第17話 酒場での神託
僕たちは数日後、カンデラの街に居た。
ノウルの古城、彼らが秘境の王国を維持できるのは、ヒルデダイトやミツライムの兵士たちが容易に近づけないことも理由にあっただろう。単純に森を越えた場所であるだけでなく、そこへ至る道が獣道だということも旅路を困難なものに変える。
カンデラの街は僕たちが馬車を乗り継げる最終地点だった。
「この街から東は歩くしかないよ。今日はここに泊まって、ノウルの古城に出発するのは明日だ」
僕はチイ先生からもらった地図を見ながら、馬車を降りたところでシェズやナタに説明した。
「正直退屈なだけだった。ついて来るんじゃなかったぜ」
と背伸びするのはシェズ。
「仕方ないよ。旅って楽しいばかりじゃない。寒いと辛いし、暑いのも辛いし」
僕は馬車の手綱を握っていた商人に手をふって、別れ際の挨拶をする。それはシェズやナタにとっては異国の言葉になるだろうか。
僕が乗り合わせた旅人と会話するにもすべてがそんな調子だから、シェズとナタには全てが子守歌のようにしか聞こえなかっただろう。
でも、
「ノウルのことだって、いろいろ聞けたよ。現地で仕入れた情報って大切なんだ」
僕は有意義な時間を過ごせたと思う。
「現地って言うとさ、フンババの幽霊だっけ? もう近いのか? 盗賊も出ないし、あたしの敵はそいつだけだろ」
「そのフンババのことは知らないけれど、ノウルでもイシュタルやアヌンナキが信仰されているんだってさ。この近辺はみんな同じ神様を祀っているみたい」
「アヌンナキって変な名前だな」
「さっき通ってきた道から見えてたでしょ。神殿みたいな建物が崩れたような跡。シロを出てすぐの川縁にもあったし。あれ全部アヌンナキの神殿だってさ。数千年前の遺跡もあるんだって」
「ひょっとしてアヌンナキってこの辺りじゃ凄いやつなの?」
「そうかも」
「ヘルメスが探している神ってそいつ?」
「それは分からないけど、調べてみる価値はあるのかもね」
「メギドやシロのベリトより可能性あるじゃん。シロの奴らそういうこと教えてくれりゃいいのにさ。やっぱり自分とこの神以外はあんまり興味ないってことか」
「仕方ないよ。自分が信じる神以外は神だって思えないのが普通だし」
だからウズメ姫は僕に旅をしろと言っていたようにも思えた。
ちなみに、
「ナタはアヌンナキのこと知ってる?」
と聞いてみれば、
「どこかで聞いたことあった気がする。ただどこだったかは忘れた」
こんな返事だった。
むしろナタが気にするのは、
「神様以外には何か情報あったか?」ってところだろう。
「神様がわかるだけでも儲けものだよ。神様が同じなら言語に似たところがでるし、神様に由来する風習とか習慣も理解できるようになるから」
これは僕の持論。
「あとはこの街のこと」
僕はそれをまだ教えていないことに気がついた。
カンデラの街は、ヒルデダイトへ鉄鉱石を供給する拠点として栄えていた。これがこの街にヒルデダイトの通貨や旅人が溢れる理由だ。鉄鉱石があれば、鍛冶職人が住み着く。冒険者にとっては彼らが作る武具は安くて魅力的なのだそうだ。
ここまで僕の話を聞いたナタは、
「剣を見てみたい」
と寄り道する。
だが現実にはナタの興味を惹くような武具はない。粗悪品が安く流れているだけだからだ。鍛冶職人と言っても本物と比べれば、それは物まねの域をでない。
もっともシェズに至っては、
旨いメシ以外に興味をそそるものがあったかどうか。
カンデラの街が栄えれば料理店も増える。鉄鉱石を掘れば掘るだけ金になるのだから、上等な酒も店先に並ぶようになる。しかも鉄鉱石を掘る男たちが一斉に地上に引き上げてくる頃には、街は巨大な食堂になっていく。
僕たちがあらかた店を回って、酒場の集まる街角に来たのはそんな時刻。
「一通り見て回ったし、そろそろご飯にする?」
そこに立っていれば、店の軒先から、「ヒルデリアから仕入れたワインはどうだい? さっきまで森を走っていた鹿もおいしく焼けているよ」と呼びかけられた。
