第4話 エンギレン①

東門をそっと抜け、駆け出すには丁度いい硬い土の上を軽い足取りで歩きました。

天井は遥か古くに根を張る大木の枝が隠してしまい、月の明かりですら大木の指先の細部に至るまで器用に広げられた枝葉に覆い隠されていました。

そのため、闇は息遣いまで聞こえてきそうなくらいドギンのすぐ側に迫っており、松明の明かりがより一層、暗闇を色濃く浮き上がらせたのでした。

今でこそエンギレンの森は森人や闇人ダークエルフといった種族たちによって秩序を保ち、昔ほど恐ろしい訳ではありません。

しかし、獣や悪の軍勢が蔓延ったかつてのこの場所はまだその力の大半も失ってはおらず、更にその時からずっと生きながらえてきた古い大木達はそれ自体にマナを宿すようになり、それにとどまらず多くの只人は森人や闇人といった存在が住まう場所を遥かとっくの昔に忘れ去ってしまい迂闊に入り込んだが故に闇の力を増長させてしまったりと、依然として恐ろしい場所なのには変わりありませんでした。

率先してデーンは先頭を歩いて注意を払い歩いていましたが、ドギンもその優れた目で闇の中に目をやりました。

小鬼の目は闇の中でこそ真価を発揮したので(というのもドギンは毛が生えてるので別として、小鬼は御光の力で肌が焼き爛れてしまい、日の下で生きる事が出来ないので必然と闇の中で生活することが多いのです)、斥候として周囲を警戒するのに優れていました。

しかし、闇や影に彩られ、元の色を失った夜の森の中では闇の存在をハッキリとさせるだけで、ただの木の幹に刻まれたウロにすら無闇矢鱈と意味付けようとしてしまい、木の枝はドギン達に手を伸ばそうと迫ってきているのではないかと肩に触れただけで怯んでしまったりとすっかり腰が引けてしまったのでした。

その一挙一動をたまに横目で見ていたので笑いが堪えられなかったデーンはついつい吹き出しながら言いました。

「この森は木々の一本の指先に至るまでに魔力を宿してるのか、あるいは闇の力が持つ魔力なのか、どちらにせよ風景っていうのは心を蝕んでしまうものらしい、一先ず、ここいらで腰を下ろすってのはどうだ?」

ドギンは言いました。

「いいえ、もう少し進みましょう。それなりに歩きましたが、アスラン王は森人の道を歩けとおっしょられたのです」

「それがどうした?」

少し息を整えるとドギンは話しました。

「確かに道から逸れるなという意味にも聞こえますし、獣が通っていた道もあるでしょうが、私より冒険し慣れているデーンさん(もちろん、陸よりも海の冒険が多いでしょうがそれでも旅に慣れているという点では同じでしょう)がいらっしゃるのにも関わらず道を逸れるなという忠告に疑問を持ったのです。だから、文字通り、きっとどこかに分かれ道がある筈なんです。そこまで歩かなければまだヒンデンブルクからそう遠く離れていないということなんですよ」

デーンは顎に手を置き、考えるような素振りを見せるのでした。

「なるほど、一理あるな」

「はい、もしかしたらあの国に住まう森人達が通りかかってしまうかもしれない。だから、できるだけ遠くまで進んでおきたいのです」

デーンの気遣いには気づいていないわけではありませんでしたが、その真心だけでドギンを取り巻く不安の衣は解け、一時の安らぎとなったのでした。

再び歩みを進めました。

地面に転がる枝が踏み折れる音や遠近感が掴めないふくろうのホゥーホゥー鳴く声、暗闇は近くにありましたが、一筋の光が見えない訳ではありません。

暗闇がほんの少しにわかに薄くなった頃にようやく分かれ道にたどり着くことが出来ました。

分かれ道が見えた時のドギンは達成感と興奮と疲労のあまり、ふくらはぎから熱が抜けて、膝を震わせながら座り込んで笑いを抑えられない様子でした。

そして、二人は野営用に焚き火を作り、大きな膝掛け二枚を毛布の代わりとしてそれぞれで巻き付けるようにして纏って横になるのでした。

仰向けになって天井を仰いでも見えるのは大木が指の先まで伸ばし広げ、枝葉が何重にもなって覆われた暗闇で、月のミーナールと天空のアマルカルナが織り成す綴織の空を眺めることは出来ませんでした。

