第2話 エデンから始まる物語


「アリーズって人が火の剣を持ち出して、悪魔になっちゃったってこと?」


 僕はここまでの話をそんな風に理解した。「ふーん」としか感想を言えないのが、僕の立場だ。イザリースからしてみれば、隣国のヒルデダイト。そこで内乱が起こったとして、僕にできることなどあっただろうか。


 僕はただの商人の息子です。


 だからこそ、ラバシリ王子はナタを頼るのだろう。

 ナタは立ち上がると、衣服に絡んだ草の頭をさっと払い落とした。背丈は僕と同じくらいなのに、性格は真逆。

「で、俺に何をしてほしいんだ? いよいよ俺がサムライデビューか? それともラバシリのところで用心棒でもするか?」

 この好戦的な言い方だ。


「実戦は危ないってチイ先生が言ってたよ」


 と僕はそれとなく先生の言いつけを繰り返す。チイ先生がサムライとして認めない以上、僕も彼を認めるわけにはいかなかった。

 第一、ナタがサムライに採用されたら、残された僕は一人で何をすればいいのか……。


「ですよね?」

 と僕はラバシリ王子にも確認しておく。


 ラバシリ王子もナタにはあきれ顔だっただろうか。

「ナタ。お前が鍛えられているのは知っているが、そもそも剣が上手ければサムライや騎士になれるなんて簡単には思わないことだ」


「護衛なら誰にも負けないと思うが」

 ナタは言い返したが、


 それはたぶん、

「思い上がりなんじゃないかな。確かにナタは強いけどさ。世界にはもっと強い人がいるんだよ。だからチイ先生は危ないって言ってるんだと思う」

 僕はそう考えた。


「それもあるが」

 と、ラバシリ王子はため息をつく。彼が言いたいことはこうだ。


「前にも言っただろう。俺たちはお前たちが剣を振らなくてもいい平和な世界を目指している。剣は結局は殺人術だからな。人を守るために人を殺すとして、どうやって殺す人間と守る人間を区別する? お前の判断がもし間違っていたらどうする? お前は確かに強い。だがな。だからこそ自由に動かれたら危ないんだ」

 そしてラバシリ王子は同時に次のように付け加えた。


「だいたいお前、ヒルデダイト語ギリシャ語も満足に喋れなかっただろ。それでどうやって相手の言葉を聞く?」


 するとナタはちょっとふくれっ面。

「俺にはヘルメスがいるし」


 ナタの思いつき。


「僕が通訳するってこと?」

「おう」


 となると、

「二人で一緒に騎士にでもなるつもりか?」

 ラバシリ王子が現実を見ろと催促していた。


「商人が護衛を雇うように、俺が通訳を雇っても問題ないだろ。弓を射る時にはトモがいる。俺にとってはヘルメスがトモなんだ。それにヘルメスもそれなりには剣を振れるようになったよ。騎士として連れて行くこともできるはず」

 というのがナタの言い分になったが、


「僕が騎士に?」

 とは僕にとってはとんでもない提案だ。ナタに言語を教える一方で、僕は剣術を教えて貰うことがある。だが、それは護身術の延長線上のことで、戦士として修練を積むためではなかったはずだった。


 だけど、考えてみれば、

「騎士って、ラバシリ王子みたいに格好いい鎧を着たりして馬に跨がったりするんだよね? 王都に行ったら英雄みたいな声援の中で手を振ったりして?」

 と僕の中では憧れが止まらない。「そっか、ナタと一緒なら僕でもできるみたい?」と想像するともうわくわくする。


「ちょっと待て、ヘルメス。だから、俺たちはお前たちを騎士にする気はない。さっきから言ってるだろ。誰も戦わなくていい世の中にするんだって。ヘルメス、だいたいお前は戦うのには向いてない」

 ラバシリ王子は僕の頭を押さえた。


 僕だってサムライや騎士をやってみたい。


 そんな気持ちを代弁するかのように、

「いいんじゃないか。ヘルメスが騎士でも。可能性はあるよ。誰にも否定はできない」

 ナタが呟いていたが、


 ラバシリ王子は首を横に振った。


「カデシュの戦いでは、ミツライムとヒルデダイトが戦争をしたが、今は共に手を取り合って生きていく道を選んだ。そうやってみんなが平和に暮らせるように俺たちは頑張っている。もともとイザリースはそうやって創造主が作った仲つ国だ。きっと世界はもっと大きなひとつのイザリースになれるだろうと思っている。そうなればそうなったでヘルメスにはヘルメスに向いた仕事があるだろう」


