台詞でもある。

 彼自身についても、いろいろ我慢するところはあっただろう。


 ジャガールが饒舌になったのも、ウバル将軍やその家来たちと別行動をするようになった今この時分。


 やっと役人どもの監視から解放されたとでも言いたげな顔がそこにあった。


「お前たちは本当に運がいいな」 

 ウバル将軍の前では決して出ないジャガールの台詞があった。


「運が良かった?」

 僕はそのミツライム語を聞き取った。


「運がいいさ。人攫いの下っ端を簡単に捕まえることが出来た。俺たちエージェントが数ヶ月かけてできなかったことだ。捕まえたのは下っ端かもしれないが、あいつが口を割れれば人攫い集団の正体がわかるかもしれない」


「そうですね」


「それに、捕まえたところにあのウバル将軍がいた。もちろん俺たちもだ。こういう偶然が重ならなければ、お前たちがこういう場所で食事することなんてなかったはずだ。将軍がミツライム人以外にこんなことをしたのを俺は聞いた事がないからな」

 ジャガールは店内を見渡した。

 僕も同じようにしてみた。


 天井に張った布がゆれていた。風よけ以上にエキゾチックな雰囲気があるのは、そこに踊り子の影があって太鼓と笛に合わせてそれが燃える炎のごとく見えるからなのか。


「ヘルメスも今のうちに、食べておけよ。料理すぐなくなるぞ」


 ナタは料理が来る度にシェズがごっそりと口の中にいれるのを見て、僕をゆすってくれた。これは踊り子に見とれている場合ではない。


 そして僕にはここで言いたいことがある。ジャガールに酒でも飲ませてミツマ一族について聞き出す、これがこの宴会で秘密裏に進む僕たちの作戦だった。



「今、僕が女の子を見ていると思ったでしょ?」

 と僕はナタに釘をさしておく。


「違うのか?」


「違うよ、敵が報復しに来るって話があったじゃん。さっきから運がいいって話してるけどさ。一応警戒しておかないとね」


 ここに、

 ジャガールが首をつっこめば、全ては笑い話。


「おいおい。ここはミツライム首都の真ん中だぞ。こんなところに連中が来れば、それこそ纏めて引っ捕らえてやるさ」


「でも人が多いって事は、紛れ込みやすくなります」


「あいつらは俺たちの仲間を何人も殺している。それでもあいつらの尻尾がつかめない。つまり、あいつらは目立つ場所や俺たちの前では殺しはやらないってことだ」

 ジャガールには持論があった。


 殺人には法則がある。


「じゃあ、帰るときにつけられていって裏道とかで殺されるとか?」


「それはあるかもしれない」


 だがジャガールは次の点に注目する。「あの縫いぐるみのような奴の仲間があいつを連れ戻すとすれば、敵が来るのはここじゃない。将軍のところだ。もし俺のところに来たら、今日は宴会だ。それ以外に何がある。酒でも振る舞ってやるか?」この時には、もう酔いが回っていただろうか。



「でも一応忠告してもらったから」

 それでも僕は、気を引き締めておこうと思う。


 さてこんな話をしている内にジャガールは気分がよくなってきたようだ。

「誰だ、その忠告したやつってのは?」


 将軍様が旅人に忠告なんてしていたかどうか、思いだそうとしてもジャガールにはどうにも記憶がないらしい。これは相当酔いが回ったか、そもそも知らない話だったか。一度気になり始めると、つい口に出してしまうもの。

 

