第24話 魔王城突撃
カナンの土地にある小さな村をシロと呼んでいた。そこにヤシロと呼ばれる小屋がある。ナタがノウルの古城を往復する間に、ヤシロに変化があったとすれば、それは入り口が縄で飾り付けられたことくらいだ。縄には小さなお守りが通してあり、これが数十ほど並べば後は風が吹く度にからんからんと鳴って、やかましくなる。
「ひさしぶりに帰ってきたよ?」
僕はナタを鼓舞するように背伸びしていた。
シロからノウルへと出かけて、一ヶ月くらいは経っただろうか。僕たちは援軍を得るという重大な任務を達成したのだ。
「にぎやかになったな」
ナタが言ったのは、お守りのこと。村は出発前とそれほど変わってはいなかった。サムライたちは出かけていて、ナタたちの帰宅を歓迎する声もない。
ヤシロにお守りを吊していた子供はさすがに僕たちに気付いてその手を止めたが、それはどこにでもある風景だ。
僕は、いまさらのようだが、改めて挨拶するべき人たちがいることに気がついた。
「キイ君?」
僕が声をかけたところで、子供は僕たちに気付いただろう。
僕がイザリースに居た頃、僕の世話をしてくれたのはイドという男だった。怖い顔をした大男だが、剣を振ればめっぽう弱いらしく、家事手伝いが専門で、そんな彼だから右も左もわからない僕を支えてくれていた。彼は僕以外にも、身寄りの無い子供たちの世話もしていて、僕はよくそんな彼らと遊んだものだ。
ここに居るキイという少年もイドが世話をしていたその一人。
「ヘルメスとナタ?」
その少年にとって、僕とナタは英雄のようなものかもしれない。
「そうだよ。えっと、イザリースで会って以来だったよね。キイ君も逃げてきてたんだ。ずっと心配してたから安心したよ」
これはきっと感動の再会。
「いまさら?」
「え?」
「こないだも会った」
「こ、こないだって言うと、あの夜? ごめんね。いろいろあってさ。ろくに挨拶もしなくて。すぐにノウルに行くことになったから」
「ウズメ姫に鼻の下伸ばしてた」
「ちょっ。そんなとこ見てたの?」
「うん」
「違うっていうか、だったら話しかけてくれれば良かったのに」
僕が言えば、
少年は一瞬だけ目を逸らした。それは畏怖する相手に遠慮するかのようで、その理由を僕に教えてくれる。
シェズだ。
いきなりヒルデダイトの戦士がやってくれば、子供ならそれが女子でも怖いに違いない。
そしてもう一人。
今はリッリも同じ場所に居た。
キイ君にしてみれば、リッリは背丈がキイ君と変わらないくらいで、大きな杖をもった同年代の少女にも見えただろう。姿勢は大人びて、僕やシェズを手下のように扱うあたり、キイ君が憧れるのも無理はない。
「こっちはね、新しく友達になったリッリだよ」
僕は早速リッリを紹介してみた。
どうやらシェズの時は隠れていたのに、リッリ相手だとキイ君は興味津々。
付き合いの長い僕から言わせれば、キイ君の表情は先輩風。キイ君からすればリッリは後輩のようなものか。
「飾りすぎではありん?」
リッリはキイという少年に尋ねた。「これは何をしておりや」という質問だ。
「暇だったから」
ヤシロへの上がり階段に座って少年が答えた。キイ君は、お守りを飾っただけではなく、それを叩いて音楽を奏でた。
どうだすごいだろうと言わんばかり。
そして、踊った。
おそらく背丈が同じくらいの来客だからだ。リッリの髪の色は金色で白い光を放つし、杖を持てばナタの頭をぽんぽん叩く。その様子は異邦人であるが、この赤頭巾をまとった後ろ姿は少年にはまぶしい。
そのキイ君のお友達は目を細める。何しろ、リッリは僕たちが連れてきた軍師。
「確かここはザッハダエルとかいう無法者たちと戦うに、最前線だと聞いたりや?」
これにはキイ君ではなく、僕が答えるしかなかった。
「イザリースのサムライたちが集まっているのがここなんです。戦えるのはここくらい」
「ヘルメス、それが援軍をノウルに求めていた間、他にも援軍を求めたのではなきりや?」
「近場には他のサムライたちが行っているはずだよ」
