第29話 道化師の嘲笑

 疫病を治癒する薬師として丁重に扱われる予定だったのが、今では不老不死の薬を求めて旅するヒルデダイト国のアザゼル代理人。僕たちは公にもてなしを受ける国賓の扱いだった。


「最初からこうなることがわかってたんです?」


 僕は安堵するとともに、リッリに確認してみた。


 そこは屋上に近い客室。風通しの良い部屋は王様の寝室と同じ並びにあって、簡素だが赤い絨毯の上。


「ん?」


 このリッリの顔はまさに偶然と言いたげ。つまり何かが間違っていれば、僕たちはもう殺されていたかもしれなくて——。


「あんまり長居はしないほうがいいですよね」


 僕はそれとなく、リッリを催促しておいた。やるべき仕事があるなら、それを終えて、こんな危険な場所からはすぐに立ち去りたい。


「ひとやすみしやり。すぐに城内を見て回らんや」


「それ賛成」

 僕は椅子の上で、このまま無事に帰れますようにとお祈りする。

 

 ふてくされていたのはナタだ。


「アザゼルの代理人って何だ。あいつは俺たちの敵だぞ。あいつの名前を聞くだけで不愉快だ」

 それがナタの感想だった。


 これを見て、リッリは荷物の中からナタに白いローブを渡す。キリーズに行った時にナタが来ていた巫女衣装だった。


「それはまだ隠れておれ。イザリースの巫女衣装を持って来たのが正解なりり。顔を隠しておれば、小難しい薬学の専門家にも見えりや」


 これなら怪しまれることもないだろう。


「欺しているようで居心地が悪い」

 ナタは小さく呟くが、


「僕たちは偵察にきたんだよ。名前なんて何だっていいんだから」

 僕にはそれがたいした問題にも思えなかった。


「言い方次第で印象は変わりや。人に言わせれば酒こそ万能薬と言わんやり? 薬など気の持ちようで効能も変われり。ワレが薬師と名乗るのも似たようなもんやり」


「それはいいが、アザゼルの代理人ってのがな——」

 ナタは言う。


「丁度よかろ。ワレらはまず目的を達成せねばならりぬ。強大な敵の前で剣を折ることもありゃ、こうして利用する術もあり。利用するからこそ、ワレは自由にこの城塞を見学できやらん?」


「今は俺たちは信用されているかもしれない。だけど、それを利用して偵察したあと、戦争になったらどうする。俺たちはあいつらと戦うことになる」


「下層で病に伏せっており民が気になりや?」


 リッリは足元のさらに下を見た。城塞の下層には兵士たちやその家族の暮らしがあったことだろう。


「あの人たちは、巻き込まれただけだ」


 それを言われると、

 僕にも気が重いことだった。兵士たちや民は王様やヒルデダイトに逆らうことができないだけなのかもしれない。


「それなら心配には及びん。もともと戦う相手は兵士だけ。ナタのよく知るサムライたちのこと、その辺わきまえておりや。むしろワレは戦争の後のためにも下調べする必要ありん」


「戦争の後?」

 ナタはここでリッリを振り返った。


 リッリはナタが見るもっと先を見ている。


「疫病で苦しむ民を助けるは変わらず。ワレとしてはその病がどういうものが知っておく必要ありき。そうしなければ、まともな薬は調合できやんや」


「薬を調合するって?」

 ナタは、「ラファエールなんて効かないだろ。どうするんだ。こんな状況が改善できるのか」と首をかしげた。それ以外にリッリに何ができるのかを知らない。


「ワレを誰だと思うてり。エルフの飲み薬の一〇〇のレシピをベストセラーにしてりや。この道でワレに並ぶ者なしに。だいたいワレが旅を始めたのも薬草の探求からでり」


「リッリは本物の薬、つくれんのか?」


 ナタにとっては信じられないことだっただろう。いままでがラファエールなのだから——。


 僕もその話の先は気になった。


「当然」

 リッリはそれだけ言うと、外から手招きした。「さっそく偵察してきやり。ナタもヘルメスもワレについてくりゃ」こうなると俄然、賢者はやる気だ。



「あそこから風が匂うりや」

 赤頭巾は堂々と歩いた。歩いたのは、石階段を上がった城塞の上。そこに居るのは城塞を守る衛兵たちであり、眼下を意識すれば、城塞守備の全てを見て取ることができた。特命救急薬師でなければ、守備の拠点などに立ち入ることがそもそも困難だっただろう。


