第18話 エルフの賢者

 僕にとって、酒場でのトラブルは悪いことばかりではない。


 占いによると、僕は死ぬ運命を回避できたわけだし、シェズはそれはそれで楽しそうにしてた。


 僕たちは、酒場で働くことになった。交渉次第で何とかなったとは言え、僕たちがノウルの古城に辿り着くのが何日後になるのかはもうわからない。


「そこの床を拭き上げておくれ。ヘルメスって言ったっけ。昨日の客がビールを床にまき散らして匂いが取れないんだよ」

 酒場の女主人は僕をこきつかう。


「はい、拭いておきます」

「それが終わったら、樽を洗っておくれ。磨けばカビた樽でも使えるようになるかもしれないからね」


「これが終わったら、すぐにやっておきます」

 これが勇者の姿だろうか。


 僕はため息をついた。雑巾片手に、ホールの隅に座り込んだ。もちろん手は動かすが、できれば別行動のナタに期待したいところだった。


 ナタはひとり、僕が財布を落としたらしい馬車を探しに行ってくれた。もし財布が見つかれば、僕は酒場の掃除から解放されることになる。


「はぁ」

 しかし何で——。


 落胆する僕とは対照的にシェズは元気そうだ。


 彼女は料理だしを手伝っていた。


 夜が更けると、客層が変わって冒険者はいなくなる。増えるのは鉄鉱石を掘る仕事に従事する男たちだ。毎日鉄鉱石を掘るだけの生活は話し相手もいない厳しいものだ。夜の酒場はそんな彼らのたまり場になる。


 今日はここに、

 女子がいる。


 それだけで普段この店に来ない男たちが集まった。僕みたいにこき使われる男たちはどこにでもいるもので、世帯を持たず、働く間は異性との交流もない。あるのは、一日中汗と泥にまみれるきつい仕事だけ。だからこそ、酒が入れば、人も変わる。普通の女性であれば、そのような男たちの相手などしていられるはずもなく、すぐに逃げ出しただろう。


 だが、シェズは三〇分も経たない内に取っ組み合いの喧嘩をしていた。


「女のくせに生意気だ。俺はもう十年もこの仕事をやってんだ」

 男が腕をまくりあげて、筋肉を膨らませる。手の指は足の親指と同じくらいの太さだ。


「男がなんだって言うんだ。あたしはこれでも騎士なんだってば、そこらの雑魚と一緒にすんなって」


 シェズは、正面からの力比べではまず負けなかった。獣の腕のようなそれで男の手をがっちり掴めば、もう人間の力では太刀打ちできない。


「うりゃあ」

 シェズのかけ声と共に、男は店の隅までふっとばされていく。


 これがまさに人気となった。荒くれ者というのは、どこに居ても訝しがられるものだ。ただ関わるとトラブルになるから、野放しにするしかない。それがどんどん投げられていくのだから、普段から抑圧されていた周囲の観客は、一斉に歓喜した。最後には、


「シェズちゃん、うちでずっと働かないかい?」と店主に誘われる顛末。


「いやあ、一応、任務があるので」

 シェズは照れ笑いしたが、まんざらでもない様子。


 そう、任務のことを忘れてはならない。僕たちはノウルの古城へと急がなければならない。援軍を引き連れシロに戻るためだ。

 ザッハダエルの城塞ではこうしている間にも一日に必ず二人、誰かが殺されているのだから――。



 今の僕に何ができるだろう。

 床を拭くことだけだった。


 とにかく床を磨いて、その労力を認めさせる。僕達が支払うはずだった料金分の仕事をすれば、僕たちはまた冒険の旅に出られる。たとえナタが財布を見つけられなくても、僕が努力すればかならず道は開ける——。