当然、他にも援軍を求めに行ったと僕は聞いている。「一万人くらい援軍を呼んで、ここに一大反乱軍が組織される予定」というのがあらましだった。
「みんな帰ってきたよ」
キイ君がその物語に終止符を打った。
「早い」
僕は感嘆する。「僕だって頑張ってたのに、やっぱりみんな凄いや。僕たちが一番最後だった?」僕は正直言うと、援軍を連れて帰ってきたと言っただけで、英雄扱いされるのではないかと思っていた。だけどそんなことはないみたい。
「ん、最後というか最初」
キイ君は不思議なことを言う。しかも嬉しがるような素振りもなく、ため息が混じり。
だとすると僕の横にいる賢者が気にするのは次の事柄だ。
「援軍とやらはどこでありんや? これから戦おうかという雰囲気すら感じられりず」
リッリはもう一度周囲を見回した。
小屋周辺では、木彫りのお守りがカラカラ鳴り響くだけ。開けた山の隙間には畑が広がり、その端でしゃがみ込んで休憩をする農夫が遠くに見えた。
嫌な予感がした。
「援軍はどこだ? どこか別の場所に集まっているのか?」
ナタが確認したのは、あまりにもリッリが騒ぐからだ。
「集まる場所などないように見えりや」
とリッリは目を細める。
僕は思わず、
「明日から戦争という段取りがあるわけでもないのに、今日のこの場所に戦士たちが集まっていればそのほうが不自然だよ。サムライたちが準備しているのは段取りであって、それは目にはみえないところにあるんだよ」
と擁護してみた。いや、僕自身期待していただけに、それが嘘だったと思いたくはなかった。
「なるほりょ」
「でしょ?」
僕は振り返って、ナタにも同意を求めたい。
だが、キイ君によれば僕の認識とは少し事情が異なる。
「ジンさんが援軍ないって泣いてたぞ」
一言だった。
「ないってさ」
これが答えだとナタは僕に繰り返した。
「ないって、何が?」
と僕。
「だから援軍だろ。さっき援軍が最後で最初みたいに言ってなかったか?」
「そういうこと?」
僕は唖然とした。
さてリッリも開いた口が塞がらないところ。
「援軍なしや暇だと言うて、一日中ここに座って待っておりや?」
なんて呆れた民であろうか。と声が聞こえて来そうなほどの吐息。
すぐ近くのザッハダエルの城塞においては、毎日二人が殺されている異常な世界であるにも拘わらず、この無防備さ。
この時になってキイ君は、リッリが大人しい少女ではなく大賢者であることを理解した様子。話しかける言葉もなく、鼻水が少し垂れていた。
「ふみゅ」
リッリは腕を組んで考えていた。ザッハダエルの話がなければこれは平和そのものだった。
「まあまあ、キイ君にはまだわからないことだと思います」
僕はリッリとキイ君の間に立つ。
「そのザッハダエルの連中とは現在どのような攻防を繰り広げてり? 詳しく聞いてみたりや」
それをリッリが言い出したところで、答えられる人間がここにいるだろうか。
「チイ先生が帰ってくるのを待ったほうがいいかもしれません」
「その先生はいつ帰ってきやり?」
「わかりません。だけどそんなに遠くには行っていないと思います。ここにはキイ君もいるし。子供を置いて行くような人たちじゃないと思います」
「ガキんちょ一人残して行きや、そんなに人がおらんやりや。イザリースのサムライの拠点がこれとはまさに思わりぬ。ワレ、これがザッハダエルの刺客たりえたやら、もう村は火の海になりはてりぞ」
「確かに、おかしいですね。そんなことされたら、どうするんでしょう?」
僕もふいに首を傾げたくなった。
「シロが見つからないようにしているんだろ。下手に警護なんかすれば、ここが拠点ですって教えるようなものじゃないか」
ナタはそう言うけれど、
僕には真実はわからない。
「そういうものかな?」
「戦いってさ、情報収集から始まるものだ。特に作戦を立てようとすれば、敵の情報だけでなく土地の様子や天気も把握したい。ってチイが言ってた」
「チイ先生が?」
「だから、逆にいえば、敵に情報を渡さない。大切なことだ」
「そう言えば、イザリースって、他の地域の人たちからは場所もわからないようになっていたし……」