 兵士がどこに何人いるか。どんな武器を持っているのか。


「記憶しておれ」

 リッリは僕に指示した。


「うん」

 今できることは、病人を治療することではない。城塞を攻めるための情報を得ることだった。


「これはなにやら」

 城塞の下から見るのと上から見るのでは印象が異なった。だからこそ、そこでリッリの足が止まる。


 串刺しの死体が並ぶ野原だった。焼け焦げていて、瓦礫の中に死体が散乱する場所だ。大きな黒い砲弾が城塞の壁にのめり込んだり、転がったりしている様子はこれまでの戦争では見られない光景だった。距離をおいて、車輪のついた巨大な投射器が沈んで動かなくなった様子も当時のまま。


「あなになに起きたりや」

 血の気が引く光景とは全てが繋がったところにある。


 ザッハダエルの城塞はもともと三重の城壁を持つ構造をしていた。北にも城壁に囲まれた城下町があったのだろう。


「街が消えている?」

 僕は呟いた。

 

 呆然としている時間はない。


「なるほりょ。次は反対側も見てみや」

 リッリが振り返ったところで、さらに詳しい状況が明らかになる。


 この時、

「薬師殿はこの惨状に興味がおありでしょうか?」


 それを言った兵士がいた。守備隊長と名乗る男だ。彼としては、胡散臭い動きをする薬師を監視しておきたいところだろう。


 ただ彼が近づいてきたのには、もうひとつ理由がある。


「薬師殿はヒルデダイトから来た特命薬師だと聞いたが、近隣の村人とも仲良くしているのはどういうことでしょうか?」


 ザッハダエルの人間ならまずはそこに首を傾げただろう。


「ワレはヒルデダイト軍とは無縁なり。軍は軍で動いてり、ワレの行動とは繋がりん。ワレはあくまで不老不死の薬を求めるのみ」


 これを言うと、守備隊長はすこし哀しい顔をしてみせた。


「そうですか。ならば薬師殿のような人に言っておきたいことがあります」


 彼は僕たちを薬師を見てはいなかった。


「なにか?」と問えば次のような回答があった。


「我々は現在、周囲の民族からひどく恨まれています。実際にそのようなことをしてきた自覚はあります。しかし我々も好きでやっているわけではないのです。我々は薬師のように生き方を選べない。周囲の民族は我々が頭のおかしい民族だと思うかもしれない。でもそうではないのです。こんなことを私が言っても仕方ないのかもしれません。ですが我々も苦しんでいるのです」


「それらが殺人など好まぬはわかってりや」

 だが、そうなった経緯についてはリッリも僕も聞いたことがない。


 守備隊長は焼け野原となった街並みを指差した。


「ヒルデダイトからアメジストドラグーンを率いてオロバス将軍がいらっしゃいました。突然でした。アザゼルに忠誠を誓えと言ってきたのです。その方法は周辺民族を皆殺しにすることでした。我らが王は何の用意もなく、ただただ彼らの要求を拒みました。怒りくるったアメジストドラグーンの猛攻が三日ほど続いたでしょうか」


「これが猛攻? まるで神話の怪物が暴れたようにしか見えないです」


 僕はそう思った。


「我々では太刀打ちできませんでした。考えてみれば災害だったのかもしれません。なぜ我々だったのか……」


「それであなたたちは、要求を呑んだのですか?」

 僕は尋ねた。


「鉄の騎士団でした。盾も槍も鉄で、我らの武器ではどうにもならず。角のある鉄の馬が走れば、それだけで何人もの同輩が殺されました」


 言われなくとも、僕の目の前にその後の光景が残っている。


 赤頭巾の賢者にも言葉がない。その当時の様子を想像しただろう。鉄の鎧に包まれた軍馬に跨がった鉄の兵団が槍を立てて迫ってくる。彼らが通った後には草木ひとつ残らないだろう。頭上では火球がバリスタから投射されて城塞の夜をおぞましい死の流星群で彩っただろう。


