第5話 誓約

 アリーズ。

 それが火の悪魔の名前。


 僕がその名前を思いだしたのは、サムライたちが築いたバリケードに辿り着いた時のことだ。


 サクローという鍛冶職人の屋敷に大勢の人間が避難していた。ここでサムライたちも最後の戦いに備えている。


 包帯の下から血がしみ出してくるのを我慢したサムライの男が槍を構えて仁王立ち。血走った目をした戦士たちが弓矢を携えてバリケードに張り付いていた。そんな中を、どこで聞きつけたのか、サムライの姫が歩いて来る。


 僕が先生と呼ぶそのサムライは、聖女が纏う外套を羽織った軽装の戦士だ。神族は二〇〇年、あるいは六〇〇年生きるというが、それを思わせる風貌。黒髪に隠れるような鋭い目つきに、僕はここでも動けなくなる。


「チイ」

 ナタが彼女の前で足を止めたのも、僕と同じ理由かもしれない。


「今までどこをほっつき歩いていた?」

 怒りの口調で彼女は僕たちを問いつめる。僕とナタがここに来たときにはすでに酷い惨状で、僕たちは街の人が殺されて居るのを見て回ったにすぎなくて、悪魔と戦うこともできなくて、誰も守ることもできなくて——。


「何をしていた?」

 と咎められると、僕は辛くなる。とくに戦うために剣術を鍛錬していたナタは身にしみて思うだろう。

「ぼ、僕たちは逃げてきたんです」

 それしか言えなかった。


 ただチイ先生が怒っていたのは、僕たちにではなかった。

「単独であいつらと戦えると思うな。心配していたんだ」

 この彼女の言葉にはナタを気遣う優しさがあったと思う。


「敵はヒルデダイトの連中だ」

「どうなってる」


 それを言ったのが誰だったかわからない。ただ、ナタがラバシリ王子と仲が良いことを知っている誰かの言葉だ。ナタを見れば、誰だって恨み節のひとつは言いたくなるだろう。


 僕が言葉を失っていると、

 ナタがここまでの成り行きを説明した。

「アリーズだ。あいつが火の剣を持ち出した」

 それを聞いた時、僕はやっとアリーズという名前を思いだした。


 チイ先生もそれで理解しただろう。

「火の剣は、アーセナんとこの爺さんがギリシャに持って帰ったはずだ。それが戻って来たというのか」

「アリーズって、アーセナのお兄さんのことだよね?」

 僕はさらに、「でも、もう一人あそこに居たよ」と付け加える。悪魔のような顔をした誰か。あれは誰だったのだろうか。


 ナタは知っていた。

「クジャ王子だった。ラバシリの弟だ」

「会ったのか?」

 チイ先生はこの場合、ナタが問いかけに返さないのだからそれで事態をのみこんだ様子があった。彼女の言う「ひとつだけ聞いてもいいか?」とは、


 つまりナタはクジャ王子に会った。そして戦わずに逃げて来た。守るべき人間がいるならナタは戦っただろうが、そうしなかったということは——。


「神殿に奉納されていた太陽の剣はどうした?」

 最悪の結末がここにあることをチイ先生は暴露した。


 創造主の住まう神殿に奉納されていた剣。

 それはギリシャの商人に託された祭儀用の火の剣とは格式が違う。僕の見た光景が火の剣の力だとするなら、太陽の剣は——。


 どれほどの災厄をもたらすものだろう。


 僕は咄嗟にナタを振り返った。ナタだったら太陽の剣を知っていると思った。

 だけど、


「とりあえず、奥で頭を冷やせ」

 チイ先生のかける言葉が先だ。「ヘルメス、ナタを連れて行ってやれ。そんな顔して立っていられたら邪魔だ」というのが僕にもわかる理由だ。


 顔?


