第21話 古びた牢屋
「ここ、牢屋ですよ」
僕は閉ざされた扉が開くかどうかを確かめた。太い木枠を組み合わせた牢屋の扉は僕の力ではびくともしない。
「牢屋って何だ?」
イザリースで暮らしていたナタには馴染みのない言葉だっただろう。
「罪人を閉じ込めておく場所だよ。牢屋に入れられた人は、殺されるのを待つだけだよ。ほら、窓だって人間が通れなくなってるでしょ。逃がさないようになっているんだ」
「さすがに俺もそれくらい知っている」
「僕は捕まえた盗賊が牢屋に入れられているのを見たことがあるよ。こんな立派な牢屋じゃなかったけど、似たようなものさ。外にでられるのは殺される時だけなんだ」
あの時、どんな凄惨な光景を見たか。
僕はナタに教えてあげようと思った。
だけど、
「真っ暗だな。寝る場所もないのか」
ナタは興味津々と言った様子。
ちゃちゃを入れるのはシェズ。
「ナタ、お前牢屋を満喫するつもりか? 寝る場所ならそこら中にあるだろ。ここでは豚と同じ生活をするんだぜ」
シェズは物知りだが、少し不機嫌な口調だった。「あいつらランタンくらい置いてけっての。こう暗いと不便だぜ」というのは我が儘だろうか。
「不便とかそういう次元の話じゃないよ」
と、僕は言いたい。
「どうしたんだ? ヘルメス落ち着けよ」
「落ち着いている場合じゃないよ。逃げられないってことは、確実に殺されるってことじゃん。ご飯だってもう二度と食べられない。ここはそういう場所なんだよ」
僕はそこでしゃがみ込んだ。頭を抱えたくなるのは、後悔だけが残るからだ。
「どうして気がつかなかったかな。変な匂いはしてたし、考えてみれば牢屋ってわかったはずなのに」
僕は勇者だとか巫女の護衛だとか、そんな風に気取っていたから、まさか牢屋に入れられるとは思ってもいなかった。
そんな自分を今さらのように殴りたい。
バカバカバカ。
「気がつかなかったのはお前だけじゃないだろ。気にすんなって」
シェズは時々優しい言葉をかけてくれる。
ではなくて、
「あたしだって、こんなボロい古城に牢屋なんてあるとは思ってもみなかったぜ。犬小屋でも改造したのかと思って……」
もしくは、ナタが言うところの、
「牢屋かなとは思ったけどさ。行ってみないとわからないだろ」
そんな馬鹿げた話があるだけだった。
リッリに至っては、
「古城の地下にこのような空間があったとは驚きりゃんせ。粘土板と同じ文字見つけり。これは何の手がかりになりうり」
そんな嬉しそうな顔をする。
「どうするの? これからのことを考えようよ」
僕は視点を変えて、未来について相談しようと思った。「チイ先生に、僕たちのことを伝えられないかな。シロにいる人たちだったら、きっと助けに来てくれるはずなんだ。どうにかして外から鍵を外してもらわないと……」しかし、そんな希望さえも絶つ。それが牢獄というもの。
小さな窓から刺す月明かりの下で、僕は絶望する。
衣服に文字を記して、それを窓の外に投げてみてはどうだろう。あるいは僕が持っているナイフで扉に穴をあけたりできないだろうか。
僕はしばらくドアにナイフをあてていた。
少しでも木材を削るような音がすれば、壁の向こうからランタンを持った兵士たちがやってくる。いつでも僕たちを殺せると言う脅し文句があった。
彼らが牢屋の外から僕たちを見る目。
それはさっきのシェズが教えてくれたように、家畜でも見る目つきだ。
すると、
「あきたな」
とナタがふいに呟いた。
「何を言っても無駄だよ。あきても僕たちはずっとここから出られないんだ」
「暗いし、することもないし。ヘルメスの愚痴も聞き飽きた」
「当たり前だよ。牢屋なんだよ?」
「普通の部屋に移動しないか?」
「今さら牢屋がどういう場所か発見しましたみたいな言い方やめてよ。最初からわかってたでしょ」