 そこにやってきたのは軍隊ではなく死の世界、そのものだ。


「それでマリウス王は力に屈したか」


 賢者は深く言葉を噛みしめた。


 守備隊長は目に涙を浮かべたが、頷くことはしない。


「屈したつもりはない。とは言っても誰も我々の言葉なんて信じないでしょう」


「誰にも信じて貰えないから、僕たちに伝えたいんですよね?」

 僕は続く話に聞き耳をたてた。


「我々は多大な犠牲を払って、平和を守ろうとしたのです。最後には敵の思惑に乗って、我が王が敵の大将に謁見する。その時が我々が勝てる最後のチャンスだと思っていました。ですがオロバスという将軍はあまりに強かった。我々の英雄が斬りかかったのですが、あの方は身震いをひとつしただけで、我々の英雄をひっくり返してしまいまいた。腕を組んだままで戦う気もなかったんだと思います。我らの英雄は直後にオロバスの右脚で頭を踏みつぶされて――」


 ここまで喋って、守備隊長は言葉を詰まらせた。


 彼らの最後の希望が潰えた瞬間だっただろう。


「シェズさんみたいな人が他にも?」

 僕は戦慄する。

 

 だがまだ話には続きがあった。

「それだけなら、我が王は挫けなかった。ご自身が死んでも民を守るとおっしゃられた」


「他に何かあったんですか?」


 僕が首を傾げるところ、


 守備隊長からのこの言葉があった。


「道化師が笑っていたのです」と——。


 それは不気味な響きだった。


 僕は思わず口元に手をやってしまう。

「道化師。道化師……」


 それはノウルの古城で王様を殺した犯人の名前と同じ響き。


「あれは、確か、ロキの道化師? 笑い顔の仮面をした道化師ではないですか?」

 僕はそれを尋ねていた。


 守備隊長にも忘れられない名前だっただろう。


「その通りです。確かにあれは、ロキと名乗っていた」


 肯定だった。


 瞬間、杖を叩きつけたのはリッリ。

「事件が繋がったりや」だ。


「あなた方はあの者たちを知っているのですか?」

 守備隊長が驚くのも無理はなかった。


 だからこそ、僕も少し説明しておきたい。

「ここに来る前に僕たちは、山を越えたところにあるノウルという場所に立ち寄ったんです。そこでもロキの道化師という人が、王様を殺していました」


「なんと?」


「でも、僕たちにわかるのはそれだけで。僕たちもそのロキの道化師を探していたというか。手がかりがあれば……」


 僕は、カンデラで出会った笑い顔の占い師を思い出していた。だが、彼がロキの道化師と決まったわけではない。


 そもそも僕はロキの道化師の人柄を知らない。


「あの、こちらでは、ロキの道化師は何をやったんです?」

 僕のこの質問の答えが唯一のヒントになるだろう。


「道化師は人を消す魔法を使いました。大きな赤い布をもっていて、それを広げて兵士たちに被せるだけで、兵士が次々に消えて行くんです。そうかと思えば、赤い布の中からあの道化師はこともあろうか、王妃を出現させてしまったのです」


「王妃って?」

 僕はそれが赤い布から出てくるのを想像できなかった。


「マリウス王の妃であろ?」

 とはリッリの想像するところだ。


「はい。敵に見つからぬように奥の部屋に避難させていたはずでした」


「それで?」


「王妃は何が起きたかわからない様子でしたが、道化師が魔法を使うとたちどころに深い眠りについてしまわれたのです。道化師は言いました。三ヶ月マリウス王が道化師の言う通りにすれば、王妃を眠りから目覚めさせようと。最愛の王妃を人質にとられ、王はその言葉を信じるしかなかったのです」


 これにはリッリもあきれ顔だ。


「眠りについた王妃を助けるために、つまり他の民族を襲いやり?」


「はい。それが道化師の要求でした」


「道化師の使った魔法とはどんなものやらか」

 その眠った王妃をリッリが起こせば問題は解決するだろう。「その王妃とやらをワレに見てみたり?」と赤頭巾は揺れ動いた。


 しかし、


「今は王以外、誰も王妃に会うことはできません。最近までは私どもも王妃に祈りを捧げることがあったのですが、今では誰もあそこには——」


「ではどうやって王妃を目覚めさせりや」


「道化師が戻ってくるのを待つと、王も大臣もそのおつもりです」

 守備隊長はそこは頑なだった。


「ワレが薬で治せるとしても?」


「魔法で眠らされているのです。薬でどうにかなる問題ではありません。それに道化師の機嫌を損ねたならば、永遠に王妃は戻ってこられなくなるのではと心配する者もいるでしょう……」


