第28話 公認特命救急薬師

 ザッハダエルの城塞に薬師が招かれたのは突然のことだった。だけど僕たちからしてみれば、当然の結果だ。


「ザッハダエルの城塞ってあれですか?」


 僕たちは今、兵士たちと一緒に城塞へと向かっていた。


「そんなに急がねばならぬり?」


 先導するザッハダエルの戦士をリッリが呼び止めるのは一度や二度ではない。放っておけば、彼らは薬師を置いて行ってしまうだろう足取りだ。すでに丘の上にザッハダエルの城塞は見えているが、戦士たちの足取りはむしろ速まるばかり。


「我が主マリウス王はあんたの薬の噂を聞いて、すぐにあんたを連行してこいと息巻いていた。だがあんたほどの薬師を強制的に連れ去るなんて、いくら我々でもやらないよ。あんたの機嫌を損ねても我々にいいことはない。ただ気持ちははやるさ。これでザッハダエルのみんなを助けてやれるかもしれないと思うとね。城塞には、私の妻や娘もいる。みんな流行病に苦しんでいる。薬なんてものがあるなんて聞いたら、そりゃあみんな飛び上がって喜ぶさ」


 兵士は口数を増やす度に饒舌になり、ついには本音を吐露していた。


「しかしさっきも言ったやうに、ラファエールは売り切れてり」


 期待を裏切るようで申し訳ないとリッリは思う。だがこればかりは、売ることはできなかった。ラファエールは架空の万能薬だからだ。


「今は材料を切らしいるということだが、作ってもらえるのだろう?」


「ワレは薬師でありや。当然なり。さらには他にも様々な薬を知ってり。いずれかはすぐに調合できようが」


「我々には支払う金がある。金の心配はいらない」


 兵士は言った。これはお互いが得をする話。

 

 ただ、僕たちには喜べる話ではなかった。その金は、そもそも近隣の民族を殺して巻き上げたものに違いないからだ。それをわけてやると言われたところで、気持ち悪い話。さらにはザッハダエルの城塞を取り囲む異臭も鼻についてくる。


 ゲロがでそうだった。


 もうひとつ僕にとって、笑えない話がある。


 僕とシェズは一度ヒルデダイトの使者としてザッハダエルの人間と会話したことがあった。そんな者をリッリに同行させるのはおかしい話だったが、成り行きでは仕方ない。


 当初、僕とシェズは薬師に救われる病人を演じていたわけだが、この話が噂になるにつれ、薬師のほうが忙しくなってきた。しかも毎回病人が同じでは説得力もない。


 シェズと僕が手伝いに入ったタイミングで、ザッハダエルから兵士が来たのでは逃げようもなかった。


 ザッハダエルから来た兵士は、僕たちを殺してでも連れて来いと、あるいは仲間も全員拘束しろと命令されている様子。どこで態度を豹変させるかわかったものじゃない。


「普段通りに振る舞っておれば良き」


 リッリはそう言うが、

 僕はさっきから心臓がバクバクしている。シェズなんて赤い髪に大きな両手。シルエットからして同じ人間がいるようには思えない。


 こないだ会いましたよねって声をかけられただけで、僕たちは終わりだった。


 この心配はある意味的中だったかもしれない。


 ザッハダエルの現国王を、マリウスという。背丈が常人の倍はあろうかという偉丈夫だった。その肉体があればこそ、戦士たちを束ねる王として君臨し、今日に至るまでザッハダエルの城塞に繁栄をもたらしてきた。カーテンの向こう、目下に広がる死体の山を背にして王は目の下に隈をつくっていたが、未だにその威厳は衰えてはいない。


 王が玉座に腰掛けるその傍には顔色のよい大臣が立っていて、「王の御前であるぞ」と声を張りあげている。今のザッハダエルの命運はこんなところで決められていた。


 ザッハダエルの城塞に入ってすぐ、僕たちは王の間に通されていた。


 薬師というだけで破格の対応。


「ワレが噂の薬師なり」

 リッリが赤頭巾から頭をだして挨拶したところ、


「さっさとラファエールとかいう薬を出せ」


 大臣は槍を手にして、リッリの前に立った。「お前ら愚民が生きて居られるかどうかは、我々の采配ひとつ。それを忘れるなよ。わかったらさっさと薬を出せ」それが彼らの挨拶だ。


「む?」


 リッリが目を細めたのは言うまでもない。


 リッリはすぐに背後にいる案内役の兵士を窺ってみた。「話が違うり?」と思うが、兵士は困った顔をするばかり。所詮は下級兵士であって、上層部とはそもそも行動原理からして異なるものだろう。