「ヘルメスはここから出られないっていうけどさ、もう出てもいいと思う」
「言うのは自由さ。考えてみて、ここにたくさんの人が閉じ込められてきたんだよ。みんな死にものぐるいで外に出ようとしたさ。でも誰一人出られた人がいないんだ」
「見たことないのによくわかるな」
「わかるよ。歴史の重みを感じる重厚な牢屋だからね。そうでなきゃ牢屋として使われることなんかないと思うし」
「でも牢屋に入れられるのは普通は囚人だろ?」
「そうだよ。僕たちが囚人なんだ」
「でも剣を持った囚人がいるか?」
言われて、
僕は考えた。
「何とかなるってこと?」
「剣でぶっ壊す。シェズならあんな扉簡単に壊せるだろ」
それがナタの指摘だった。
「できるの?」
僕は自問してみた。もともとシェズは廃屋を吹き飛ばしながら僕たちを追いかけてきたことがある。その力は凄まじいとは思う。ただ僕の傍でそんな力を振るわれたら死んでしまうのは僕だ。だから彼女に自制するようにお願いしてきた経緯があって——。
それが当然だと思うようになってしまっていて——。
「扉? 壁をぶっ壊すほうが早いだろ。そんで、さっきの連中もぶっ飛ばす」
これがシェズの見解だった。
希望の光は差した。
確かに僕にはそう思えた。
ただ、
「無理に出るのはやめり」
とリッリは言う。「面倒なことに巻き込まれりが、道を間違えりや、連中にどこまでも狙われる結果になりんせ」これを危惧するのだと彼女は呟いた。
「出られるのに、出ないほうがいいってこと?」
「追っ手がかかりや」
「追っ手? このまま牢屋を出たら、追っ手が僕たちをずっと追いかけてくるってこと? それは困るけど、でも待っていても朝には僕たち……」
「朝までは時間があろ。良い解決方法を模索しやりや」
「他に解決方法なんてある?」
「どうも祭りと狼がひっかかりや」
「祭りと狼?」
「アルフィムの里では、ある童話に出てくる狼は人間を食べて成りすましやり。成りすまして隣人が警戒心を抱かない内にその隣人も食べてしまいやり。堅く扉を閉めて、裏声で女性の声を出すとも言われり」
「あの大臣がそうだって言うの?」
「狼ならば、退治できりゃり?」
リッリは得意げにそう話した。
僕はそれを聞いても不安しかない。
問題はその方法だろう。
「退治って、どうするつもりなの?」
言ったところで、返ってくるのは次のような言葉だ。
「観察と考察を重ねり。時間がかかるのはセイズの構築も同じりゃり」
つまりこれから考えるということだろう。ひとつ僕にもひっかかるところがあった。
「セイズ?」
聞き慣れない単語。
「セイズは祈りのようなものなりん」
このリッリの解釈でいくと、それはとても僕が当てにできるようなものではない。
「結局どうするんだ?」
ナタがため息。
僕は、リッリを信頼していた手前、
「もうちょと考えてみる」ことになった。
牢屋というものはある程度の人数を収容できる。警備上の都合上、あるいは衛生環境を考えると同じ場所に密集させて貴族の住まう場所から隔離したほうが都合がいい。
だから、僕たちの牢屋の隣も、また牢屋だった。
そして現在の大臣たちにリッリの知り合いがいないとなれば、一ヶ月前にリッリをもてなした大臣たちはどこへ行ったのか。
それを僕は知ることになった。
なぜなら僕もまた彼らと同じ牢屋にいたから。
「あんたち、牢屋から出るって本当にそんなことができるのか?」
掠れた声、壁の向こう側から僕に質問がきていた。そのくたびれた口調は牢屋の中で弱っていく人間のものだ。
リッリは状況を打破する方法を思案中。
ナタやシェズはノウルの言葉を聞き取れないから、
彼と対話できるのは僕だけだった。
「誰? あなたも囚人ですか?」
僕はおそるおそる尋ねた。
「私はリシャール。この国の大臣をしていた者だ。あなた方がどういう素性の者かは知らないが、牢を出るなら頼みたいことがある」