 はずだった。


 ただひとつ、僕にとっても嬉しい誤算がある。とは、僕はこの時、妖精に出会ってしまった。


 エルフの学者が酒場に立ち寄ったのは偶然ではなかった。彼女からすれば、ここは女子が酔っ払いどもを投げ飛ばしているおかしな店。学者一人では荒くれ者には太刀打ちできないかもしれないが、あの女子を味方にできればどんなに心強いことだろう。それとなく女子の素性を窺ってみようかと思えば、近づいてしまうのが学者だった。


「ここがよかろ」

 そう言って小さな学者は暖炉の入り口を潜って、奥へと入って来た。


 僕は椅子を磨いていたところだった。だが顔を上げると、ふとそこに妖精だ。

 白く光る金色の髪を束ねた透き通るような肌の少女に見えた。どこか年令のわからない落ち着いた佇まい。それが赤い頭巾にくるまって椅子の上に腰掛けている。


「あれ?」

 僕は子供かと思って二度見した。少女が深夜の酒場に一人で来るはずもない。妖精だと考えれば納得できてしまうのだから、僕にとって、それは妖精も同じだった。僕は妖精のスカートの裾がひらひらする下を素早く通り過ぎた。赤いローブからはみ出る薄い絹のひらめきは、蝶々の羽ばたきに似て優雅。


「そこの使用人に聞きりや」

 足をぶらんとさせて、妖精は椅子の下の掃除夫に問う。掃除夫というのは僕のこと。


「僕でいいの?」

 呼ばれて立ち上がると、妖精は珍しいものでも眺めるような目を向けてくる。暖炉の火も届かない暗がりからの一瞥だ。


「ワレは傭兵を探してチェりる」

 妖精語だと思った、だがなぜかなんとなく意味がわかる。

 不思議な言葉、ノウルの古城で話される言葉は、古くからイザリースの言葉に似ていると聞いている。


「傭兵ですか? ここは酒場で傭兵ギルドとか冒険者ギルドじゃないですよ」

 僕の心配は杞憂。


「ときにあの娘は随分戦い慣れているように見えりや」

 学者は護身用の樫の杖でシェズを差した。傭兵を探すなら、強い者でなくては意味がない。さっきから目の前で大の男を投げ飛ばす女子が目に入らないはずがなかった。


「シェズさんはそれなりに強いと思います。一応最近まで騎士をやっていたみたいですし」


「騎士りゃ?」

「騎士というか戦士……」

 ヒルデダイトのとは、言わなかった。おそらく今となっては、それはシェズにとっては不名誉なことかもしれないと考えたからだ。


「どこで騎士などやりりゃ?」

「どっかそのへん」

「そのへんと?」


「そう」

「まあよかろ。ワレはリッリ。学者をやっており、ノウルの王から石の塔の入場許可も得ておりや。しかしここに来て、山の下のほうで戦争が始まったらしくして、案内役も護衛も逃げ出してしまいり……」


 リッリと名乗った学者は困った顔をした。


「戦争で雇っていた傭兵が逃げ出したってことですか」


「うみゅ」

「それは災難でしたね。ノウルの古城までなら、僕たちも行きますけど」


「お使いかりゃ?」

「いえいえ、こう見えても僕たち冒険者なんです。ノウルの古城に用事があって向かっている途中でした」

 僕は実は掃除夫ではないと言いたい。


 ここでリッリは、少し考えてから、

「あの娘と話がしたりや」

 と切りだした。


 僕のことはどうでもいいから、シェズのことを教えろと言うのだろう。


 そんなに僕って頼りないのだろうか。


 そんな時、

「ちょ、そこぉ」


 調子に乗ったシェズが僕に目をつけていた。


「何?」

「それはこっちの台詞だろ。何さぼってんだ」


 呼ばれもしないのにシェズのほうから近づいてきた。「そろそろ身体も温まってきたところだし、お前も投げ飛ばしてやろうか。ヘルメス。もともとお前のせいでこんなことになっているんだし」という案件だ。