 その時、ナタは泣いていたと思う。

 太陽の剣はどうしたと聞かれて、どう答えれば良かっただろうか。僕がその顛末を答えるとすれば、

「太陽の剣は——」

 クジャ王子に強奪された。言おうとして、僕は何が起きたかを本当のところで理解できた気がした。


 ナタが泣いたことが、全てだったと思う。


 チイ先生はすぐに動いた。

「今ここに居る全員でイザリースを降りる」


 新しい号令だった。


 その唐突な作戦変更に戸惑うサムライたちは多い。

「ちょっと待ってくれ。まだ夜明けの巫女が来ていない」

「神殿を守っている俺のダチと合流する手筈だろ?」

 これはもう怒号だ。


 対してチイ先生も怒りを口調に乗せていた。

「太陽の剣が盗られた」

「取り返すべきだ」

 そういう声もあがってくる。


「お前のダチは、太陽の剣を獲られて指を咥えて見ているような奴だったか? 神殿に残った巫女もサムライも命を賭けてあれを守っていた。つまり、あいつらはもうすでにこの世にはいない」

 これが事実だ。


「待ってくれ。あいつらがそんなに簡単に殺されたりするもんか」

「ナタが見て来た」

 これを言われると、僕ははっとする。


 僕はアリーズとクジャ王子のやりとりを盗み聞きしただけだが、ナタは巫女たちが殺された惨状やその向こう側の悲劇も見ていたはずだった。

 それは僕の友人にとって、どれほど悲惨な体験だっただろう。

 子供の頃から親しんだ人たち。憧れた人たち、尊敬する人たちが無残に殺されていくのを眺めるだけだったなんて。


 これ以上に残酷な光景があっただろうか。


 僕はナタを最強の護衛だと言ったけれど、

 そんなことなくて、ナタは僕と同じくらいの歳の青年で、今は手足をもがれたように動けないでいる。そんな剣士だった。


 僕は商人の息子だった。


 親はイザリースに辿り着いた時に亡くなって今は独り身。世界を旅していた頃は、傭兵たちと海を渡ったりすることが日常茶飯事で、海賊や山賊に襲われて人が死ぬのもいつものことだった。


 だから僕はこういうことに慣れっこ。だったのかもしれない。

 ある意味地獄みたいな世界なら、僕はとっくに知っている。


 こういう時、僕なら涙で前が見えずにいるナタを支えることができるはず。

 僕はナタに寄り添った。


 僕にできることはそのくらいだった。


「ヘルメスいいよ。俺に構うな。みんな戦ってるから俺も——」

 ナタは言うけれど、

「駄目だよ。戦うんだったらそれなりの恰好しなきゃ。ナタって練習用の剣で戦うつもりなの?」

 今のナタよりは僕には現実が見えていると思う。ううん、ナタに代わって現実を見る。それが僕の使命だ。


「練習用……」

「ナタが今持ってるやつ。そうでしょ」

 正式なサムライが持つ剣は研ぎ澄まされた逸品。役職のないナタが自由に持てるような代物ではなかった。


「悪いけど、ヘルメス。戦える剣を探して来てくれないか」

 ナタは身体を斜めに構えた。それは他のサムライたちに涙を見られたくないという抵抗の表れだったと思う。


「その前にちょっと落ち着こうよ。チイ先生も頭を冷やせって言ってたしさ。剣のことだって、僕にどうこうできるような物じゃないよ。本物の剣を持ちだすんだったら、チイ先生の許可がいるんじゃない?」


 僕が言えば、

 ナタは赤い目を逸らす。チイ先生がすぐに剣をナタに渡すとは思えない。となれば、ナタが頼れるのはチイ先生以外の誰か——。


「サクロー師匠にかけあう」

 ここは鍛冶職人であるサクローの屋敷だから、当然サクロー師匠は屋敷の奥にいることだろう。ナタは僕を押しのけるようにして強引に屋敷へと足を進めていた。


「待ってよ。ナタ」

 チイ先生が指示した通り、僕とナタは屋敷に入っていく。だけど、その目的はチイ先生が期待するのとは異なっていた。


「サクロー師匠は?」

 ナタが通りすがりのサムライたちに尋ねるその名前。

 それは名剣を幾度となく叩いた名匠の名前だった。であれば、ナタが考えていることがわかる。サクローから直接剣を受け取ればいい。チイ先生だって、サクローには直接抗議できないからだ。


