第2章 吊るされた愚者

第1話

 先日危ないところを助けてくれた、フードの彼。

 そんな彼の正体が、望月もちづき国の第一王子、おぼろ・望月王子とわかり動揺していたのに。

 驚愕している私へ更に畳みかけるようにして、彼は言った。


 ――お前を俺の妃に迎えたい。停戦中の戦争を終わらせるために。


 私とイズミの婚約話は近隣諸国にも発表している。

 彼が知らないはずはないのだ。

 それなのに、私を妃にだなんて……。

 それも、戦争を終わらせるために――?

 一気に衝撃が襲ってきて、私の脳内処理が追い付いていなかった。

「ソレイユの姫、伝えねばならないことがある。俺と共に来てもらおう」

 言葉と共に、手首を掴まれた。動揺した私は、されるがままだ。

「失礼。待っていただこうか、朧王子」

「……アクアの王子に用はないのだが?」

 朧王子の腕を掴んで引き留めるイズミ。

 私の顔をちらと見るその表情は微笑んでいて、安心するようにと言われているのがわかった。

 柔らかな、しかし外行きの笑みを浮かべて。イズミは朧王子へ向き合う。

「貴方にはなくとも、私にはありますので。そもそも、望月国の第一王子ともあろう御方が、何のご連絡もなしに突然このようにいらっしゃっては困りますね」

「それは申し訳なかった。公的には動けなかったものでね」

 謝罪の気持ちが欠片も伝わらない声音に戸惑うも、彼の言葉が引っ掛かった。

 公的には動けない?

 どういうこと? 彼は、王子としてこの国へ来たのではないの?

「それは、どういう――」

「あー、もう朧サマ。そんなんやと警戒されるだけやって言うたやないですか」

 イズミの声を遮ったのは、この場に満ちた黒雲を吹き飛ばすかのような、明るい声音。

 聞こえてきた方へ顔を向けると、こちらへ向かって歩いて来る男性がいた。

 短髪の赤い髪に紫の瞳。この場の誰よりも背が高く、がっしりとした体つき。

 イズミだって背は低くないのに……彼が小さく見えてしまうほどだ。

空明くうめい……」

 朧王子が呟く。ということは、この人は彼のお供の方?

「っと、失礼」

 言いながら、自然な手つきで朧王子とイズミの手をそれぞれ引き剥がす男。

 そうして私の目の前で跪いた。

 彼の慣れた所作に、居住まいを正す。

「お初にお目にかかります、ソレイユの姫サマ。自分は望月国が神官、空明いいます。我らが月の神、玉兎ぎょくとサマの加護を賜り、王族をお守りする任を受けた、朧サマの護衛役です」

「くうめい、さん?」

 神官。それも月の神に認められた人……ミラと同じ立場の人だ。

「はい、お見知りおきを。ってことで、朧サマ」

 立ち上がり、くるりと振り返る空明さん。

 じりじりと、朧王子ににじり寄っていった。

「もう、慎重にって言うたのに。いつの間にかおらんなってるし!」

「お前が、どこぞの女の尻を追いかけているからだろ」

「美人がおったら声を掛ける! 当たり前のことしとっただけですよ」

 感情の読み取れない朧王子に、おどけながらもくるくると表情を変える空明さん。

 正反対にさえ見える彼らだけど、そのやりとり、雰囲気からは、互いの信頼関係が窺えた。

 この人たちは、私とミラのような関係なのだ。

 王族と神の加護の力を持つ神官という間柄だけじゃない。

 護衛役という枠を越えた、友人のような親しきもの。

 彼は、朧王子がそばに居ることを許した人だ。

「姫様、イズミ王子、お二人を見つけて――え?」

 背後からミラの声が聞こえる。

 良かった。二人が見つかったのなら、ひとまずは安心だ。

 そう思いながら振り返ると、しかしそこには、四つの驚愕に染まる瞳があった。

「ミラ?」

「朧、兄様……?」

 十六夜いざよい王子が呟くように、兄王子の名を呼ぶ。

 サンは、きょとんとしていた。

 どうして、十六夜王子は愕然として立ち竦んでいるのだろう。

 引き離された兄弟が、偶然にも再会したというのに。

 それに、何故ミラまで驚いているのだろうか。

 もしかして、彼らが望月国の人間だと知っているの?