隣で豚の鳴き声のような大きなイビキが聞こえますが、音の響きは静寂に殺されるように無限に広がる暗闇の中では響かないのでした。

さっきの興奮が嘘のように冷めて、忍び寄る闇が焚き火が放つ明かりの境界線の縁を際立たせてより強く、その姿を表してるのでした。

ドギンは被りを降って寝返りを打ち、何も考えまいと思って縮こまるようにして眠りについたのでしたが、その時見た夢は以前見た暗闇の夢で、ドギンの気持ちを嘲笑うかのように闇が手を伸ばすのでした。

何度目を閉じても、何度も目を開けてしまい、かと言って何か変わるのかと言うとどちらも暗闇の中で、焚き火がパチパチ音を鳴らして燃える景色の方が幾分かマシなように思えて、結局その日は一睡もせず、交代で火の番をする予定だったのですがデーンの事をそっと寝かせて、辺りに少しでも明るさが帯びるのを待っていました。

ドギンは暗闇が嫌いでした。

自分の身体に流れる物が激しく脈打ち、醜さを顕にしてしまいそうになる闇が嫌いなのでした。


辺りに色が付き始め、暗闇の森に少しの明るさを憶えた頃にデーンは目を覚ましました。

目を覚ましたデーンにこっぴどく怒られたドギンですが、誰にもどうしようもない事に思えたので言い訳も弁明もせずに、素直に謝るだけにしたのでした。

二人は日持ちのしない豚の塩漬けとパンを焼いて美味しい朝食を済ませると、この分かれ道について考えることとなりました。

というのも非常に困ったことに道標らしきものが立て掛けてはなかったものですから、どれが正しい道なのか分かりかねていたのです。

「森人の道なんて言われてるくらいですからなにか目印のような物があると思うのです」

ドギンがそう言うとデーンは訝しげな顔をするのでした。

「それはどうかねぇ、というのもお前さんも知っての通りここは今も昔も闇の力が強く残った森だ。森人はその力を利用して草原の民や海賊を生業としてる海の民から守る天然の要害とした訳だ。何か痕跡はあるかもしれんが目印くれぇハッキリするもんはねぇんじゃないか?」

デーンの言い分もその通りなのですが、森人達も町を行き来するはずなので、ちゃんと見極められるようには作られていると考えていたドギンはほほ杖をついてしまいました。

鰻をそのまま口にしたような気分で鬱屈とした面持ちでぼんやりふたつの道を見比べていると、ドギンは突然立ち上がりました。

すかざず左の道をほんの少し進んでドギンと同じくらいの背しかない短い木に近寄って、恐る恐るその葉に手を近づけては亀の頭のようにすぐに引っ込めてを何度も繰り返していました。

デーンもその様子を見てすぐに気が付きました。

「そいつは柊の木か?」

ドギンは忌々しそうにしながらデーンの方に向き直りました。

「はい。なんか、こいつを見てると嫌な気分になって、確認しに来たのですが、間違いなく柊の木です。闇を遠ざける木ですよ」

二人はこれを見てこの木がある道こそが森人の道だ、と読み、すぐに支度をすると再び歩みを進めました。

少し明るさがあるとはいえ、相変わらず森は空を隠し(ドギンにとっては柊のせいも相まって)気分のいい旅路とは言えませんでした。

土は進むにつれて水を含んで柔らかく、草の上に露の跡が残り、嫌な艶っぽさがある道はウンザリな気分にさせました。

途中、デーンが海の上で起きたおかしな話を面白おかしく話してくれたのですが、明るくなるかひっそりと陰って暗闇につつまれるか、この森に存在する変化というのはそれくらいで話が尽きると訪れるのは静寂でした。ゾワっとする気持ちを抑えてドギンは少しでも気分を変えるために口を開くのでした。

「デーンさんは昔、パルメシアで過ごされたと言ってましたけど、パルメシアはどんな場所なんでしょうか?」

「パルメシアには行ったことがないのか?」

「はい、私は商船にひっそり隠れて、西のローズエン帝国に入り込んで、ドゥリヌアからも商船に隠れてヒンデンブルクに入り込んで、使節団の船にも忍び込んで来てしまったので、外の景色を見ることなくこの土地まで来たものですから、パルメシアの地を拝むことが出来なかったのです」