「ナタ、生きていたのか」

 そんな安堵の声と共に、

「ヘルメス、お前も無事で何よりだ」

 僕を気遣う言葉があった。面識のない中年男性だったが、彼は僕のことを知っていて、僕が守られるべき存在だと告げてくる。


「師匠は奥だ。ウズメ姫たちもそこにいる。ヘルメス、お前も奥に行っていろ。あとはサクロー師匠の指示に従え。大丈夫だ。敵は俺たちに任せろ」

 それはナタにサクローの場所を教えるためではなく、僕たちを匿うための言葉だった。


 だけど僕は、

「はい」と返事はしない。

 匿ってもらえば、もうナタを支えることもできないし、彼と友人でいることすらできなくなるような気がした——。

 僕は何かにせっつかれるように勇気を振り絞った。


 僕には使命がある。

 今ここで起きていることを創造主に告げなければいけない。


 サムライたちが戦いに身を投じるように、ナタがそうするように僕もまた戦うべきだと思った。


 ただ僕にはナタのような剣の才能はない。だが役に立つ方法はある。

 ラバシリ王子に依頼された通りで、僕は創造主に会いに行かなくてはいけない。それが今、僕がもっとも優先するべき行動だと思う。


 僕はそう思うと、

 奥の部屋を目指していた。ナタより先にサクローの前に出た。


「僕たちに旅の許可をください」

 それを言った。


 サクローは白い髭の男だ。同年代の老人が腰を曲げる中、彼は毅然として背筋を伸ばしていた。散らした火花で潰れた片目は変形して、今は一つ目。だがその目の色は深い。


 サクローは美しい乙女と話し込んでいたところを遮られて、何事かと肩肘をついた。


「おう、ヘルメスとナタじゃないか。わざわざこんなところに戻って来たのか」

 サクローからすれば、若者のことだ。「どうした?」と目線を合わせるのは、子供をあやすのと一緒で、僕とナタを落ち着かせるためだったのかもしれない。


 僕はここで改めて事情を説明することになった。

「今朝ラバシリ王子が来て、ヒルデダイトで悪魔を見たと言ったんです。それで僕に急いで創造主のところへ走れって。この事を伝えに行かなきゃいけなくて。そうしたら、ここではもうこんなことになっていて」

 どれだけ理解されたかはわからなかった。


 ただ。


「それはもういい」


 返ってきた返事は切ない。


「でも僕はラバシリ王子から言われたんです」

「すでにイザナミの元に何人ものサムライが向かった。現状なら彼らのほうが早くイザナミに伝えるだろう」

「イザナミ?」

「それが創造主の名前だ」

「サムライが行ったって。だったら、僕は?」


「ヘルメス、お前が行く必要はない。暴れているヒルデダイトの連中、イザナミのところへも向かっただろう。お前ではイザナミのところにも辿り着けない」

「僕だけじゃない。ここにはナタもいるよ。ナタは強いからって、ラバシリ王子が僕と一緒にって」


「強いから、人が殺せるってか? ナタをサムライにできないのは、まさにそこよ。ナタが簡単に人間を殺せるようだったら、俺たちがすでにサムライにでもしてやっている」


「え?」

「いや、ナタにできるかどうかを詮索するのは違うか。ラバシリといいイザナミといい、あいつらナタにはそういうことをさせたくないらしい」

「でも、最後にイザナミを護れなきゃイザリースはなくなっちゃうんじゃ? どんなに夢を見たってイザリースがなくなったら、もうそんな未来が来ることも——」


「ヘルメス、お前は頭が回るな。サムライだって怯えて口ごもるこの状況。お前はしっかりとしている。ナタなんてさっきから黙ったままだ。ヘルメス、お前のほうがよっぽど頼りになりそうだ」


「だったら僕も行きます」

「言っただろう。イザナミのところへは修羅以外は近づけない。お前には無理だ」


 これ以上、僕に言い返す理由はなかった。理由がなくなれば、僕はただの逃げ惑う商人の息子。


 それはそれでただただ悔しい。


「僕にできること。僕にできることをやりたいんです。僕だってナタみたいに修行すれば強くなります」

 このままだと、僕はナタと友達ですらいられなくなってしまう。そんな気がして叫んでいた。ナタは戦いに行ってしまうだろうし、そうなれば僕はひとりぼっち。


 嫌だ。


 思った時、

「さっきの予言の件、ヘルメスに任せてもいいかもしれん」

 サクローは髭を撫でながらそんな話を切りだした。


「予言って?」

 僕の中でも火が渦巻くようだった。目的も使命も何もかもが燃えながら形を変えていく。


「ああ」

 呟いたのはウズメ姫だ。「今しがた、私がサクローに相談していたんだ」と彼女は教えてくれた。長い髪を束ねた軽装の彼女は、重い外套を脱ぎ捨てて、いざとなったら武器を持って戦うと意気込む態度を見せていた。