 であればリッリのほうにも何の遠慮が必要か。


「薬は売り切れたりや」


 リッリはリッリで学者の意地がある。


「すいません。一週間もあればラファエールは作れると思います」

 僕はとりあえず頭を下げた。


 なにしろ王の御前だ。


 学者の護衛といえば、学者の護衛だからという理由だけで無休で働く者たちだ。その学者に魅力がなければ、誰が護衛などをするだろうか。つまり学者の意地なくして学者など務まらない。

 そんなわけでリッリはさっきからふんぞり返っている。


 呆れたのは、ザッハダエルの大臣だった。


「そんな気はしていたが、ラファエールなるものは偽情報であろう。我々にできないことが愚民にできるはずもない。貴様らができるのはせいぜい嘘をつくことだけだ。我が王をたぶかした罪で——」


「我々は嘘などついていません。あなたたちが勝手に連れて来たんです。僕たちはここに来るつもりはありませんでした」


 僕は真っ向から大臣に意見をぶつけていた。


 そうしないと大臣の意志のみで、運命が決められてしまう予感があった。


 こうなるとリッリも黙ってはいない。


「待て待てい。その薬は切れたが、他に薬がないとは言っておらりん。ワレは症状に合わせて一〇〇〇の薬を調合しやり」

 それはアルフィムに伝わるエルフの知恵。


「その辺の薬など何の役にたつ。我々が求めているのは、ラファエールのみ。そうだ、その作り方をここで教えろ、そうすれば命だけは助けやる」


 大臣は指で合図する。それは僕たちを取り囲んでいつでも殺せる体勢だ。


 これを受けてリッリは喋った。


「ラファエールの主原料はマンドラゴラという薬草なり。マンドラゴラはニンジンみたいに土の中に埋まってりゃ。これを引き抜くと、人間が叫ぶような悲鳴をあげり。この声を聞いたもの死せりという妙草よ」


「ほう」


「であるから、ワレでなければマンドラゴラを収穫することもままならぬり?」


「どうやってマンドラゴラとやらを引き抜けば良い?」


「それは、エルフの里に伝わる歌を歌うり?」


「その歌とは?」


「それは?」

 リッリは、普段から口笛や鼻歌が得意な青年を指差した。ナタでもなくシェズでもない僕だ。「ヘルメス、あれに教えてあり。あれはマンドラゴラの歌が得意なり」といえば、適当に僕が何か歌うかも知れないとでも思っているのだろう。


「え? 僕」


 いきなりだった。


 僕は槍を手にした殺人鬼たちに囲まれて大注目だ。こんな状況下で、


「歌え」


 真顔で大臣は命令してくるのだから、とんでもない。


 僕の頭の中は真っ白だった。


 吟遊詩人の歌。

 ウズメ姫の歌。


 それらではエルフの里に伝わる歌とは思われない。


 ならば、童話。子供たちが口ずさむような意味のわからない歌のほうがそれっぽいか。


 考えた末、

「みっちゃんがみちみち……」

 そんな歌を口走ったと思う。


「お前何歌ってんだ?」

 そんなナタの顔が呆れていた。


 そうして僕は泣き崩れるようにして、小さくなった。


「無理、恥ずかしすぎて……」

 僕が声を出し絞ったところで、すでに喉も枯れていた。呼吸も苦しい。とんでもない恥さらしだ。


 この歌唱力に大臣が下した審判。


「こいつらを牢屋に閉じ込めておけ。薬を作らない限り、二度と外へは出さない。薬が効かないようなら、見せしめに処刑しよう」


 これだった。


「ちょいと待て、ワレは話し合いに来たり」


 リッリはついに叫んだ。このまま大臣の言葉を鵜呑みにしては命がないのは明らかだ。

 だが武装した兵士たちの手前、大臣は止められない。


「やれ」

 大臣のこの命令を止めることができるとすれば、


 それは、

 蹴ることだったか。


 大臣が唖然としたのは、シェズが兵士を蹴り倒した後のこと。


「お前ら、さっきから聞いていれば、どこまで図にのってるんだ?」とは遙か高みのヒルデダイト騎士様のひとことだ。そして鉄剣を片手にもてば、いつ戦争が始まってもおかしくない構えになった。


「何をするか、我々に逆らう気か?」

 大臣は叫んだ。


「お前らが先にやったんだろうが。誰に向かってその槍をむけてんだ?」


 シェズとの間で会話はヒートアップ。


「これが薬師であるはずがない、暗殺を企てる輩にちがいないぞ」


 大臣はすぐに四人を殺害するように命令することになった。シェズはただの剣士ではない。兵士を蹴り倒したあと、誰もシェズには近づけないほどの戦士だ。それは誰が見てもわかることだった。