「さぼってるわけじゃないです。こちらの方にいろいろ質問されてたんです」

「その顔、女の子に手をだそうとしてるようにしか見えないけど?」


「違いますって」

「じゃあ何を話すことがある?」


「ちょっと、シェズさんお酒飲んでます?」

「金なんかなくても酒くらい飲めるぜ。今はヘルメス、お前が女の子を口説いていたことの説明を求めている。騎士として放っておけない。現行犯逮捕だ。それにお前を投げれば、どこからか財布が落ちてくるかもしれないしな」


 とにかく、誰かを投げ飛ばしたくなったんだと、シェズは笑みを浮かべた。


 僕は投げ飛ばされないように、机にしがみつく。

 だが僕の頭上を襲って来たのは杖。


「ワレはその娘と話があるりや。邪魔」

 退いてろと言う意味だ。


 僕はもう何も言えなかった。


「さて」

 どこから話をしたものかとリッリは思案する。


 彼女はまず場を制圧するための呪文を唱えた。


「賢者が旅を続けるためには、護衛が必要でありん。護衛というのは魅力的な職業ではなかろ。王様の護衛ならば良い給料が出ようが、相手がワレのような学者であれば話が異なり。三食昼寝付き。それだけが報酬となれり。食事にしてもお金を使うのは希で、たいていは護衛が採集する木の実や護衛が狩りをして得た獲物を共有したりや。つまり護衛が自分で用意した食事が報酬にならんや。そこに気がつけば、報酬などないに等しくて、これは困ったり」


 これはシェズからすれば間違いなく流れるような異国語。

 魔法を使うエルフが使うのは呪文とされる、その響きだった。


 僕にはその言葉が単なる愚痴のようなものだとわかる。


 だってエルフの言葉知ってるから——。


 さらにリッリは続けて、またまた呪文を口にしていた。


「学者は賢い人なので、とりあえずついていきりゃ。こう言ってみると意味がわかならいかもしれないやが、それを信じる人間でなければ誰が学者の護衛などするものなりか。単純に奉仕の精神が必要とならん」


 これは口にすることで、状況を整理しようとする思考術のようなものだろう。

 その果てに、リッリはノウルの言語で次のように語り始めた。


「ワレはノウル王のお墨付きを得て、石の塔の文献を調べにいくところりや。この周辺には古代文明の痕跡が残っておりや。この古代文明というのがシュメールと呼ばれる民族の成す……」

 僕にはこっちのほうが、意味がわからない単語のオンパレード。


 要はただ働きをさせようとして、その理屈を思案していたのだろう。


 僕は長年にわたって、傭兵を雇う商人として旅をしてきたからわかるけれど、リッリの野望はそもそも無理難題。


「おい、手を止めて何をやっている?」

 店主のそんな怒号が聞こえて来て、僕が怒られるのも時間の問題だった。


「すいません。僕もシェズさんも仕事中なんです」

 僕は平謝り。


 リッリにとっては手強い相手は、この店主になるだろう。


「むぎゅう」

 リッリは知恵を絞ったが、それは実らない。


 最後には、店主が出てきて次のように注意を促すことになった。

「旅の人、悪いけど、こいつらは無銭飲食の代金分を今働いて稼いでいるところなんだ。そんな話につきあっている暇はないよ」


 恰幅の良い看板娘が、「ほら、どいたどいた。ちゃんと働きな」と集まった群衆を追い払うようにして丸太のような腰を差し込んで来れば、もう妖精は僕の視界には入らない。


 この話は、それで終わるはずだった。


 世の中にはいろんな人がいる。

 それだけのこと。


 つい、

 というか、僕はリッリが即座に口を開くのを見た。


「あ、それ。その代金、ワレが払うりや」と。


 それこそ呪文のような破壊力だ。


 その短い呪文が投げかけられた時、


 するとどうだろう。


 リッリが難しい説明をする必要がまったくもってない。


 ここに僕たち三人の護衛が誕生していた。

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