第2話

 美しい月の輝く夜。

 城の敷地内の一角にある神殿にて、神官ミロワールが一人、静かに祈りを捧げていた。

 その真剣な横顔に、私は声を掛けるタイミングを失ってしまっていた。

「そのようなところに立っておられないで、中に入られてはいかがですか?」

 また一人で出歩かれて。そんな小言を添えられて、思わず苦笑する。

「邪魔しちゃ悪いと思って」

「このような時間です。金烏きんう様は応えてはくださいませんよ」

 では何故、太陽神に祈っていたのか。

 問えば彼女は、心を落ち着かせていたと言った。

「懺悔、というところでしょうか……私もまだまだということです」

 淡く自虐的な笑みを浮かべて、ミラは祀られている神の像を見上げた。

 私もつられるようにして、倣い見る。

 幼い頃から、何度も来たことのある場所。

 金烏様が守護してくださっているのだと教えられ、信じていた。欠片も疑わなかった。

 子どもの頃の思い出が、幾つも蘇る。

 ぽつりと唇の隙間から、言葉が漏れた。

「ごめんね、ミラ」

「姫様……」

「ずっと、自分がシャインだと信じて生きてきた……お父様とお母様の子どもだと疑うことなく。それが違うと言われて、動揺したの」

 きゅっと唇を噛む。

 視線を落とした。

「ひどく混乱して、貴方に八つ当たりをしてしまった。ごめんなさい」

「お顔を上げてください、姫様。私がずっと騙していたのです。悪いのは私ですよ。どうか謝罪を撤回してくださいませ」

「そうだとしても、あの瞬間にミラを傷つけたことに変わりはないもの。だから撤回はしない」

 頑として譲らないでいれば、困ったように微笑む瞳とぶつかった。

「姫様は本当に変わらない……いつだって優しくまっすぐな御方。私はそんな貴方に――」

 そっと口を閉じる様子が気になって首を傾げれば、何でもないと柔く首を横に振るミラ。

 その顔には、微苦笑が浮かんでいた。

「姫様には、玉兎ぎょくと様の加護がおありになります。だから、金烏様は加護を与えられないと仰っておりました」

「じゃあ、やっぱり……」

 私は望月国の生まれの者――輝夜姫。

「ミラはどうして黙っていたの? 私がシャインじゃないってわかっていたのに。神官長の命令? 国王を謀るなんて、大罪だよ」

「命令だとしても何だとしても……どうして私にそんなことが言えましょうか」

 恐ろしくて、そんな勇気はなかったと零す影武者。

 望月の彼らが来なければ、誰も気付かず、知られることなく過ごしていただろう。

 そうして、墓場まで持っていくつもりだったと言った。

「ねえ、本物のシャイン姫はどこに行ったんだろうね……」

「……そうですね。……いったい十一年前に何が起こったのか――恐ろしくて、想像もしたくありません」

「だよね」

 十一年前の戦争……行方不明になったそのタイミングで、私とシャイン姫は入れ替わったのだろう。

 戦火に紛れてのことだ。五歳の少女が抵抗など、できはしなかったに違いない。

 シャイン姫は、太陰に攫われたのだろうか。

 もしかしたら、もう既に命はないのかもしれない。

 髪と目の色を変えられて、あたかもシャイン姫であるかのようにソレイユに送られた私。

 あの夢の後に何が起こったのかは、わからない。

 どうしてだか記憶を失って、そうして殺意も自分のことも朧のことも忘れてしまっていた。

 お父様やお母様のことがわからなかったのは、当たり前だ。本人じゃないのだから。

 いつか、すべてを思い出す時が来るのだろうか。

 もしそうなれば、私は輝夜として生きるのだろうか。

 そうなった場合、太陰に命を狙われるのだろうか。

 まったく予想もつかない。何だか自分のことだとは考えられない。

 まるで物語――フィクションのようだと思った。

「望月国に行けば、何かわかるのかな……」

 ぼそりと呟けば、信じられないといった表情の神官が詰め寄ってきた。

「姫様、正気ですか?」

「朧王子の言いなりになって嫁ごうっていうわけじゃないよ。だけど、一度行ってみる価値はあると思う」

「価値などありません」

 間髪入れずにぴしゃりと否定されて、私は思わずムッとする。

「どうして、そう断言できるの?」

「姫様は、望月国のことを何もわかっておられません」

「そりゃあ、住んでいた頃の記憶はないし、行ったこともないけど……だからって」

「あの大国は、諸外国へ戦争を仕掛け繰り返すだけでなく、国内にあっても領土争いが頻発しています。権力と力さえあれば、ルールすら覆される。法などないも同然の、無法地帯ですよ。貧富の差は激しく、搾取され続ける国民に救いなどない……そんな治安の悪い場所に貴方を送り出すことが、どうしてできましょうか」