僕は、昔からシロという場所は他人には見えなくなっていることを思いだした。
いつだったか、僕がそうだよとナタに教えたような……。
ちなみに、
「そこのガキんちょよ。敵が来たら、どうしやりや?」
とリッリがキイ君に聞けば、サムライ不在の理由はわかりそうなものだった。
キイ君が言うには、
「逃げろって言われてたよ。でもナタとヘルメスが援軍連れて来たら教えろって言ってた」
ということは、
「来たのが僕たちだったから逃げなかったってこと?」という状況だったらしい。
そんなわけで、
「ヘルメスは援軍連れてきた?」
キイという少年はそこで背伸びして遠くを眺める。僕ががっかりしたように、今度はキイ君ががっかりする番だった。背伸びする必要もないのにそれをするくらいだから、僕としてもやきもきする。
僕は援軍を連れてきた。
それは事実だ。ただ僕が連れて来たのは、大勢の戦士たちではなくてたった一人の賢者。
「うん、一万人分くらいの戦力だよ」
僕はキイ君に自慢げに微笑んでいた。ものは言い方。それでキイ君は虚を突かれた顔になっていたかも。
「すごい、本当?」
「本当だよ」
僕は改めて、リッリを紹介したい。たった一人の賢者が一万人分の仕事をすることを話したい。
だけど、振り返ると、そこにはシェズがいた。
「援軍なら一〇万人分くらいはある。圧倒的戦力差だ。あたしたち勝ったも同然だな。だから安心していいぞ。これからは大船に乗った気でいろよ」
それは大げさな物言い。
少年をがっかりさせたくないのか、バカにされたくないのか。そこまでは僕にもわからない。
「一〇万人は言いすぎじゃないかな?」
僕はあくまで苦笑いするしかなかった。
「これでは埒があかぬ」
一〇万人分の戦力は腕を組んでうろうろしていた。僕たちが一〇万人分なんて言ったから、やる気になってくれたのかもしれない。
「どうします?」
「サムライとやらが戻ってくるのは夜になってからりや? 時間ありやら、敵の城塞とやらを先に見てチェりぃ」
リッリがこう言い出せば、僕としても頼もしい限り。
ただ僕自身は、
ザッハダエルの城塞、もう一度あの場所にいくと考えただけで吐き気がするけれど、そこはぐっと堪えたい。
シェズは気楽で、「お前らで行ってこいよ」と手を振ったけれど、
「じゃあ、シェズさんお留守番します? 誰かがいてくれればチイ先生も安心すると思います」そう伝えると、シェズは途端に表情を曇らせる。
そう、ナタとリッリ不在の中、シロに残ってチイ先生と顔を合わせた場合どうなるだろうか。長い旅をしてどんな成果があったかを問われるかもしれない。チイ先生に睨まれただけで身体が切り刻まれるような感覚。僕やシェズがどれだけの時間、あれに耐えられるか。
それを考えた結果だろう、
シェズは言い直していた。
「ザッハダエルへ一緒に行ってやるよ。敵の拠点だからな。あたしが居たほうが安心だろ?」
もはや文句ひとつない。
こうして僕たちはもう一度ザッハダエルの城塞へと出て行くことになった。
そんなわけで僕たちは馬を走らせることになる。
ザッハダエルの城塞までは一時間と少しの距離だった。
以前行った時と同様に、雲は分厚く地平は灰色に濁っていた。街道の一本道には、壊れた馬車や捨てられた荷物が散乱する。盗賊に襲われたのか、ザッハダエルの戦闘部隊と誰かが交戦したのか。それは城塞に近づくほど多く見られる光景となった。
リッリはナタの背中に捕まって馬上に立ち、注意深く周囲を観察していた。遠くまで見渡せれば、より詳しい状況が把握できる。
だが背伸びしたところで、辿り着くのは人間が蛇の焼き物のように串刺になった野原であり、異臭で景色そのものが黒ずんで見えるザッハダエルの城塞だ。
「これは想像以上に酷っ」
リッリが認めた光景があった。馬が暴れるので、馬に乗ったまま近づくこともできなくなった。血の染みこんだ土壌は荒れ、川も干上がって黒く固まったヘドロを残すのみ。振り返れば、平和に見えたシロも荒野の向こう。これが同じ大地の上にあるとは思えなかった。
