第26話 港街キリーズの商人
ギリシャの島々が空からばらまかれた宝石のように点在する海。少し離れた孤島にキリーズの街があった。ミツライムの商人やヒルデダイトの商人たちが交易をする場所であり、古来よりフェニキア商人たちが拠点にしている港だった。
ミツライムとヒルデダイトの間で平和条約が結ばれて以降、街はもっとも華やかな時代の中。ミツライムもヒルデダイトも軍事大国であり、往来する各国の商船や護衛船はこのいずれかの国を経由するものが多い。だからこそ、キリーズの港は一際壮観な眺めになっていた。
潮風に煽られる紋章や軍旗は、それぞれの商人や傭兵団の権威を物語る。それらが赤い屋根の町並みに沿って並ぶのを見れば、たいていの人間は言葉を呑み込んでしまうところ。
「ふおぉぉ」
僕は小舟の上で惚けていた。新しい街に辿り着いたときに、予想もしない風景が広がるのは、子供の頃から慣れている。僕にとっては楽しい瞬間。
シロを出てすぐの海岸から小舟で一日。
「これがキリーズやらか?」
リッリも驚きの街並みだった。
だがこれと商談は別。
「街の中ではあまりキョロキョロするものでないり。田舎者に見られては、商談の際に相手に足下を見られりや。金の価値がわからぬと思われれば、ふっかけられりも当然。よいかや?」
船が接岸する前に、賢者は護衛たちに言っておいた。ここからが賢者の知恵だ。
「分かってるよ」
僕は頷く。その辺りは父親にも言われたことがある気がした。
むしろ、
「ナタは?」
僕が気にするのは僕の護衛役。
「まあな」
神妙な顔でナタはいう。商談があるからこそ、ナタは衣装を整えてきた。ナタが身を包む白いローブは赤のだんだら模様、イザリースでは巫女が他国を訪問するときの正装だ。本来の巫女は女性であるからこれは女性用の衣装にあたるが、それを気にするのは着ている当人だけだろう。
ナタは深々とフードを下ろして顔を隠した。いくらイザリースの権威を象徴する衣装とは言えども、女装するようで恥ずかしいらしい。
「よしよし」
そんな風に頷くのはリッリ。「それが黙っておれば、これはどこぞの神官のように見えり」だ。
リッリのアドバイスが必要なのは、あとはもう一人の護衛役のシェズだろうか。「金持ちとしての姿勢というものがありやら。それを教えておきや」とリッリは指導する。
ナタの横で都会人ぶるのがシェズだった。軍船が並ぶ姿に感嘆の声をあげていたかと思ったらこれだ。
「ヒルデリアに比べれば、まあ田舎だな。田舎にしては綺麗じゃねーか。全然たいしたことねーけど」
本当?
僕とリッリは疑ってみたが、「この演技力よし」と診断する。
「ところでさ。傭兵団ってたくさんあるのかな? 仕事を探している傭兵団があるといいけど」
ふいに僕は思い出す。「僕が子供の頃旅をしていた時は、船を出すのに一週間くらいかかったこともあったから。ほら、護衛が雇えなかったり、船頭がそろわなかったりしてさ」という心配があった。
そこはリッリ曰く、次のようなツテがある。
「ヒルデダイトの山中を旅していたり時にユッグ・ドーという旅の商人に会えり。この人物が面白くて、キリーズの港に店を構えてありという。ただ店の中にいるのが退屈で、自分の足で商材を見つけるを趣味とす。その商人が扱うのは珍しい商材ばかりではなかり。傭兵団の斡旋もしてりやと聞く」
ふふんとリッリは笑って、港から見える店構えを一望した。「さて、その商人の店はどこであろうか」と言うものだが、これだけ規模の大きな都市ならば、目的の店を探すのも苦労しそうだ。
「ユッグ・ドー?」
僕には思い当たる記憶はない。
「聞いた事ありや? 結構ハイカラな男なり。ボタンなどというものがついたシャツを着込んでり。紐つきのズボンも履いてり」
「ううん、そんな変わった人は見たことないや」
「一度見れば、そのおかしきスタイルよ。目に焼き付けり」
「だったら、すぐに見つかりそうだね。その人のお店」
「であれば良きや」
リッリはもう一度港を眺めた。
赤い頭巾と白い頭巾が並び、軽装の騎士が護衛にあたる、この集団はどこか他にない高貴な印象があっただろう。リッリが金貨をもっているせいか、この金貨が人間をそう変えるのか。とにかく、お金の匂いがすれば商人たちからはその人物は輝いてみえたはず。
信頼と金に対して、商人たちは忠実だった。それが上客となれば、商人同士で客を案内しあうのも日常茶飯事のことだ。良い商人だと印象づけることができれば、上客との商売も上手くいく。案内してくれたお礼にと、上客から商売の話を持ちかけられることも期待するだろう。