 話には聞いたことのある内情。

 想像すら及ばないようなことが、現実に展開されている場所なのだろう。

 だとしても、行かない理由にはならない。

 むしろ――

「だからこそ、行かなきゃいけないと思う」

「姫様……」

「停戦中だからこそ、相手のことをちゃんと知っておかなきゃ。目の前の問題から目を背けているだけじゃ、現状維持のままじゃ、何も解決なんてしないよ。このまま何事もなかったかのように過ごしてイズミと結婚したって、私は絶対に幸せにはなれないもの」

 まっすぐに赤い瞳を見つめる。

 しかし、ミラはふっと視線を落としてしまった。

 それはどこか、何かを耐えるような、複雑な面持ちだった。

「ミラ――」

「だとしても、行かせられません」

「どうして!」

「あんな場所……見る価値もありません」

 あんな? どうして、そんな言い方……。

「ミラ、もしかして、行ったことがあるの?」

 あれ? ミラって、ここに来る前はどこにいたのだっけ?

 十歳の時に神官として城に入って……。その前は?

「あろうがなかろうが、今は関係ありません。空気も汚染され、治安も悪い。十分な理由だと思われます。それに国王も、許可されないでしょう」

 これ以上は、取り合うつもりもないらしい。

 ミラは結んだ長髪を揺らして、くるりと踵を返した。

「さあ、扉を閉じてしまいます。お体が冷えますので、姫様は部屋へとお戻りくださいませ」

 不服ながらも、開きかけた口を閉じて。私は、言葉を呑み込んで神殿を出た。

 ガチャンと音を立てて施錠される扉。

 神殿から離れて歩く背中を見ながら、思う。

 もしかしたらミラは、一時的に望月国にいたことがあるのかもしれない。

 何か、嫌な思い出でもあるのだろうか。

 どちらにせよ、金烏様に認められた神官であるミラは、私と違って疑いようもなくソレイユ国出身の人間だ。

 城に入る前を、どこでどう過ごしていたって関係ない。

 そんなことで、ミラへ向ける視線が変わることはないのだから。

 だけど、私は彼女のことをあまり知らないのかもしれないと、寂しく感じた。

「お部屋までお送り致します。何か必要な物はございますか?」

「ミラ」

「はい。何でしょう?」

「だから、ミラ」

「……私は、必要な物をお聞きしたのですが」

「ミラが必要。少し、一緒にいて」

「……わかりました」

 部屋へ向かう途中に出くわした侍女にお茶の用意を頼んで、私たちは二人で部屋へと向かった。

「眠れそうにありませんか?」

「というか、寝ていたから。今は、ちっとも眠くないの」

「そうでしたか」

 お茶を飲みながら話す。

 私は、見た夢のことをミラに聞かせた。

「姫様が、輝夜・望月姫……」

「あんまり驚かないんだね」

「い、いえ、そんなことは。驚いていますよ」

「そう……」

 どうやら、いつものポーカーフェイスらしい。

 本当にわかりづらいのだから……。

「ということは、輝夜姫としての記憶が戻られたのですか?」

「ううん。それはない。夢に見たことだけしかわからないの」

「そうでしたか……」

 胸を撫で下ろすミラ。

 その仕草が、引っ掛かった。

「今、ほっとした?」

「え、ああ、すみません……その、思い出されたから望月国に行きたいと言い出されたのかと思いまして……」

「ううん。わからないから行きたいの」

「では、朧王子にお会いになりたいですか?」

「わからない」

 会いたい気持ちと会いたくない気持ちが混在している。

 それは、イズミに対しても同じだった。

「今回、望月国のお二人がいらっしゃったことをどう致しますか?」

「どうって?」

「イズミ様にお話になりますか?」

「イズミに……」

 来たことを話せば何を言われたのか、何を話したのかを聞かれるに決まっている。

 だけど、どれも話せるような内容じゃない。

 かといって、いつまでも隠し通せるものでもない。

 黙っていたことが知れれば、話すよりも結果は悪い方に向くだろう。

「どうしよう……」

「婚姻の話をどうするかはさておき。イズミ様には、話しておかれた方がよろしいかと」

「そう思う?」

「はい。私たちだけでは、対処しかねます。協力者は、多い方が良いと思われますが」

「うーん……」

「それとも、王へすべてをお話になられますか?」

「それだけはダメ!」

 まだ不確定なことが多すぎる。いくらお父様が優しくとも、すべてを正直に話してしまえば、ミラが処罰を受けてしまうことになるのは必至。

 この国の者ではない私が追い出されることは仕方ないかもしれないが、彼女は何も悪くない。それは避けたいところだ。

「であれば、イズミ様にはお話しすべきかと」

「……」

