第4章 悪魔の正義

第1話

 走って走って。そうして辿り着いた先は、暗がりの地下牢。

 そこにいたのは、揺らめく蝋燭の火に淡く照らされた、ぼろぼろになったおぼろの姿だった。

「――!」

 カッと怒りが生まれる。

 ぼっと、蝋燭の炎が燃え上がった。

「――っと。姫サマ、どうか落ち着いて。感情のままに力を生めば、暴走してまいますよ」

 無意識に魔力を放ち始めていた私へと、声を掛ける空明くうめいさん。

 その声に、ハッとして冷静になる。

 彼がいなければ、私はあの扉同様、この空間を吹き飛ばしていたかもしれない。

 玉兎ぎょくと様が仰られていた通り、落ち着いたら魔力の制御方法を覚えないとならないな――

「朧サマ、生きてますー?」

 飄々とした態度で、牢の鍵を壊す空明さん。

 ぐったりと横たわっている朧をさっと一瞥し、彼の体へ手をかざす。

 温かな光が灯ったかと思えば、瞬時。みるみるうちに、痛々しかった体の傷が癒えていった。

 あれが玉兎様の加護である、治癒の魔法……。

「空明か、遅かったな」

「いやいや、自分も罰を受けとったんですから。少しは労わってくださいよ」

 唇を尖らせながら、不満を漏らす長身の男。

 しかし、朧は取り合わない。

 と、彼と目が合った。

「っ……輝夜かぐや、か?」

 起き上がり、ようやく私に気付いたらしい彼が、驚愕にその顔を染める。

「どうして、ここに……それに、その姿は……」

「何者かに連れてこられたみたいですわ。女王様に声を奪われてます」

「声を……」

 朧が、痛みを堪えるように顔を歪める。

 私の手を取り、頭を下げた。

「いつも間に合わない……俺は、お前をこんな目に遭わせたくはないというのに……」

 すまないと謝る彼に、心がずきりと痛んだ。

 この人のせいじゃないのに、謝らないでとも言えない。

 私は、ぶんぶんと首を思いきり横に振った。

「姫サマにかけられた魔法を解呪したいとこですが、朧サマ」

「ああ、兵士たちが話している声を聞いていた。急ぎ、ソレイユへ向かわねばならない」

 ソレイユへ?

「ここに残っていてくれ、輝夜。二度とお前を戦地へなんて連れて行きはしない」

 戦地? それってまさか、ソレイユのこと――?

