第19話 石の塔
太陽が高く昇った午後、僕たちは崖沿いの険しい道をのぼっていた。
昨日はいろんなことがありすぎて、何をやっていたのか、自分でも説明できる気がしない。気がついたら今日になっていて、そして僕たちはノウルの古城から遠ざかるように歩いている。
なぜこうなってしまったのか。
シロにいるチイ先生が聞いたら激怒するような話になるのかもしれない。
僕たちは、リッリという学者の護衛になった。
断ることもできたけれど、
これには僕なりの計算もあった。
「リッリさんは、ノウル王からの依頼で石の塔に向かっているんですよね?」
何度確認したかわからないが、この事実は遠回りするだけの理由になる。
「うみゅ。疑り深きや。この深紅の頭巾を見よ。これこそノウルの巫女が纏う聖衣なりや」
リッリは自慢げにその衣装をちらつかせる。
ひとことで言えば、
赤頭巾だ。
「ノウルから遠ざかってるって本当か。どうするんだこれ?」
ナタは不満そうだったが、
僕にはナタを説得するだけの武器があった。それが赤頭巾。
「聞いたでしょ。リッリさんはノウル王から依頼された仕事をするノウルの巫女らしいんだ。考えてみてよ。僕たちってノウルの古城に行ったことないし、あてがあるわけでもない。突然ノウルの古城に行って、援軍くださいって言ったって門前払いになる可能性だってあるんだ」
「チイが手紙持たせてくれてるだろ」
「財布と一緒になくなったよ」
「真顔で言うなよ。かなり重要なことじゃないか? 絶望的だな」
「それにチイ先生が言ってたけれど、あの手紙は意味がないかもしれないって。ノウルの古城とはもう一〇〇〇年くらい交易とかがないんだって言ってた。だいたい可能性があるなら、僕みたいなのがシロからの使いになる?」
「言われてみれば——」
「今、酷い顔したね。ナタ。いいよ、僕が雑魚だってわかってるけど、なんかダメージがじわじわ来そう」
「そんなつもりじゃ——」
「いいよ、今はまだそれが事実だし。でもね。ここにリッリさんが居るんだよ。ノウルの巫女から直接ノウルの王に話を通すことができるんだったら、それって凄くない?」
これで、ナタを黙らせることができた。
そして、僕にはさらなる期待がある。
ノウルの巫女に恩を売ってから、援軍を引きだしたほうがより良い状況を選択できる可能性があった。
チイ先生は期待していないかもしれないが、そんな僕が驚くような数の援軍を引き連れてシロに戻ればどうなるだろうか。それこそ本物の勇者として誰もが認めるところ。
僕は少しにやけていただろうか。
「ところで」
リッリは赤頭巾ですっぽりと覆った足取りをそのままに質問する。ここまで僕たちの話をきいて、疑問に思うことがあるらしい。
一つ目は、
「なぜに、ヘルメスはにやけてり?」
とのことだ。
「気にしないでください。放っといてください」
二つ目は、
「では、ナタとか言うのと、シェズの持ってり剣は鉄ではなきや? 見ておるだけで、その重さが他と異なれりや。銅剣の匂いもせん」
「わかります?」
「さっきから援軍だのと言っておりやが、どこの国が援軍を求めりや?」
これはリッリが雇った護衛が逃げた理由にも繋がるところだ。
「僕たちイザリースからカナンに逃げて来たんです。でもカナンではザッハダエルの人たちが暴れていて、今では毎日二人の人間を生け贄に捧げていて大変なことになってるんです」
「捧げるとはどこの神がそのようなことをさせりや」
「アザゼルと言ってました。ヒルデダイトの新しい王様だとか」
「ふみゅ、確かヒルデダイトの王はムワタリとかいう男であったように記憶しておりやが、時代は変わるのが早きや」
「その新しい王様がザッハダエルの人に生け贄を要求していて、その生け贄を捧げるためにザッハダエルの人がカナン近辺の集落を片っ端から襲っているんです。だから僕たちはいろんなところから軍隊を集めて、対抗しようって思っていて」
「なるほりょ」
リッリは一度だけ振り返った。「生け贄を二人選んで毎日殺してりや? その生け贄を捕まえるためにザッハ人が他の民族を襲っていりというや」
「そうなんです」
「なんたるバカもの」
赤頭巾は目を丸くした。これまでに聞いたことがない話だ。だが、まったく知らない話でもないと言う。
「それで、ワレの護衛は逃げ出したということになりや」というのが現状だ。
「石の塔を目指している場合ではないかもしれません」
僕は囁いてみた。このままノウルの古城へ急げという流れにならないものか。