「むう」

 赤頭巾は、少し考えてから次の要求を出した。


「その道化師とやら、どのような出で立ちであったか詳しく話せり」だ。


「どうするつもり?」

 僕がこう尋ねれば、


「その道化師を捕まえてくるほうが早いかもしれぬや」


 リッリは、「ザッハダエルで戦争を起こすよりも、これは問題解決への簡単な方法よ」と言った。


 さてその道化師だが、


 守備隊長によると、

「ロキの道化師と名乗る男は白い仮面に笑い顔。そしてガラス玉を指先で転がして遊ぶ癖があった」と言う。


 道化師の特徴は誰もが共有していなければならなかったので、僕はそれをナタにも翻訳して教えることになった。


 すると、

「それって、お前が占って貰ったあの占い師じゃないのか?」

 とナタ。


「僕たちが探しているロキの道化師は人殺しであって、親切な占い師じゃない。人違いだと大変なことになるよ」

 と思えば、僕からはそれ以上は語れない。


「あたしもさ。ノウルの時からそう思ってたんだけどさ、でもここまで特徴が似るってことある?」

 こう続けるのはシェズだ。


「仮面をつけていれば、誰だって同じ特徴になるよ。それが問題を引き起こした張本人だってどうやって特定するのさ?」


「普通の人は白くて笑う顔をした仮面なんてつけないよ。なんか宗教っぽい理由でもあるのかも。だとしたら、ロキの道化師が本人じゃなくったって、そういう組織のことを何か知っているかも」


 シェズのいうことはもっともだ。

 これと同じことをナタに言わせれば、次のようになった。


「ロキの道化師と同じ仮面をつけているって面白いな。兄弟か?」


 あるいはリッリに言わせば、また違う想像もできると言う。


「ロキの道化師と同じような恰好をして、本物を探しているという可能性もあり」


 そんな空想の話。


「どちらにしても、話を聞く価値はある」

 ナタが最後にそうまとめたが、

 それ以前にリッリには思うところがあっただろう。


「占い師と会ったと言うてりが、それはワレと出会う前の話やり?

 赤頭巾の賢者はここで口を挟んだ。その話を詳しくリッリに聞かせたことはなかったが、問われれば、黙っているわけにもいかない。


「リッリと出会う直前というか、あそこで僕たちがアルバイトをしていたのは僕が財布を落としたからなんだけど、それを占いで教えてくれた人が白い仮面をかぶっていたんです」

 僕は出来るだけ相手の印象が偏らないように喋ったつもり。


「そもそもその占い師はそれの運命をどのように占ったり?」

 どうせろくなものではないとリッリは予想しただろう。


「落とし物をして苦難が待ち受けるって、まあ当たっていると言えば当たっていたんだよね」


「落とし物が財布なりゃ?」


「財布とは言わなかったけれど。あとゴブリンの巣穴を見せられたかな?」


「ゴブリンの巣穴?」


「水晶の中に見えるんだってさ。僕が除き込んでもなんかよくわからなかったけどね。僕がゴブリンに殺されるかどうかを占ったんだっけ」


「それでヘルメス、それはその占いにどれだけの対価を払ったりや?」

「ううん、ただだったよ。通りがかりに親切で占ってくれて……。最初の一回は無料だったんだっけ? 僕たちはそれ以上は占いなんてしなかったけど」


「それで一生懸命に水晶を除きこみやり? その間に財布がなくなったりや。それはすられており。その間に抜き取られてり。よくある手口。そもそも財布なんて落としてもおらんやら?」


 リッリは「くししし」と笑う仕草だった。「まあイザリースでものを盗む輩など存在しせりんから、それも仕方なきなき。つまりは道化師に出会って棲む世界が変わったのは、それも同じ」とはどこか僕を小馬鹿にする態度だ。