むしろ我先にと上客の役に立ってこその商人たちだ。
なので、
僕が聞き込みをすると、あっけなく目的の場所はわかった。
「随分あっさりと、見つかったりや」
それが上陸した赤頭巾の感想だった。
港から階段をあがった細い路地にその店はあった。
看板はなく、店主不在とあっても地元の人間からしてみれば知る人ぞ知る名店だと言う。扱うのは主に香辛料や民芸品であるが、傭兵団の斡旋もすれば、船大工への取り次ぎもする。つまり船の注文なども受け付ける店だ。客は彼が用意した船に身体を預け、彼が手配した傭兵達に命を預ける。つまり、店主自身に確かな技術と信頼がなければ成立しない商売だった。
「すまぬ、入らせてもらいり」
赤頭巾がドアを引くと、上でカラカラ音がした。青銅の小さな鐘が備え付けてあって、誰かがドアを引くと鳴る仕組みになっている。
「ほう」とリッリは口をあけた。なんとハイカラな様子だろうか。世界各国を旅した店主が独自に新しい様式を取り入れている。
僕も、
「変わった感じですね」
と呟いた。
「いらっしゃい」
野暮ったい男の声がした。同時にタバコの匂いも漂ってくる。おおよそ世界を旅してきた僕にも嗅いだことのない匂いだ。リッリには二度目の匂い。
そして彼は次にこう言う。「次から次に、今日はよく客が来る日だ」と。そして、客の顔を見るなり立ち上がっていた。
店主の男は赤頭巾を見つけるとその赤頭巾を指を差した。一度会った人物の顔を忘れないのが一流の商人。「見た顔だな」と呟くが、男はその首元にエリ付きのシャツ。短く切断した赤いズボンを履いた不思議な出で立ちだった。
「確か、あんたはシュメールの文明学者だな」
商人はその名前を言い当てた。
「相変わらずであり」
リッリも相手が変わらない商人であることを確認しただろう。
「これは珍しいお客さんだ。今度はどちらへ?」
ユッグ・ドーという男は無精髭に火が付きそうなところでタバコを止め、相手の表情からある程度の内容を読み取る。学者だから興味が移るのに併せて住む世界を移動するのだと考えただろう。
「船の手配でも馬車の手配でもなんでも言ってくれ。ミツライムだろうがギリシャだろうが、快適な旅ができるように手配しよう」
それが男の仕事だった。
リッリはすこし背伸びしてユッグ・ドーという男と目を合わせた。
「シュメールの研究は一旦お預けであり。今はシロという場所に身を預けてあり」
「ほう、シロってどこだ?」
言いながらユッグ・ドーは背後の白頭巾や手の大きな護衛たちを見る。見ればある程度どこの人間か判断できる自信があっただろうが、こればかりはわからない。「シロ? シロ……」それをどれくらい考えたか。
「ザッハダエルの城塞に近いところあり」
リッリが説明した。
「ザッハダエルなら知っている。だがあの城塞か、今はあんま良い噂は聞かないな」
キリーズにも噂くらいは届いているらしい。
「噂どころではなく、悲惨なことになっておりや。ザッハダエルの民が周辺の民族を襲っているところあり、これに対抗するべくワレは決起することになりや。傭兵団を招集したりや」
リッリは言った。「それらは傭兵の斡旋をやっていたり。今回ばかりは頼らなければならぬと思わり」というのが依頼内容だ。
「傭兵の依頼か?」
「うみゅ」
ここまでは賢者も想定内だ。
だが、
「そいつは難しい」
男は煙の中で即答した。
「どうゆーふぁ?」
リッリ他、僕も同様で背後の一同が沈黙した。旅の第一の目的は傭兵団を集めてザッハダエルの勢力に対抗することだったはずだ。その目的が頓挫した。
「傭兵団ってやつは、仲間意識が強いんだ。そうじゃなきゃ海で孤立して死んでしまう。昔からのなじみの傭兵団同士、助け合うことはあっても争うことはない」
「むう?」
リッリに続いて、
「それが何だ?」
難しい話はするなと、シェズは前に出た。
「これは気の強そうなお嬢さんだ」と言いながら、ユッグ・ドーは続ける。
「ザッハダエルの連中は昔から馴染みの傭兵たちでもある。一〇年近く前にミツライムとのいざこざに巻き込まれてからは、あそこの王様が積極的に外貨集めに翻弄していた。備蓄も畑も荒らされて、かなり苦労していたようだ」
「あいつら傭兵だったのか、どうりで周辺の連中じゃあ歯が立たないって話になるわけだ」
シェズは驚いた。
「であれば、傭兵団同士で争いなどしたくはなかりや。傭兵団を雇えたところで、旧知の友と戦えという話になりん」
リッリはため息。
「そういうことだ」
というのがユッグ・ドーの解説だった。
「しかし」
リッリは首をひねった。ナタたちの手前で強く言わなければならないことがある。