「そっちがその気なら、いつでもいいぜ。ヒルデダイトの竜翼章の戦士ってのがどんくらい強いものなのか、とことんわからせてやる」


 シェズがボロを捨てて、視界を確保した。


 それなら、と――。


 ローブの中でナタも鉄の剣に手をかける。僕もファイティングポーズだけは。話が違うが、やりあうなら負けるわけにはいかなかった。


 マリウス王の巨体も動いた。


 王としての威厳が逃げることを許さない。そこに獰猛な戦士がいれば、力でねじ伏せる。彼もまた戦士だ。


「静まれ」とひとこと。


 だがそれよりも声を張り上げたのは、


「ぶぁかもんが。ワレこそは薬師なるぞ」

 リッリだった。「遠くはニーベルンゲンの王から使命を賜り、ここに来てヒルデダイトの王より特命救急薬師に認定されたのがワレなりや」


 そして一歩前にでる。あわあわしていたが、いざ喋り始めると赤頭巾は微動だにしない。シェズがヒルデダイトを名乗ったのだから、もうヒルデダイトで通すしかなかっただろう。


 ここにひとつ作り話がある。


「これに見えるが、ヒルデダイトの騎士ありり。この者はヒルデダイト国王の命によりワレを守る使命がありや」

 シェズには隠れるように言っていたが、出てしまったものは仕方ない。利用したのはリッリの機転。


 言われて王も大臣もシェズの赤い髪を見た。


 それだけではない。王の護衛たちが王に囁くのは、半年前に遡るヒルデリアの景色のことだ。ヒルデリアには、王を守護する親衛隊なるものがある。その中でも若い竜翼章の戦士となればどこでも注目の的だった。ザッハダエルの人間にとって、シェズやセアルは同じ人間には見えなかっただろう。遠くから見る憧れの騎士達。


「首都ヒルデリアで確かに見ました。この者を」

 そのような耳打ちで、王も大臣も押し黙った。


「竜翼章な」

 シェズはさり気なくそれを主張する。


「馬鹿な、そのような戦士様がこんなところで薬師の護衛などしているはずがない」


 大臣はうろたえていた。


 ヒルデダイト王がそのような戦士を護衛につける者であれば、それはヒルデダイト公認の薬師も同じである。


 ザッハダエルは実質、ヒルデダイトの属国だった。故に彼らがヒルデダイト騎士に逆らうことなど最初から許されない。


「アザゼルが護衛を付けるような者が、なぜその辺の漁村に居るのか」


 大臣は驚愕した。しかしシェズの剣の威圧はまぎれもなく本物。それをいきなり認めたくはないのだろう。


「ワレはアザゼルに自由を保障されていりや。日夜研究のため、あちこちに出むいては資料を集める毎日よ」


「なんのために」

 言うのを遮って、今度はリッリから付け加えた。


「ヒルデダイトのアザゼルから不老不死の妙薬を製造するように仰せつかっておりや、さてどうしたものかと手がかりを探しり」


「不老不死と?」


 アザゼルなら次にそれを求めるかもしれない。不老不死は権力者がすがりたい永遠の願望だ。アザゼルほどの王なら、いつか不老不死さえ成し遂げるだろう。


「うみゅ」


 リッリは大臣の態度の変化を感じ取って、期待する目で彼を見つめた。

 するとどうだろう。


「なるほど、それほどの薬師であったか」


 大臣は、部下に剣を下ろすように命令する。「それならそうと申しつけてくだされば良かった。我らはアザゼルの僕でありますれば」


 今度はリッリの前に腰を低くして跪いた。これまでの無礼を許してくださいというのだろう。知っていたら、剣を向けることはなかったと言うのが彼らの言い訳だ。


「最初からそうしていればいいんだ」

 シェズには、それが普通だった。少なくとも半年ほど前までは。彼女はヒルデダイトの騎士であり、属国の戦士たちの前では鼻高々に振る舞う、この態度に嘘偽りはない。半年前までは——。


 端から見れば、すでにここはヒルデダイトだったか。


「これはな、内密な話なり。不老不死の妙薬を研究しておるなど、ミツライムに知られてみれ、ワレが誘拐されてしまうわ」

 リッリが言うと、


「おぉ」

 その通りだと大臣は頷いた。


「ワレがこれを話したからには、協力してもらわなければなりぬ」


 リッリは大臣に歩み寄った。

 さてこの結果は、してやったりと言ったところか——。


 振り返って反省点をあげるとすれば、シェズのことだ。勝手にヒルデダイトの騎士を名乗るのをやめさなせないと、いつか大変なことになりそう——。


 僕の心臓はまだバクバクしていた。

 

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