そう言うとドギンに複雑そうな目を送った後に考え込むように上を向き、手を顎に添えて話し始めました。

「俺はスラムの生まれだ。大層な暮らしはしていないが、それでもパルシェの首都ペルナドールに居たから分かる。海と違った素晴らしい景色を拝むことが出来たな」

「ペルナドールの活気ある街並みとかでしょうか?」

「いいや、バラド砂漠の夕暮れの景色だ」

そう言うと、懐かしむような話し方をしました。

「夕暮れになると西のバラド砂漠は陽の当たる所にはファルンア(パルメシアの人々の大半はムスドンファ教徒で、火を大切にする文化があり、ファルンアとは特別な火に対して指す尊称のことです)の栄光の輝き、陰るところには鮮やかな紫色になる。ペルナドールの夕暮れの街並みじゃ、こんな景色は見れねぇ」

そう話すと、夢から覚めたような顔をして慌てて付け加えるのでした。

「ペルナドールは活気がある。その良さを知らんわけじゃねーさ、東西の交差点なんて言われてるくれぇだからな。色んな人間が文字通り行き交う。港には森人の船よりも大きなガリオンが停まる。俺もいつかあんな立派な船を動かしたいもんだ。要するに旅する人間には素晴らしい土地なのさ」

そう話すデーンに自分と近しいものを感じたドギンもまた遠くをぼんやり眺め、歩くのでした。

「バラド砂漠はそりゃ過酷な場所だ。陽の差す間は燃えるように暑く、人面獅子マンティコアの群れが獲物を探して徘徊するわ、地中には太古から生きる大長虫、ドゥリンが這いずるような場所だ。夜になれば逆に肌寒く、漂う冷たい空気に釣られて屍人(アンデッド)が闊歩する。危険ばかりだがな、そんな過酷さが背景にあるからこそ自然は美しいのさ」

まるで砂漠の王宮、その夜の宴に情緒的に語りをする吟遊詩人にでもなりきっているかのような仕草と絶妙な顔つきに少し笑いが込み上げて来たのですが、海や砂漠に比べれば過酷さが幾許かマシなようにも思えて心を緩めようとするドギンに真剣な面持ちをしたデーンは言いました。

「海や砂漠じゃないからといって油断しちゃいけねぇ。というのもな、砂漠や海は何が危険かハッキリしているだろう?だから危険だと思えるんだ。でもな、森は中で起きた全てのことを木々たちが隠しちまう。だから何を気をつければいいのか、何が危険なのか分かっちゃいねぇ。分からないことが一番の危険だ」

銀の君の下で学んできたから森のことはよく知っています。

と口にしそうになりましたが、ドギンの知っている森というのは銀の君がおわす楽園の森しか知らなかったのでした。

エンギレンに来たのは初めてのことですし、教え聞いたことだけでは知識や知恵とは言えず、羊皮紙に言葉を書いただけでしかないのでは無いかと思い、それこそが慢心で、デーンの言う油断なんだ、と思い直すと飛び出しそうな言葉を飲み込むのでした。

そうやって話しているうちに幾つか分かれ道を通り抜け、柊の道を歩き、また鬱蒼とする森に光が失われようとする時にようやく木の柵で囲われた村にたどり着いたのでした。

門番の森人に警戒の目を向けられましたが、デーンがヒンデンブルク王国の一等航海士である証となる紋章を見せ、事情を話したことで中に入ることが出来ました。

しかし、門番が困惑の中に混じる侮蔑や嫌悪感を込められた顔をして、眉をひそめ、目にも入れたくないような細い目をしてドギンをしばらく目で追った後、すぐにドギンから背けるのでした。

森人の夜は窓かけも窓も開け放ち、ミーナールの加護を一身に受け、自然と一体になって夜を過ごすのですが、すべての家の窓も窓掛けも閉ざされ、蛍の光を集めて作られた街灯が寂しく揺らいでいるだけでした。

村と言うだけあって、木が程々に生えるだけで、あの邪悪な手もこの村には届かないようでした。

そのため天井は吹き抜け、アマルカルナとミーナールの綴織空をようやく拝むことが出来たのでした。

「あっちが宿見てぇだ。さっさと入って明日に備えよう」

そう言ってデーンは指さした方へとせっせと歩いていき、宿屋の中へと入ってしまいました。

しばらくドギンはボーッと星空を眺めていました。

久しぶりのきらびやかな宝石を散りばめた空に見惚れていたのもあります。

しかし、それよりもあの暗闇の中の不安を空にある光が少し安心を与え、安らぎを求めていたのです。

デーンが外から聞こえる声で亭主と話していたようでした。ふと我に返り、ドギンも後に続いて宿に入るのでした。

二人が寝床に就いた時にドギンはふと思うのでした。

もしかしたら自分が他の人の安らぎを奪ってしまったのではないか。

不安を振り切って眠りについたのですが、夢の中で暗闇が答えたのでした。

「その通りだ。お前が森人の安らぎを奪った」

その言葉で目がすぐ覚めてしまい。もう一度空を眺めました。

これまで小鬼として扱われてきたので、ぞんざいに扱われようと仕方ないと割り切れていました。しかし、ドギンが世界に触れる度、他人が不幸になる事だけは耐え難い事なんだと痛いくらいに感じるのでした。

