リヒルド 志願警察 2256

三上芳紀(みかみよしき)

リヒルド

一.

廃墟と化したビルの一室に向かって、リヒルドはゆっくりと廊下を歩いていた。一つは、警戒のため、もう一つは、彼が変装している老人の外見に合わせた速度で歩くためだった。四十歳の彼は鍛え上げられたしなやかな身体をしている。そのため、一見、痩せて見える。だから、老人に変装するのも困難ではなかった。ただ、背筋が伸びているのと背が高すぎるのが、不自然かもしれない。リヒルドは、できるだけ背中を曲げて歩いた。

彼は、今、地下一階の廊下を歩いていた。

天井から水滴が落ちてくる。朽ち果てたビルのコンクリートの隙間から侵入した雨水が、地下一階の天井裏に溜まっているのだった。雨水には強い酸が含まれている。リヒルドが乗ってきた最新のジェット・エアカーもパトロール中に、何度か雨に打たれたため、既にボディが腐食していた。天井から壁につたっている配管も水滴を浴びて腐食している。


かつて、世界が三度目の大戦を行った。地球が吹き飛ぶ寸前まで人類は戦った。そして、世界の人口が著しく減少し、地球上には、ザギス民主共和国という国家一つだけになった。ザギスはその国名に反して、中央集権国家であり、事実上の独裁国家であった。戦争で破壊された都市は無法地帯と化していた。貧困と退廃が街を支配していた。リヒルドは、志願警察官として街の治安を守っている。実際には、働き口がないから志願警察官になった。志願警察は中央統制警察の人員不足を補うために作られた警察組織だった。志願警察官はボランティアではない。僅かだが金が貰えた。優秀な志願警察官のリヒルドは、今回の事件を解決すると、志願警察から正式に中央統制警察に採用されることになっていた。リヒルドにとって、大きなチャンスだった。中央統制警察官になると、給料は今の十倍になり、常時、銃の携帯が許され、合理的な理由があれば、自己の判断で射殺まで認められていた。


リヒルドは、今日、銃を携帯している。志願警察官は、通常、銃の携帯は認められていない。認められるのは、志願警察官及び一般市民に命の危険がある場合であった。つまり、今日は、その危険があるということだった。地下の一番奥の部屋にターゲットがいる。中央統制警察は、嫌疑のかかった人間は全てターゲットと呼ぶ。何故なら、合理的な理由があると警察官が判断すれば、その場で、射殺することも認められているからだった。容疑者や犯人という呼び方は、あくまでも慣習上のものだった。


リヒルドは、高齢者が好んで着る軽量の合成繊維で作られた上下とも灰色のボディスーツを着ていた。軽くて着心地が良いのと、ゆったりと作られているため、痩せ衰えた身体つきが分からないことが高齢者に好まれていた。そして、そのゆったりとしたボディスーツの中に照射銃を隠していた。リヒルドが携帯している照射銃は、中央統制警察官と同じもので、銃口からは高熱が照射される。最高温度で照射した場合、対象物のほとんどが消滅する。人の場合も、骨まで消滅してしまうため、取り扱いには注意が必要だった。リヒルドは、髪を白く染め、皮膚は特殊クリームで老化させている。クリームの効果は二時間しか持続しない。老人のふりをしていられる時間は二時間しかないということだ。


「マッドドクター・ジェリマン。やっと居場所を突き止めた。奴を捕まえれば、俺は、中央統制警察官に採用される。志願警察官のパトロール回りばかりの生活には、もううんざりだ。場合によっては、射殺しても構わない。絶対に逃さないことが大事だ」

リヒルドは、廊下の途中で立ち止まって自分にそう言い聞かせた。

一番奥の部屋のドアの向こうには、マッドドクター・ジェリマンと呼ばれる医者がいる。天才的な頭脳を持ち、同時に、倫理とは無縁の人体実験を繰り返すため、いつからか、そう呼ばれるようになった。かつて、七つの頭を持つ人間を遺伝子操作により作り出したことがあった。七つの思考が同時に発生し、身体がその思考についていけずに、すぐに死亡した。リヒルドの生きる地球は、太陽が常に雲に覆われてしまっているため季節は冬しかない。そこで、ジェリマンは全身に体毛―しかも、羊のような毛―が生えている人間を作り出したこともあった。ジェリマン自身は、防寒性の高い人間を開発したつもりだったが、体温調節が出来ずに、四十度を超える高熱を発し続けて、三週間で死んだ。事例はもっとある。口が三つある人間、耳が六つある人間、腕が四本ある人間など挙げればきりがなかった。「人間の進化系の創造」と彼は呼ぶ、これらの人体実験をする目的は、自身が楽しいから。それだけの理由だった。そして、これまでは、確かに、彼自身が楽しんでいるだけだった。だが、今回は違った。マッドドクター・ジェリマンは、「若化人間化」という研究を行い、その成果を世の中に広めるため、一般市民に実験を行っているのだった。しかも、その結果は、無残なものであった。そもそも、「若化人間化」とは、若返りの実験のことであった。不老不死と若返りは、いつの時代でも関心が持たれるものであり、第三次世界大戦後のリヒルドの生きるこの時代も同じだった。マッドドクター・ジェリマンは、一般市民を実験に参加させるため、その心理を巧みに利用したのだった。


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