「イズミ様のことです。きっと、姫様がソレイユの第一王女でなくとも味方してくださいますよ」

「そう、かなあ……」

「信じられませんか?」

 問われ、思う。

 きっと、イズミは私が何者でも構わないと言ってくれるに違いないだろうと。悩むことが馬鹿らしくさえ思えるほどに即答で断言してくれるだろうと、想像できてしまった。

 だけれど、どんな理由があろうとも、私は望月国の人間。

 思いだけでどうこうできるほど、単純な話ではない。

 それに、私の心が揺らいでいることにだって、気付かれてしまうだろう。

「信じたいけど……私がはっきりしていないから……」

「そのままをお伝えすればよろしいかと」

「そのまま?」

「はい。迷い悩んでいるその御心のままに正直にお伝えになれば、きっとわかってくださいますよ」

「……そうだよね。隠して騙している方が、良くないよね」

「それは……申し訳ございませんでした」

 罰の悪そうな顔で謝罪するミラ。

 私は慌てて否定した。

「い、今のはミラのことを言ったんじゃないよ! そんなつもりはなくって……だから、その……!」

 わたわたと挙動不審になっていると、くすくす笑んでいる神官。

「からかったなあ?」

「あら、心外ですね。謝罪は冗談ではありませんよ」

「もう……」

「拗ねないでくださいませ」

「別に拗ねてないし」

「まったく……では夜が明けたら、アクア国へ連絡を致しますね」

「うん、お願い」

 とりあえずは、私が輝夜・望月であることを話そう。

 きっと驚くに違いない。

 彼は何と言うだろうか。

 それでも蔑ろにされないことだけは、容易に想像できてしまった。

「イズミと一緒に、朧王子と会う必要があるね」

「イズミ様とですか?」

「うん。三人で知恵を絞れば、きっと戦争をどうにかできると思うの」

「戦争を……」

「ああ、もちろんミラと空明くうめいさんも一緒にね」

「そう、ですね」

「二度と、十六夜いざよい王子やナギサ王子のような人を生んではならないと思うの。シャイン姫や私のような目に遭う人もね」

「……」

「ミラ?」

「――くせに」

 黙って俯くミラの名を呼ぶ。

 何かを言ったようだが、聞こえなかった。

「今何か……」

「いえ……何でもありま――!」

「どうかしたの?」

 視線を滑らせたミラがポーカーフェイスを取り繕うこともできず、明らかに動揺している。

 珍しいその様子に、彼女の視線の先に何かあるのかと、私はガラス戸の向こう――バルコニーの方へ目をやった。

「うさぎ?」

 ガラスの向こう。バルコニーの手すりの上に耳をピンと立てた動物のシルエットが見える。

 それはこちらをじっと見つめ、何かを訴えようとしているようにも感じられた。

「こんなところに、森の動物が?」

 迷い込んで来たのだろうか。

 しかし、この部屋は地上からだいぶと離れている。

 それに、こんなにも遅い時間に活動する動物だっただろうか……。

「あんなところにいて、落ちたら大変だよね」

 私が席を立ち、バルコニーへと一歩踏み出した。

 その時だった。

「私が行きます!」

 ハッとしたように大きな声を上げるミラ。

 私は戸惑いながらも、じゃあとお願いした。

 ミラがバルコニーへ出て、うさぎへと手を伸ばす。

 その様子を横目に見ながら、私は冷め始めたお茶をぐいっと一気に飲み干した。

 戻ってきた神官の腕の中には、毛並みの良さそうな黒うさぎが一羽。

 怪我もしていなさそうだし、無事に保護できたようだ。

 しかし、ミラの目が伏せられている。

 私はその様子を訝しり、声を掛けた。

「ミラ、何かあった、の……って、あれ?」

 がくんと体が傾ぐ。

 急に強烈な眠気が襲ってきた。

「何……?」

 戸惑いながらも、閉じかけた瞼に抗う。

 狭くなった視界の中で、彼女の顔が痛みを堪えるようにひどく歪んでいた。

 どうして、そんな顔をしているの?

「み、ら……これは……」

「時が、来てしまいました」

「え――?」

 何を言っているの?

 何故そんなにも泣きそうなの?

「望み通り、連れて行ってやろう」

 どこか聞き覚えのある声は、あろうことかうさぎの口から発せられていた。

 しかし戸惑う余裕すらなく、支えられなくなったカップが床に転がる。

 どさりと椅子から落ちた私へと駆け寄ることもなく、ミラはその場から動かず、こちらを見下ろしていた。

「輝夜・望月……これが抗うことのできない運命なのです」

 どういうことなのか。問いただすこともできずに。

 掛けられた言葉を最後に、私の意識は深く沈んでいった。

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