「大きなイザリース?」

 僕はラバシリ王子の言う理想に思いを馳せた。


「そのうち戦争などなくなるだろう。騎士やサムライの仕事もない。お前たちがわざわざ騎士になって人を殺す必要もなくなるってわけだ。これを実現することが俺の仕事だと思っている」


 言われると僕には返す言葉がない。

 ラバシリ王子は、「小難しい話はここまでだ」と理想論を終えた。「ナタもヘルメスも、お前らはそんな平和な世界を待っているだけでいい」と最後に念を押しただろうか。


 ナタは、

「待っているだけなんて、退屈」

 と言うけれど、


 僕には少しラバシリ王子のことが理解できた。

「待っていれば、世界中がイザリースみたいに平和になるんです?」


 僕は幼少の頃から世界中を旅してきた。

 だから世界がどんなにすさんだものかを知っている。


「僕のお父さん、結局盗賊に襲われた時の怪我が悪化して死んじゃったし。その時海賊に襲われて死んでいった船乗りの中には、僕と同じくらいの歳の子もいたよ」

 こう言えば、ナタも納得するだろう。ナタがそれでも不思議そうな顔をするのは、

「ナタは外の世界を知らないから」だ。


「外の世界ってここと違う? ヘルメスの話だといろんな国があって食べ物があってさ、めっちゃ楽しそうに聞こえたけど」


 ナタは世界の不均衡に気がつくだろうか。

「違うよ。だって、ナタには哀しい話しても仕方ないじゃん。話題にもできないよ」

「外って何が違う?」


「イザリースだけなんだよ」

「何が?」

「王様がいなくて、人が平等で、創造主が神様を作っている国なんてここだけなんだ。南のほうではみんなこの場所をエデンと呼んでいるよ。だから僕のお父さんはここへ来たんだ。最後に辿り着いたんだ」


 そう、僕がいるこの場所は、

 エデンだ。


 もっともそれに気付いていない人間が約一名。

「王がいないと言うけど、ここに王子様ならいるぞ」

 ナタはラバシリ王子を指差した。


 これにはラバシリ王子も言いたいことがあっただろう。

「俺はまだイザリースの人間だと認められちゃいない。だからまだ王子様なんて呼ばれてしまう。だが実際にはこうしてお前らと世間話をしているただの騎士だ。少なくともここではただの騎士さ」


「どう考えたって、ただの騎士じゃないだろ」

 ナタは納得できないと口を開いていた。


「正式には、俺の国は創造主から新しい神を授かった。そして王から神のお守り役になったわけだ。だが都合良く社会を変えられるわけでもないからな。しばらくはまだ王がいる。ヒルデダイトがイザリースに加わったのは歴史からすれば最近の話さ。それで文化がごちゃまぜになる」


 ラバシリ王子はそこで話題を最初の問題に戻した。

「つまりごちゃまぜなんだ。ヒルデダイトの連中の中にはイザリースに反逆しようとする者たちもいるってことだ」


「なぜ反逆する?」

「たとえば、さっき話したカデシュの戦いだ。あれはミツライムとヒルデダイトの間で起きた戦争だった」

「それはもう解決しただろ」

「表面上はな。あの時の戦いで家族や友人を殺された者も多い。イザリースが仲介に入って戦争は終わったが、家族を殺された彼らにとっては復讐する機会もなくなってしまったわけだ」


「復讐なんて必要ない」

「イザリースの仲介を受け入れたのには政治的な理由もある。イザリースから文明技術が入って来た。これを失うわけにはいかなかったから、ヒルデダイトはイザリースに従っている。だがそのお陰でヒルデダイトにはミツライムを陵駕する製鉄技術があるのも事実だ。この技術があればどうなる?」


 ラバシリ王子はナタに問いかけたが、

 ナタが無言でいるから、僕が答えた。


「そもそもカデシュの戦いって、昔は勝てなかっただろうけど、今ならヒルデダイトが勝てる?」

 僕は当時の様子など知らない。だけどそう思えた。


「そんな風に考える連中がいる」


「もう終わったことなのに」

「消えることがない怒りというものもある。ここで、悔しい思いをする彼らに囁く奴がいる」

「囁く?」

「ヒルデダイト人は神に選ばれた民族だ。憎い隣人を殺して全てを奪い過去の栄光を取り戻せと——」


「過去の栄光って何さ」

「ヒルデダイトがイザリースの仲介を受けたのは、力がなかったからだと主張する連中がいる。つまりイザリースに頼らないヒルデダイトの時代を栄光の時代と呼ぶらしい」

「ラバシリ王子は、イザリースと一緒に世界の平和を目指しているんですよね?」

「彼らはその逆だ。イザリースがヒルデダイトの勝利を邪魔していると主張している。だから創造主ではなく、新しい王と民を契約させるんだ。その王に従えば、煩わしい隣人を殺し尽くしてこの地上は楽園になるらしい」

