ミスラス(剣と魔法の神話戦記)

アーモンドアイ

第一章 ヒルデリアのオーガたち

第1話 悪魔の響き


 「遠く三〇〇〇年の遙か先のこと。 

 神話と呼ばれる時代の話をしよう」


 それは約束のあの人と共に、

 あるべき時に、

 あるべきように、

 ただあっただけの話。


 見上げれば、

 夜空に広がる星座が道しるべとなって、

 僕達をもう一度あの世界にいざなっている。


「約束を忘れそうになったのなら、

 僕たちはそれを思い出すために、

 あの日に戻らなければならない。」

 

 僕のこと知ってた?

「ヘルメス」

 それが僕の名前だった。ただこの時代で僕のことを知っている人間は少ない。「お前、俺の他に友達いないのかよ?」そう言われると、僕は目の前の彼に言いたくなる。


「いじわる」と。


「まだ昼前じゃん。なんで俺を起こしに来るんだ?」

 目の前の彼が言う。

 彼は木漏れ日の中でもどろむように眠っていたが、僕は揺すると少し目を開けた。黒い髪がそよ風に揺れているが、彼の頬は雪のように白い。僕と同じくらいの年令の青年だった。


「今日、アヴァロンの炉の貯水槽への水運びをサボったでしょ。チイ先生が怒っていて、今日の稽古はもうしないってさ」

 僕はチイ先生のお使いでここに居る。


「ちょっと待って、今からやろうと思ってた」

「それ先生に言いなよ。遅いよ。予定変更で、僕に勉強を見てやれって。それでわざわざこんなところまで僕が来たんだよ」

「勉強って語学?」


「そうだよ。僕、他に取り柄ないし。一応いろんな国の言葉話せるけどそれだけ。ナタはヒルデダイト語くらいは習得しなきゃね」

「ん」

 彼は言い返したくて、顔を僕のほうに向けるが、まだ頭は寝ているようで上手く言葉にはできない様子だった。


 付け加えておくと、僕は、

「ナタみたいに剣は得意じゃないけれど、子供の頃からお父さんと一緒に世界中を旅していたからね。ナタより得意なものがあってもおかしくないし。まあ、そのせいで友達いないんだけど」

 こんな事情がある。


 彼は僕には友達がいないと言ったが、それは少し違う。

 僕は、目の前の友人の名を呼ぶ。

「ナタ以外にはね」と。


 僕たちは友達だった。


 実際には彼も僕と同じような状況だと思う。

 彼は高貴な巫女の弟だと言う理由で幼少からオーディンと呼ばれることもあった。だから周囲の人たちは彼に対して特別な接し方をしようとする。

 まあオーディンと言ってもナタには、まともなケニングはない。


 小さい頃のことで、彼は剣を振っては、壺や樽を破壊し、置物をひっくり返していたらしくて、そのせいで彼の通った後はまるで嵐が通り過ぎた後のようになっていたらしい。これを以て彼は暴走ストームという不名誉なケニングで呼ばれている。いわば厄介ものという位置づけだろう。


 さらには、ナタは小さい頃から剣術に明け暮れていて、彼の周囲にはサムライのマスターたちばかりがいた。これでは小さな子供が近づけるはずもない。

 僕みたいに、語学が堪能で彼に接する特別な任務(理由)がなければ、誰が危険な暴走ストームの通り道に飛び込むだろうか。


 僕は二度寝しようとするナタを睨んだ。

「早く起きてよ」

 彼の身体を強制的に起こせば彼も起き上がるだろうか。それを考えたが、実行する勇気は僕にはない。彼の剣術の腕はすでにサムライを陵駕していて、下手に触れば反撃されるおそれがあった。

 チイ先生はたまにナタを不意打ちしたりする。ナタが寝ぼけて、それと勘違いしたら、襲われるのは僕ということになる。


 僕だよ?