 サクローは、半ば興味がない素振りから一転。

「この状況を打開するアイデアがどこかにないかと探していたんだが、どうにも胡散臭い話ばかりよ。だがあるいは、そういう話も捨てタもんじゃないかもしれん」


 胡散臭い話。


 ウズメ姫は真剣な眼差しで僕を見返してくる。

「一週間ほど前に予言の巫女から、謎めいた話を聞いてね。その時は何のことかわからなかったんだけど、今になってそれが何か重要な予言だったんじゃないかって思うわけさ」


「予言の巫女からのメッセージ?」


「そう、妖精の泉のほとりでうとうとしていたとき、夢を見たそうだ。先代の預言の巫女が傍に座って、語りかけてきたと言っていた。それが変な話で、一二柱の神を探せと——」


「一二柱の神。それを探してどうするんです?」

「巫女が思い出せるのが、そのワンフレーズでね。それで答えが出せずにみんな悩んでいる。先代の巫女が発した言葉なら、生前にも同じことを喋っている可能性を考えてサクローに相談していたんだけどさ。どうにも手がかりがなくてね」


「一二柱」


「心当たりがあるか?」

「神ならミツライムにもギリシャにも、あちこちで祀られているのを見ます。だけど一二柱もいたかどうかは思い出せません。全部あわせると凄い数になります」

 僕は世界を旅してきたから、ナタよりは世界を知っているはずだった。だけど、質問に対して正答する知識があるわけもない。


 まず、

「探してどうするんだろう? 神なんて存在するようなものじゃないだろうし」

 そんなところから疑問ばかりだ。


「私も、預言の巫女から、これがどういう意味になるかと聞かれたよ。正直なところ、吟遊詩人たちが謳ってきたお伽噺にも一二柱の神なんて出てこない。創造主であるイザナミが生み出した神は一二柱を遙かに超えているし。今この場所で一二柱の神を見つけろという話だったとしても、私にはまるで心当たりがない」


「創造主」

 僕はそれを「創造神」に言い換えようとした。イザリースの外の世界ではみんなが彼らを神と呼ぶ。エデンは神の園であって、神の住まいだと囁いている。しかし実際にはそこに居るのは主であって神ではない。さらに言えば、エデンの住人は創造主や全知全能の主のことを神とは呼ばない。だからここでは、僕も創造主のことを神と呼ぶことができなかった。


 他に考えたが、思い当たることはない。


「僕も、これ以上は何もなくて……」

「そういうわけで、一二柱の神を探す案件だが、君たちに任せていいだろうか? サクローにも相談してみたが、ここでわからない以上、私には一生答えが出せる気がしないのでな」

 ウズメ姫は俯いた。あとは僕次第だと言わんばかりに——。


「僕に?」

 僕はきょとんとした。


 いきなり神を探せだとか、意味がわからない。例えばミツライムのアメン神は太陽とされ、神話の世界でだけ存在している。現実に肉体があるわけでもないものを、どうやって探すというのだろうか。


「今回の事件に大きく関与する預言だと思う。その答えが出たとき、この事件は解決だ」

 ウズメ姫は確信めいた口調で囁いた。


「そうですか?」

「そうだ」

「でも神なんて」


「その謎を解くのも仕事さ。丁度いいことに、ヘルメス、君は世界中の言語を理解して喋ることができたよな。神を探すのに必要な能力はそれだ」

「世界中なんて言い過ぎです。ある程度なら対応できるだけで」

「だったら、やはり君以外にこの案件を託す人間なんて考えられない」

 言われて僕は悪い気はしなかった。


 ナタにだって出来ない芸当。僕だけだと言われて、断るなんて出来ない。


「イザリースに誓え。創造主とこのウズメに誓約しろ。この任務をやり遂げると」

 ウズメ姫にこのように迫られて、僕は大きく頷いていた。

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