第3話

「姫様、例のお二人がいらっしゃいました」

「……お通しして」

「かしこまりました」

 三日と経たず。草原で出会った二人が、言葉通りにソレイユ城を訪れた。

 相変わらずフードを目深に被った朧王子。

 隣には、正反対にも目立つ赤い髪を隠しもせず立っている空明さんがいた。

 あべこべな二人に、かえって注目されてしまうのではないかと頭の隅で思った。

「先日は突然のことで驚かせてしまい、失礼致しました。本日は快く招き入れてくださり、感謝致します」

 応接の間で、畏まった空明さんが頭を下げる。

 フードを脱いだ朧王子は、ただ黙って向かい側の椅子に腰掛けていた。

「いえ。それで、お話とは何でしょうか」

 応じるのは、座っている私の斜め後ろに控えるミラ。私だと余計なことを言いかねないので、黙って様子を見ることにしたのだ。

「事前に国を通した連絡ができないご用件だとお察し致します。貴国の神、玉兎様の加護の弱まる時刻をお選びになっていることからも、警戒する必要はないと判断致しました」

「いやあ、とても聡明でいらっしゃいますね。こちらの意図をすべて読んでいただいてるとは。おまけに美人さんや。どうです? この後、二人でお茶でも」

「……。お褒めに与かり恐縮です」

 あ、ミラ今ちょっとイラっとしたな。

 こういう軽薄そうなタイプは嫌なのだろうな……。

「して、ご用件は?」

 さらっと流して、ミラは先を促す。

 対する空明さんは、肩を軽く竦めていた。

 口を開いたのは、ずっと黙っていた朧王子だった。

「俺は、戦争を起こすことを望まない。そのためにできることなら、何だってしよう」

「何でも、ですか。それが姫様をお妃にされることと、いったいどのような関係が?」

「え、朧サマ。その話、いったいいつの間にしとったんですか!」

 空明さんが驚く。この人、話の腰を折るのが上手いな。

「お前が女を追いかけている間だ」

「あのですね、朧サマ。話には順序ってもんが……」

「失礼ですが、そういったお話は国に戻られてからにしてください」

「なかなか言いますね、美人神官さん」

 あーあ、もう……全然話が進まないのだけれど。

 ミラってば、相手が自分と同じ立場の人間だからって遠慮しないし……。

「停戦中の戦争を終わらせるためにと、仰っておられましたね」

「姫様……」

 私が口を挟むと、朧王子は頷いた。

「そうだ」

「それは、アクア国との戦争終結の際のような……ナギサ王子と十六夜王子のようなことを我々ともしようと、そういうことですか?」

 両国の姫と王子が結婚すれば、争うことはなくなる。

 確かに、停戦中の戦争は終結するだろう。

 だけれど――

「仰っていることの意味はわかります。ですが、私は既にイズミ・アクア王子との婚姻を控えた身です。その案に応じることはできません」

「それはわかっている」

「でしたら、何故……」

「しかしそれは、ソレイユの第一王女とアクアの第二王子との間に交わされた約束事だ。お前ではない」

「え?」

 私じゃない?

 この人、何を言っているの?

「突然、何を仰っておいでですか? ここにおられるのは、紛れもなくシャイン・ソレイユ姫ですよ。いくら望月国の王子とはいえ、無礼は許されません」

 ミラが戸惑いながらも、朧王子に詰め寄る。

 私は、言葉を失っていた。

「控えよ、神官。では、何故この姫から、が出ている?」

「――え……?」

 魔法の、波動?

「姫、お前からは魔法を操る者だけが持つ、望月国の人間特有の波動がその身から出ている。お前は、ソレイユの人間ではない。我が国、望月国の生まれの者だ」

「望月国の、生まれ……?」

 私が?

 そんな……そんなことって……。

「虚言です! そんな証拠が、いったいどこに……!」

「お前がわからないはずはないだろう、神官。お前たちの神は、この姫に加護を与えているのか?」

「っ――!」

 言葉を失うミラ。

 嘘……どういうこと? どうして黙ってしまうの?

「み、ミラ……?」

 ミラは俯いたまま、こちらを見てもくれなかった。

 それじゃあ肯定しているようなものじゃない。

 そんなことないって言ってよ。

 太陽神は、金烏きんう様は。この国に生まれた者を、王族を守護し加護を与えてくださる神様。

 その金烏様の加護を得られないのであれば、私はこの国の者ではないということになる。

 私は、お父様とお母様の娘ではないということになるじゃない……。

 だったら、いったい私は何者だというの――?

「ったく、朧サマ。こんなデリケートな話を淡々と……」

「事実だ」

「そうですけど、ショック受けとるやないですか。女の子には、もっと優しゅうせんと」

「そういうものか」

「そういうもんです」

 二人のやりとりは、もう耳には入ってこなかった。

 ミラから目が離せない。

 どうして黙ったままでいるの?