 だから、

「黒いコートを着ていた女の子のほうです」

 僕は答える。


 言うと、それは彼には意外な人物として聞こえたらしい。


「あいつが?」


「はい」


「あいつが喋るなんて珍しいな」

 ここで考え込むジャガール。その横で、僕は次の質問をしてみた。


「彼女の名前は何て言うんです?」

 それとなく。


「あいつの名前」


「はい。お礼を言いたくても名前がわからないと言えないじゃないですか」

「お礼?」


 そこで、ジャガールはまた考え込む。思い出す必要があった。同僚とは言っても、まともに喋ったことのない相手だ。名前を呼ぶこともほとんどないのだろう。


「あれは確か、ミツマだから、ミツハだったか」


「ミツマ、ミツハ?」


「ミツハだ。ミツマの奴だから、名前は覚えやすい」

 ジャガールはここではっと顔をあげた。


 僕とナタは顔を見合わせる。これはジャガールにとって、なぜお前は奴隷と一緒に働いているのかと疑うような視線にも思えただろうか。だからこそ彼は少し説明する必要があると感じただろう。


「ミツマって奴らは、ただの奴隷じゃない。その辺で医者をやっているのはミツマの連中だし、ハヤブサを調教しているのも奴らだ。金細工をやっている連中もいる。ミツマの連中は奴隷の中でも技術力がある。エージェントに採用される奴隷はあいつらくらいなものだ。ある程度は武芸の実力もあるらしい」


 これがジャガールの知るミツマ一族だった。


 ただ、そこからはジャガールの質問だった。


「そう言えば、それなりに実力があると言えば、ヒルデダイトだ。お前らヒルデダイトから来たって言ってたよな? 少し前までヒルデダイトのラズライトアトリーズって騎士団が向こうでは最強だと聞いていたが、実際のところどうなんだ?」


「ラズライトアトリーズの話? って、それはその——」


 僕はそれらしい話をしたが、それはジャガールの記憶に留めるようなものではない。


 むしろ記憶が定着しない内に、

「ジャガール様」

 誰かにそう呼ばれては会話も何もあったものではなかった。


 ジャガールは立ち上がった。ジャガールを迎えにきたのはミツライムの兵士だ。そのミツライムの兵士は他人には聞こえないようにジャガールに耳打ちした。だが、ジャガールからしてみれば、これは旅人には話しておきたい事案らしい。


「例の犯人が喋ったらしい。もう少し根性があるかと思っていたが意外に早かった。連中のアジトがこのラムセスにあって、そこにまだ監禁されている子供がいるという話だ」


 彼は赤い顔をしたまま、僕に囁いていた。


「どうするんです?」


 僕は心配そうに顔をあげたが、ジャガールが宴会に参加するのはここまでだ。


「俺たちは、すぐに子供を救出に行くことになった。まあ、これも仕事のうちだ。将軍様にばかり頼ってはいられない。宴会はお前たちだけでやっておけ。またどこかで会ったら、この話しの続きをきかせてくれ」


 ジャガールは、そう言うと振り返ることもなく店をでた。


 彼の背中は語る。


 子供を攫う集団はミツライムで大問題になっていた。だけど、その事件が解決する日はそう遠くはないだろう。


 そう僕には思えた。


 さてジャガールがいなくなってからは、話題は僕の悩みに戻る。


「へえ、あの娘、ミツハちゃんって言うんだ。いいなぁ」


 僕は夢見るように机の上で妄想する。踊り子のダンスを見て居る場合ではなく、この名前を忘れないように努めることが先だった。できれば、次に会った時にどういうふうに声をかけるかを決めておきたい。