「ミ――」

「貴方が……」

 ミラに声を掛けようとした、その時。

 呆然としていた十六夜王子が、わなわなとその小さな体を震わせ始めたため、私は言葉を呑み込んだ。

 俯く彼の拳は、ぎゅっと白くなりそうなほどに握り締められている。

 ゆっくりと上げられた顔。その瞳に宿った怒りの炎は、みるみるうちに激しく燃え上がった。

「朧兄様があの時、あんな魔法を使ったから……」

「十六夜王子?」

「だからあの人は……ナギサ王子は、おれを庇って亡くなられた!」

「え?」

 朧王子が放った魔法で、十六夜王子が危険に曝されたということ?

 そうして、ナギサ王子が庇って命を……?

 そんなことが、どうして……本当にそのようなことが起こったの?

「あんなに強力な魔法を……治癒も間に合わないほどに……」

「十六夜王子……」

「許さない……貴方だけは絶対に、許さない……!」

 これが実の兄を見る目なのかと。

 そう疑わずにはいられないほどの憎しみを込めて、十六夜王子は朧王子を睨みつける。

 対する彼は、弟など見えてもいないかのように振る舞った。

「――出直す。ソレイユの姫、後日改めて伺おう」

 くるりと背を向けて歩き出す朧王子。

 すかさず、十六夜王子が牙をむいた。

「逃げるのか! 母様の操り人形が! この人殺し!」

 悲鳴にも似た叫びが、胸を締め付ける。

 しかし、まるで聞こえていないかのように、平然と立ち去る朧王子。

 そんな彼の後ろ姿を見つつ、頭をがしがしと掻いて。空明さんは苦笑しながら、十六夜王子に話し掛けた。

「あー、もうあの人は……十六夜サマ、お久し振りですね。お元気そうで安心しましたわ。今度は、ゆっくりお話しましょ。では皆サマ、お騒がせしました」

 十六夜王子にひらひらと手を振って、空明さんは慌てて朧王子を追いかけていってしまった。

「……取り乱してしまい、申し訳ございません」

 二人の姿が見えなくなって、平静を取り戻した十六夜王子が、肩を落としながら頭を下げた。

 そんな彼に、サンがにっこり笑って話し掛ける。

「お茶をいただきましょう」

「え?」

「ね?」

 花が咲いたサンの表情に、十六夜王子の顔へ、はにかんだ笑顔が戻る。

 今は、このままサンに任せておいた方が良さそうだ。

 それにしても、いろいろと気になることがあった。

 一年前の戦争は、様々な兄弟の仲を引き裂いてしまったらしい。

 二度と起こしたくない。起こしてはならない。

 でもそのために、私が朧王子に嫁がねばならないの……?

「シャイン」

「イズミ?」

 そっと手を取られ、両手で優しく包まれた。

「望月国のやり口に従う必要はない。お前は、絶対に渡したりなどしないから」

「……うん」

 心は、イズミを求めている。

 そのはずなのに、どうしてなのだろう。

 朧王子に掴まれた手首は痛くなかった。

 彼の手は、いつだって温かい。

 不器用で伝わりにくいけれど、本当はとても優しい人なのだということを、

 懐かしくて、安心する。

 しかしその事実が、私の心を搔き乱す――

「二人がティータイムを終えたら、城へ戻ろうか」

「そうね」

 遠くで微笑み合う二人を見つめ、頷く。

 しかし背後でこちらを見つめる瞳の色には、私の意識が向くことはなかった。

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