第12話 事件の真相
「終わったんだ」
僕はそう思った。手配書が出されている現状、僕たちには時間がなかった。その中で最後のチャンスだと思っていたのが、今日のこの夜の話。
暗殺者がラバシリ王子の教育係を襲うという計画を僕たちは知った。その現場に行けば、ラバシリ王子の教育係を助けることができるはずだった。
なのに僕が張り込んでいた待ち合わせ場所は、死体を処理するための騎士団が待機する場所。その騎士団が死体処理に動いたときには、すでに事件は終わっている。
「致命的なミス」
商売人だったとしてもあり得ない間違い。それひとつで、僕たちの未来は大きく変わった。
変わったはずだった。
「おい、ヘルメス。まだ戦ってる」
ナタに言われて、
「え?」
僕は雨の中、目を懲らした。
外苑公園の西側。そこは僕たちが待っていた東側の反対だが、風景はそんなに変わらない。危険を察知して雨の中を移動する浮浪者たちがいるだけで、野次馬も小鳥もいない寂れた景色が広がっていた。
そんな中、駆け回るボロの姿がある。
大きな戦斧を地面に叩きつけて彼女は、逃げた人影を追った。
僕の足が浮き上がりそうな衝撃は、本来なら一度で終わるはずだっただろう。だが、彼女が戦っている相手はそれを何度も躱すのだから、これは激しい戦闘の音になる。
「助けられる?」
僕はゴッサムという騎士の背中を追いかけるように走った。走って、追いかけて、追い抜いて、暗殺者から被害者を助ける。
これで、僕たちはラバシリ王子と再会することができるようになる——。
ただ、僕の足は途中で止まってしまった。
「もう息があがってるな? ざまあないぜ」
これは暗殺者に襲われていた男の台詞だ。声が聞こえたところで、僕は状況を把握した。
「うるさい。てめえなんかにやられるかよ」
赤い髪の女子が斧を引き寄せながら叫んでいた。その頬には傷があって、足からも血が流れていた。
対する男のほうは、貴族らしい衣装を着たまま。息があがった様子もなくて、手にするのは鉄の剣とナイフ。それをすり合わせて、まるで食事をねだる子供のように催促していた。
「そろそろ本気でいくぜ?」
男はラバシリ王子の教育係だっただろうか。素早く動いて、赤い髪の女子を周り込む。
女子は強引に斧を引きずって、そのまま振りかぶっていた。これを回せば、大地が揺れるほどの威力。雨が弾かれ、石畳が割れて泥水を跳ね上げる。
その瞬間、男は瞬きすらしない。
訓練された戦士の挙動だった。それも並の戦士ではない。剣をちらつかせて、女子を翻弄し、ナイフでその足を抉っていく。
「ぐがっ」
女子はバランスを崩して座りかけた。立つのも精一杯だっただろう。実力差のある相手に追い込まれた結果だった。
「心臓をひとつきでも良かったんだ。だがまずは足だ」
男は言った。「逃げられちゃあ、せっかくの見せ場が台無しだからな」とも。
僕は助けるべき相手を見失っていた。
助けるべき被害者がいない。暗殺者が襲っているのではなくて、暗殺者のほうが襲われている状況だ。
だがこの暗殺者は赤い髪の少女で名前をシェズと言う。
「あたしの勝ちだ。お前の死体を処理するために仲間がきた。おい、誰か手を貸してくれ」
周囲にゴッサム他、レッドプラエトリウムの騎士が並んだところで、彼女は這いつくばるようになった。もう形振り構わず、同じ騎士の手を借りたいというのだろう。
だけど、
僕は意外な会話を聞くことになった。
「お前、ちゃんと身分のわからない恰好をしたか? こんな醜態がレッドプラエトリウムの騎士だと思われたら我々の威厳に関わる」
ゴッサムが冷たく言いあしらった。
「見りゃわかるだろ。勲章だって持って来てない」
とはシェズの言い分。
「それならいい」
ゴッサムは動かない。
「あいつを取り押さえてくれ」
そう懇願されても、ゴッサムは動かない。
「おい」
シェズが語気を荒げた時、
「生意気なオーガだ。お前はいつから自分が人間だと錯覚していた?」
