第27話 実録ラファエール

 僕たちがキリーズからシロに戻ったのは三日後。


 本来なら、借りていた金貨をウズメ姫の屋敷に届けるついでに、ことの成り行きを報告するべきところだった。僕たちが戻ってくるのを待っているのはサムライたちばかりではない。誰もがキリーズからの吉報を待っていたはず。


 だけど僕はシロに戻ってすぐ、守り手もいない粗末な小屋の縁側に座る。


 昼間のヤシロは子供の遊び場になっていた。子供というのは興味が移ろうもので同じ場所に留まることがない。そうなると残されたヤシロは静かに僕たちを迎えてくれていた。


 誰もいないのなら遠慮するものはない。歩き疲れた足を放り出すようにして座ったところで、睨み返してくるサムライもそこにはいなかった。


 そうしておいて、口から出てくるのは、ため息ばかりだ。


「どうしよう?」

 とは、「あれだけ期待させといて、キリーズまで行って成果無しってきつくないかな?」これをどう報告すればいいやら。それを考えると、僕はウズメ姫にも会いにいけない。


 

「問題はどうやってチイに報告するかだ」


 ナタもこれはこれで困っている様子だった。


「最近チイ先生怖いもんね、わかるよ」

 僕たちは途方にくれていた。


「シェズだったらどうする?」

 ナタは縁側に立つ女子戦士に声をかけるが、シェズはただ立っているだけ。


「その話何回目だ? 考えたって仕方ないじゃん。なるようになるさ」

 これがシェズの意見だ。


 僕たちはシロに戻る前に報告する手順を話し合ったことがある。だけど、実際にこの場所に来ると机上の空論はあくまで妄想でしかなかった。妄想じみた話をウズメ姫たちに聞かせるなんて、そんな勇気は僕たちにはなかった。


「リッリに報告してもらうしかないよ。キリーズのこともリッリが考えたことだし」

 僕は卑怯な男かもしれない。


 嫌なことを他人に押しつけようとしている。「ううん、そうじゃなくて、報告のやり方で印象って変わるものだから、そこを何とかしたいんだよね」と僕は言い訳してみた。


 ウズメ姫に一度でも勇者と呼ばれた僕がこんなことやってどうするんだろう。そう思えばこそ、僕はリッリが言い返してくることを期待していた。


 嫌みのひとつでも言って欲しい気分だった。


「リッリは?」

 僕はそのリッリが周囲にいないことを不思議に思う。


「あっちで何か始めたぞ」


 ナタが横を向いたところ、リッリは作業中だった。ゴザを敷いてその上に食器を並べると、道中で獲ってきた植物を並べていた。


 最初は、

「リッリって薬草にも詳しいよね?」

 僕はその程度のことかと思っていた。


 ナタも同じ。


「旅が長かったから、食えるものと食えないものの区別くらいはつくんじゃないか?」


 なんてからかうだけ。


「ナタは区別できないもんね」

「お前もだろ」


「僕はある程度はわかるよ。商材で取り扱っていたもん。まあその程度だけど」

「それで、あれは何ができるんだ?」


「保存食?」


 僕はリッリが植物をすり潰すのを見て、疑問に思った。木の実や魚をすり潰して加工する食品は知っていた。だけどそこに道端で獲れた植物を混ぜるなんて僕は知らない。誰かがやっているのを見たこともない。


「ご馳走を作ってくれているわけじゃないよな?」

 怪しいとナタはこの時になってやっと指摘した。


「何やってるの?」

 と僕が声をかけたのはこんな経緯。


「うみゅ」


 彼女はヤシロの階段下で、何度目かの皿を並べていた。そこに旅の途中で採取した草花を並べていく。「これを潰したり、絞ったり、乾かしたりすりゃ。病気を治す薬になりや。さらに薬草を組み合わせて効果を引き出す技がアルフィムにあり」とリッリは言う。