デーンが覚悟を持って旅に付いてきてくれている事も承知していますが、自身の存在で嫌な思いをしているでしょうし、この村に住む森人にしてもこの暗闇に包まれた森の中でミーナールの加護を受け、夜空を眺めながら横になる事がどれだけの安らぎとなっているのか察せられますが、それを小鬼という存在によって邪魔されたのです。

自分だけですべての出来事が終わるならどれだけいい事かとドギンは萎れた花のように内側から締めつけられた気分で悩むのでした。ドギンはここにいる事に答えを見つけられないまま、夜が明けるのを待ったのでした。

その間は夜空が星々と月が慰め、見守るように照らし続け、その光にドギンは銀の君を見いだしました。彼女ならどのように答えるだろうか、きっと答えは言わず試すように微笑みながら言葉を濁すに違いない、ドギンの頭の中はどんどん昨日の方へと思いを馳せ、すっかり旅立ちの前の銀の君の言葉を忘れてしまったのでした。


辺りにこがね色が帯びてヘルロス様が大いなる光を運んできて、下僕であるニワトリが朝の訪れを報せに回るのでした。

村中に響き渡る鳴き声に眉をビクつかせて少しモゾモゾした後に大きく長い欠伸をしてデーンが起き上がりました。

「おはようございます。デーンさん」

静かな声のドギンにデーンは意識をハッキリさせたのでした。

「おはよう。眠れなかったのか?」

「はい、どうも枕の高さが体に合わなかったので、あまり寝付けませんでした」

ドギンは困ったような笑顔をしてデーンに答えました。

デーンは聡い男でした。ドギンの異変にすぐ気づき、村の様子を気にしているであろうことも見抜いたのです。

デーンはしばらく腕を組んで首を傾げながら考え込みました。そして、何か閃いたように言いました。

「よし、出発は明日にしよう。今日は明日に備えて村で準備するぞ」

そういうと困惑して呆気にとられているドギンを無理矢理外に連れ出すのでした。

村に着いた時はすっかり暗かったので気づかなかったのですが、どうやらこの村の森人はルミニオ族の村のようでした。

ヒンデンブルクを初めとしたノーシアスに多く存在する森人はシルマール族と呼ばれ、小麦畑のような見事な金色の長い髪を持ち、只人より少し背が高いのが特徴(アスラン王もこの特徴を持ち合わせているのでシルマール族の一人)でした。

ルミニオ族は人間にしてはやや長めの黒い髪を持つ只人と背丈が変わらない特徴を持ち、ドギンのいたエウケルト大陸では一般的なのですが、ノーシアスで村を作って生活するのは非常に珍しいことでした。

やはり、あまり歓迎されていないようで昨日の門番のように顔を曇らせ、ヒソヒソと隣の人と話し、遠くからドギン達を見るのでした。バツの悪そうな顔をするドギンとは反対にデーンは何のそので豪快な笑みを浮かべて近くにいた森人に話しかけるのでした。

