第6話 最後のツルギ
ドスドスと木目の床を蹴って、チイ先生がやってきたのはすぐだった。
「屋敷を引き払う。イザリースをくだるぞ」
この一方的な言い方に、とまどうのはサムライばかりではない。
サクローやウズメ姫も同様だった。
「慌ててどうした?」
サクローが問えば、
チイ先生は顔色ひとつ変えずに言い返す。
「こちらに援軍は来ない。よって我々は自力でイザリースを脱出する。それだけだ。急げ、もうすぐヒルデダイトの連中が来る」
「神殿の連中はどうした?」
「別のルートでイザリースを離れた。あとは我々だけだ」
チイ先生はそう言うと、ウズメ姫にも告げた。「支度させる時間もない。このまま駆け下りろ」とは強引な方法だ。
チイ先生は屋敷の奥にいる病人や怪我人にも同様のことを伝えるために通り過ぎてしまうが、そうなると残るのは首をかしげたサクローたち。
「ナタ、お前はどう思う?」
サクローはウズメ姫と顔を合わせた後で、前のめりになった。
それで嘘はすぐに暴かれていた。
「お前は正直すぎる」
というのが、真相を知ったサクローの深いため息だった。
「太陽の剣はどうなった?」
サクローは立て続けに質問しながら、外を見やった。「さっきからやけに明るいし、熱い」となれば、その根拠を外からやってきたナタに聞きたくもなるだろう。
ナタの返事は短い。
「俺に剣をくれ」
ナタは最初からそのつもりだっただろう。
「お前ひとりで取り返すつもりか?」
「他にできる奴がいない」
「お前にも無理だ」
サクローは吐き捨てるように言った。
「ひとつ聞くが」とは、叱るような顔でナタに詰め寄った後のことだった。
「巫女やサムライたちは、太陽の剣を手にとって戦ったか?」
この質問は僕にもナタにも重い。お前はそこに太陽の剣があれば、手にとって戦うかと聞かれているようなものだ。
ナタは戦うのだろう。
だけど実際には、
そらみろと言わんばかりに、サクローがもう一度ため息をついた。
「あいつらはアマノツルギには触れなかった。そうだろう。あれは人間が触るもんじゃない。地上に二つ目の太陽を輝かせる剣だ。触れれば人間でいられなくなることをイザリースの誰もが知っている」
言われて、僕は、
「あ——」
そんな顔をしたと思う。
まさに僕がみたクジャ王子の顔は人間のものとは思えなかった。それに、「触るな」とは、ラバシリ王子からも聞いた言葉だ。
だがここで詰め寄られているのはナタだった。ナタは僕とは違って言いたいこともあるだろう。
「サクローはそういう時、そこに剣があるのに、それを使って戦わずに死ねと言うのか?」
「人でいることが大事だ。神と一緒にあらんとするは、神の力にすがるのとは違う。誰もがそこではあるべきように務めただろう」
サクローはナタに言い聞かせた。
「死ぬことがあるべき姿なもんか」
ナタが反発すれば、なおもサクローは穏やかだ。
「お前の目に映るこの世界、遠く見てみよ。一〇〇年後にも同じ世界があると思うか。一〇〇年経てば、お前の知っている人間は誰もいなくなる。そこに人間はいるだろうが、それはお前が知っている誰でもない。そこに村はあるか? その村はお前の知っている村ではない。一〇〇〇年経てば、山も消え川も消える。だがお前の知らない山ができて、川が流れる。人は死ぬが、それは生きることと同じよ。この世界からそれが消えるわけでもなく、生ずるのでもない。増えるわけでもないし減るのでもない」
「ここで、説法か」
「普遍の知恵と呼べ。世界は全てが形を変える雲のようなものよ。お前の持つ怒りや悲しみとはどこから出てどこに消えるものなのか。その先を見よ」
「何も考えるなって言われているように聞こえる。雲なんてそんなもんだろ」
「時代によって形を変えていけ。変化に応ずることが重要だろうが」