「ええ?」

 僕は思わず声を荒げていた。いるはずがないと思っていた。


「俺たちはそれを悪魔と呼んでいる」

 ラバシリ王子が断言した。


 悪魔だ。

 また悪魔という言葉が出てくる。


 僕にはまだわからないことがあった。

「ヒルデダイトの中にそういう動きがあって、アリーズって人が悪魔なんじゃないかってことですか?」


「事実はこれから調査するつもりだ。ヒルデダイト本国で不審な動きが広がっていると聞いた。俺はすぐに本国に戻る。そこで、ナタに頼みたいことがある。もちろんヘルメス、君の協力も必要だ」

 ラバシリの要望は短い。「ナタ、お前の姉のことだ」ナタと違って彼女はすでに役職を得ていた。


「創造の巫女?」

 それは創造神話の持ち主であるイザリースの主だ。


「彼女はイザリースを離れてアースガルドからヴァナヘイムを巡回しているという。当分こちらには帰らないらしい。だからヒルデダイトを離れられない俺に代わって、彼女に現状を伝えてきてくれないか」

「現状を伝えてどうする?」

 って、

「イザリースに戻って来てって、伝えればいいんですか?」

 僕はナタを遮って、ラバシリ王子に詰め寄っていた。


 王子は慌てるなと僕をなだめる。

「それは彼女のほうで考えるさ。もしかしたら彼女はもう戻って来ているかもしれない。創造主としての力があるなら、あるいはこの未来、この先の未来も彼女には見えているはずだ――」


 未来が見えるというのは、全知の人であればこそだ。


「伝えるだけでいいんですか?」

 僕は再度確認したが、

 こういう時ナタは勘が鋭い。


「悪魔が出たなら、真っ先に創造主を狙うだろうな。イザリースから出ている今ならやりやすい」

「それって」

 僕にも理解できた。ラバシリ王子は、ナタに創造主を護衛しろと言っているようなものだ。


「行ってくれるか?」


 その王子の言葉を思い返す時、僕は思う。

 王子は他のサムライたちではなく、騎士の英雄でもなく、ナタにそれを依頼したのだ。創造主を殺すために、どんな悪魔が集まってくるかわからない。そんな悪魔たち相手に、創造主を護れるのはナタだけだと王子は考えたのだろう。

 口ではナタのことを暴走ストームだとか、まだまだ若いとか。修行が足りないとか言っていたけれど、


 ラバシリ王子のナタに対する本当の評価は——。

 



 このラバシリ王子の提案に、

 ナタは、

「いきなりそんなこと言われても、どうすっかな」と頭を掻きながら言う。こんな頼りない友人だから、僕は彼に代わって叫ぶように答えていた。


「ナタがいかなくても、僕が行くよ」

 これは世界の危機だ。

 だからなんとしても創造主の元に行かなくていけないんだ。


「だったらこの仕事は、ヘルメスに任せるか」

 なんてラバシリ王子は冗談を言う。たぶん、冗談だっただろう。もともとこの話はナタでなければいけないのだから。


 だけど、

「はい」

 僕は本気だった。


 となれば、ラバシリ王子の言い方は次のように変化していた。

「仕方ないな。ナタよりヘルメスのほうが頼りになる。だったら、ナタがヘルメスの護衛をしてやれ」だ。


「え?」

 これにはナタがきょとんとするが、

「将来の上司からの命令だ」

「上司って何だよ」

「ナタ、お前騎士になりたいって言っていただろう?」

となれば、断ることもできないだろう。


 僕にとっては、いきなり主役になったようでとまどうところもあるが、

「僕の護衛をナタが?」

 それは心地よい響きだった。


 ラバシリ王子は僕をちゃんと評価してくれていた。

「ヘルメスなら、どんな人とも会話できるだろう。それは素晴らしい才能だよ。足りないのは力だが、そこはそこのオーディンを用心棒に連れて行くといい。まあオーディンと言っても、まだまともなケニングはないけどな」


 この時の僕は、まだそのオーディンの隠されたケニングを知らない。

 

 そして、

 ラバシリ王子は最後に一度、太陽を振り返った。世界は真っ白にも見えただろうか。

 これは太陽がまだ照り輝き、僕の頭上にあった頃の話——。


 そして僕の冒険はここから始まるのだった。

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