第3話 法事

 老婦人の言葉が頭に残る。

 思うように生きる。その為に奇跡を受けた。


 老婦人と別れ帰宅した百合香は大きく息を吐き暫くの間、思考の海に潜る。

 やがて彼女は顔を上げると、決意を込めて自身に宣言した。


「迷いは必要ないわ」


 迷いを捨て成し遂げる。そこに後悔はもうない。

 予定された未来を知っているのだから足掻くだけだ。


 西陽が差し込む部屋、百合香は時計を見て立ち上がった。


 奈美子は自分を正当化させる為にロビー活動をしていた。それが有効な手段だと教えてくれた。


 だから百合香は普段と変わらない生活を続ける。

 朝起きて渉の朝食を作り見送り、夕食を作り出迎える。妻として家庭を営み渉を尊重して尽くす。

 周りに良き妻、良い家庭を築こうとしている姿勢を見せる為に。


「何も知らない私を演じてあげる」


 百合香は渉にメールを入れた。

 体調が良くなったから夕飯は作ると。

 それでも渉は残業をしないで帰ってくるのだ。百合香の知る渉はそういう人だったのだから。



 一週間後。

 百合香にとって二度目の祖母の法事、そして復讐を始める日になった。


 法要の後、寺の控え室で親戚達と和やかな談話をしながら百合香は渉と奈美子の動きを注視する。


 年配の親戚は百合香と奈美子の若夫婦に早く子供を作れ、子供を持って一人前だと勧める。

 百合香はそれを笑顔で受け流し奈美子はそんなの時代錯誤だとむくれ一時場の空気が凍りついた。


 あれ? と百合香は密かに首を傾げた。

 細かい事は覚えていないがこんな空気になっただろうか。親戚にいつも可愛がられていた奈美子は何を言っても何をしても笑って許されていたはず。

 「あっ」と百合香は思い出した。

 前回のこの時、百合香はここに居なかった。


 周りを見回して奈美子の兄嫁がいない事に気付く。


(そうだ、前回は私、お墓の掃除をしていたのよ)


 前回は奈美子の兄嫁、皐月と皐月の子供と一緒に墓の掃除をしていたから奈美子と渉が二人で会う機会を与えてしまっていたのだ。

 今日は奈美子と渉を監視する為、百合香は申し訳ないと思いながらも掃除を手伝わず二人を観察していた。


(もしかしたら奈美子が思っているほど親戚から可愛がられていないのかも知れないわね)