「所詮は人の争いごとなりや。どの時代でも歴史を見れば繰り返されるものだとわかり。真実は別のところにありき、探求の道が不変であり知ることのみが人を人たらしめり」
赤頭巾は言った。たぶん、争いごとなんていつも誰かがやっているから気にするなってところだろう。
「そうなんですかね?」
僕は落胆すると共に、平静を装う笑顔をリッリに返した。
「石の塔には、古代文明シュメールの知恵が眠ってりや。目的地はこの先りょ」
リッリは、そこを譲るつもりはないとも言った。
石の塔は、高さ五メートルほどの見張り塔だった。塔の横に宿舎として使われた建物があり、馬小屋として使われた痕跡もある。ただ現状では草木に覆われ、伸びに伸びた木々に小屋の背丈が追い越されそうな勢いだ。見張り塔として維持できなくなり、数十年前からは、たんなる頑丈な倉庫になっていた。
その倉庫も当初は番人が暮らしていたのだろうが、今は無人だった。
「ここか?」
シェズは建物らしき石の前に剣を投げ出して座り込んだ。朝から歩き続けて、「足が棒のようだぜ」と悪態もつきたくなるだろう。
「やっと着いた」
僕も崩れかけた石の門があればそこに座り込んでしまう。他に言葉が出ないほどに、山歩きはきびしい旅路だ。
ここに至っては、赤頭巾だけが元気だった。
「これに石の塔あり」
リッリは辿り着くなり、そそくさと入り口に回り込んだ。「入場許可を得ていりや、遠慮はない」と言うが、どこから盗賊が入っても自由な感じ。入り口どころか、大きな窓が開いていて、あえて侵入者を防いでいる仕掛けがあるとすれば、それは蜘蛛の巣だけ。
「見よ。知恵の文字盤がこんなに――」
その日、リッリが言葉を発したのはそれが最後だった。塔の中には棚があり、そこに粘土板が並べられていた。図書館というところだろうか。
そして僕は見た。
退屈な護衛の時間が始まる直前。
石の塔と、目を輝かせながらその塔に入っていく小さな妖精を。
かくして、僕たちの護衛としての日々が始まるのだった。
もはや、語ることはない。
時を進めること三日。
つまり石の塔に辿り着いて三日ほど経ったころのこと。
僕とシェズの瞳はどろんとしていた。二日前までは古い石の塔の佇まいと森の鬱蒼とした雰囲気に興奮していたはずだった。食事の用意をすることになって、一度は狩りに出たものの、僕やナタと違って、シェズは森の中で方向を知る術も知らず、戻ってくるのに数時間ほど費やした。二度目はもう戻ってこられないかもしれない。そう自覚したシェズは三日目になると、森の中に入ることもなくなって一日中寝転がるしかない。
さらにはあまりに暇なので、シェズは僕に話し相手になるように要求してきた。
ぶっちゃけ、話すこともない。
「天気いいですね」
僕が言えば、
「護衛ってつまらんな」
シェズが足を伸ばした。
誰かがリッリの身辺を守っていなければならないのだから、ナタが森を走り回って楽しんでいる間、僕とシェズは石の塔から動けない。
シェズはこの時、立ち上がると石の塔を見上げた。「あたし発想を変えてみよっかな」なんて言い始める。
「何か面白いことありました?」
「あたし、学者やってみよっかな」
「シェズさんが学者?」
「だって、リッリが三日も夢中になるような仕事だぞ。ひょっとしたら面白いのかもしれない」
「僕たちにわかる内容でしょうか?」
思って窓を見上げた。
三日ほど経っていたが、石の塔の中ではそれとは違う時間が進んでいる。
しかし三日だ。リッリの目も曇っていた。大きな窓に石版を置いて、読むのもままならず雲を眺めてため息をつく赤い頭巾がそこに居た。おおよそシェズと同じような顔をしていたと思う。
今なら僕の声も届く、そんな気がした。
「どうしたんです? もう文献は全部読めたんですか。それともたいしたことが書かれていなかったとか?」
あえて口にするのは、なんとかノウルの古城へいく理由が欲しかったからだ。
だが、シェズはそれとなく次の言葉を付け加えた。
「あたしも、それ読んでみていいか?」
「本気?」
僕はまだ冗談だと思っていた。
「本気に決まってんじゃん。こういうのは、みんなでやれば早く終わるんだ」
シェズがそこまで言えば、
「おう、それは面白い試みかもしれりや」
リッリは杖を揺らして歓迎した。
ただ、僕からすれば、どうしても協力する気にはなれない。楽しいのかと思いきや、この赤頭巾、すでに目が死んでいる……。
とりあえず、その原因だけでも知りたいものだと思って、僕はいやいやながらに粘土板に向かい合ってみた。
「全然読めなくて困りぃ」