 筋肉なんて海に沈むだけだし、歩く時に重いだけ。行商の旅をしてきた僕の身体は剣を振るようにはできていない。


 はぁ——。

 僕はナタが起きるのを少し待つことにした。



 始まりはそんな日だった。


 不思議な日。

 僕には朝から嫌な予感があった。


 嵐の前の静けさと呼ぶにはあまりに長閑で、

 丘を登ってくる風は音もなく吹き抜けて、

 太陽は雲間から優しい光を投げかけていた。


 どこがおかしいのかと問われれば、僕は首を傾げるだけだ。だけど、なにかがこれまでと違う気がしていた。

 なにかが……。


 それがはっきりとわかったのは、僕たちのところに騎士の一団がやってきたときのことだ。



「よお、ナタ。お前こんなに良い風が吹く日になんで眠っている? おヒ様はもう神殿にあがっているぞ」

 そんな言葉を馬上からかけてくる戦士がいた。

 僕は彼を知っている。たまにナタに話しかけてくる騎士の名前は、

「ラバシリ王子」だ。


 だから、

「ラバシリ王子が来たよ。ナタ起きてよ」

 僕はナタに催促した。


 ラバシリ王子と二人で詰め寄れば、ナタの眉間にも皺が寄るというもの。

 強靱な足を持つ馬に跨がってラバシリ王子が横たわったナタに近づくならば、それは今にも蟻を踏みつぶしそうな巨像のような印象になる。

 これならナタだって眠っていられるはずがない。


 僕は、

「しっしっしっ」と次の展開に含み笑い。


 ナタは起き上がる体勢にはなったが、まだ顔は寝ているまま。


 それでも僕の時とは違うナタの反応に、

「ナタって僕が言っても起きないんだよ。狡いよ」

 僕は最大の抗議をしておいた。


「イザリースは相変わらず平和だな」

 そんなふうにラバシリ王子はため息をつく。


 イザリースとは、僕たちがいるこの都市のことだ。まあ、ここは辺境で都市部はここからは見えないけれど、イザリースというだけあって、他の地域と違う景色がそこかしこにある。


 神殿跡のような遺跡に、神木と謳われる樹木。

 神々の遊び場。

 水の都に続く虹の橋が遠く、

 アヴァロンの炉から出る煙は森の向こう側。


「お前に教えておきたいことがある。朗報と凶報と、ふたつある」

 ラバシリ王子は言った。

 このラバシリ王子は、ヒルデダイト国の王子であると同時にイザリース国との連絡係にもなっている。彼がナタの元に来たのならば、それはヒルデダイトの情報がイザリースに持ちこまれたことに他ならない。


 僕はこの時、ナタの従者のようなものだ。

 ラバシリ王子が会いにきたのは、あくまでナタのほうだろう。

 ラバシリ王子は騎士装束ながら、兜を小脇に抱えて赤く色づく髪をその頬に垂らしていた。汗で髪の毛が張り付くのは、暑さばかりが原因ではない。


「まずは吉報だ。アーセナが学士会の上級課程に進学したそうだ。初めて出会ったときから利発な子だと思っていたが、寝ているばかりのお前と違って、彼女は確実に成長しているな」

 ラバシリはナタをからかうようだった。


「アーセナは関係ないし」

「いつも一緒にいたじゃないか。あれから一〇年だろう。そろそろ会いに行ってみたらどうだ」

 言われて、ナタはむすっとなった。

 他人と比較されて勉強しないなんて言われれば、拗ねたくなるのもわかる。


「アーセナって一〇年前にナタと一緒に遊んでいた女の子のことだよね」

 僕は彼女には会ったことがない。僕がイザリースに辿り着いた時、すでに彼女はいなかった。あるのは思い出話だけ。


 普段のナタとの会話中に彼女のことを詳しく質問する機会はなかったから、僕にとっては、ナタが眠って居る今がそのチャンスだった。

「その人にもケニングとかあるんです? ナタみたいに」

 特別な人にはたいていケニングがある。ケニングがわかれば、素性がわかりそうなもの。


「ケニング? あの娘はギリシャから来た商人の娘だよ。えらく頑固な商人で結局、彼の御仁は火の剣を持って帰ってしまったけどな。その時アーセナも一緒にギリシャに帰ったんだ。ナタとは腐れ縁さ。あの頃ヒルデダイトとミツライムが大戦争をやっていてな。ナタとアーセナはこっそり戦場にでかけて駆け回っていた。戦争を止めるんだとか言ってな。二人ともよく怒られたもんさ」


「ヒルデダイトとミツライムの戦争って」

 何年も前の話だ。

「カデシュの戦い。知ってるか?」

「なんとなく」

 僕は戦争には首をつっこみたくはなかった。戦争なんてどこにでもあるものだ。


 だから、

「へえ、暴走ストームに負けずに暴れる女の子がいたんですね」

 僕はその女の子のことを少し想像して笑えた。


 ナタはその話をすると、少し嫌がった。

 それは戦争の記憶を呼び起こすのだろう。

「アーセナは俺のおっとうから火の剣を譲ってもらうために、イザリースに来ていただけだ」


「会いに行くのが怖いのか?」

 畳みかけたのは、ラバシリ王子。


 言い返すのは、ナタ。

「そんなわけないだろ」

「お前、昔アーセナを守るサムライになるって話してたよな」

「そんな昔の話、覚えてないが」

「ではなぜ耳が赤い。お前実際にはアーセナに会いにいく理由がほしいだけだろ。今のままじゃ恰好もつかないか」


「今のままって?」

 僕はまだナタが眠って居るものと考えて口を挟んだ。

 ラバシリ王子の返事は短くて分かりやすい。

「無職」

 そういうことだ。


「あぁ、無職ですか」

 ナタには刺さる言葉だろう。彼には冗談でつけられたケニングはあるが、正式なケニングがない。


「アーセナはイザリースの良い巫女になりそうだな。それを護る騎士は、ちゃんと成長しているのか――」

 なんてラバシリ王子は煽っていく。


「あ、ナタの耳がさっきより真っ赤だ」

 僕にもわかるほどに、ナタは照れている。

「ハズい……」

 ナタは眠ったふりに戻った。


 ただこれには続きがある。


 ラバシリ王子が用意していたのは、吉報だけではない。

 ここに凶報があった。


「その一〇年前のカデシュの戦いのことなんだが、お前はアーセナの兄を覚えているか? ヒルデダイトのチャリオッツ部隊の指揮をとっていた学生がいただろう」


「アリーズって言ったっけ。アーセナが心配していたから、俺はアーセナを連れて行ったんだ。ラバシリの弟と一緒にチャリオッツに乗っていた人。あそこでは天才とか呼ばれていた」