「ちょっと待って」

 僕は思わず抗議しそうになった。親切な人間が実は犯人だったなんて、そんなことを考えていいものだろうか。


 そんな中、ナタだけは冷静だったのかもしれない。


「じゃあ、ロキの道化師を捕まえれば、ヘルメスの財布も戻ってくるかもしれないな。ザッハダエルの問題も解決できて、全部丸く収まるだろ?」


 イザリースならそうなるかもしれない。だが、


「無理」


 リッリはナタもろとも叩くように言葉を被せていた。「今こうしてり間にも世界は変わっていきや。ヘルメスの財布もどんどん萎んでいってりぃ?」だ。これではもう僕の財布は戻ってはこないだろう。


 僕の財布だけではない。


 ザッハダエルの民も元の場所にはもう二度と帰れないところまで来ていた。


 とは、さっきまで話を聞いていた守備隊長が大臣に呼び止められたところに問題があった。


 大臣の用事は次の通り。

「これから出かけようと思う。守備隊からも兵士を出してくれ。海岸沿いの村を一掃する大規模な作戦を王が思いつかれた」


「海岸沿いの村を一掃するとは何事ですか?」

「戦争だ」

 大臣が守備隊長に人手が欲しいと打診するのは戦争をするからだ。


「生け贄ならまだ牢屋にいるではありませんか。大人数を捕まえてきても、収容する場所がありません」

 守備隊長の懸念は他にもある。それはリッリやナタが持つのと同じ疑問。「なぜ?」というものだ。


 大臣が答えるのは簡潔な理由だった。


「薬師がラファエールを配っていた場所だ。まだラファエールを持っている者がいるかもしれない。我々の手元にないのだから、それを探し出せ。あと、ラファエールを飲んだ者も探しだして連れて来い。ラファエールを接種した肉体を解体して我が国民に食べさせれば、少しくらいは効能が期待できるかもしれない。これは我々が確実に、今すぐに実行できることだ。王はそれを望んでおられる」


「土地の者たちは我々ザッハダエルの兵士に、正直にラファエールのことを喋るでしょうか?」


「その時には、全員連行してこい。死体でも構わん。お前にも病気で苦しんでいる妻がいただろう。それを助けるためには、ラファエールが必要なのだ。アザゼルが認めたあの万能薬があれば王妃も助かるだろう」


 これには守備隊長は何も言い返せない。

 すぐに軍隊は動き始めるだろう。


「ぐえ?」

 言ったのは赤頭巾だ。「待て待て、待てい」と叫んだが、大臣との距離は遠い。


「なにか?」

 立ち止まったところで大臣は振り向かない。大臣もリッリが作戦を嫌がることは予想していただろう。


「その戦争、もしかしやりや、ラファエールを奪いにいこうというあれり?」


 賢者が村人たちに売ったもの、これをザッハダエルの兵士が力ずくで奪いに行くというのは、賢者リッリにとって都合が悪かった。


「薬師殿の手元になかったのが残念だ。ないのならばあるところから奪うしかないだろう」


「ラファエールには消費期限ありり。もはや腸内で消化されて跡形も残らりん。戦争そのものが無駄やりぃ」

 と嘘をついてみたところで一度大きくなった火は消える気配もない。


「それは我々が判断すること。薬師殿が近隣の村をまわってラファエールを販売し、確実に何人かがそれを購入した。それだけが事実」

 大臣は言い切った。


「ファラエールは今さら吐き出すこともできないりよ?」


「ならば尋ねるが」

 大臣はここでリッリに向き合う。

 

 質問はリッリには答えられないものだった。


「薬師殿は、薬を飲んだ患者を殺してその肉を食べたことがおありだったかな?」

 薬師は黙り込む。薬を飲ませてから殺すという行為自体、薬師が行うはずもないからだ。


「我々が試してみよう」

 大臣はまた歩き出していた。


「待てぃ。人間が人間を食べりなどはあってはならぬりや」


「相手は所詮は愚民、アザゼルに選ばれた我が民の前ではゴミ同然だ。掃除する良い機会にもなる。我々だけではない。アザゼルがお喜びになる」


「アザゼル?」


「そうだ、万物の神であり全ての王を支配する存在。それがアザゼルである」

 これを言われてはどうにもならなかった。


「むきい」

 リッリは憤慨していた。腕をまくると、「ワレが直接マリウス王に話をつけてきやり」と息巻いた。

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