これをゴッサムが呟いた。
「悪い。積んでいるのはお前だ」
それを言ったのは、シェズを一方的に攻撃していた男だ。ラバシリの教育係かと思えば、そうではない。彼はゴッサムと肩を並べると続けて呪いの言葉を吐いた。
「お前はもう用済みってことだ。暴れていたオーガを俺たちが退治する。これで世の中が少し平和になって、俺たちの名声があがる」
それがシェズの置かれた立場。
「はぁ?」
シェズはそう言って立ち上がろうとしたが、騎士たちに取り囲まれると逃げ場はない。
「ふざけんな」
女子は髪を振り乱して周囲の騎士を睨むが、
その返事は蹴りだ。
「ぶっ」
と女子が呻くほどの蹴りが彼女の脇腹に入った。上から振り下ろされる拳は容赦なく彼女を地面へとたたき伏せる。
へこたれないと奮起する彼女だが、
男たちはここで、
「ちょっと昔話をしてやろうか。お前の父親と母親のことだ」と余興でもどうかとばかりに口を開いた。
その話は、鳥肌がたつような内容だった。
「お前の両親はオーガに殺された。だからこそ総団長エリゴスはお前のことを可哀相だと思って、今日まで面倒を見てきた。お前は立派な騎士になった」
それをシェズは痛みに堪えながら聞いていただろう。
「ありゃあ全部嘘だ。お前の両親はな、俺が殺したよ。オーガだったからな。どんなふうに殺したか教えてやろうか」
その言葉で彼女の世界がひっくり返っただろう。
「こんな風にだ」
男が蹲るシェズの頭を踏みつけ、腹のあたりを蹴り始めた。
これはレッドプラエトリウムの知られざる真実の話。
他の誰にも聞かれてはならない裏事情。
「お前ら誰だ?」
僕はふいにゴッサムに声をかけられた。僕は男を助けようと思っていたから、入り込んではいけない領域に入ってしまったわけだ。
「ぼ、僕は——」
男を助けに来たとは今さら言えず、ラバシリ王子に会いにきたとも言えなかった。
「盗み聞きか?」
「そういうつもりじゃなくて、オーガに襲われている人がいたから助けようと思って」
「なるほど、お前らもオーガの被害者というわけだ。可哀相にな」
「え?」
僕は彼らの言っていることが理解できなかった。彼の口調はあざけり笑うようにも思えて、それが意味するところがわからない。
「そいつは勇者だ」
それを指摘したのはナタだった。名乗れない僕が名乗るべき名前があるとすれば、それしかなかったのかもしれない。
でも、この場合の勇者は間違った使い方。
「勇者? そりゃどんな遊びだ。何が言いたい。私たちのやり方に文句でもあるのか?」
ゴッサムは薄ら笑いで僕を見る。僕の二回りは大きな体格、そして長年死体を処理してきたキモの座った目。死の匂い。
僕は目の前でどんなにシェズと言う女の子が泣き叫んでも、蹴られても、殴られても、何もできなかった。彼らのやり方に逆らうことができなかった。
「文句なんてあるわけないじゃないですか」
勇者として言ってはいけない言葉を僕は使っていた。
僕は僕を嫌悪する。
僕は勇者なんかじゃない。
最初からわかっていたんだ。
僕ができる役どころは、せいぜい、
「文句がないなら決まりだ。オーガに殺された可哀相な被害者が二人増えた。勇者を名乗るバカがいくつく先はいつも同じだ」
ゴッサムが運命を告げた。
それが僕たちの未来だとゴッサムは断言した。勇者でない者を蔑む卑猥な嘲笑が騎士たちから溢れた。
「お前の母親はお前のことだけはって俺に懇願してきた。情けない悲鳴だったよ。お前ごときに何を期待したんだかな。その目を抉って俺は何て答えたと思う?」
男がシェズの髪を掴んで、その顔をサンドバックにした。
顔が変形するほどに殴りつけた。
そして、
「なんで、あたしの両親を殺しておいて、あたしを騎士なんかにしたんだ?」
シェズは呻くように質問した。それ以外に彼女の知りたいことはなかったのだろう。
男が教えるのはレッドプラエトリウムの歴史。