男は命を絞るような声で嘆願する。
僕はすぐに答えた。
「ちょっと待ってください。大臣様がどうしてこんな場所にいるんです?」
「我が王は連れ去られ、旧友は殺された。何者かに国を乗っ取られたのだ。私もこうして捕らわれてしまった。生き恥を晒しているのは、妻や娘が人質にとられているからだ。逆らうことができず、奴らの悪巧みに荷担するような真似をしている。だからこうしてまだ生きていられる」
「じゃあ、やっぱり今の王様って偽物なんです?」
「もう何もわからない。私にはわからない。ただ私はノウルの民に大変なことをしてしまった。せめて妻や娘が解放されれば私だってこんなことはやらなくてすむ」
男は、
「助けてくれ」
と言った。
それは、彼の人生、最後の望み。
「妻と娘を連れて行ってくれないだろうか。報酬なら私の財産を全てもっていくがいい。もはやこのノウルには私や私の家族が生きていける場所はない。私はもうすぐ殺されるだろう。奴らが私を生かしておくはずがない。だが妻や娘は違う」
「助けてくれって言われても——」
僕は牢屋の中で座り込むただの青年にすぎなかった。助けてほしいのはこっちだ。
だけど、
「私は今日この瞬間を、イシュタルがもたらした運命だと信じている。あなたはイシュタルが使わした勇者に違いない」
そんなことを言われてしまって、
僕は困った。
勇者だと思うと、僕は誰にも助けを求められなくなってしまう。他人を助けるのが勇者だから。でも、自分で解決できる能力なんてないのだから——。
そんな時、
「これはワレが見誤りや」
ふいにリッリが立ち上がっていた。「怪我人や病人が目の前にいると言うに、長らく放置してしまいり」とは、緊急の案件だと言う。
牢屋の扉の隙間に腕をつっこんで背伸びするのは、さすがに意味がわからなかったが、
「そこに何かあるんですか?」
聞いてみれば、
リッリはすでに閂を外して、むしろそれを落とさずに地面に置くことのほうが難しいと口を歪めていた。
リッリは頑張って閂を地面に置いて外に出ていた。
「何?」
どうやって?
僕はそれを思ったが、
「ヘルメスも手伝えり。怪我人の手当を優先しりゃり」とのリッリの命令がある。
「いいの? 牢屋から出たら大臣たちが追っ手を差し向けてくるんじゃない?」
そんな心配はリッリの前では杞憂。
「すでにセイズは練られり。怪我人とワレらではどのみち逃げるも不便なりゃ。ならば、ワレらも祭りに参加するしかなかろが?」
とのこと。
「追われるのに祭り? 祭りの人だかりに紛れて逃げるってこと?」
「盛大に追われてみせれ。さし当たっての問題は、そこにおる門番よな。まあ、ナタとシェズに任せておけば、よ?」
よっと言われて、
ナタとシェズが前に出ていた。
僕にはまだ何のことかわからない。
ただリッリが語らないのは、門番が壁に耳をあてて僕たちの会話を聞いていたからに他ならない。彼らに知られてはいけないことは何も語られなかった。
「五月蠅いぞ、てめえら。どうせ明日には死ぬんだから黙ってろ」
門番は眠ってもいられないとご立腹。この時ランタンを持って、牢屋を除き込む場所までやって来ていた。
結果は僕が想像する通り、
「あぁ?」
不機嫌なシェズが答えると、
門番は囚人たちが外にでて居ることに気がついて慌てた様子。
鉄剣に手を回すナタを遮ったのはシェズで、
「待てよ。ナタ。あいつらはあたしがやる。ちょーむかついてんだ」
狭い牢獄では踏み出すまでもなく、そこはシェズの間合いだった。最高の戦士として名高い竜翼章の戦士を、牢屋にぶちこんで罵倒したらどうなるか。
僕はそれを目の当たりにした。
ともあれ、こうして僕たちはめでたく追われる立場になったのだった。
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