第2話

 城へ戻って食事を終えた私たちは、庭園を訪れていた。

 サンは面白い本を見せたいからと、十六夜王子を連れて書庫へ向かった。

 私はイズミ、そばに控えるミラと共に、庭園をゆっくりと歩いていた。

「ナギサ王子……十六夜王子を庇われたのね。イズミは知っていたの?」

「ああ……最期までナギサ兄様らしいだろ? 敵国の王子だろうが、関係なくその身を挺して守ったんだ」

「……そうね」

 ちらと盗み見たミラは、顔色一つ変えていない。

 これだから、ポーカーフェイスが上手い人は困る。

「十六夜をこちらにという話が決まった時は、戸惑ったよ。一目見て、この子も被害者なのだと思った。だから、余計にどう接していけば良いのかわからなかったんだ」

「無理もない。きっと私だって、そう思ったに違いないもの」

 隣で淡く苦笑しながら、イズミが天を仰ぐ。

「見ただろう? あの様子を。十六夜は祖国で生きていくことを望んでいない。それにあの国は、平気で十六夜を引き渡すようなやり方を選択する。望月国にいることで十六夜が苦しむのであれば、ナギサ兄様が守った命。今度はボクが見守ろうって、そう思ったんだ」

「イズミ……」

「ボクは、ナギサ兄様のように優しくない。弟や妹のいないボクには、時々どうしてあげれば良いのかわからなくなる時がある。でもナギサ兄様がボクにしてくれたようにしてみようって、そう思うんだ」

「そんなことはない。イズミは優しいじゃない。本当に優しくない人ならば、そうやって思い悩むことだってしないはずよ」

「そうかな……」

「ええ。だから大丈夫。そんなに思ってもらえて、十六夜王子は幸せよ」

 にこりと微笑む。と、イズミが力なく笑った。

「あー……やっぱりボクにはお前が必要だよ、シャイン」

「あ、わっ……!」

 ぐいっと腕を引かれて、抱きすくめられる。

 ぎゅっと少し苦しく、胸が締め付けられた。

 私はこんなふうに、この人に抱き締めてもらっても良いのだろうか。

 一抹の不安が過る中、ミラが気を利かせたのか。視界の隅で、少し距離を取るのが見えた。

 とはいえ、見られている。恥ずかしくて、私は軽く身じろいだ。

「おや、ボクから逃げようとして……悪い子だね」

「い、イズミ……!」

 名を呼ぶと、更に彼の腕には力が込められた。

 がっちりと閉じ込められる。

 なんだか、らしくない……。

 もしかして私、イズミを不安にさせている……?

「ごめん、なさい……」

「謝るな、シャイン。これはボクの独占欲だよ」

「でも……」

 言ってあげられたら良いのに。

 私はどこにも行かないと。

 貴方しか考えられないと。

 それなのに、その言葉は喉元で奪われる。

 心の奥底で、誰かが叫んでいる。

 失った懐かしさが泣いている。

 それは嘘だと。目を逸らすなと、暴れている。

 ぶっきらぼうな無表情の緩めた口元が、記憶の向こうで私を呼ぶのだ。

「あんなやつには負けない。シャインも国も、もう何も奪わせない」

「イズミ……」

「彼は母親……太陰たいいん・望月女王の傀儡だ」

「傀儡?」


 ――母様の操り人形が! この人殺し!


 十六夜王子の叫びが蘇る。

 母様とは二人の母君、望月国の現女王のことだ。

 十一年前の我が国、ソレイユとの戦争中に前王、太陰・望月女王の兄王一家が戦火に巻き込まれ亡くなられて。次期王として、彼女が王位を継承されたと聞いた。

 前王夫妻には、私と同じ歳の姫がいたらしい。

 黒髪に美しい蒼い瞳をしていた、輝夜かぐや・望月姫。

 朧王子の従妹にあたる彼女の遺体だけが発見されず、行方不明とされている。

 とはいえ十一年経った今、未だ存命であるとは考えにくい。

 従妹――もしサンを失ったらと考えると、苦しくて胸が張り裂けそうだ。

 きっと朧王子も、その事実に絶望したに違いない。

 それだというのに、どうして彼は、彼らは、戦争を繰り返すのだろう。

 そんなことができてしまうのだろうか。

「どこまでが本心で、どこまでが言いなりなのかはわからない。それでも彼は、望月女王がやれと言ったことは遂行する。たとえそれが、ナギサ兄様を十六夜もろとも狙えと言われてもだ」

「え――」

 じゃあ事故ではなく、実の弟がいるとわかった上で。巻き込んでしまうと認識した上で、狙ったというの?