「アンタ、この辺で道具を作ったり、売ったりするところ知らねぇか?」

尋ねられた森人はキョトンとした後、苦笑いを浮かべてオドオドした様子で答えていました。

「そうかそうか、教えてくれてありがとうな!」

ガハハと豪快な笑い声をしながら肩を掴み、感謝の言葉を伝えるのですが、早く行ってくれと言わんばかりの苦笑いを返されるのみでした。

呆れてため息をつくドギンがデーンを連れていこうとすると、子供の森人外套の裾を掴まれました。

何事かと思いその子供の方を見やると、好奇の目を向けた子供がいいました。

「なんで、ごぶりんなのに、おけけぼーぼー?」

その問いにしばらくドギンは固まり、その間に親らしき森人がすぐに駆け寄って、抱き上げて子供を連れていこうとしました。

子供は何も知らない。小鬼の事も、勉強の意味も、親の仕事も、世界のことも何も知らない。そのためには教えて少しづつ世界を知ってもらい、そうやって育つのです。

人間にとって、小鬼についての事柄は子供同然でした。

ドギンは我に返ってすぐに答えました。

「僕は...!」

思ったよりも大きな声を出したので、デーンも近くにいた森人達も、ドギンの方へ目をやりました。慌てて口を抑えて、声を落として話し始めました。

「僕は怖がられないように、みんなと仲良くなりたいから毛を生やしたんだ」

子供はドギンをじっと見つめ、また次の質問をしました。

「みんないっしょ?」

「みんながみんな、そうじゃないと思う。小鬼が人間に対して憎しみを抱いてるのは事実だ。でも、僕みたいに人間を憎んでない。ホントは仲良くしたいって思ってる小鬼は少なからずいて、そういう小鬼は毛を生やしてる」

感情のこもった視線は万華鏡のように複雑でドギンを中心に集めるのでした。

「これまで小鬼が人間にしてきたことは知らないわけじゃない。恨まれても仕方ないって思ってる。だけど、争いが嫌だって思ってる人達が争ったり、諍いを起こしたりしないようにしたい。だからこれから僕みたいな小鬼がいたら向き合ってあげて欲しい」

しばらく沈黙が流れました。辺りはすっかり群衆が出来上がり、ドギンはその視線を一身に受けていました。

その時にはすっかり、冷静でいられたようでした。

「ちょっといいかな、若いの」

嗄れつつも活気のある声が沈黙を破りました。シワにまみれた老婦人の森人でした。周りがざわついたことから恐らく村の長のようでした。

「お前さんの話はわかったよ。ワシらは小鬼の事は何も知らないし、知ろうともしてこなかった。実に興味深い話じゃった」

じゃが、と1度話を止め、咳払いをしてから話を再開しました。

「小鬼や人間に色々いるように毛の生えたやつの中には邪な気持ちで生やし始めた者もいるんじゃないかねぇ、そのような連中も居て、毛が生えとるだけで判断するのは如何なものかのぅ?」

厳しい言葉ですが全体的に穏やかさを纏い、優しくドギンに問いかけました。

ドギンも答えました。

「私は小鬼を全面的に信用と信頼を寄せろとは言っていないのです。向き合って欲しいのです。ここに訪れる毛の生えた小鬼がどのような小鬼なのか皆さんの目と心と、ご自身の正義で判断して欲しいのです」

再び沈黙が漂い、周りを見渡すと色んな表情を浮かべるも真剣にドギンの話に耳を傾けていました。デーンが慌てた表情を浮かべていたので少し気分が良くなったドギンですが、村長が「お前さん」と呼びかけたことで気持ちを引きしめ直しました。

「アムストルムの禍を知っとるね?」

その言葉で沈黙は破られ、その言葉に身震いするようにざわつき始めました。ドギンもまた、その言葉に全身に悪寒を感じました。

アムストルムの禍とは最初にエル中の生きとし生きるものにその名を轟かせた悪名高い恐怖の小鬼でした。

今から何千年も前のことです。ノーシアスの西、エーリアス地方の北東に位置するミリナス諸国連合の一国、アムストルム辺境伯国に突如、熊のような巨躯を持つ小鬼が出現し、最初は村を一人で、次の町には十匹の部下を連れて、アムストルムが滅亡した時には六万の軍勢になるほどの大軍を引き連れ、悪逆非道で凄惨な行為が行われ、その暴虐はエーリアスだけにとどまらず、海を越えてエウケルトにも達したと言われ、このリーダー格であった巨躯の小鬼に付けられた渾名がアムストルムの禍でした。

「その時のワシはエウケルトに住んでおったが、ワシらの村にもやつの軍勢がやってきた。多くの者が殺され、最愛の人も、尊厳も、帰るべき場所も失った」

寂しげな声でポツポツと語り始めました。

「ワシらは何とか逃れ、この森にたどり着き、ヒンデンブルクの領民として今は平穏に暮らしておるが、ワシは今でも思い出せる」

その目にはまだ燃え盛る戦火が残っていました。

「お前さんなら、いつか火種を元から消すかもしれん」

そういうと、村長はトボトボと帰っていきました。それと同時に群衆も散り散りとなって、穏やかな村の様子に戻り、それと同時にドギンは村の子供たちに囲まれ、たくさんの質問を投げかけられるのでした。

「やれやれ、肝が冷えたぞ」

デーンとしてはドギンと森人達が触れ合うことで和解の道を歩めたらと思い外に連れ出したのですが、まさかあそこまで大事になるとは思っていなかったので大変内蔵に負担のかかる出来事でした。