「母様を止めて帰ってくる。今ならまだ間に合うはずだ。空明は、ここで輝夜と共にいろ」

「それは聞けません。自分も行きます。姫サマには、守護魔法を施して――」

 私を置いて話を進める二人にむっとして、がしっと二人の服を掴んだ。

「輝夜?」

「姫サマ?」

 驚く四つの目を思いきり睨んでやると、二人は肩を震わせ始めた。

「まったく、変わらないな。このお転婆姫は」

「聞いてた通りの姫サマや。このまま置いて行こうもんなら、城を爆破してでもついて来るんちゃいますか?」

「やりかねないな」

 なんだか悪口を言われている気がする……更に眉間へ皺を寄せれば、朧の手が優しくぽんと頭に乗せられた。

「そんな顔をするな。ちゃんと連れて行く」

「――!」

「その代わり、俺のそばを離れることは許さない」

 こくこくと頷けば、ふっと笑う目元。

 変わってない。この人は、やっぱり優しい。

「ほな早速、転移魔法で向かいますよ。お二人とも神殿へ」

 空明さんに導かれるがまま、私たちは望月もちづき城の一角にある神殿の間へと急いだ。

「おや、姫。無事に王子と会えたようだねえ」

「ということは、神と会われていたのか、輝夜」

 神殿に着くと、女神像のそばでくすりと微笑む女性がいた。

 私は深々と頭を下げる。

「力の使い方を教えてやっただけよ。そろそろ太陰たいいんのやることに、目を瞑っていられなくなったのでな」

「そう、でしたか……」

 力なく視線を下げる朧。

 神に見限られてしまうことは、加護を失うことを意味している。

 非道な女王とはいえ、彼にとっては唯一無二の母親。

 心中穏やかではないだろう。

「そなたたちに託すぞ、我が望月の子どもたち。これ以上、我の名を汚すことは許さぬ」

 神の声は、ぴりりとした緊張を孕んで心に刺さった。

 私たちの背負ったものは、ひどく重い。

 期待に応えられなければ、きっとこの神は望月の国土をも見限ってしまうのだろう。

 それは、国の終わりを意味していた。

「肝に銘じます」

「期待しておるよ」

 くすりと微笑んで、玉兎様は姿を消した。

「玉兎サマ、相変わらずかっこええな」

「空明、鼻息が荒いぞ」

「荒くもなりますよ。玉兎サマ、ほんま美人さんなんですから。あんな美貌に見つめられたら、落ちん男なんていませんて。朧サマもそう思いません?」

「置いて行くぞ」

「あ、ちょっと待ってくださいよ!」

 淡々としている朧に腕を引かれ、床に描かれた紋章の上に立つ。

 慌てながら、空明さんもやって来た。

「ほな、行きますよ――目的地はソレイユ国。女王サマの元へ!」

「輝夜、しっかり掴まっていろ」

 力強く朧に肩を抱かれながら、私たちは紋章から発された白い光に包まれた。

 その眩しさに、ぎゅっと目を瞑る。

 体がふわりと浮く感覚に襲われた。


「輝夜」

 呼ばれ目を開ける。

「っ――!」

「着いたぞ」

 目の前にあるのは、朧の胸元。抱き締められている事実を、今更ながらに自覚してしまった。

「どうした。何かあったのか?」

「もしかして姫サマ、初めての転移で酔ってまいました?」

 端正な顔に覗き込まれて、私は慌てて朧から離れて首を振る。

「大丈夫ということか?」

 今度は首を縦に振る。

「みたいですねー」

「忙しいやつだな。そんなに脳を揺らすと、気分が悪くなるぞ」

 ふっと笑う朧。無表情の中から僅かに生まれる彼の感情に、いちいち反応してしまう。

 今はそれどころじゃない。のんびりしている暇はないというのに。

「ここは……どうもソレイユ城の南にある海岸みたいですわ」

 私たちは、海沿いに到着していた。

 空明さんが言った通り、国の南にある海岸だ。

 少し離れた所で、灯りが揺らめいている。

 そこでやっと気付く。今が夜なのだということに。

 見えた月の位置から察するに、自室で意識を失ってから、丸一日が経過した頃だろう。

 一日あれば、何ができる?

 イズミと連絡を取り、シャインに成りすまして虚言を吐くことくらい、造作もないだろう。

 こんなにも簡単に海を渡れる方法があるのなら、兵を進軍させることだってできるに違いない。

 今、城内はどうなっているの?

 お父様やお母様は無事?

 サンは? イズミは?

 国民は?

「落ち着け。焦って自身を傷つけても、何にもならない」

 朧が、そっと私の手に触れる。

 どうやら、ぎゅっと強く握り締めすぎていたらしい。

 爪がぎりぎりと手のひらに食い込んでいた。

「大切なものを守ろう。そのために来たんだ」

「そうですよ、姫サマ。自分と朧サマがおれば、できへんことなんてないですからね!」

「足を引っ張るなよ」

「うえっ、朧サマー! 今そういうこと言う?」

 すたすたと歩いて行く朧に手を引かれる。

 空明さんがそんな私たちを追いかけるように、駆けてきた。

「お前が守りたいと願うのならば、アクアの王子も守ってやる」

「――!」

「だから、お前は笑っていてくれ。輝夜の笑顔が、俺の力となる」

 切なく揺れる黒い瞳。

 その姿に、私はこの人の力になりたいと心から願った。

 だから、私は力強く頷く。笑顔を添えて。

「それでいい。お前はそうやって笑っていろ」

 引かれる手を握り返し、並んで歩く。

 向かうは、この先の森。

 いくつもの灯りが揺らめく場所――そこにいるであろう太陰を目指して。

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