「薬を作ってるの?」


「まあ、薬と言えぬこともなき」


「体力回復のポーションとか、解毒ポーションとか?」


「ん?」

 リッリには聞き慣れない言葉だったかもしれない。


「そういう商材があるのは知ってるよ。呑んだら怪我が治ったりするんですよね。そういうのでしょ」


「そういうものと言われればそうかもしれり。ただ、今回はまともな薬ではなきや」


 リッリは一息ついた。「薬っぽく味をつけるに留まり」とは、僕の顔を見ながらの台詞だ。


「それって薬ではないの?」


「見た目が薬」


「見た目?」


「薬を見たことがないやり? そこまでは頭が回りん。仕方ない、少しセイズを練っておきや。噂になる程度の効果はこれで——」


 僕にはもう何が何だかわからない。


「そんなの作ってどうするの?」

 ひとことで言えば、疑問はひとつ。


「ザッハダエルの城塞に疫病が蔓延してりや。病気は人を選ばなりん。兵士たちの嫁や子供にも病気は襲い掛かりや。なればこそ、必要とするのは剣ではなく薬なよ」


 リッリは薬草をすり潰しながら、そんな話をした。


「もしかして、あいつらを治療する薬を作っているのか?」

 とは、ナタの直感だった。


「いやいや、見せかけだけの薬だよ?」

 僕はそれを踏まえて、次の話を待つ。


「ゆくゆくは作るかもしらんが、薬を作るには正確な病状を知る必要ありや。だから今作ってりものは目的が異なりん」


「その薬で何が治るの?」


「薬自体には効果はほぼなき」


「だよね? 見せかけだけだもん。どうやって使うの?」


「これをザッハダエルに売りにいきゃら」

 リッリはそして、手を止めた。


「効果がないものをザッハダエルの人たちに売るってこと?」

 僕はそれを聞いて考え込んだ。


 商売人ならお金儲けのためなら、詐欺商法にも手をそめるかもしれない。だけどこの場合は、お金を集めるのが目的ではないはず。


 薬を売るなら、毒でもいれたほうがいいんじゃないかと思ったけれど、それをすると死ぬのは病人ばかり——。


「効果は関係なき。ワレはまだ顔をしられておらぬり、ならんは薬師として城塞に潜入する試みあり。それにはまず薬が必要であろが。これで敵兵の配置や、疫病の蔓延状況を確認してきやりや」


 そこまで聞いて、

 僕は、「お」と感嘆の声をあげた。


 すでにリッリは次の作戦のために動いていたわけだ。


 そういうことなら、

「ナタもヘルメスもワレを手伝えりや」

 と言われると、僕たちも手を貸さないわけにはいかなかった。


 シェズも同様だ。


「この薬を飲んでみやり」

 リッリがこねた小さな粒。それを差し出されると、呑まないわけにはいかない。


「なんだこれ?」と言いたくなるのも当然だろう。


 リッリはそれを。「万能薬」と呼んだ。


「シェズはどこか痛いところとか、痒いところはなきや? これを呑めばたちどころに痛みが消えて元気になれりや」


 そんな効能が薬にあると言う。


「いや、あたしは元気だと思うけど。強いて言えば、腹がへっている」

「であれば、これ一粒で腹も満たされり」


「んなわけねーだろ」

 シェズは半信半疑だが、ナタが見ている手前でもある。一粒囓ってみる。「しかも、不味いし」というのが彼女の感想になった。当然ながら腹はへったままらしい。


「それって草をこねただけだぞ」

 ナタが指摘する通りで、


「マズいだけ」

 シェズは薬を吐き捨てた。


「効果ないってさっき言ってたよ。見せかけだって」

 僕はその事実をあらためて口にしてみた。


 そんな中、リッリは言った。

「シェズも手伝えりや、この薬はまだ完成しておらりん」と——。


「え? 何。いま、呑んでみたけど? あたしは、もうそれいらないけど?」

 シェズはこの薬は飲めないとはっきりと言ったが、賢者は笑う。


「これからが本番なりゃんぜ。これを魔法の薬にする方法がひとつだけありゃん。どのような病にも効く、万能薬と呼ばれりは、この薬。名付けてこれをラファエールと言わんや」


 そしてリッリは、もう一度ひと粒を手に取った。


「魔法の薬に変える方法——」

 それは今度は僕の掌に置かれる。小さな粒だった。


「良薬は口に苦し。思い込むことが重要なりや」

 リッリは僕にそう告げた。


 ラファエールにまつわる不思議な話がある。


 ある日のある世界での話。

 シロに近い海岸線に小さな漁村がある。浜辺には小舟が並んでいて、漁ををする時にだけ村人が小舟を出す。そんな人間が増えて集落になっただけの名前もない村だった。


 普段は旅人も寄りつかない場所だっただけに、その日は特別だった。


 ぶらりと薬師がやって来て、目立つ場所にゴザを広げるとその上に座り込んだ。

 