リッリが最終的に読もうとしていた粘土板は二つ。「これとそれは共通する文字が多いから、相互に読み比べることで、文法と意味を知ることができりや」
リッリは座ったまま杖を持ち、「ここを見よ」と杖で粘土板を叩いた。「語尾が変化してるり。ここに膠着語の特徴が見て取れ、それを土着の言葉に当てはめてみたりしたり。さらにはこの文字、絵のようにも見えてりや、そこから意味を探る方法もありきり……」
ここで言葉は途絶える。
リッリは「はぁ」とまたため息をついて、遠くを見た。
僕も、
窓の外を見やった。
足下からいびきが聞こえてくる。
さっきまで威勢のよかった女子が一人、完全に熟睡へと入っていた。骨みたいな文字を見た瞬間に、すっと寝入っていた。
「一体どうすれば、この文字を読むことができようか」
リッリは苦悶する。
彼女の万策尽きた時の癖は、声に出して整理してみること。
「これまで言い伝えや風習として残る文化などから古代文明を紐解いていたが、古代文明で直接書かれた文献があると聞けばとびつくしかなかりや。それを読むのが知恵の到達への近道のはず」
綺麗なエルフ語だった。
「一度スタートラインに戻ったほうがいいのではないですか?」
僕もエルフ語で呟いた。とにかくノウルの古城へ急ぎたいというのが本音。
リッリは僕がエルフ語を喋ったことに対して意外そうな顔だった。
「どこでその言葉を覚えり?」
「僕?」
「見たところ、それはエルフではなかりが」
「僕の父親は世界中を旅する商人だったんです。たしか薬の取引をするときに、専門用語がエルフ語だったから」
「そんなことで流暢にエルフ語を喋るようになれり?」
「あとはお伽噺とかを覚えるんです。エルフの国だったら、英雄カレリや、シブの女王の話」
「そのような古代の話をよう知ってり……」
「でも石版の文字は読めないので、僕が知ってるのは読み聞かせてもらった音だけです」
僕はあくまでリッリの石版を読む能力は凄いと絶賛した。
するとリッリは少し考えてから、
「お伽噺……」
にひっかかると首をひねった。
その悩みが呪いのようなものならば、やはりここは呪文だ。
「ノウルの王ならば、もしかすると読めるかもしれぬり。この石の塔は、そもそもノウルの王から案内された場所なりや。その昔、ノウルの古城に逃げ込んだ王族が石の塔に歴史を封印してりや言い伝えあり。封印した歴史とはそれだけなりやら?」
「同じ歴史がお伽噺として伝えられていてもおかしくはないですね」
「ワレは少し粘土板にのめり込みすぎたかもしれ」
「僕のお父さんももっと旅をしたほうがいいって言ってました。関係ないかもしれないですけど、世界にはいろんな人がいて、いろんな価値観があって、そういうのがわかると、今まで普通だと思っていた景色も違って見えるんだって言ってました。そういうのです?」
僕はつまり、石版に書かれていることだけが全てではないと思った。
リッリは続けて次のように説明してくれた。
「ここにノウルの王からの依頼あり。ノウルで、王というのは三種の神器をもってこれをなすと言われりや。しかるに過去の紛争においてそれらは失われてしまったや。王からの依頼といえりは、その三種の神器の捜索と奪還。ノウル王は石の塔にその手がかりがあると考えたり」
これがリッリが石の塔を目指した背景。
「ノウルの王様は三種の神器を探している? 石版に書かれているのもそれってことですか?」
「うみゅう」
「三種の神器って、神様と関係あります?」
「神から与えられた剣と鏡。それともう一つは首飾り? どうにも詳しい内容が失われり」
「神様からもらった剣や鏡ってことは、神様が実在するってことですか?」
僕は一二柱の神様を探していることを思いだした。「それはどういう神様なんです?」と聞かずにはいられない。
「イシュタルは創造主にして太陽の神とやう。アヌンナキはこの大地に降り立った古き伝承の神というやり?」
「その話詳しく聞かせてもらえませんか?」
「ワレも知りたい……」
リッリは石版をうりうりと動かした。これを読めば分かるとでもいいたげだった。
「三種の神器にまつわるお伽噺を集めてみれば、その謎が解けるかもしれない?」
僕は、「ノウルの古城へ戻ってみましょう」と力強く進言してみた。
この流れを断ち切るわけにはいかない。
リッリも頷いた。
「戻りや、時きたり。ノウルの古城にいざ」と——。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます