リヒルド2

二.

ある日、マッドドクター・ジェリマンは、ムースタウンと呼ばれる高齢者専用の街に現われた。ムースタウンには、どこにも段差はない。それでも、つまづいた時には、瞬時に、地面に張り巡らされたセンサーが感知し、硬い地面がクッション状に変化して、倒れた高齢者を受け止めるようになっている。その他、高齢者に様々な配慮がなされた街だった。但し、この街に住めるのは金持ちの高齢者だけだ。しかも、かつて中央政府に関連した仕事をしていた人間に限られていた。一般の高齢者は薄汚いビルの建ち並ぶバークタウンと呼ばれる庶民街に住んでいる。


白衣を着てムースタウンに現れたジェリマンは、自らを、『人間の寿命について専門的に研究する医者』だと紹介した。高齢者達は、白衣を着たジェリマンの言うことを何ら疑うことなく信じた。そして、ムースタウンの憩いの広場に立つジェリマンのところに多くの高齢者達が集まった。ジェリマンは、金持ちの老人にはお人好しが多いと腹の中で笑った。

ジェリマンは、ボタンをかけずに白衣を羽織っていた。白衣の下に運動性の高いボディスーツを着ているのが見えた。身体にフィットしたボディスーツで、逞しい筋肉質のジェリマンの身体が浮き出ていた。巷ではマッドドクター・ジェリマンは老人だと思われているが、本当は若い。その若く健康的な肉体をボディスーツを通して見せられた高齢者達は圧倒された。そして、羨ましいと思った。ジェリマンは彼らの表情から、そのことを読み取った。

「若さは永遠ではないからこそ価値がある。これは、今までの常識です。科学の進歩とは常識を覆すことでもあります。すなわち、私は、若返りの研究に成功しました。叶うはずがないと思われてきた人類の夢を私は現実にしたのです。老化なんてクソ喰らえ。みんな若返ろうぜ! という研究に成功しました」

ジェリマンはそう言うと集まった高齢者達を見て笑った。

冷たい笑顔だった。でも、そこにいた高齢者達は、何故か、彼の冷たい笑顔に惹かれた。


集まった高齢者達の中から、男三人、女三人が若返りたいと手を挙げた。ジェリマンは、彼らに、注射を一本打つだけで二十歳の若者に戻れると言うと、彼らを、ジェリマンが所有する八人乗りのジェット・エアカーに乗せて消えてしまった。

事件はその直後、起こった。

六人の若者が、街中で次々と全身から血を噴き出して、身体が縮んで死んだ。その後、しぼんだ風船のようにくしゃくしゃになった皮膚だけが、歩道の上に残った。顔もくしゃくしゃになり、残った眼球は、左右ともにあらぬ方向を向いていた。遺体を解剖すると内臓も骨も無くなっていることが分かった。皮膚の組織を調べると奇妙なことに、若者の皮膚ではなく老人の皮膚だった。


事件の経緯を思い出しながら、地下一階の廊下を歩いているうちに、リヒルドは、一番奥の部屋の近くまで来ていたことに気づいた。中には、ジェリマンがいる。必ず、殺るか殺られるかの状況になる。俺は死ぬかもしれない。リヒルドは、足がすくんだ。だが、殺された老人達のことを考えた。死亡した六人から採取した皮膚組織のDNAから、彼らがムースタウンに住む男女六人の老人だとすぐに分かった―市民のDNA情報は、全て中央統制警察に保存管理されている。中央統制警察は、犯罪の迅速な解決のためにDNA情報を活用すると言っている。しかし、それは同時に、市民にはDNAレベルまでプライバシーが無いということを意味していた。


そして、被害者が明らかになってから、リヒルドは、ムースタウンをパトロールするように命じられた。ムースタウンは、治安が良く犯罪が極めて少ないため、これまで、週一回のパトロールを行うだけだったが、事件後は、毎日、パトロールを行うようになった。リヒルドは、以前は、金持ちの老人が呑気に暮らしている街としてムースタウンを敬遠していた。でも、パトロールをするようになって、そこに住む人々のことを知った。

「お巡りさん。死んだ六人が、あの白衣の男のジェット・エアカーに乗る時、私は彼らを止めたんです。でも、私も、このまま老いて死ぬのが怖い。この街に住む老人のことを、みんなは、社会的に成功して、楽しく生きて来た人間だと考えていると思います。でも、実際には、そんなことはないんです。生きるために必死に働きました。そうしたら、偶然、仕事で成功しました。すると、次には、成功を維持するために、もっと働かなければならなくなりました。更に、中央政府から「優良業務遂行人」と認められ、私の商売は廃業させられ、中央政府の仕事を委託されるようになりました。お巡りさんなら、ご存知だと思うので、お話しますが、中央政府の仕事には、秘密厳守とされるものが沢山ありました。違反すれば厳罰に処されるため、神経をすり減らすように働きました。にもかかわらず、他人からは国の手先と陰口を言われました。そんな日々に耐え続けて、気づいたら、この歳になっていました。妻には先立たれましたが、二人の間には何の思い出もありません。空っぽの人生です。だから、本当は、私も、あの男の誘いに乗って、思わずエアカーに乗りそうになりました。もう一度、二十歳に戻って人生をやり直したい。そう思ったんです……」

老人とは、憩いの場で話をした。リヒルドはその老人の声を、金持ちの老人の声ではなく、孤独な老人の声として聞いた。その時から、リヒルドには、ムースタウンが悲しみに満ちた街に見えるようになった。


リヒルドは、もう一度、背中を曲げた。そして、左手を見て、老化クリームがまだ効いていることを確認した。静かに廊下を歩くと、ジェリマンがいる部屋の前に立った。それから、右手で軽くドアをノックした。静かな部屋の中に音がした。ジェリマンが動く音だった。ドアの上部に非常に小さな監視カメラがつけられていることにリヒルドは気づいていた。だから、背中の曲がった老人を演じたまま、ドアの前で静止していた。

しばらくすると、ドアの鍵の開く音が聞こえた。

そして、僅かにドアが開き、

「若化人間化を希望されている方ですか?」

と声がした。

リヒルドは「はい。そうです」と返事をしながら、ジェリマンの声が、甲高いことに気味の悪さを覚えた。

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