 赤い頭巾をかぶっているのは少女のようだったが、隣で護衛をする青年剣士を手なずける様子は猛獣使いと同じだ。


「ワレはノウルからやってきたイシュタルに仕える巫女であれば、苦しむ者を救わんと旅をしてりや。神が調合した薬がここにあり。万能薬にして禁断の薬なれど、今なら金貨1枚のところ銀貨2枚と破格な値段なり。お手頃なりや」

 こういう台詞があれば、すれ違う村人も一度は振り返っただろう。


 もともと名も無い漁村の住民は、薬などというものを口にしたことがない。まともな薬が流通したことがないとなれば、誰もが怪しいと感じたことだろう。


 赤頭巾の薬師はしばらく座ったまま。


 隣の護衛の青年は、薬の入った箱とにらめっこをしたままだった。


 ただ、ここでこの話は終わらない。


 赤頭巾は二回手を叩いた。


「実演」


 号令する。


 するとどうだろう。


 最初に現れたのは、海からの小舟だった。小舟が浜辺に流れ着くと、さすがに漁師たちはすぐに駆け寄った。その小舟には荷物が積まれていたが人影がない。乗っている人間が海に転落したとなれば、残った船は発見した漁師たちのものであり、その荷物も同じ扱いだ。金貨でも積んであれば、漁にでるより良い稼ぎになるだろう。


 だが、

「ひぃ」

 男たちは船から距離を取った。


「たすけてください」


 船の中で倒れていた人物がいた。若い青年らしいが、蹲って動けなくなっているところは荷物そのものだ。手をあげて助けを求めてくるが、その顔は真っ青で、目の下はどす黒くそまっていた。いずれにせよ、これはとんでもない病気持ち。


「どうした?」


 漁師たちは声をかけたが、決して近づくことはない。怪我ならともかく病気は人から人へと移るものだ。そしてこの時代では病気は死を意味していた。だからこそ誰も簡単には近づけない。


「気分が悪いんです。頭がくらくらしていて、死にそうです。キリーズから流されてきたんです」


 若い男は立ち上がろうとして船からすべり落ちた。


 痛い。


 演技なのに、僕は膝を打ってのたうった。


 村人の反応はつれない。誰も僕を助けようとはしなかった。病気が移るかもしれないからだ。だからと言って、放っておくこともできない。


 なぜなら病気持ちが歩いて民家に近づこうとすれば、そこには女性や子供、老人たちがいる。


「吐き気がするんです。水をいっぱいいただけませんか?」

 僕は言ったが、村人にできるのは旅人が自然に死ぬのを待つだけ。


「何か悪いものでも食ったか?」

 何が原因でそんな状態になったかくらいは知りたいだろう。中には話しかける村人もいる。


 だが、僕にも原因はわからない。


「吐き気がするんです。助けて」

 そう言って、僕は浜辺から民家のほうへと歩くしかなかった。

 周囲の漁師は言っただろう。


「あいつはもう駄目だ。顔が黒ずんでいる。腐っているんだ」


 この血の抜けた顔色をした青年が民家を目指したところ、偶然にしてこの時、目の前にゴザをひいて座っている薬師がいた。


 奇跡が起きたのはここからだ。


 僕は薬師に助けを求めた。


 ならば、

「なるほりょ、酷い顔をしてりや。死に至る病気と診たり。しかし、このラファエールを呑めばたちどころに元気になりゃれ。これが万病にきく唯一つの薬なり」


 それが薬師の仕事だ。「今なら銀貨二枚なりぃ?」とお得感をアピールするのも忘れない。


 僕のほうは死にかけているのだから財産など目にもくれない。

「なんでもいいです。それをください」


 こうして僕は問題の薬を飲むことになる。

 

 飲んだ瞬間、漁師達の間でどよめきが起こった。

 とは、僕が力尽きるようにして仰向けに倒れたからだ。震える手で薬を口に運ぶと、それを呑み込んだかどうかわからないまま眠るように動かなくなっていた。


「死んだ。あいつは死んだ」


 誰もがきびしい視線を送る。


 その時だった。


 僕は、むくっと起き上がった。


 周囲をキョロキョロと見渡して、「ここってどこでしたっけ。僕なんでこんなところにいるんですか? 確か、船の上で気分が悪くなって、それで」と声をあげる。


「顔色が優れぬようでありんが、すこし布をあててマッサージしてみよ。たちどころに顔色も元に戻りや」


 薬師からはさらなるアドバイス。


 そして僕が顔をぬぐったとき、ずるりと皮がめくれるように顔色が変わっていた。


 僕は白くして瑞々しい肌をさらして、

「なんですか、これ。僕、まるで生き返ったような気分です」とはつらつとした声で心情を歌い上げた。


 これには漁師たちも我を忘れるほどだ。


 これに続くのは、馬にのってやってきた戦士たちだった。


「川の畔で゛ザッハダエルの奴らに襲われた」と彼らが言えば、誰もが震え上がっただろう。ザッハダエルに襲われた民は皆同じ心境だ。


「ちっくしょう。こんな怪我さえしていなければ、あいつらになんて負けないのに」

 戦士からはそんな恨み節も出る。


 戦士たちの中に腕に添え木をあてた女戦士の姿があった。今し方折れた腕を処置したのか、巻いている包帯はまだ赤い血で濡れている。


「ひどい怪我だな、あんた」


 漁師がおもわずそんなふうに声をかけてしまう状態だった。


 女戦士は叫んでいた。

「この辺りに医者はいない? 腕が痛い。もげそうなんだ。誰でもいい。呼んできて」


 腕を抱えたまま、ありったけ顔を引きつらせて、最大級の苦悶をそこに浮かべていた。

 だが小さな村に医者などいるはずもない。


 しかし、

「薬師がいる」

 誰が言ったか、その薬師は目の前だ。


「ワレは確かに今、万病に効く薬ラファエールを取り扱ってり。今ならこれが銀貨二枚。銀貨二枚の特売」


「なんでもいい、それ全部くれ。早くしないと腕がもげそうなんだ」

 女戦士は財布ごと銀貨をなげていた。


「うみゅ」


 赤頭巾は立ち上がって、一粒薬を女戦士に手渡す。


 女戦士が薬を飲むと、

 さてどうだろう。


 馬に跨がっていた彼女は苦痛の表情で身体をおりまげて、馬から落ちそうになるが、なんとか持ちこたえた。


「あれ?」

 女戦士はそこで首をひねっていた。「痛くない?」と腕をさすってみたりする。


 漁師達が見守る中、女戦士は、次に腕を振り上げて、そして振り下ろした。


「痛くないぞ」

 それが、「手も動くぞ」に変わると、添え木を外して包帯をふりほどく。


「治ったぞ。これでザッハダエルの連中にも勝てるぞ」とは勝利の雄叫びに近い声になった。


 周囲からは拍手。観客全員が総立ちで祝福する女戦士の新たな旅立ちだ。



「いや、無理あるだろ。薬を呑んだくらいで折れた腕がくっつくわけねえよ。折れてズレてるのがなんで勝手に元に戻るんだ?」


 こんなことを呟くのは、赤頭巾の護衛くらいだろう。


 ナタだ。


「さて次の病人はどちら様なりや」

 振りかえったリッリは言う。「ナタよ」と——。


「え? 俺?」

 ナタは思わず後ずさった。


 赤頭巾は静かに言った。

「次はそれの番なりや。それは頭が弱いらしいな、ほれ。ラファエールなや」

 そして一粒ナタの鼻先に押しつける。


「いらねえよ。俺は普通だし、これで普通だし」


「ノリが悪いなや。これをかみ砕いて、嬉しそうに頭がよくなったと喜ぶのがそれらの仕事な」


 ラファエールを飲めば立ちどころに元気になる。

 どんな病気も飲んだ瞬間には過去の苦しみだ。


 あらゆる怪我はこれ一粒。


 滋養強壮に。一家に一粒。


「これがラファエール。魔法じゃねえか」

 最後にシェズはキラキラした目で、治った腕を見つめていた。



 この実演。

 一週間くらい続けたところで、ザッハダエルの兵士たちの耳にも入っただろう。


 彼らは飛ぶようにやってきた。


「ラファエールとかいう万病に効く薬を扱っている薬師というのはお前らのことか?」

 それは、やはり名も無き小さな村でのことだった。

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