店のテラスでは、焼き色のついた肉を酒を共に囲う男たちの談笑。
「いいじゃん、いいじゃん」
シェズは漂ってくる匂いつられて勝手に店に入っていく。
「ナタもここでいい?」
こうなると、僕たちの意志は関係ない。
「お前が俺たちの財布持ってるんだから、好きにしろよ。俺はどこでもいい」
ナタは戦闘した時に財布が邪魔だといって、全てを僕におしつけていた。最初は荷物持ちにされたと思っていたけれど、裁量権があるのなら、これはこれでいいのかもしれない。
「早く来いよ」
とシェズに催促されて、僕は店に入っていった。
数ある酒場でも目立つ店、立地の良さは店内の顔ぶれにも表れた。聞こえてくる会話から、客は初心者らしき冒険者や、初めてカンデラに来たと思われる商人たちだろう。そんな人たちに取り入ろうと、ギルドの勧誘も盛んだった。
あるいは、腕を磨く占い師が人生相談に応じるのも、カンデラの特徴だっただろうか。
テーブルで大人しく食事を始めた僕たちは、どんな初心者に見えていただろう。
「あ、それ頂きぃ」
「狡いです。シェズさん」
「早いもの勝ちだってば」
シェズが僕の皿の上から肉を取っていく、僕は周囲も確認せずに、身を乗り出してフォークを肉に突き刺すが、バランスを崩してしまって椅子に戻ることができなかった。
マナーがなってないと言われても仕方ない。
僕が椅子に戻れたのは偶然通りがかった旅人の腕に寄りかかれたからだ。
「すいません」
僕はその旅人を見上げた。
その占い師に出会ったのはそれが最初のことだ。
「冒険者の方ですか? どちらから?」
若い青年のようだったが、黒いローブを頭から被ってしまえば占い師以外には見えなかった。僕が驚いたのはその顔。
「あれ? それって見えてます?」
彼の顔には白い仮面。口元は笑っているが、全部作り物で、彼の表情は見えなかった。
「僕は盲目なのです。目が見えないのですが、だからこそいろんなものが見えるようになりました。この街で占い師をやっています」
「占い師……」
僕はあらためて、謝罪をすることになった。
「ちょっと肩があたってしまってごめんない。大丈夫でした?」
「いいんですよ、僕から声をかけようと思っていたんです。それにあなたが椅子から落ちるのが見えていました」
「え?」
「だから、僕はこの場所に立っていたんです」
それを言われて、
僕は二度、その仮面の青年を見上げていた。この場合、「ありがとう」と言うべきだろうか。
そんな負い目があって、僕は彼の話を聞くことになった。
「言ったでしょう。僕は占い師なんです。あなたが何か探しているようだったので、声をかけました。違いましたか?」
「探してるもの?」
僕は咄嗟に、ノウルの場所のことかと思った。ここに来る前はナタに付き合って武器屋を巡ったが、それはナタの都合。
一二柱の神様を考えたが、
それが何を意味しているのか僕自身わかっていないので口には出せなかった。
「僕は探し物も得意なんです。五〇〇ペーゼで承ります」
そんなにお金がかかるとわかれば、誰だって尻込みするだろう。五〇〇ペーゼは、ヒルデダイト銀貨一枚ほどだろうか。
「やっぱりお金がいりますよね? でも僕たち持ち合わせがあまりないんです」
「わかってます。いきなり占い師ですと名乗っても信じられないでしょう」
「いえ、あなたを信じていないわけじゃないんです」
「目の前に占い師ですと名乗る人間が出てくる度に信じていたら、財産を全て取られてしまいますよ? 占い師はちゃんと選ばなくてはいけません。疑うのが基本です」
「疑ったほうがいいんですか?」
「当然です。ですので、僕は最初の一回は無料にしているんです。当然ながら、最初の一回目は貴方が探したいものを探すわけにはいきません。そちらは商売ですから」
「はい」
「だから最初は、貴方の過去や運命の話です。あなたしか知らないことを僕が当てたらそれは凄いことじゃないですか?」
「そんなことができたら——」
「本物の占い師ならそれができます。だからまずは一度どうですか? もちろん、探しものを占うかどうかは、その後で考えてもらって構いません」
「そもそも僕たちにはお金を出して探すほどのものはありません」
僕は迷ったが、彼の申出を断った。こんな都合の良い話があるなら、商売人は常に占い師の言葉通りに動くことだろう。でもそんな現実はない。
しかし、
「面白そうじゃん」
とはシェズの発言だ。
「シェズが占ってもらえば?」
「お前が英雄としてどんな活躍をするか視てもらえよ。そいつ占い師だろ」
「英雄じゃなくて勇者」
「どっちでもいいじゃん。あたしは、アミの沼のリザードマンか、ラース山のゴブリンに殺されるに銀貨一枚かけるぜ」
「僕が殺される未来なんか視ないですよ? しかもリザードマンとかゴブリンって」
「騎士としては、あいつらに殺されるのが一番恥ずかしい。でも結構殺されてるらしい。とくに冒険者が餌食になるって聞いたことがある。ヘルメスは世界中を旅するんだろ、じゃあいつかはそっちにほうにも行くってことだ」
「ちょっと待って。だからってどうして僕が死ななきゃいけないんですか。僕だって剣の練習はしてますし、ゴブリンくらいなら追い払えます」
僕はここでナタの顔を窺った。ナタが剣術の師匠なので、僕がゴブリンに殺されるとしたら、それはナタの教え方が下手な時だけだ。
「ゴブリンって何?」
それがナタの返事。
僕の認識が正しいかどうかはわからないが、
「イザリースにはいないんだっけ? 僕も噂で聞いた程度ですけど、ゴブリンって子供みたいな小さな魔物らしいですよ。盗賊より弱くてさ。だって行商の人たちも盗賊相手には武装した傭兵を雇うけど、ゴブリン相手に傭兵を雇うってあんまり聞いたことがなくて」
こんな会話をしていたのでは、周囲からは僕たちが初心者パーティにも見えただろう。
「面白そうだね。君がゴブリンに遭遇して、生きて帰れるかどうかを占ってみようか? 凶悪なゴブリンの群れは街一つ滅ぼすそうだ。だけど、僕の占いがあれば事前に対処できるようになる」
占い師はふいに口調を変えていた。
「こっちの席に座って」
と友人であるかのように、彼は僕を誘導する。
僕が占い師の対面に座ったのは、
「僕はゴブリンの巣に近づいたことがあるんだ。襲った人間の髪の毛とかが残っていてね。まるで鳥の巣さ」という占い師の経験談があったからだ。僕たちが今後遭遇するであろう魔物のことを知ることは冒険においては重要なことだ。
琥珀の玉に、ガラス玉、それらが机に広がれば、まるで別世界のように思えた。ガラス玉は光を収束して机に別のシルエットを浮かび上がらせる。酒場の壁には熊や豹の木彫りの頭が飾られていて、暖炉の火がゆらめく度に影が移ろい、獣が笑うようにも見えたし、泣くようにも見え始めた。
「いいかい、これを見て」
占い師はテーブルのガラス玉に手をかざすと、ゆっくりと指先を動かした。空中にある見えないガラス玉をさするような奇妙な指使いだ。
「この水晶の中にゴブリンの巣穴が見える」
と、占い師は言う。
僕は半信半疑でそれを覗き込む。
ガラス玉が黒く陰るのは、ゴブリンの巣穴の色だっただろうか。
「これを見て、何かわかるんですか?」
僕はおそるおそる尋ねた。
「僕が君に教えられるのは神託さ」
占い師が得意とするのは神託。
「それは何です?」
「神様が告げる警告だよ」
「警告が見えるんです?」
「君が巣穴に近づくと、神様がこっそり僕に教えてくれるのさ。近づいたら死ぬよ。あるいはそいつは怪我をするってね。何も言わないときは、たいてい何も起こらない。僕はそれを感じ取って、君に教えてあげるわけさ」
「へえ」
僕はそこで占い師の顔を見た。やはり白い仮面で、それは笑うばかり。
彼は少し首を傾げると、おかしそうに言う。
「神託が出たよ。君はゴブリンの巣穴には辿り着けない。その前に死んでしまうよ」
「え?」
僕が死ぬ?
