第3話

 気が付くと、知らない場所にいた。

 ふかふかで肌触りの良い寝具の上に寝かされている。

 体を起こすと、ずきりと頭痛がした。

 痛む頭を押さえながら、辺りを見渡す。

 豪華な部屋だと、一目で判ずることができた。

 調度品や装飾品。どれをとっても贅沢な作りをしている一級品ばかり。

 王であるお父様ですら、ここまでの品は使わない。

 見たことのない部屋。ソレイユ城じゃない――ここはどこだ?

「目が覚めましたか。気分はどうです?」

「ミラ……?」

 扉を開けて姿を現したのは、髪を下ろした状態のミラ。

 その身には、私の服を纏っている。

 こうなるともう見分けるのは難しいくらいに、そっくりだ。

「それは、どういうこと?」

「これが、本来の姿となるのです」

「何を言って……」

 そこまで言って、気が付いた。

 私の髪が、黒色になっている。

「これは……!」

 急いでベッドから下りて、室内にあった鏡台へと向かう。

 そこに映った姿は、黒髪蒼眼の少女――まさしく輝夜・望月のものだった。

「貴方は元に戻った。それだけのことです」

「ミラ――」

「もうその名で呼ばないでください」

 私の言葉を遮り、感情のない瞳を向けるミラ。

 どうして、そんな目で私を見るの?

「ミロワールは、城に潜入するための仮の名……そのような人間は存在しません」

「え……」

「私の名前はかがみ。太陰様に拾われ育てていただいた、戦争孤児です」

 無表情に鏡と名乗るミラ。

 私は、理解が追い付かない。

「そして、貴方を殺すために派遣された暗殺者です」

「暗殺……?」

 暗殺者? ミラが?

「しかし、予定が変わりました。これからは、私がシャイン・ソレイユとして生きていくのです」

「何を、言って……」

「神官ミロワールは影武者として任務をまっとうし、シャイン姫の目の前で命を落とす。そのショックで姫は記憶を失う。すべては朧王子の仕業。これで停戦中の戦争は、再開される――そういう筋書きとなっています」

 愕然とする私を嘲るように、昏い笑みを浮かべて。

 私に成りすました女は、踵を返した。

「私もすべて忘れてしまえたら、どんなに良いか……」

「ミラ……?」

 こちらに背を向けた彼女の呟きは、先程までのものと声音が違っていて。

 私は思わずそっくりな姿をした背中へ駆け寄ろうと、彼女へ一歩を踏み出す。

 だが、ふいに張り上げられた声に遮られてしまった。

「そういうことですので、大人しくしていてくださいね。それでは輝夜姫、ごきげんよう。無事に朧王子とお会いできると良いですね」

 まあ無理でしょうけど。そう言い残して。

 ミラは――鏡は、部屋を出て行った。

「どういうこと? わけがわからない……」

 シャインとして生きていく? 戦争が再開される?

 あんな思いを再びするというの――?

「どうして……」

 ぼろぼろと思いが溢れて滴になる。

 もう二度と繰り返さないためにと、決意したばかりなのに。

 彼女は、ずっと私を騙していたの?

 この六年間は、すべて偽りだったというの?

 笑顔の裏で、私の命を狙っていたの?

「でも、私だって太陰に送られた者なのに……?」

 同じく太陰によって送り込まれた鏡が、私を狙っていた?

 記憶を失くし、のうのうと暮らしていた私が不要になったから?

 だったら、何故まだこうして生かされているの?

 私を殺して亡骸をミロワールだと偽れば、より信憑性が増すというのに?

「もしかして、まだ私の知らないことがある……?」

 髪と目の色が戻っているということは、魔法が解かれているのだろう。

 魔法はかけた者以外が解くには、術者以上の腕をもってしても、多大な時間を要すると聞いたことがある。

 であれば、私は眠っている間に太陰に会っている可能性が高いということになるだろう。

「じゃあ、ここは望月国――?」

「よくわかったこと」

「――!」

 鏡が出て行った扉から入ってきたのは、一羽の黒うさぎ。

 城のバルコニーに現れた可愛らしい姿と重なるそれから発せられる声にはやはり、聞き覚えがあった。

 夢での記憶が蘇る。

「まさか貴方、太陰――?」

 問い掛けに、にやりと口元を歪ませて正体を現したのは、記憶よりも歳を重ねた女。

 望月国の現女王、太陰・望月だった。

 変わらず扇で、口元を隠している。

 うっそりと笑んだ視線が、ねっとりと纏わり絡みつくようで、気持ちが悪かった。

「久しいね、輝夜。また会えて嬉しいよ」

「私は、ちっとも嬉しくないわ」

「おやおや、怖いねえ。このあたくしを睨むなんて」

 怖いと言いつつ、太陰の紫色の目はひどく愉しげに歪んでいる。

 ウェーブのかかった、瞳よりも濃い色のミディアムヘアーが揺れた。

「まさか、記憶を失い敵国でおめおめと暮らしているとは、恥知らずな……おまえは、本当に使えないねえ」

 私に記憶がないことを知った上で、この言動……何も隠す気はないらしい。

 憎たらしいほどに顔を愉悦に染めて、太陰は私を見下した。

「朧と会ったのだろう? アクアの王子に余計なことを吹き込まれる前に連れ戻して、正解だったよ」

 朧が、私の元へ来たことを知っている?