「俺たちが英雄になるためさ。オーガを退治すれば英雄になれる。強大なオーガを倒せば倒すほど民衆は俺たちを讃える。だが、オーガなんてどこにいる?」
「——っ」
「いないなら作ればいい。そういうことだろう。お前みたいなバカはおだてれば殺人だって何だってやる」
「最初から」
「お前が夢見ていたのは全部俺たちが用意した嘘だ。オーガを始末するにも、名も無いオーガなどに用はない」
「あたしのは、全部?」
「思い出も、荷物も全部だ。制服も支給した剣も返してもらう」
「仲間もいた」
「なにを勘違いしている? オーガに仲間は必要ない」
仲間も思い出も、すべて権力者が用意した偽り。そして欺して彼女に殺人をさせていた。それがレッドプラエトリウムだ。さらには最後に彼女をオーガとして殺すことで、名声を高めようとしている。
僕にも彼女の絶望は理解できた。
全てが嘘だったなんて、そんな哀しいことがあっただろうか。
「僕は勇者だ」
僕は彼女にそう言ったことを後悔した。それも嘘だったなんて、今にして思えばあんまりだ。彼女の目に映るものに何一つ真実がないなんて——。
「さあ、暴れろ。オーガらしく最後に暴れて死ね。死んだお前の両親は、お前を希望だと言ったが、笑わせる。あれだけ必死になってお前の命乞いをした母親が哀れだ。どうするんだシェズ」
男はシェズを焚きつけた。
これでオーガの伝説はまたひとつ完成するだろう——。
そう思われた時、
「てめら、何をやってんだ。ガキくらいさっさと殺せ」
怒鳴り声がゴッサムの口から溢れた。僕に対する怒り。いや、僕を殺せと命令した手下がふがいないことを怒る口調だった。
僕はそして、やっと自分に死期が近づいていることを認識した。
オーガに襲われて死ぬ若者が増えるとは、事後にそうなっていることを示す。つまり、ここで僕たちを殺せという命令に他ならなかった。
だけど、
「ナタ——」
僕が振り返って見た光景は、
「心配するな。これでもう近づいてこないだろ」
鉄剣を肩に乗せて死体の上に立つのは、ナタだった。音もなく数人を始末する技を見ては、他の騎士たちも動けなかっただろう。
そこでシェズを始末しようとしていた男の表情が鋭くなる。
彼らにとって、ナタは新しい敵だからだ。
僕も敵だろうか。
僕はこの異常な光景に振り回された。
シェズが殴られている間、ナタはとっくに場を制圧できたのに、僕の背後で動かなかった。どんなに罵声を浴びせられても、彼女が絶望を口にしてもだ。
僕がどんなに彼女を助けたいと思っても、ナタは動かない。
彼女が暗殺者だから?
でもそれは彼女が欺されていただけで、本当の彼女は騎士になりたいと願う純粋な戦士だったと僕は思う。
彼女に比べれば、僕は酷い男だ。
勇者でもないのに、勇者だなんて嘘をつく。
それが耐えられなかった。
僕が憧れた勇者とは、ラバシリ王子のような人だったのかもしれない。正しいことを言って、正しい行いをする。そんな夢見たいな男に、僕は憧れている。
そして僕は彼女に自分が勇者だと名乗ったことがある。あの時は半分冗談だったかもしれない。
だけど全てが嘘だったシェズの人生の中で、ひとつは本当のことがあってもいいじゃないか。彼女が死ぬ前にひとつだけ教えることがあるとすれば——。
「僕は勇者だ」
彼女が死ぬまでの少しの間でいい。
僕は勇者でありたい。
「本物の悪党は、彼女をいたぶる男とゴッサムたちだ」
そして僕ははっきりとそれを口にした。黙れと言われても、僕はもう自分に嘘をつきたくはなかった。
ナタはどう思うだろう。
「どういうことだ?」
それが僕の運命を変えた言葉になった。
「どういうことって、ナタは聞いてなかったの?」
「なにを?」
そんな会話で、僕はナタがヒルデダイト語での会話が聞き取れていないのを察した。だからナタは動かなかったのではなく、動けなかっただけなんだ。
