第9話 オーガの追跡
翌日は晴天。
昨日の事件の数々が嘘だと思えるような清々しい陽射しがあった。森を抜けてくる風は心地よくて、両手を頭の上にあげて歩くだけで、僕は森林浴でもしているような気分になれた。
僕たちが歩いているのは、田畑を分ける農道。森を切り開く形で、ここには首都ヒルデリアへの食料供給を一手に担う農業地帯が広がっていた。
「この道の先だよ。たぶんね」
僕は目的地がそこだとナタに教える。「宿屋の女将さんが教えてくれたラバシリ王子の付き人だった人。会えるといいよね」と付け加えた。い聞かせないと、自分でも不安だった。
ナタは半信半疑だ。
「本当にこの道か?」
そんなことを言う。
道がたくさんありすぎて迷う。それはヒルデリア特有の問題だったかもしれない。僕たちは地図を頼りに歩いていた。問題は地図の読み方だろう。
「地図、確認してみよっか?」
僕は時々立ち止まって、地図と周辺の景色を照らし合わせてみる。
この時は、丁度休憩できる場所があった。旧街道沿いに崩れかけた小屋がある。手前には机や椅子の破片が山となっていた。何度も雨に濡れ、端々が腐りかけた古い佇まい。座ることのできる場所は古い切り株くらいなものだろう。それでも、僕が地図を広げるのには丁度良い場所だった。
地図を広げるばかりではなくて、足を広げることもできた。
「ここってさ、焚火の痕があるし、壁に寄せ書きみたいなものがある。屋根の下にはランタンとか、毛布とかあるよね。冒険者が立ち寄るスポットにでもなってるのかな。一応ここも地図に書き込んでおこうか」
僕はそんな提案をした。
「いらないだろ。二度と来ない」
ナタは否定的。
「でもさ、昨日みたいにオーガに襲われた時に逃げ込む場所が必要だよ。そういうところを把握しておくと後で困らないと思う」
「逃げ込む場所?」
「そうだよ。あいつ人が居るところには出てこないじゃん。ここの焚火の痕は新しいし、結構人の出入りありそう。この周辺でオーガに会った時には、ここに逃げ込めるかも」
「次会ったら、俺が追い払うよ」
「昨日は逃げてたような……」
「暗かったからだろ。ボロの下に何を隠しているかわからないし、お前も近くにいるし。あれは逃げるので正解。ひとまずは夜出歩かないようにして、昼間行動する。これなら俺は負けない」
「うん」
僕は確かにナタの言う通りだと思った。
「まあ、俺たちは二度とあいつには会わないだろうけどな。ラバシリに会ったら、すぐにここを離れるつもりだろ?」
「そうだね。今から行くところに頼れる人がいて王子に会えればいいんだけど」
僕たちの理想。
それはその時打ち砕かれていた。
砕く音は戦斧を引きずる不快な振動だ。
ガリッ
ガリリッ
と響けば、僕の身体は硬直してしまう。
「え? なんで?」
僕は思った。
今は昼間で隠れる場所もそんなにない旧街道沿い。そんな場所で、オーガが待ち構えているはずがなかった。
なのに、
いつの間にか、僕たちの前にはボロをかぶった女子がいる。
「今度は負けねえ」
ナタが鉄剣を引き抜いていた。鉄の剣はあまりに高価だ。持っているだけで羨望の眼差しで見られるし、盗賊たちの恰好の餌食になる。だからこそ銅剣を収める鞘に入れていた。ここからナタが鉄剣を抜けば、それは敵にも見て取れるはずだった。
鉄の剣相手に、オーガはどれだけ戦えるだろうか。
「へえ」
女子はくすっと笑った。狩ろうとした獲物が逆に狩人に刃向かうのが可笑しいらしい。昼間だからこそわかる彼女の武器も鉄製だった。道理であの破壊力だ。
だけど、
「僕たち強いよ?」
僕は忠告しておいた。今さらだけど、はったりだ。はったりならもうちょっとかましてもいいだろうか。
「僕達に会った人はみんな、僕のことを勇者って呼ぶんだ。これがどういう意味かわかる?」
少し早口に言った。ゆっくり言えば、ナタが聞き取ってしまうかもしれないからだ。一応ナタには内緒で、僕は勇者を名乗ってみた。
「どこの田舎もんだ。お前らがあたしの相手になるもんか。無理すんなよ。逃げたほうがいいと思うぜ」
女子の赤い髪には汗。意外とボロを着ていると暑いらしい。
「勇者が逃げると思う?」
「暗殺者の前ではみんな逃げるもんだろ。そのほうがあたしにも都合がいい。背中からやったほうがお前らの恨めしい顔を見なくて済むから」
女子はそこで、「そら、逃げろよ」と催促した。
「僕たちのこと怖がってる」
僕にはそう思えた。暗殺者と自分で言っているので、その自覚はあるのだろう。だとすると、彼女は逃げる相手を殺すばかりで、まともに正面からやりあったことがない可能性がある。
「はぁ?」
「だいたい不思議なんだ。暗殺者なのに、昼間に出てくるなんてさ。どうせその辺に隠れてたんでしょ。見つかりそうになって出てきた?」