「何とかなったからいいじゃないですか」

反対にドギンは笑顔で答え、すぐに子供たちの相手に戻るのでした。

屈託のない笑顔に言いたげだったデーンも諦めと安堵のため息をついて、その場を後にしました。

「小鬼さん、これあげる!」

一人の子供森人がドギンに手渡してきました。受け取ってみると何やら赤くて小さい綺麗な丸型の豆でした。

「これはなんだい?」

「シャケ飛び豆だよ!噛むと、とにかく高いところまで跳べるんだ」

「そうなんだね、ありがとう」

ドギンはシャケ飛び豆を頭上にかざしてじっくり観察しました。

知識として伝え聞いてはいましたが、まさかそのものを目に入れることになるとは思いもしなかったので、学者心が疼いたのでした。

「おい、それ大事な人にしか渡しちゃいけないんだぞ」

隣の男の子が脇腹を肘で突きました。

ドギンはそれを聞いて驚き、慌てて豆をくれた子に返そうとしたのですが、子供は言いました。

「だって、みんなのために頑張ってるって女王様が言ってたから、ボクにとって大事だよ」

純粋そうな丸っこい目が反射してドギンに映るのでした。

目に映る自分の間抜けな面につい吹き出し、心の中で銀の君に感謝するのでした。



日も暮れてきて、濃紺の空と溶け込むように辺りに光が消えて鬱蒼とし、星々が輝き始めた頃です。

ドギンとデーンは食事を終えて、寝床に就き、明日のことを話し合いました。

デーンは苦い表情を浮かべながら話し始めます。

「あまりいい話は聞けなかった。まず第一に地図がない」

ドギンは首を傾げました。

「何故ないのですか?」

「森人達は森に詳しいし、森人の道を熟知してるから道に迷うことがないってのと、地図から森の中の全容を他の人間たちに知られたくないからだ」

ドギンはしばらく考え込みました。

というのも理屈は分かるのですが、やはり何かあった時に地図があった方が便利なのには変わりない訳で、他の人間、特に数の多い只人と比べても森人は身体の強さも、知識も、知能も非常に優れていたので、争いが起きても負けないのではないか、と思っていたからこそ、利便性を捨てることの意味を考えていたのでした。

「確かに、森人は優れた種族だ。だけどな、森人を狙うやつは多く存在するのは事実だ。それこそ余計な諍いを起こさないための工夫だ」

その話を聞いてドギンは納得しました。

「情報を機密にすれば、そもそもの争いを避ける事が出来る。ってことですね」

「そういうこったァ」

森人は森から何もかも情報を漏らさず、隠れ住むことで、不必要な争いを回避している、そういう考え方もあるのだな、とドギンは空に上る煙のようにぼんやりと考えていました。

そうして考えているうちに、我らがドギン君の考えは煙突の白色の煙から、火事でもあったような黒い煙になってきました。

お騒がせ者の小鬼と只人が森をいつまでものんびりうろうろとしていれば、それだけ森の中が騒がしくなってしまいます。

その騒々しさも中に収まっていれば、それでも良いのですが、あなたが部屋中を歩き回って騒がしくしていたら、その物音は家の中だけで留まるでしょうか。

ましてや、並ならぬ騒音です。

周りの人達も聞きつけて何事かと思う事でしょう。

理屈は同じでございます。

つまり、このドギン君達の動きは広大なエンギレン、ましてやエルにおいて微細で、顕微鏡か何かで覗かなければ、見れませんが、その動きにエンギレンの森人達が騒ぎ始めれば、何事かと周りの国々は思うわけでございます。

もし、ドギンの旅の目的がエンギレンから口外されればどうなる事やら、目に見るよりも明らかでございます。

ドギンに浮かぶのは銀の君や、シワを持つ王、そしてヒンデンブルク周辺に存在する村落の事です。

争いが起きれば、彼らにも、火の手が回ってきます。

ドギンは体を起こして、デーンに語りかけます。

「この夜の内にでも村を出ましょう。エルの時間はのんびりと流れるけど、私の使命は、その時を待ってくれませんから」

デーンは歯を出してニカッと口角を上げました。

「俺もそう思ってた頃だ、時は待っちゃくれねぇ。善は急げ、だ」

そういうと夜なのに慌ただしくして、旅の支度を整えて、夜の村を抜け出しました。

ここはまだヒンデンブルクからも程遠くない村でございます。

エンギレンの縁はまだ遥か遠くにあります。

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