「ナタ。あいつらが、オーガを作ってたんだ。立場の弱い彼女に命令して人を襲わせて、そして彼女をオーガとして殺すんだ。オーガを殺して名声を手にしている。全部あいつらがやっていたことなんだ。オーガは敵じゃない。オーガなんて最初からいない。あの女の子も利用されただけだ」
「そんな気はしてた」
「だから、助けよう。見過ごせないよ」
僕は叫んでいた。
「助けるって言ってもどうやって?」
「ナタが敵を引きつけて、僕が彼女をあの小屋まで引っ張っていく。とりあえずだよ。とりあえずあそこまで行きたい」
「わかった。できるかどうか、やってみるか」
ナタはそして一歩前に出た。
瞬間、男が飛びかかったのは不意打ちに似ていた。ナイフを背中側に隠して立ち回り、振り返ると見せかけての攻撃。
ナタはナイフを手で払いのけると、ゴッサムのほうを警戒しながら、男との間合いを詰める。
男はここで足元の泥を蹴っていた。ナタの頭上に降り注がせる目つぶしだ。
「見えてた」
ナタがボロをたぐり寄せたのが同時。そしてナタの剣はボロの裏側から男の右肩を掠めていた。この場合、咄嗟に避けた男の反射神経を褒めるべきだったのかもしれない。
男は実力差を知って、間合いを取った。
「サムライか?」
男がナイフを舐めてシェズの身体を抉った返り血を掃除する。万全の状態で再度攻撃をしかけるためだ。
「別に」
そっけない答えに、男は尚も話しかける。
「その剣、業物だな。イザリースにもそう何本もない剣だ」
詮索していた。
いや彼の視線がゴッサムを動かしている。これは陽動、時間稼ぎに違いなかった。
ただ僕にとっても時間は必要だった。
シェズを引きずって小屋に行くまでの時間。蹲るシェズは呻き声をあげるだけで、呼吸ができずに固まるばかり。自分で歩くことはできなかっただろう。
「肋骨がいってる」
ナタはそう教えてくれるが、僕には彼女を引っ張る力しかない。
小屋に入るまでに騎士たちが襲い掛かってこなかったのは、ついにナタの正体がばれたからに他ならない。
「ラバシリが仲良くしていたオーディンじゃないか?」
そんな声が騎士たちの間から聞こえていた。ラバシリ王子の知り合いを惨殺してきた集団だからこそ、イザリースにも詳しい者たちがいる。
「オーディン」
その響きで、男の目つきが変わっていた。
「オーディン、噂どうりで強い。やはりヒルデリアに入り込んでいたか。だが、運が悪かったな。一対一ならどうにでもなっただろうが、多勢に無勢」
男はまた舌なめずりをした。「オーディンを殺せば、恩賞がでる」というのが彼らを突き動かす動機に変わった。
つまり、僕が襲われなかった理由は、この事件の名目が変わったことを意味する。
オーガ退治から、イザリースのオーディン狩り。彼らにとって、オーガは腐るほどいるが、オーディンは世界にも数人。これを駆逐するほうがより希少性のある名誉が手に入るに違いない。
「どうするの?」
僕は小屋に入ったところで顔をあげた。ここからどうすればいいのかがわからなかった。
「俺が聞きたい」
ナタが小屋の入り口で悩む仕草。「ここにチイがいればなんとかなったかもしれないけど」とは恨み節のようなものか。
「チイ先生が居たら、そりゃ心強いけど。援軍なんて来ないよ。僕たち以外いないもの」
「だったら、この騒ぎがラバシリの耳に届いて、ここに駆けつけてくれるまで立て籠もるってのはどうだ」
「それしかないのかな?」
僕は不安だった。
ナタ一人ならここから逃げ出すことも出来るだろう。だけどここには、僕と動けない女の子がいた。敵は騎士が数十人。シェズを圧倒する男やゴッサムという腕の立つ騎士も含まれる。
そして、悪いことに、
「あと一時間もすれば、確実に終わりだ。こっちのほうには援軍がある」
殺人鬼の男がエピローグを告げた。
ここはヒルデリアであって、敵の巣窟だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます