第8話 裏街道の夜

 日が沈むと、ヒルデリアの街並みは尖塔の並ぶ陰の中にすっぽりと埋もれてしまう。空から赤みが消える頃になると、商店街を中心にして、大通りに添って灯るランタンが幻想的な街並みを浮かび上がらせた。


 この壮大な夜景に、僕たちはひととき、旅の疲れもイザリースでの惨劇も忘れて惚けた。


 ナタがオーガを見たという事件も、もう昔のことのようで、

 僕の頭の中からはすぐに消えた。


 僕が呆けていたのは、冒険心をくすぐられたからかもしれない。と言うのも、昼間のトラブルを経て、僕たちは僕たちだけで行動することにした。荷馬車で僕たちを運んでくれた人とはお別れして、今はナタと二人。まさに冒険者という体裁だった。


「繁華街から離れると、もう本当にひと気がないね。でも夜景は綺麗だよ。ここまで登ってきて正解だったでしょ?」

 僕は涼しい風に前髪を乗せるように首を伸ばした。


「俺たちはどこで休むんだ? ヒルデリアに来たら豪勢な宿に泊まるんじゃなかったか?」

 ナタには少し不満があるらしい。


「それは無理。衛兵たちがずっと警戒してるもん。どこに耳があるかわからないよ。ナタが喋っているのを聞かれたら、通報されちゃう可能性があるもん」

「それさっきも聞いたけど、他に良い方法があるんじゃないか?」

「こんな夜景を見ながら寝るのも悪いもんじゃないよ?」

 僕は前向きな提案をしていた。


 ただ最終的にはナタの言い分。

「お前言ってたじゃん」と。


「何をさ」

「ここら辺って、盗賊が出るのに最適だって。実際にオーガも出たしな。ゴーストとかも出そうな感じじゃないか。ほれ。夜景の反対側を見てみろよ」

「え? 嫌なこと思い出させないでよ。でもナタが見たのって、まねけな暗殺者だったんでしょ? ここには暗殺されるような人って、誰もいないよ」

「商人って金目当ての強盗に殺されるんだろ? 本気でこんなところで寝るつもりか?」


「ヒルデリアに来るまではずっと野宿だったじゃん。それに比べれば、ここは天国だと思うけどな。大通りの警備見たでしょ。あんなに騎士団がうようよいるんだ。盗賊だって怖くて近づかないさ」

「いや、暗殺者はいたんだが」

「それは特例。それにいざとなれば、ナタだっているし」


「俺は結構疲れてるぞ。ボロを被るの結構ストレスになる。荷馬車の親父が羨ましいよ。今頃暖かいご馳走にありついている頃か」

「荷馬車の人は、僕たちとは関係ないからさ。今日はヒルデリアのちょっといい宿に泊まるって。それくらいはいいと思うけど。それに僕たちとの契約はヒルデリアまでって約束だったし。変な事件にも巻き込まれちゃったしね」

「荷馬車の上のほうが寝心地は良かった」

「ないものは仕方ないよ」

 今の僕たちには荷馬車はない。荷馬車に積んだ藁はいい寝床になったが、それがないのもナタには不満だろう。


「ラバシリに会えていればな。俺たちも今頃——」

 それが恨み節だ。王子に会えていれば、歓迎されて今頃は王宮の円卓にご馳走が並んでいたかもしれない。


「王子に会うためにも、今日はここがいいんだよ」

 僕は前向きに考えたい。「騎士たちの動きがここからならわかるよ。人の流れもね。街全体の様子を見て、作戦を考えるんだ」と。

「作戦か。今日の作戦。商談を持ちかける奴、上手く行かなかったな」

「だから、別の作戦を考えるよ」


 僕はいいアイデアがないかと、また首を伸ばしてみる。

 頭が冷えれば、星空の下で何かがまとまりそうな気分になれた。ただこれも上手くはいかない。


 耳を澄ませば、

 ズズー。

 ズリっと大地を震わせる音がする。


 だんだん近づいてくる音に、僕は思わず振り返った。


「え?」

 咄嗟に思いだしたのは、今日の出来事だ。

 屋敷の壁が吹き飛んで噴煙のように粉砕された石が舞った。その時の音、その時の振動。


 ひとことで言うと、

「来た」


 僕が振り返った先、月の灯りに照らされて見えるのはボロを被った女子。鈍い光を反射する斧は尖った先端を持つ戦斧に類する武器。これを引きずる音は、包丁を研ぐ音よりも死に近い。


 血の匂いがした。

 そいつは今日、館の長老と用心棒を二人殺している。その匂いを未だに纏う出で立ち。


 女子はひとこと。

「死ね」

 そう言った。


 女子の斧がうなって空に上がり、それは投げ出されるように放物線を描いて ナタがいた地面を叩いた。近隣には瓦礫のような家しかないとはいえ、近場にある家屋の壁が崩壊したのは一瞬のことだ。


「ちょっと待て」

 ナタが一瞬早く、反対側の壁際まで走っていた。


「うわっ」

 僕も走って距離を取った。両手で顔を覆うのは、弾け飛んできた小石が痛いからだ。僕にとっては、斧で抉られた破片でさえ凶器だった。


 そして僕は動けなくなる。

 狙われているのは間違いなくナタだ。

 だけど、ナタから離れて生き残れる自信が僕にはない。

 どうすればいい?