「そうだ、学士会では俺の弟クジャと同じ学年だった。学徒動員で、まっさきに戦場に出てきたのが彼らだ」

「でもカデシュの戦いなんてもう終わったことだぞ。平和条約が締結されて、みんな平和になったんだ」


「彼らの中では戦争は終わっていないよ」

 ラバシリ王子は、「今になってアリーズが戻ってきた。クジャと結託してヒルデダイトを裏から牛耳る動きをしている」と結んだ。


「考えすぎじゃないか?」

 ナタは言う。


 戦争が終わってないといくら叫んだところで、世界の平和はイザリースによって保たれている。ミツライムとヒルデダイトの争いも最終的にはイザリースが仲介に入っている。これは次の戦争が起きたとしても同じようになるだろう。

 この歴史は僕も知っている。


 イザリースがある限り、何度戦争が起こっても同じように平和になるのだと思う。なぜなら、イザリースの中心にいるのが創造主と呼ばれる巫女だ。


「火の剣が戻って来たと言ったら、まだお前はそんな暢気なことを考えていられるのか?」

 ラバシリ王子が言い方を変えた。


 イザリースが世界の均衡を保つのは、そこに、

「剣」があるからだ。


「火の剣? それってさっきも聞いたような気がするけど」

 僕は考える。火の剣と言えば、ギリシャから来た商人が持って帰ったという剣だ。

「ああ、アーセナのお爺さんがイザリースから持ち去ったものだ。祭儀用に保管することが約束された剣だが、それをアーセナの兄が持ち出している」


「それって、そんなにまずいことなんです?」


「あれは天剣だ。間違いなくその力はあるし、祭儀用で刃がないことはおそらく力に関係ない。この意味がわかるか?」

 ラバシリ王子は怖いことを言った。


「意味って?」

 僕は聞き返すが、ラバシリ王子は天剣については口を開かない。

 なぜなら、

「天剣に触るなって言われる。見てもいけないらしい。だから特別な時に俺も一度見ただけだ」

 そのようなものだとナタは教えてくれた。「カデシュの戦いの時に、イザナミが最後に太陽の剣を掲げた。まるで太陽が二つになって、世界を照らすように見えた。その瞬間にミツライムの神は戦いをやめたよ。目が潰れそうになって、俺はよく見てないけど」


「あれには創造の力がある」

 ラバシリ王子は言う。


 僕とナタにはまだ少し理解が追いつかない話だ。

「そんな剣があるの?」

「その剣を持てば、三つの願いが叶うとか。そんな伝承もあるし」

「ええー」

「本当かどうかはわからんけど」

 ナタがそこまで言えば、


「それが良からぬ人間の手に渡る。その意味がわかるかって聞いている」

 ラバシリ王子は声を荒げた。


 ナタがしぶしぶ口を開いたところでは、

「触ると人間じゃなくなるって言われたぞ」

 これは圧倒的な力の象徴のことだ。「ツルギ」と言えばすべての語源はこれを指す。

「人間じゃなくなるって、具体的に触るとどうなるのさ」

 僕はその先が気になった。


 むかしむかしの、そのまた昔のこと——。

 ここに神と悪魔の物語あり。


 だからこそ、ラバシリ王子はナタを探していたのだろう。

 ラバシリ王子は言った。

「俺は、アリーズと王宮ですれ違った。なんていうか、正直人間だとは思えなかったよ。はっきり言うが、俺はあそこに悪魔を見た」


「悪魔」

 ナタが繰り返す。


 不意に、僕にはこの世界がどこか怖いもののように感じられた。

「悪魔ってなにさ」

 僕はその名前をこの時初めて耳にした。言葉にしなければ、認識できないものが世界にはたくさんある。「ねえ、なんか怖いよ」と震えたのは、嘘なんかじゃない。


 僕はどこかで悪魔のことを感じていたのかもしれない。

 今日は朝から何かが不安で、胸が苦しかったんだ。

 その正体を言い当てられたようで、僕は唖然とした。


「人間じゃないものたちのことだ」

 ナタはそんなふうに僕に教えてくれる。

 そして瞬間、


 ナタは起き上がっていた。


 その瞳は黒い中に鋭い輝きがあって、どこか遠雷を伴う激しさがあったように見えた。 

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