 望月女王は、残酷にも兄に弟を……実の息子を殺させようとしたの――?

「そんな……」

「たとえ逆らえないのだとしても、彼が命令を実行したことに変わりはない。そんな男に、お前は絶対に渡さない」

 信じられない思いでいると、そっと体を離された。

 真剣な水色の瞳が、戸惑い顔の私を映している。

「出直すと言っていたからね。近いうちに彼はまた現れるだろう。くれぐれも気を付けるんだ」

「わかった」

「公的には動けないと言っていたことが気に掛かるが……ミラ」

 イズミに呼ばれ、こちらへと歩み寄るミラ。

「はい、ここに」

「ボクの代わりに、シャインを頼んだよ」

「もちろんです」

「シャイン、ボクは今夜には国に戻らねばならない。本当はずっとそばにいたいが、そうもいかない。何とも歯痒いが……もう勝手に城を抜け出してはいけないよ。ミラを常にそばに置くんだ。いいね」

「……はい」

「いい子だ」

 頭を撫でられるくすぐったさの裏で、複雑な思いが去来する。

 名を付けられない感情に、心が翻弄されている。

 まるで、嘘を吐いているようだ……。

「何かあれば、すぐに連絡を」

「わかった」

 そうして王子一行は、夕刻にソレイユ国を後にした。

 サンも近くにある、彼女が暮らす城へと戻っていった。

 残された私は、部屋にいた。

 侍女が持ってきてくれたお茶を、ミラと二人で飲む。

「ずっと、浮かない顔をされていますね」

「だって……いろんなことがありすぎて……」

「そうですね……どうしてあのお二人が、あの場にいらしたのですか?」

「知らない。私が教えて欲しい」

「そうでしたか……」

 そういえば、あの時にミラはひどく驚いていたっけ。

「ミラは、あの二人のことを知っていたの? とても驚いていたけれど……」

 私でも、朧王子の顔を知らなかったのに――。

「黒髪は、望月国に多い髪の色ですからね。見慣れない方に驚いてしまいました」

「そう、なんだ……?」

 確かにそうなのかもしれないけれど……でも、それだけにも思えなかったけどな……。

 それに十六夜王子のことを見ていたのに、そこまで驚くものなのかな?

「何か言われたのですか? 後日改めてとお話しになっておりましたが」

「あー、うん……」

「姫様?」

 歯切れの悪い私を訝しる神官。

 彼女に隠し事はできないな……。

「私に会いに来たんだって」

「姫様に、ですか?」

「うん。停戦中の戦争を終わらせるために、私を妃に迎えたいんだって」

「――ええ?」

 珍しく大声を出して驚くミラ。

 そうだよね。驚くよね。

 私も思考停止したもの。

「近隣諸国の方々が、姫様とイズミ王子の婚約をご存知ないはずはないのですが……最近は大人しくされていると思いきや、望月国はいったい何を考えておられるのでしょう……」

「公的には動けないって言ってたよ」

「であれば、女王の意図ではないということでしょうか」

「……ミラって、私よりも望月国のこと知ってるよね」

 私とイズミの会話、あの距離で聞こえていたのかな?

 首を傾げれば、きょとんとするミラ。

 しかし次第に、赤い瞳は半眼になった。

「姫様が知らなさすぎるのです。こんな状態では困りますよ。しっかりお勉強なさってくださらないと」

「げ……」

 あちゃあ……余計なことを言ったかなあ。

「まあそれはともかく。姫様に何かあれば、イズミ王子に殺されかねませんので。王子の仰っていた通り、不用意な行動は避けてくださいね。先日のように一人で森に入るなど、言語道断です」

「あれは、ちゃんと反省してるって……」

 いろんな意味で。

 というか、イズミもミラも殺されるって……互いのことを何だと思っているのだか。

「でしたら、今後の行動で示してくださいますね。明日からは、またお勉強に励んでくださいませ」

「……」

「お返事は? 姫様」

「はあい」

 この神官がどこか楽しそうなのは、気のせいだと思いたい。

「では、本日はお疲れになられたでしょう。ゆっくりお休みくださいませ。私はこれで」

「うん。ミラ、お茶に付き合ってくれてありがとう。おやすみなさい」

「はい。失礼致します」

 ひらひらと手を振って、私は閉まった扉を見つめる。

 そして一人、こっそり溜息を吐くのだった。

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