 子供の頃は無邪気さを可愛いとされても大人になればその無邪気さは可愛げが無いと捉えられる。

 しらけた場の空気を感じないのか奈美子は親族達へ不満を漏らしていた。

 親族達も流石に奈美子に付き合いきれないと一人、また一人と話を切り上げて別の話題へと移って行った。


「百合香、ちょっと手洗いに行ってくる」

「あ、私も行くわ」


 百合香はいよいよだと気を引き締める。

 席を立ち廊下へ出た時、奈美子の騒ぐ声が響いた。


「もうっおじちゃんおばちゃん達は古いんだから」

「奈美子、それくらいにしておけ。おじさん達が困ってるだろ」

「もうっ! 亨も女は子供を産む道具だとか言うわけ? 酷いっ」


 飛び出して来た奈美子が百合香達を⋯⋯渉をチラリと見て小走りで去って行った。


「奈美子が、すみません⋯⋯」


 申し訳なさそうな亨の顔に百合香は苦笑いをする。

 決して亨は気が弱いわけではない。

 いつもかっちりとした姿勢でどちらかと言うと厳しい部類に入る。

 何故前回、亨は離婚を了承したのか⋯⋯。

 再び百合香は「ああ」と納得した。

 普段の奈美子に愛想を尽かしていたのは亨の方だったのではないか。


「百合香? もしかしてまだ調子悪い?」

「ごめんなさい。大丈夫」


 百合香はお手洗いに入るふりをして近くの部屋に入る。

 奈美子が渉に話しかけるなら一人になった時を狙うだろう。

 息を顰める百合香の耳にパタパタとした足音が聞こえ、百合香はより神経を尖らせた。


「あっ渉さん」

「奈美子さん。どうかしました?」

「んー、なんか部屋に戻りたくなくて、ねえ庭でも見に行きません?」

「じゃあ百合香にも声をかけて──」

「百合香ならさっき部屋に帰ってましたよ」

「えっでもさっき部屋には──」

「いいからっ行きましょ」


 よくもまあ、すらすらと嘘が出る。

 部屋に帰りたくないのに何故部屋の様子を知っているのか。渉の腕を引く奈美子の後ろ姿を冷めた目で百合香は見送り、戦いの始まりだと親戚の集まる部屋へと急いだ。


「百合香ちゃん奈美子ちゃん見なかったかい」

「全くあの子はまだ子供気分だなあ」

「亨くんも苦労してないかい?」


 苦笑いの亨が槍玉に上がって気の毒だ。

 百合香は親戚を宥め、庭が素敵だと誘えばお喋りに飽きていた何人かが賛同した。


「亨さんもいかがですか。空気入れ替えましょう」

「そうですね。では、行きます」


 上手く行った。

 百合香は親戚と亨を案内しながら渉と奈美子を探した。

 流石に人の出入りが見える場所にはいないだろう。ならば庭の外れ。本堂と垣根の死角になる場所だ。


「⋯⋯ましょう」


 奈美子の声。

 はっとしたふりをして振り向けば興味津々といった親戚と眉間に皺を寄せた亨。

 見つけたと百合香はポケットの中に手を忍ばせ、スマホの録音を開始する。


 すっと垣根に身を屈めた百合香に倣って親戚達も身を隠す。

 いい大人が鈴なりに身を隠す姿は理由を知らない人がみたら滑稽だろう。


「私、百合香は渉さんに相応しくないと思うのよ。だって私の方が若いしみんな可愛いって言うのよ。渉さんも私を可愛いと思うでしょ? 仲良くしましょう。ね、お姉ちゃんの旦那さんと仲良くしたいって妹の気持ち分かるでしょ?」


 奈美子の表情は子供の頃から見て来た媚びを売るもの。

 渉の表情は見えないが、腕を伸ばした奈美子に彼は後退りした。

 渉はこの時、奈美子を拒否しようとしていたのだ。百合香の胸がチクリと痛んだ。


(それでも渉は奈美子と関係を持ったのよ)


 百合香の復讐相手は二人なのだ。


「ね、仲良くしてお兄ちゃん」


 奈美子が渉の腕に絡みついたのを確認して百合香はすっと立ち上がった。

 

「渉? あら奈美子。こんなところで何をしているの?」


 努めて冷静に声を出したつもりだが成功しているだろうか。


「奈美子、お前何をしているんだ」

「え、亨!? あ、えっと渉さんはお姉ちゃんの旦那様だから⋯⋯お話ししていてもおかしくはないでしょ! 何もしていないわよ!」


 「まだね」そんな続きが百合香には聞こえた。


「お姉ちゃんこそ亨と何してるの? ふうん、もしかしてお姉ちゃん亨と──」

「私はみんなと庭を散策していたのよ。そこに貴女の声が聞こえたの」

「あ、え、あっそうなんだ」

「そろそろ料亭の迎えが来るわよ」

「そうなんだ、荷物取ってくる」


 助かったと言うようにニヤリとした奈美子はそそくさと百合香の脇を通り抜けた。

 一瞬見えた表情は口を歪め百合香を睨んでいたようだった。


「何を考えてるんだ奈美子は⋯⋯」

「まさか奈美子ちゃん渉くんに言い寄ってたのかい?」

「おいおい親戚同士で何しようとしてるんだ」

「あの子昔からそういうところあったじゃないの」

「幸枝さんと浩二さんに話しておいた方がいいんじゃないかい」


 亨も親戚達もその表情をみれば奈美子に不信感を抱いたのが見て取れる。


 上々だ。

 録音には奈美子の声、親戚の声が録れている。

 もし、奈美子がこの先、百合香も亨と密会していたと言い出してもその場に親戚が居たと証明できる。

 

「渉、行くわよ」

「あ⋯⋯うん。ごめん百合香⋯⋯その⋯⋯」

「何か謝らなくてはならない事をしたの?」

「いや、していないけど⋯⋯誤解されるような状況だったし⋯⋯」


 でしょうね。そう百合香は俯いた渉を冷めた目で眺めた。


「そうね、不愉快ね」

「えっ、なんて?」

「何も言ってないわよ」


 いくら拒んでいたとしても、申し訳ないと感じていても結局渉は奈美子と関係を持ってしまう。

 馬鹿馬鹿しい。

 それでも百合香は渉が好きだ。愛している。

 その愛を裏切ったのは渉だ。

 

「私達も行きましょう」


 驚いた顔で見返す渉の頬をそっと撫でながら百合香は小さく笑った。








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