「それよりもミツマだったのか。あいつ。だったらもう一度あいつに会ってみなくちゃな」

 ナタはそれを考えただろう。


 だが、

「ワレ気がついたりや」

 赤頭巾の賢者は知っていた。


「なにが?」

 それは僕も知らない僕のこと。


「なぜヘルメスが、そのミツハという女子に嫌われておりや?」


「それは俺も不思議に思っていたけど」

 とナタ。


「実はワレは、ヘルメスがジャガールとこんな話をしているのを聞いたりや」

 それを赤頭巾は知っている。


「どんな話だ?」

 ナタは顔をリッリに近づけた。

 僕も思わずナタとリッリにすり寄ってみる。


 リッリが耳元で囁いたその会話は、ナタも耳を疑うような内容。

「ヘルメスがうへへって顔をしながら、ミツマの人にうんこを食べさせたいと楽しそうに話したり」と言う。


「なぜそんなことを」


「奴隷にうんこ食べさせるのが趣味らしき」

 これを聞いては、なぜミツハが僕を嫌うのかをナタも納得したことだろう。


「違うよ、違うよ。何言ってんのさ。それなんか似てるけど、全然内容が違うから。作り話じゃないの?」

 僕は全否定。絶叫するが、


「ヘルメス、お前アホ顔しながら、自分のあれを食べさせたいって言ったのか?」

 ナタは僕の肩に手をおいて首をふった。「最初からそれはもう、どうやっても無理。生理的に二度と受け付けられない奴だぞ」とは何のアドバイスか。


「いやぁ」

 僕は泣き崩れそうなほどに動揺していた。


 こうなるとナタにとっての問題は、

「じゃあ、どうやってミツハって奴に会いにいけばいいんだ?」ということだろうか。


「ミツマのことはミツハという女子に聞くのが手っ取り早き」

 賢者はいうが、


「街をぶらついていればいつか会えるか」

 そんな奇跡は、ここミツライムでは起きないに違いない。


「もう一回人攫いを捕まえようよ。そうしたらまたきっと会えるよね?」

 僕が最初にやるべきことは名誉挽回だと思う。「さっきの話は本当のことじゃないからね。似たようなことは言ったもしれないけど、あれは仕方なかったんだよ。地元の人から変に僕が疑われたら困るじゃん。でも僕が嫌われる原因がそれだったら、まだできことはあると思う。事件が解決していない今なら、彼女の敵である組織の殺戮者を捕らえることで、もしかすると彼女からの信頼を取り戻せるかもしれない」と僕は考える。


「今頃ジャガールが人攫いたちを捕まえている」

 ナタは言った。


「でも人攫いは手ぬるい相手じゃないよ。今日までずっとエージェントが殺されてきたって」


「もし今回もそうなって、エージェントが殺されると逆にこっちも困るけどな」


「ジャガールさんがいなくなったら困るけど、そうなる前に僕たちで人攫いを捕まえればいいじゃん。チャンスだよ」

「あの女子。ミツハって奴も殺されるってことだぞ」


「それは困るね……」

「まあ、ここは首都ラムセスだし、そんなことにはならないと思うけど。でも、どうする? やっぱり、今からでも加勢しに行ったほうがいいか。今なら敵のアジトって場所が大騒ぎになっているかもしれない。外に出て探せば見つけられるかもしれないけど」


「行ったほうがいいかな? 万が一ってこともあるじゃん。行かなかったら何も起きないよ」

 僕とナタは思い立った。


 ただこれだけのことを決断するのに二時間近くかかっただろうか。


 いつの間にか、ナタの横でリッリが寝入ってしまっていて、立とうと思っても思うようにはいかない状況だった。


 それでも僕は立ち上がった。


 僕たちがこの時立ち上がったのには、また別の理由がある。


 ミツライムの兵士だ。ジャガールを誘い出したのと同じ兵士が今度は僕の横に立っていた。彼が囁くように言う事実が本当かどうか。


「明日の朝、ミツライム軍は総力をあげて人攫いたちのアジトに乗り込みます。つきましては、将軍様が旅人様にも助力いただきたいと申しております。あなた方の剣の腕を将軍様は高く評価されているのです」


「どういうことです? さっきジャガールさんがアジトに乗り込んだはずですけど」


「ジャガール様は殺されました。首都ラムセスにある敵アジトはすでに将軍様が制圧しております。ですが敵のアジトはもうひとつあったのです。将軍様は激しくお怒りになり、今回ばかりは一刻も早くエージェントたちの敵をとりたいと、翌朝の総攻撃を決断されました」