 そんな中、

「なんで俺を狙う?」

 ナタも理解していただろう。敵の狙いはナタだ。


 女子は何も言わずにナタを追うように戦斧を伸ばした。斧は壊した壁をさらに弾いて砕きながら、振り返す反動で砂のようにそれをまき散らしてくる。めちゃくちゃだ。


 ナタはまた数歩後退した。

「どういうつもりだ?」

 それを言ったところで、相手がイザリースの言語を理解しているとは思えない。


 女子に言葉を伝えるにはヒルデダイト語を喋る必要があった。それは僕の得意とするところで、

「どうして僕たちを襲うんですか?」

 僕はナタの代わりに喋った。


 答えは短い。

「こいつがあたしの顔を見たからだ」

 それが暗殺者がナタを狙う理由。


「ナタが暗殺している現場を見たからだって、顔を見られたからだって言ってる」

 僕は直訳した。

 ナタの言い分はこうだ。

「それで俺を狙うのおかしいだろ。今、ヘルメスだってお前の顔見てるんだ。ヘルメスを狙えよ」だ。そして、「早く翻訳してやれ」とナタは催促してくる。


「ちょっと酷いよ、ナタ。それ言ったら僕が狙われちゃう」

「でもあいつ、それ気付いてない気がするんだ」

「いいよ、そのままでいいよ。そこはそのままにしておこうよ」

 僕は半ば叫んでいた。


 今はナタが狙われているからいい。

 あの戦斧が僕にほうに刃を向けたら、僕は躱すこともできずに死ぬだろう。


「大人しく死ね」

 女子も叫んでいた。ここまで攻撃を躱されたのがいらつくらしい。

 そしてついに女子は斧を投げた。


 轟音だった。回転する斧は、排水溝を破壊し地面を歪めて跳ねた。斧が揺れたか大地が揺れたかがわからなかった。


 そしてやりきったとでも言いたげな吐息が乱れたボロの隙間に見えた。攻撃する相手がナタだとわかっていたからこそ、僕はその吐息を聞いた。


 僕たちと同じくらいの歳の女子の呼吸。

 だけどその力はすさまじく、人間とは思えないほどだ。僕の脳裏にもこの時ばかりは、オーガという単語がちらついた。


「ヘルメスこっちだ」

 ナタはオーガと戦う方法を見いだしていた。正体のわからない敵と遭遇したことを認識して、距離を取った。相手を観察するために、単独で戦うのを避けた。 


 それは偶然通りかかった冒険者の集団を巻き込むことだ。ナタが走った先に暢気に観光を楽しむ冒険者たちがいる。夜景に歓声をあげながら、あるいは酒でも呑みながら歩いていたのだろう。


「なになに?」

 と冒険者たちは、走って来たナタを笑うような目だ。


「すいません。オーガです。オーガが出たんです」

 僕は同じ場所に合流してすぐ状況を話した。

「オーガ?」

 その言葉はヒルデリアで知らぬ者のない単語だった。もしかすると冒険者たちはオーガを狙って散策していたのかもしれない。


「オーガはどこだ?」

 旅人の戦闘態勢は早かった。

「どんな奴だった?」

 見えない敵に、冒険者たちの緊張も高まる。


「女の子です。ボロをかぶってて、顔を隠してるんです。すごい大きな戦斧を持ってて、手当たり次第に破壊してくるんです」

 僕は出来るだけ詳細を語った。少しでもパーティの生存率をあげておきたかった。


 だが、

「女の子?」

 笑いが起きた。


「本当なんです」

 と、僕が言ったところで、こうなっては後の祭。

「その女の子のオーガってのはどこにいるんだい?」

 これを言われると僕にはどうしようもない。


 なぜなら、オーガは僕たちを追いかけては来なかったし、さっきまでオーガが居たはずの場所には何も残っていなかったからだ。


「さっき大きな音がしていたけど、あんたたち何をやってたの?」

「だからオーガに襲われてて」

 僕は説明したが、

「もっと面白い話はない?」

 こう切り替えされては、もう何も言えなかった。


 僕とナタは仕方なく、冒険者に加わるようにして歩き出す。

「あの娘、諦めたかな?」

 僕はそっとナタに聞こえるように囁いた。この敵を共有できるのはナタだけだ。


「あいつ顔隠してたじゃん。だから人前には出たくないんじゃないか?」

「僕の時は出てきたよ?」

「お前は人間と思われていないんだよ」

「嘘だ」

「一応こそこそやってたし、そこは評価してやろうぜ」


「こそこそなんてもんじゃなかったよ。暴れ回ってた」

「でも努力はしてた」

「あれで?」

「だから人混みのほうがまだいいんじゃないか? 今日は宿に泊まることにしようぜ。俺たちだけになったら、また来るぞ」


 これを言われたら、もう僕に断る理由がなかった。

「宿屋ね。いいよ。でもナタはあんまり喋らないでね」


 口の中が苦い。砕けた壁の破片が舌にからみつく。

 ぺっと唾を吐いたところで、僕の喉の渇きは深くなる一方だった。


 僕にとって、ヒルデダイトの首都ヒルデリアは異世界といっていい場所だった。一歩細道に入ったところでこれだ。大通りのすぐ傍には、暗殺者やオーガが人知れず闊歩する闇が広がっていた。


「——っ」

 僕はふいに振り返る。

 空耳だろうか。

 オーガがまだ僕の背後に立っているような気がした。


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