 公的に動けないと言った彼のことだ。太陰に知られないよう行動していたに違いないのに。

「朧は?」

「おまえが知る必要はないよ」

「無事なの?」

「当たり前だろう? 朧はあたくしの跡継ぎだよ。まあ、死なない程度に躾しておいたけれどね」

「躾?」

 死なない程度ですって? そんなのは無事って言わない。

「玉兎様のご加護があるからねえ。おまえにも安易に手は出せないのだけれど……まあ精々役に立ってもらうよ。おまえがいれば、朧はあたくしの言うことを聞かざるを得ないのだからね」

「何をするつもり?」

「ふん、よく動く口だこと。耳障りだよ、お黙り」

 太陰の人差し指が私の首元を指し示す。

 その瞬間、喉を違和感が襲った。

「――!」

 え?

 声が、出ない――?

「おまえは、そうやって大人しくしていれば良いのよ。それだけで、朧が暴れてくれるのだからね」

「――っ!」

「おほほ。何を言っているのかわからないわねえ!」

 太陰は、斜に構えながらにたりと私を見る。

「ソレイユもアクアも、この望月の一部にしてやろう。おまえは、そこでこれから起こる戦いを、指をくわえて見ているが良いわ」

 言いながら、背を向けて出て行く太陰。

 追って扉を開けようとするが、バチリと痛みが走り触れられない。

 どうやら、私がこの部屋から出られないように、魔法が施されているようだった。

 声も出せない。

 朧に会えない。

 イズミに何も伝えられない。

 どころか私を材料に、朧が脅されるらしい。

 そうして、戦争で暴れさせようというのだろう。

 ナギサ王子を十六夜王子もろとも攻撃したのも、こういうやり口でやらせたのだろうか。

 このままでは、終戦どころか戦争は再開。

 夢で見た光景が、再現されてしまう。

 だというのに、私はここから出られない。

 彼女が言ったように、ただ指をくわえて見ているしかないのか。

 なんて無力なのだろう。

 使えない――先程言われた言葉が蘇る。

 剣技もろくに習ってこなかった。

 おまけに短剣も奪われている。

 私には武器などない。

 魔法が使えたら良かったのに。

 そうしたら、何かしらのことができたのかもしれないのに――

「――!」

 そうだ。魔法だ。

 やり方は一切わからないけれど、私にもちゃんと魔法の波動が出ていると朧が言っていた。

 であれば、やってやれないことはないはずだ。

 確か、太陰は施したい対象へと指を向けていた。

 黙るように言いながら――

「……」

 そこまで考えて、項垂れた。

 もし言葉を発することが必要ならば、今の私には何もできないではないか。

 やはり私は、無力な役立たずなのだろうか。

「懐かしい波動を感じて来てみれば、そなたであったか」

「?」

 ふいに聞こえた声に、辺りを見渡す。

 目の前の扉は開いていない。

 誰の姿も見えない。

 誰? と出ない声で尋ねた。

「久しいのう、姫よ」

 何もないところから、光が集まってくる。

 それは、とても柔らかく優しい光で、まるでそっと見守ってくれている月のようだと感じた。

「我を忘れてしもうたか? 悲しいのう」

「――!」

 光が消えたと同時。

 現れたのは、とても綺麗な女の人だった。

 艶やかな黒髪は足元にまで広がるほど長く、涼やかな目元が凛として美しい女性。

 この世のものとは思えないその美貌に、私は心の中で彼女の名を呼んだ。

 望月国の神である月の化身――女神玉兎様、と。

「なんと、いたわしい。姫は声を奪われたか。太陰め……あやつはちとやり過ぎておるな。懲らしめてやらねばなるまい」

 端正な顔を歪めて言い放つ玉兎様。

 しかし、と言葉を継ぐ。

「我がそなたたちにできるのは、加護を与えることのみ。直接的な干渉は許されておらぬ。よって――」

 にやりと口端を上げて、玉兎様は笑む。

 それはぞわりと背筋を凍らせる、美しくも冷酷な笑みだった。

「そなたに魔法を教えてやろう。自力で抜け出すのだぞ。良いな?」

 有無を言わさぬ物言いに、私はただ頷くことしかできなかった。

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