 本当にそうだというのなら、今までどうして黙っていたの?

 知っていて隠していたの?

 まさか、皆知っていたの?

 お父様もお母様も知っていて、私に黙っていたの?

 私は信じていたのに。皆で私を騙していたの?

「何と言われようと、ここにおられる方が私のシャイン姫です」

「ミラ……?」

 何を言っているの? そんな言葉じゃだめだよ。

 だってそれじゃあ、やっぱり私は――

「さあ姫様、行きましょう。もうこの方々とお話することは何もありません」

 ミラが私に手を差し出す。だが、私はその手を取ることができなかった。

「姫様?」

「……嫌よ」

「シャイン姫?」

「私は何者なの? 誤魔化さないで、ミラ!」

「姫様……」

 行き場を失った神官の右手が、だらりと力なく垂れ下がる。

「この方々の言っていることは本当なんでしょ? ミラは知っていて私のそばにいたのでしょう?」

「……」

「答えて、ミラ!」

「……………………はい」

「――っ」

 肯定の声は、彼女らしくない、とても小さなものだった。

 力ない儚げな声音に、愕然とする。

「金烏様は、姫様にだけはどうしても加護を与えてくださらないのです……」

「そんな……」

「このことを知っているのは、私と神官長だけです。王様も王妃様も、他にはどなたもご存知ではありません」

「どうして、黙っていたの? 今まで私を騙していたの? お父様やお母様をも?」

「それは……」

「出て行って……」

「姫様……」

「ごめんなさい、ミラ。今、貴方の顔を見たくないの」

 ミラは言葉を呑み込んで、頭を下げた。

 空明さんが、ミラへ言葉を投げる。

「大丈夫や。この場で彼女を連れ去ろうなんて考えてへん。どうか信じて欲しい」

「……わかりました。私は部屋の外に控えておりますので、何かあればお呼び立てくださいませ。では、失礼致します」

 ガチャリと扉の閉まる音がする。

 私は俯いていた顔を上げ謝罪した。

「見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」

「いえ。突然このようなことを言うて動揺させたんはこちらです。どうかお許しください」

 空明さんが真摯に頭を下げる。

 私は、彼に頭を上げてもらうように言った。

「お二人は、私のことをわかった上でこちらへ?」

「お前と実際に会うまでは、確証がなかった。とはいえ、見た瞬間にわかったがな」

「そうでしたか……」

「姫サマ、心して聞いてほしい話があります」

「……何でしょうか」

 改まった空明さんの物言いに、ごくりと喉が鳴る。

 これ以上に心しなければならない話があるなんて、想像もつかなかった。

「望月国の、前王一家のことはご存知ですか?」

「え、ええ……十一年前の戦争時に亡くなられてしまったと聞いています」

「前王たちは、現女王に殺されました」

「――なん、ですって?」

 現女王って、朧王子の母君のことでしょう?

 彼女は、前王の実の妹と聞いている。

 ということは、女王は兄をその手にかけたというの?

「これは、一部の者しか知らん事実です」

「……朧王子も知っておられたのですか?」

「ええ……朧サマは知らん振りして、女王サマに従っとります」

「そんな……」

「それだけやないです。女王は自身の夫である殿下でさえ、その手にかけてしまわれました」

 夫である殿下って、朧王子の父君ということよね?

「どうして、そのようなことが……」

「簡単だ。あの人は、権力と力を欲している。そして父様は母様に逆らった。自分に従わない人間はいらない。ただそれだけのことだ」

「権力……」

 さあっと血の気が引く。

 自分が国のトップになるために。

 それだけのために、邪魔者を消したと、そう言うの?

「前王一家は皆殺され、第一王女だけが行方不明とされとります。おそらく戦火に巻き込まれ亡くなられたものと、国民や諸外国の誰もが思っとります」

「そのように聞き及んでおりますが……まさか……」

「ええ、そのまさかです。姫は生きとります」

「姫が生きて……?」

「姫は玉兎サマの加護を受けとります。玉兎サマは、王族の方々がどこにおられようとも関係なく守ってくださいます……直々に仕えることを許された自分に、わからんはずがない」

 朧王子のそばに控えていた空明さんが、すっと私の横へとやってきた。

 そして跪く。

「空明さん?」

「ご存命であることはわかっとりましたが、やっとこうしてお会いすることが叶いました。輝夜・望月姫」

「え――」

「やっとお前を迎えに来ることができた。十一年もの間、ずっと一人で待たせて悪かった、輝夜――我らが真の女王。俺の婚約者」

「ええ――?」

 私の叫びが、部屋中に響き渡る。

 それは、とても素っ頓狂な声だった。

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