リヒルド3
三.
部屋に入ると、中は平凡な診察室だった。机があって医者と患者が向かい合って座る椅子があるだけの診察室だった。だが、それはリヒルドに予備知識があったから、診察室に見えただけで、個人で開業している弁護士事務所にも、税理士事務所にも見えた。医療機器が何も無かった。部屋はがらんとして広かった。
ジェリマンに促されて椅子に座ると、リヒルドはすぐにジェリマンの顔を見た。ジェリマンは立ったままリヒルドを見ていた。ムースタウンの老人達の証言どおり、ジェリマンは若かった。しかも、端正な顔立ちをしていた。リヒルドは、ムースタウンの老人がジェリマンに簡単に騙されたことを理解した。端正な顔立ちをしたジェリマンが白衣を着ているだけで、彼が優秀な医者であるという錯覚が生まれるのだ。だから、ムースタウンの老人達が、ジェリマンに騙された原因を、彼らが老人であることに帰結してはいけないと思った。現に、ジェリマンが医師免許を持たない偽医者であることを知っている自分でさえ、彼を医者だと錯覚してしまうのだから。リヒルドは、ジェリマンが中央政府医科大学を卒業していないことも、中央政府医師名簿の中に彼の名前が無いことも、ジェリマンの履歴ファイルを読んで知っていた。ジェリマンは、バークタウン出身の孤児だった。数々の犯罪に手を染めたバークタウンの典型的な不良少年だった。だが、成長するにつれ、人体実験に興味を持つようになり、その頃から、医者を名乗るようになったのだった。
「では、こちらに必要事項を記入してください」
ジェリマンが一枚の用紙をリヒルドに渡した。
見ると、氏名、住所、生年月日、希望若化年齢、これだけしか記入欄がなかった。
リヒルドは、驚いたが、とにかく記入した。全てでたらめを書いた。希望若化年齢は、二十歳にしておいた。
ジェリマンが、記入し終えた用紙を見ながら、
「ヘバトルさん。七十五歳。希望若化年齢は二十歳。問題ありません。注射一本で、あなたは二十歳に戻れます」
リヒルドにそう言った。
机の向い側にいるジェリマンは立ったままだった。
リヒルドは、そのことが気になった。
すると、ジェリマンが見下ろすようにリヒルドに尋ねた。
「このビルの地下にある診察室のことは誰に聞いて知りましたか?」
「年寄り達の間で噂になっているんです。私は、どうしても若返りたいため、沢山の人に聞いて、何とかここに辿り着きました」
リヒルドは答えた。
ジェリマンは笑った。
「ヘバトルさん。老化クリーム程度で私を騙せると思いましたか? あなたは中央統制警察官でしょう? ドアの外には何人ぐらい警官が待機しているんですか?」
ジェリマンの言葉に、リヒルドは老人の声色を使うのをやめた。
「ドクター・ジェリマン。この地下の診察室は私が一人で見つけたんです。あなたに、おかしな注射を打たれて街の真ん中で変死した六人の足取りを追って。大変な作業でしたが、六人ともに共通する地点があったことを見つけました。それが、この廃墟化したビルでした」
「さすが、中央統制警察官は優秀ですねえ」
ジェリマンはリヒルドの話を聞いてニヤリとした。
「私は中央統制警察官ではない。志願警察官だ。ムースタウンのパトロール中に、ある老人と話をして、彼らの悲しみを知った。同時に、その悲しみにつけ込んで六人の老人を殺した貴様を、必ず、私が探し出すと決意して、ようやくここに辿り着いたんだ」
リヒルドは自らの覚悟をジェリマンに語った。
だが、ジェリマンはリヒルドの話を聞いていなかった。
それよりも、志願警察官という言葉にプライドを傷つけられたらしく、
「マッドドクター・ジェリマンの隠れ家を見つけて、逮捕しにきたのが、志願警察官だと? 志願警察官なんて素人じゃないか。私も随分、軽く見られたもんだな」
そう言うと、白衣を脱ぎ捨てた。ボディスーツがジェリマンの筋肉で隆起していた。
リヒルドも立ち上がるとジェリマンから離れた。そして、灰色のボディスーツを脱ぎ捨てた。彼は灰色のボディスーツの下に、志願警察官のユニフォームである白のボディスーツを着ていた。耐熱性、剛性、軽量性に優れたボディスーツだった。スーツの腰には照射銃が装着されていた。
それから、リヒルドは、顔から首にかけて塗られていた老化クリームを右手で剥がした。剥がした老化クリームは大きな一枚の膜のようになっていた。リヒルドは、それを床に投げ捨てた。
そして、ジェリマンに言った。
「老化クリームが二時間しか効果のない理由が分かった。皮膚呼吸ができないからだ。窒息するかと思った。こんなに簡単に見破られるんだったら、まわりくどいことをせず、最初からこの部屋に突入するべきだった」
それを聞いたジェリマンは、冷たく笑った。
リヒルドとジェリマンは、距離を置いて対峙した。
ジェリマンは、志願警察官の姿になったリヒルドを見て、
「いいねえ。俺は、まだ、警察官は殺したことがないんだ。お前が記念すべき第一号だよ。ヘバトルさん」
「リヒルドだ。へバトルじゃない。私はリヒルドだ。偽名の人間に捕まるのは嫌だろう?」
「紳士なんだな。ただ、君が死ぬことになるが。でも、名前は覚えておいてあげよう」
ジェリマンは、せせら嗤いながら、机の抽斗に手を入れた。リヒルドの携帯する照射銃より、二回りサイズの大きい照射銃を取り出した。そして、いきなり、リヒルドに向けて、照射銃を射った。
素早くリヒルドが、よけると、彼の後ろにあった鉄製の薔薇の造花と花瓶が高熱を照射されて、一瞬で消滅した。
「結局、殺し合いで決着をつけるしかないのか」
リヒルドは、照射銃を最高温度に設定した。まともに命中すれば、ジェリマンは地上から消滅する。本意ではないが、こうするしかなかった。勝つしか生き残る道はない。リヒルドは、余計なことを考えないことにした。
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