第4話 動き出す

 法事が終わり、暫くして新居が決まりマンションを退去する日が決まると百合香は忙しくなった。

 朝は渉を起こし、送り出してからは引越しの荷物を纏める日々。

 

 新居は前回とは違う家を選んだ。

 大きなリビングは庭に出られるウッドデッキに繋がり、そこに面したキッチンは広かった。大きな窓からは四季折々の花が見える庭が望めたのだけれど嫌な記憶が作られた場所だ。

 ほぼ決めていた家ではなく違う家が良いと言った百合香に渉は「あんなに気に入っていたのに本当にいいのか」と残念そうな顔を見せた。

 どんなに気に入っていたとしても再び選ぶ気にはならなかったのだ。


「お稲荷さんにこれからはたまにしか来れないって報告しないと」


 まだ何も成し遂げられてはいないけれど見守っていて欲しい。今、自分が考えている事が正しい事ではなくても進む事を許して欲しい。

 ただ百合香は自分の思う幸せを手にしたいだけ。

 

 百合香はおいなりさんを作りその場へと足を運んだ。


「こんにちは」

「あっこんにちは」


 百合香がお稲荷さんへ着くと老婦人が先に手を合わせていた。

 手にしたおいなりさんをそっとお供えして百合香も手を合わせる。

 静かな祈りを終えて顔を上げた百合香は老婦人にも今度引っ越す事になったと伝えた。


「今までありがとうね」

「こちらこそ。でもたまに来れたらいいなって思ってます」

「そうね、お稲荷さんにたまに顔を見せてあげて」


 不思議とこの老婦人にはなんでも話せる雰囲気を感じる。

 百合香が自分の身にこれから起きる予感がすると前置きしてある人達を憎み、復讐したい気持ちがあると打ち明けると穏やかな笑みのまま初めて会った時より生き生きとしていると老婦人が笑う。


「大丈夫、貴女の思う通りに進めばいいの」

「でも褒められた理由じゃないですよね」

「そうね、人を恨む、復讐するって良いことではないけれど、貴女の生きる原動力になるのなら私がどうこう言うものじゃないでしょう」

「お恥ずかしい⋯⋯」

「私ね、最大の復讐は幸せになる事だって言うけれど、それは全ての人に当てはまらないと思うの。人の心って傷付いたらその傷はずっと残るのよ。傷つけた相手にも苦しみを味わってもらいたい。そう思う人だっているわよ。深く傷付いているのだから」


 醜い本心を吐露した百合香の胸に老婦人の言葉が沁みた。


「ただね、決して人の道を外れるようなやり方はしないでね」

「はい⋯⋯肝に命じます」


 百合香が頷いたのを見て老婦人は嬉しそうに笑った。



 奇跡の日から三ヶ月。

 新しい家での生活が始まった。


 リビングで百合香はノートを開く。

 ノートの時系列で見るとそろそろ渉の帰宅が遅くなる回数が増えるはずだ。

 渉は「新しい家の為に頑張らなくては」なんて笑っていたけれどよく言うと百合香は呆れる。

 全てが奈美子と不倫していた訳ではないだろうが、遅くなる回数が増えたのは確かだった。


「馬鹿みたい」


 ノートには怒りや憎しみ、嫉妬の他にどす黒い感情が渦巻いている。

 こんな感情に任せていたらまた醜くなってしまう。そう思い心を落ち着かせようとするけれど上手くいかないのだ。

 ノートを閉じると家の電話が鳴った。


「桐島さんですか? 私西岡です」

「亨さん? 珍しいですね」

「あの、お聞きしたい事というか、相談と言いますか⋯⋯」


 電話の主は奈美子の夫、亨。

 法事以来になるがその声は言うか言わないかの葛藤と何かを決意しようとしている。

 誰かに答えを教えてほしいそんな含みがあった。


「最近奈美子の帰りが遅いのです。問い詰めてみたら友人の相談に乗っていると。奈美子の友人関係とか⋯⋯百合香さんはご存知でしょうか」


 ああ、もう奈美子は動いているのかと百合香は感心した。奈美子は少しづつ遅くなる回数を増やし始めている。

 焦るな。自身に言い聞かせながら慎重に言葉を選ぶ。


「亨さん、あくまでもこれは私の想像です」


 そう前置きして百合香は奈美子が渉に言い寄ろうとしているのではないか。おそらく帰りが遅いのは渉の会社にでも待ち伏せに行っているのではないか。

 今のところ渉は残業の範囲内で帰っているが奈美子は強引だ。渉が流されるのも時間の問題だと。


「もし、二人が⋯⋯不貞を働こうとしているのなら、渉を止めるのは私の役目なのに、亨さんの奥さんを疑う事を言って申し訳ありません」

「⋯⋯いえ、奈美子は⋯⋯そういうところありますから⋯⋯なんというか、自分は誰にも好かれていると思い込んでいるというか、自分を好きにならない男はいないと思い込んでいるというか⋯⋯自分で言うのもなんですが私と結婚したのはおそらく奈美子の周りに数いた男性の中で一番出世し、そこそこに見栄えが良かったからなのでしょう」


 奈美子は最近、窘める亨を邪険に扱うようになったそうだ。


「最悪、離婚を考えるようになりまして⋯⋯もし、奈美子が渉くんとその、不倫すれば⋯⋯有利に離婚できるのだろうかと私も百合香さんの話を聞いて考えてしまいました。すみません」

「いいんです。亨さんは悪くありません。渉と奈美子の問題ですから亨さんが悩む事ではありませんよ」


 驚くほど冷静だった。

 これから自分の夫が不倫するのを知っている。止めようと思えば他にやりようがあるのに百合香は二人を追い詰める為に泳がす事を選んだ。


「亨さん、一度お会いしてお話をしたいです。時間がないのでこれから言う住所に今から来ていただけませんか」

「これからですか⋯⋯分かりました。早退して向かいます」


 百合香が告げたのは親戚の家。

 亨と二人きりで会っては百合香と亨も不倫していると奈美子に隙を与えることになってしまう。

 

 亨との電話を切った百合香はすぐに法事の時奈美子と渉を目撃してもらった同じ市内の親戚の一人に電話を入れた。

 急なお願いに奈美子の事で話し合いをすると言えば快諾してくれた。


 次に百合香は渉へ「親戚の家へ遊びに行ってくる」とメールを入れる。

 ものの数分で「了解、遅くなるようだったらそっちへ迎えに行く」と返って来た。

 これも証拠作りだ。

 

 百合香は簡単に部屋を片付けノートをバッグに詰めると家を出た。

 大通りでタクシーを捕まえ乗り込むと急にドキドキして来る。

 渉が奈美子と関係を持つのが分かっているのに泳がせる。本当は心底嫌だ。気持ちが悪い。

 けれど一矢を報いたい。言いたい放題される百合香は要らない。


「お客さん行き先、病院にしましょうか」


 心臓を押さえた百合香を心配する運転手がルームミラーに映った。

 人の目がある。すっと百合香に冷静が戻って来る。


「大丈夫です。このまま行ってください」


 百合香はぎゅっとバッグを抱え目を閉じた。

 このところいつもだ。目を閉じると渉が浮かぶ。憎いのに愛おしい。

 

 百合香の心の中に蔓が伸びる。

 

 ふと百合香は目を開けた。

 逃がさない。絶対に。

 

 伸びた蔓が百合香の心を埋め尽くした。








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