「お前らはバカか。こんな農道を歩いている奴がいれば、どこからでも見えるっつーの。だからわざわざこうして出向いてきてやってんだ」
「……」
ああ、そういう可能性もあったか。
僕はそんなふう思った。
「もういいか?」
ナタのほうは僕が話し終えるのを待ってくれているようだった。
結果、その余裕ぶった僕たちの態度が、
女子を怒らせた。
「そっちがその気ならいいぜ。騎士としての決闘なら、相応の場所でやりたいけど——」
女子は走り寄った。
せめて一撃でと――。
彼女は斧を振り上げて、身体の回転に力を乗せてナタへと振り下ろす。ナタは剣を横から入れる。斧の刃に当てて受け流し、懐に跳び込む動作――。
「あっ」
声を出したのは僕だけ。
あっけなく、ナタは負けた。
ぐわんっと鳴って、鉄剣が弾け飛んでいった。力が根本的に違っている。斧に触ったと思った一瞬、剣が勝手にナタの手から離れていた。
間髪入れず、
「待った」
ナタは痺れる手を叩きながら、暗殺者に提案していた。「手がびりびりするぞ……」と。
僕が、
「え?」っと思った瞬間。
暗殺者も、
「マジか?」
唖然とした様子だった。
ナタ曰く、
「ちょっと、それ想定外の重さだった。剣の当て方間違えた」だ。
それが本当かどうか、
僕にはもう逃げ場がなかった。
「これ練習じゃないからな。待ったなんてあるか」
女子が言えば、次の攻撃を誰が躱せるだろうか。女子に誤算があったとすれば、彼女の相手はナタだけではないということだ。
僕がいる。
「あのさ。何か誤解してない?」
相手を迷わせる言葉が欲しかった。「僕たちって、君の敵じゃないと思うだけど」今さらかもしれないが言わせてほしい。
敵にも言い分はあるだろう。
「敵も味方も関係ない。殺す奴を殺すだけ」
「どうしてさ。僕たちは君と戦うつもりなんてないよ」
「お前らにそれが無くても、こっちにはあるんだ」
「僕たちの都合は関係ないの? ひょっとして人殺しが好きなだけ?」
「んなわけあるか」
女子は憤然と怒った。火に油を注ぐとはこのことだ。
「じゃあどうして追いかけてくるのさ」
こっちも死にものぐるいだ。
「お前らが知ってしまったからだ。あたしが何をやっているのかを」
「知ったら殺されなきゃいけないの? 僕たちは君が何をやっていても関係ないけど」
「関係あるだろ」
「ないよ」
「顔見られたし」
「いいじゃん。結構可愛いと思うよ」
「ば、バカか?」
「僕たち、昨日ヒルデリアに来たばっかりなんだ。だから右も左もわかんなくてさ、ヒルデリアの友達が欲しいと思っていたんだよ。君みたいな強い人がいてくれたら安心だし」
友達作戦通じてくれ。と、僕は祈るような気持ちだった。
僕は目に力を込めた。
「お前らなんかと友達になれるわけないだろ。これでもあたしは竜翼章の——」
「竜翼章?」
僕がそれを指摘すると、女子は口を押さえた。
そしてゆっくりと深呼吸して、
「知ったからには、やはり生かしておけないな」と言う。
「ちょと待って、自分で言ったじゃん。それ自分で教えてといて僕たちを殺すの? あんまりだよ」
「あんまりじゃないし、く、口封じ?」
女子はそこで意気込んだ。「そう口封じだ。こっちも生活かかってんだよね」と。
これを聞いて動いたのは鉄剣を回収したナタ。
「逃げるか?」
「逃げる?」
「交渉しても無駄みたいだし、こいつには近づかないほうがいいきがする。放っておくのが一番じゃないか」
「それってナタでも勝てそうにないってこと?」
「勝てるけど、でもあいつお前に可愛いって言われて照れてたぞ。あんなやつ殺せるか」
「もうめちゃくちゃだよ」
僕はとりあえずナタと一緒に走っていた。
畑のあぜ道を走った。
「おい、狡い」
女子は背後でそんなふうに叫んだが、僕たちが止まることはない。彼女はボロをばたつかせ、大きな斧を両手で吊るようにして、しばらく僕たちを追いかけてあぜ道を併走したが、もともと戦斧は重すぎたのだろう。
息を切らして彼女が立ち止まったのが見えた。
「どうするの? ナタ」
僕はどこまで走れば良かっただろう。
ナタはここで、あたり前の指摘をした。
「騎士団が見えるところまで行こうぜ。騎士団ってオーガを探していただろ。たぶんあいつにとっての天敵だ」
「僕たちにとっても危険だけど」
「毒を毒で制す」
「具体的には?」
「騎士団を利用してあいつを捕まえたい。そうしないといつまでもあいつが追ってくる」
「そんなことできるの?」
できるかわからない。
でもやるしかなかった。
オーガをなんとかしなければ、僕たちはこの先には進めないのだから。
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