「ザッハダエルの城塞がどのようになっているか、知れば見過ごしておくわけにはいかぬりん」
これだ。
それについては、男にも思うところがあっただろう。
なにしろ学者がわざわざ尋ねてきたのだ。どのような理由があるのか興味がある。
「俺でよければ、話を聞くが。まあ、何の力にもならないかもしれないが。ザッハダエルの噂も話半分で聞いていたが、実際のところは俺にもわからないしな」
ユッグ・ドーは、タバコを咥え直して長期戦に備えた。この話は長くなるだろう。
事実、長かった。
リッリから説明を受けた後では、
「そいつは酷いな」
それ以外に言葉が出てこない。
「誰かが戦わねば、皆死んでしまいりや」
リッリがそこまで言うと、男は少し考えてから、重い口を開いた。
「そんな状況であれば、相手が迷惑極まりない海賊であって、こちらが正義を愛する戦士であったとしても戦えるやつはいねえだろう。傭兵団って言っても、殺し合いのプロじゃない。戦うより追い払うのが専門だ。よくて石をなげるだけだ.期待はできない。だが金さえ積めば話せる傭兵団もあるっちゃあるが……」
「この際無法者でもかまわぬ」
リッリが興奮してめくじらを立てたが、
「金さえ積めば頼れる傭兵団ってどんな人たちなんです?」
僕はそれが気になった。
「無法者と言えばそれに近いかもしれない。俺は信頼しているが、そろそも理屈が通らない相手だと思っていい」
ユッグ・ドーは、「話は通してみるが、期待はしないでくれ」と言い添えた。
「理屈が通らないって?」
僕はさらに踏み込んだ。話を聞く限りでは、もともと手配しようとしていた傭兵団は使い物にはならないらしい。だが、ユッグ・ドーには別のツテがあるようだ。
「狼を旗印にする傭兵団だ。それ以上は言えない」
「無法者ではないんですよね?」
「命を助けられたことがある。俺にとっては命の恩人でもある。だがその傭兵団を束ねている奴がな……」
ユッグ・ドーはそこで開き直る仕草だ。「俺も変わった人だといわれるが、奴は俺よりももっと変人だ」それがユッグ・ドーからの紹介だった。
「他にはいないんですか、似たような傭兵団」
僕は詰め寄ったが、
ユッグ・ドーは首を振る。
「傭兵団ではないが騎士団を手配する案もある。俺の客には貴族もいるからな。だが、騎士ってのは傭兵とは違う。集団で移動させるってのも難しい。それに最近貴族連中の間も焦臭くなってきた。スパルタやギリシャがイーリアともめているんだ。貴族同士の意地の張り合いってところだが」
「ギリシャが戦争を?」
「戦争にはなっていないが、いつかはそうなるかもしれない」
「なんか世界中でおかしいことになってません?」
これには僕も驚いた。
過去旅をしてきた場所がことごとく戦争を始めるという話だ。
「ギリシャだけじゃない。トラキア、テーベ、ティリンズ、アルゴス、まあ中心にいるのはミュケルナーの貴族連合とイーリアの貴族同盟だろう」
「相手はヒルデダイトです?」
僕は思う。ヒルデダイト軍はザッハダエルの城塞に立ち寄って以降、あの周辺では見ていない。だとすれば、どこに行ったのか。ミツライムやノウル周辺で戦争の影がちらつくのも偶然ではないだろう。だとしたら、このギリシャ周辺の状況は——。
「ヒルデダイトの話は聞かないな。カデシュの戦い以来、何も問題なく平和が続いているはずだ」
「奇妙であり」
賢者は静かに言った。
「奇妙とは何がだ」
無精髭の男は僕から目を離して、もう一度リッリを見た。
リッリは告げる。
「ではザッハダエルやイザリースを襲ったヒルデダイト軍はどこに行ったりや。ヒルデダイト国を囲むようにあちこちで戦争が起きているというに」
「言われてみれば……」
それはふいにユッグ・ドーが思いついた言葉だった。「アマゾンの海にも商売仲間がいるんだが、最近めっきりあっちの話をきかなくなった。そういえば貴族たちも、いざこざの話ばかりであっち側の話をしなくなったし、こっちには情報がまるで来ていないな」それが現状だ。
情報が伝わってこないのだから、これ以上話す内容もないだろう。
少しばかり世間話をしたあとで、
「じゃあ狼の傭兵団の件、お願いします」
僕とリッリはそれだけを伝えて、店を後にするしかなかった。
その時のユッグ・ドーは、
「だから期待は絶対にするな。誰もやらないことを好きこのんでやる馬鹿は基本的にいない。他人の争いに首をつっこんでもろくなことにはならないしな」
そんな言葉を残すだけだった。
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