「ちょっと待ってください」

 僕は取り乱していた。「ジャガールさんが死んだなんて嘘ですよね?」と兵士につっかかるほどに——。


「敵の待ち伏せにあったのです。ですからこうして今回ばかりは旅人様の力を借りたいということでして。どうか、ジャガール様の無念を晴らすためにも」


「そんな話、信じられません」

 僕は店の出口に向かって歩き出していた。自身で確かめない限り、誰に言葉も信じられない。そんな気持ちだけが溢れていた。


 猶予はない。


「サームって奴とミツハはどうなった?」

 驚くのはナタも同じだ。ミツマのことを知るためには、ミツハと話しをする必要があると話していたところだ。それなのに、当該人物がいなくなってしまっては話が進まない。


 そこで僕は振り返る。


「ミツハさんは?」

 ナタの声を翻訳するように僕はその名前を繰り返した。


「エージェントたちもミツライムの戦士です。むざむざ殺されたとは考えたくありません」


 これを聞いて、

「行くぞ」

 ナタが僕を躱して颯爽と外に出ていた。


 外に出たところで大きな月。


「何が起きたりや」


 リッリとシェズは揃ってよたよたと歩いただろう。結局僕たちは寝入っていたシェズやリッリを置いていくことができなかった。

 報復があると困るからだ。


「相手はどんな奴だ」


 ナタは僕の翻訳越しに質問する。だが、兵士は現場を見ていないのだから答えることもできない。


「蛇みたいな奴か?」

 ナタには心当たりがある。もしそうならば、敵は地面を這うような影になるだろう。


 僕は何を怖れるべきかはっきり理解した。


「蛇みたいな奴って」


 それは二日前に出会った殺人鬼のことだ。考えてみれば蛇のような戦士も人攫いの一員だ。それがエージェントを襲ったということになれば、次に狙われるのは誰だろうか。


 殺戮者は情報を知ったエージェントを殺していく。


 僕は蛇の男の顔を見ている。覚えている。彼らがエージェントよりも真っ先に殺したい相手がいるとすれば——。

 

 それは僕たちに違いない。

 

 僕は転がった桶が風に引きずられるのを聞いて冷や汗をかいた。音が皮膚の上に爪を立てるようにも感じられた。


 コツンと頭の上で音がすれば、それは蛇が建物を登ったようで鳥肌が立つ。蛇は暗闇の中で、どこからか僕たちを狙っている。その可能性があった。


 ふいに、

 首をすくめたくなる大きな音。


 木製のバケツが屋根の上から落ちてきた。


「もしかして、蛇?」


 突然、何かが落ちてくるなんてことはあり得ない。

 風でもない限りは――。


 僕は振り返る。


 風はない。


 ならば次にナタを見た。いざとなれば、ナタの背中に隠れる以外なかった。


 そのナタは立ち止まっている。


 風がないのを不思議に思っただろうか。家屋と家屋の隙間には壁があった。風はその上を越えてくるはずだが、それがない。


 夜がゆらめいた。


 壁の上に居たのは左右に束ねた髪を揺らす少女だった。夜に隠れる黒いコートがカーテンのように少女を見えなくしていた。


「そこで何してんだ?」

 ナタは空に呼びかけていた。


 敵か。それを問う声だ。


「ミツハ様。ご無事でしたか」

 言ったのは兵士だ。そこに安堵の吐息が混じっていた。


「まあね」

 ミツハは猫が飛び出すような低い姿勢のまま、剣から手を離した。何事もなかったかのような顔をする。


 彼女の指先の動きでナタも構えを解くことができた。ミツハのほうでも目の前に現れた武装集団を警戒していたのだろう。お互い緊張の中にあったわけだ。


「襲われたと聞いて心配していたのです。追っ手はどこです? 私も加勢します」

 兵士は槍を構えたが、敵となる相手はどこにもいない。


「悪いけど、逃げてきちゃった」

 ミツハはそこで初めて背後を振り返った。


 あるのは月しかない夜空——。

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