「その時代ってのはヒルデダイトの連中が勝手に変えていいものじゃない」
「連中もただの雲よ」
雲。
僕はそこでサクローの見て居る世界が少し分かった気がした。上手く説明できないけれど、
「うん。戦うことより重要なことがあるんじゃない? 戦ってもこの先の未来が変わる気がしないもん。形を変えるってそういうことじゃないんだ」
僕はそんなふうに言ってみる。
少しは的を得ていただろうか。
「なんだよ、形を変えるって」
ナタはあきれ顔だった。
だからか、サクローはこの時棚の引き出しから白い杖のようなものを取り出した。
「いつかはと思っていたが、これをお前に預けたい。ヘルメスがウズメに使命を授かったように。ナタ、お前には俺が使命をくれてやる」
言って、彼がナタに持たせたもの。
白い布で封印された杖のような長い棒。
「重い」
ナタが言う、それは木の棒ではない。
「俺が最後に作った剣よ」
「剣?」
ナタは目を細めた。なぜなら、曲がっていたからだ。
「お前は鍛冶職人になれ。剣と仲良くできる者こそ良き剣を打つ職人になる。俺をしのぐ鍛冶職人になった時に、この封印を解け。俺の技術の全てがここに刻んである」
「俺は鍛冶職人になんてならないよ」
「なら、お前の子に引き継げ」
「これをってことか?」
「俺の技術の結晶だと言っただろうが。つまりはそれがイザリースの輝き。光を絶やすな。これが俺がお前につきつけた課題だと思え。護身用には、そこにある俺の剣を持って行け。使命を得たのだから、お前はもう一人前だ」
剣を貰っては、ナタも頭が上がらなかっただろう。
「わかった」
承諾だった。
「本当にわかっているのか? 力を求めてツルギに触ることなかれ」
とは悪戯げなサクローの問いかけ。
「わかったって言っただろ」
「今、お前の抱えているそいつが世代も世界も越えるところの最強のアマノツルギだと言ったら?」
言われて、ナタは黙り込む。
だけどサクローはそんなナタを見て安心したかのように座り込んでいた。
ナタが持つ曲がった剣がアマノツルギだと聞いた時は、僕もどうなるかと思ったけれど、結局ナタは封印を解くことなくそれを大切に抱えていた。ナタは悪魔にはならない。
僕は安堵していただろうか。自分でもわからない。
最後に、
「少し冗談がすぎた、さっきの剣の件はお前を試しただけだ。行け。ナタ、お前がヘルメスとみんなを守ってやれ」
それを言ってサクローはもう一振りのほうの、剣をナタに投げた。護身用に持っていた長い剣、それをオハバリのツルギと言う。
「ナタ、ヘルメス。姫たちが山をおりる。護衛を頼む」
ここでウズメ姫が白い外套を頭から被る。準備ができたと僕たちを煽れば、
「はい」
僕は炎に煽られるように返事をしていた。
火が燃え移るのは一瞬。
屋敷を出ると火がトンネルのようになって周囲で猛っていた。
無我夢中でどれだけ歩いただろうか。
僕の視線の先で振り返るウズメ姫。彼女は、白い外套に頬を埋めるようにして凍えるような吐息だった。そんな姫の姿を見て、僕はやっとこれが別れであることに気がついた。
イザリースはこの日、歴史から消えた。
世界樹は枯れ、
天使たちの歌声も永久に響かない。
エデンと呼ばれたその園は遠く、今は炎の向こう側——。
ナタは無言で、
僕にはかける言葉がもうなかった。
煤けた顔のチイ先生が見上げる空は赤黒く、熱波は灰を巻き上げては全てを黒く塗りつぶしていくようで、
僕はその横に立つだけで、他に何もできやしない。
歩くのも忘れるほどに彷徨って、僕はいつしか空を見上げていた。
僕のお父さんは世界を旅して最後にエデンに辿り着いた。そして僕は、そのエデンを失った。これが僕の、再び世界を旅することになったきっかけになる——。
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