「この街は危険だね」
「この街で、ですか? 一体なにが起きてそんなことになるんです」
「何が起きるかまではわからない。でも安心しなよ。神託はこう出ている。決して占い師を追いかけてはいけない。不運に見舞われても他人のせいにしてはいけない。この占い師とは僕のことかなぁ」
「それって、その神託を守れば、僕は死なないってことです?」
「神託はお告げさ。守っても意味がない」
「神託の通りだと不幸になるってことは、その逆をすれば不幸にならないとか。そういうことかと思って」
「それはまあそうだね。右に行くと躓いて怪我をすると僕が神託を出せば、普通は左に行けばいいという意味になるからね」
「ですよね」
つまり僕はここで神託を聞くことで命拾いをしたということだろうか。
一瞬彼は手を持ち上げると、瞬間的にひっくり返していた。
すると占い師の人差し指と中指の間におおきな水晶。
もう一度手をひっくり返すと、親指との間にも水晶が表れた。
これは占い師の悪ふざけだ。
「どうだい。何か他に占ってほしいことはあるかい?」
言われたが、
「んー、やっぱり特にありません」
僕が持っているお金はチイ先生から預かった大切な旅費だった。これを占いに使ってしまっては申し訳ない。
「そっか。残念」
占い師はそれを言うと、すっと立ち上がる。「今日は店を変えたほうがいいらしいね。ここは僕にとってはまるでゴブリンの巣穴だよ。どこを向いても薄汚い街だ」それが彼の去り際の台詞だった。
彼は僕らからお金を稼げなかった。そのことを嘆いたのだと思う。
占いをしてあげたのに、感謝もしない。
それはゴブリンと一緒だ。
そんなふうに言われたようで、
僕はしばらく申し訳ない気持ちになった。
ただこの時の占いは当たっていたと思う。
直後に僕は店の支払いをしようとして、立ち上がっていた。
「あれ?」
ない。
財布がない。
それを思った時、僕は占い師を思い出していた。
今日のこの街で僕は死ぬことになると彼は神託で教えてくれていたはずだった。
「ヘルメス何かあったか?」
ナタに聞かれて、
「財布がないんだ」
僕は途方に暮れる顔で答えたと思う。そして思い出すのは神託のことだ。この後のトラブルを回避するためにするべきこと。
これを思い出すのにどれくらい時間がかかっただろう。
「不運は僕のせいだっけ?」
そんな言葉があった気がする。
「いつから財布がなかったんだ?」
「馬車を降りてすぐに、ナタが武器屋を見たいって言ったでしょ。そこで武器を見ていて、そのあとここ」
「馬車に乗り込む時には財布あったよな。前払いの運賃払ってたはず」
「うん」
「それからずっと財布がないのに気がつかなかったってことか」
「ごめん」
僕はナタに謝った。
シェズがまとめると、
「財布を馬車に忘れてきたってこと?」
そんな状況が浮かんでくる。
「解けないように腰に結びつけていたはずだったんだけど」
という言い訳はもう何も意味をなさなかった。
落としたのが今だとしたら、周囲の冒険者たちが拾っている可能性もある。ただ、僕はそれを口にはしなかった。
僕を睨むように身体を傾ける初老の冒険者は機嫌が悪そうだし、隣のテーブルでは、冒険者稼業より冒険者を襲ったほうが儲けがでるなんて話をしているグループもいる。
彼らに対して、お金を盗りませんでしたかなんて聞こえるような質問をすることは至難の業だった。新米冒険者の僕にできるようなことではない。
たいていの場合、財布が自分から離れてしまったら、そこで諦める。これが商人にとっては長生きする秘訣。
「ごめん」
僕にはそんな言葉しかでなかった。
「じゃあ、この店の会計どうすんの?」
シェズに言われて、僕は頭が真っ白だった。
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