「さらに凄くなったな」
ナタが見つけたのは、死体の山だ。掘って埋めようとした痕跡がある。だが、途中でやめてしまったらしく、埋めるはずだった死体が並べられたまま半ば白骨化した状態だった。
鼻がもげそうな匂いが立ち上ってくれば、
こんな状況下で、死体を埋める作業などできるはずがない。
「この死体」
リッリは赤頭巾で顔の大半を隠すようにして近づいていた。「殺されたというより病死が疑われり」というのが賢者の診断だ。
「殺すより手っ取り早いってことか?」
とナタ。
「いや、服装から見て、裕福な者もいるように見えり。それに一日二人という話のはずなりに、これだけ数が異なれり。一日に何十人も殺してしまっては未来において殺す人間もいなくなりや。さらにっ。他の死体は高く掲げようとしてりや、ここだけ埋めようとするも不可解な点なり」
「勝手に死んでしまったってことか」
「これほどの異臭に、腐った死体。あれに見える城塞にまともな人間が住むようには見えざり。疫病が蔓延してりと見た」
リッリは城塞を遠くに睨んだ。
こうなれば、気になるのはザッハダエル城塞の中だ。
「もう少し近づいてみよ。敵の兵士の健康状態を確認したりや」
リッリは僕を手招きした。
「リッリさん、ちょっと待って。僕? いやこれ以上は近づきたくない」
「そうも言っておられん。辺りが毒で満たされ、捕虜や住民が死んでりとならば、兵士も無事でいられるはずがなかりん。相手が千人の軍団であろうと、健康でなきやまともに戦えるものでなし」
状況によっては意外に戦える可能性があるとリッリは言う。
「確認するって、確認できるところまで近づけば、相手もこっちに気がつくかも?」
僕はどうにも気が進まなかった。
「隠れるところを探りや」とリッリは言うが、瓦礫の山以外に見えるものはない。
「隠れるところなんて……」
僕は城塞までの距離を測った。近づくためには、頭を下げ姿勢を低くしなければ危険な距離だ。
「うえ」
地面は空気が淀んでいて、ドロドロに溶けた血肉で染まるようだった。吐き気がしそうなところ、僕は耐えた。「これ以上近づくのは――」
やっぱり無理だ。
僕は口元を押さえて引き返そうと身体の向きを変えた。
リッリは動かず、同じ様子を城塞の監視兵にも確認した。
「ふむ」
それで思うことがあると言う。
「やはり城塞の中に入っていかないとわかりぬことが……」
「駄目だって」
僕は首を振った。相手は武装して待ち構えている。そこにのこのこ入っていくなんてどうかしている。学者だから警戒心がないのか、知的好奇心で脳髄が麻痺しているのか。シェズが突撃したときは止められなかったが、相手が妖精なら僕にもできることがある。
思うと、僕は息をとめて走った。走って妖精を捕まえて、抱きかかえながら逃げた。
「ちょ、何をする」
「もう帰るよ」
放っておけばこの赤頭巾はそのまま歩いて城塞まで行ってしまいそうだと思った。せっかく捕まえた援軍一万人分が、無駄になるところだ。
「離せり!」
赤頭巾は咄嗟に叫んだ。
僕はそれでも離さなかった。
「とりあえずシロに戻りましょう。僕が限界なんです」
僕は小さな賢者のことも守らなくてはいけないから――。
「ちがっ」
ぼえー。
小さいのが吐いた。知的好奇心でも吐き気は我慢できなかったらしい。
とりあえず、気を取り直して、
「一度、シロに戻って情報を整理しようぜ。チイたちが何かつかんでいるかもしれないしさ」
ナタはぜいぜいと呼吸をあらげるリッリと僕にそう提案していた。
もはや賢者には、抵抗する体力もないだろう。吐き気は森の妖精だろうが、英雄だろうが容赦なく誰にでも襲い掛かってくるものだからだ。
一度この臭気に叩きのめされたなら、再び起き上がることなど人間にできるだろうか。
「うみゅ」
学者でさえもこの惨状に挫けたゆえに、苦汁の決断があった。
「ですよね」
めまいがして倒れるような感覚の中、リッリの決断には僕も賛成だった。
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