第4話
「シャインお姉ちゃん!」
「サン!」
私の腕の中に納まっているのは、可愛い従妹姫、サン。
茶髪のミディアムショートヘアーは、いつまでも撫でていたくなるようなふわふわとした柔らかな毛質で。純粋な赤い瞳は、きらきらと煌いている。
十三歳になっても変わらず私を慕ってくれる、可愛い子。
私と違って頭脳明晰で、いつも明るく元気いっぱいの、国民に愛されている姫だ。
「今日は、一緒にお出掛けできるんだね。嬉しい!」
私が嫁いでしまえば、こうして気軽に遊ぶことはできなくなる。
それまでにと企画したことだった。
「麗しい姫たちとご一緒させていただけること、光栄に存じます」
「イズミ様、ごきげんよう」
「ええ、サン姫。今日も変わらず愛らしいですね」
和やかな二人を見ながら、私はイズミに近付く。
「イズミ王子、お会いできて嬉しいです。お忙しいところ、応じてくださりありがとうございます」
「何を仰いますか。姫の頼みなら、他なんて些末なこと。何を置いてでも駆けつけますよ」
すっと手を取り、甲に唇を落とすイズミ。
そのスマートな仕草に、ドキドキする。
大丈夫。私、ちゃんとときめいている。
私は、イズミのことが好き。
心配なんて、何もいらない。
「今日は、
「シャイン姫、サン姫、おれ――じゃなかった。私にもお声掛けくださり、光栄です。今日は、よろしくお願い致します」
イズミの後ろから現れたのは、さらりとした黒髪と同色の瞳をした少年、十六夜・望月王子。望月国第二王子として生まれ、アクア国へと送られた、十三歳の人質王子だ。
「十六夜王子、お久し振り。今日はよろしくね」
「はい、シャイン姫」
手を振ると、嬉しそうにはにかんでくれる。その様子がとても可愛らしくて、顔がにやけてしまった。
「おや、十六夜に嫉妬しますよ、姫」
「イズミ王子!」
抱き寄せられ戸惑う。皆が、特に無垢な二人が見ているのに!
「私の瞳に映るのは姫、貴方だけだというのに」
「か、からかわないでください。サンたちが見ています」
「ふふ、恥ずかしがって……可愛い方だ」
離してはくれたが、ぴったり隣の位置をキープされた。
「それでは、行きましょうか」
エスコートされながら、ミラも加わって五人で馬車に乗り込む。
あまり遠くにまでは行けない。城の外、森の向こうに広がる草原を目指す。
最初はおどおどと緊張していた十六夜王子だったが、同じ歳のサンがいてくれるおかげで、随分と楽しそうにしている。
彼も誘って良かった。少しは、気分が晴れてくれると良いのだけれど。
それにしても、十六夜王子の黒髪黒目を見ていると、彼を想起させる。
同じ黒い髪に黒い瞳の、凛々しい彼を――
「十六夜を見つめて、いけないね」
「えっ……」
「ボクを嫉妬させる作戦かな? そんなことをせずとも、こんなにも夢中だというのに」
「そ、そんなつもりは……」
いけない。いつものにこやかな表の顔じゃない。
従者がいないと、すぐこっちの顔になるのだから……!
「誰を見ていた?」
「イズミ?」
目的地へ到着し、馬車を下りる。
サンと十六夜王子は、早速飛び出して走っていってしまった。
元気な二人を慌てて追いかけるミラの背を見つめていると、隣から声を掛けられた。
「十六夜を通して、誰かを見ていたんじゃないのか?」
「そんなこと……いったい誰を見るというの?」
ごめんなさい。だけど、こんなこと言えるわけがない……。
私は空笑いをしつつ、イズミから目を逸らした。
「……。シャイン、ボクを避けていないか?」
「いいえ」
「ボクと会っていない間に、何かあったのか?」
「何かって、別に、何も……」
「何事もないのならばボクの目を見ろ、シャイン」
「……」
ドキドキと鼓動が鳴る。
私の視線は、爪先に向けられたままだ。
どうして、こんなにも緊張しているのだろうか。
そろそろと顔を上げると、真剣な水色の瞳に射抜かれた。
「ボクは、大人たちに決められたからじゃない。ボクの意思でシャイン、お前が欲しい」
「っ……」
「誰にも渡すつもりはない。相手が例え、ナギサ兄様であってもだ」
誰よりも尊敬し慕う、ナギサ王子であっても――それは、彼の本気をこれ以上なく示されているようだった。
「私、は……」
こんなことを言うべきではない。
彼のことなど言ってどうなる。
だから、私も同じ気持ちだと伝えなければ。
そう思うのに、唇は震えて上手く動いてくれなかった。
そんな自分に嫌気がさしていると、目の前から溜息が聞こえビクつく。
もしかして、呆れられてしまった?
「……悪かった」
「え?」
しかし届いたのは、ぼそりと呟かれた謝罪の言葉。
驚き、弾かれるように顔を上げると、困ったような水色の瞳とぶつかって、ズキリと胸が痛んだ。
「ボクはお前のこととなると、余裕がなくなるな。いつだって年上の男として、格好よく振る舞ってみせたいというのに」
「そんな、イズミはいつだって格好良いのに……だから、これ以上だなんて心臓が持たないよ」
「まったく、お前はそんなことを言って……こんな場所でなければ、今すぐその唇を塞いでボクしか見えなくしてやるのに」
「い、イズミ……!」
「ふふ、しないよ。頭の固い神官に殺されてしまうからな」
ふっと笑う、意地悪そうなその顔に、言葉を詰まらせる。
まったく、楽しそうにして……。
こんなにも私の心を揺らしておいて。
愛を向けられて、受け止めきれないほどの感情に戸惑いさえ覚えてしまうというのに。
それでもこの人は、足りないとでも言わんばかりに、与えてくる。
愛されている……何の不満があろうか。
ときめきもドキドキも与えられて。
そばにいたいと思えるのに。
脳裏をちらつく黒髪が、邪魔をする――
「ボクたちは、すべてを自由意思で決め、動けるわけじゃない。互いに国のため、国民のためを第一に考えなくてはならない。それでも心はシャイン、お前へとすべてを捧げたいと思っているんだ。お前はボクのもので、ボクはお前だけのものだと叫びたい。だが、そうできないことをどうか許してほしい」
「わかってる。だからどうか、許してだなんて言わないで」
「ありがとう、シャイン」
良かった。いつもの彼だ。
自信たっぷりの、格好良い王子様。
「そうだな、婚前には気持ちが揺らぐものだと聞いたことがある。お前も、今はそういう時期なのだろう。しかし、ボクに嫁いで良かったとちゃんと安心させてやるから。だから、素直にボクに愛されていればいい」
「イズミ……」
不遜な笑みに、思考さえ止まりそうになる。
過去は過去。あの人が何者であろうとも、今の私には関係ない。
私は、この人と幸せになる。
それでいい。何の問題もない。
「返事は?」
「……はい」
「いい子だ」
優しく頭を撫でられ、腰に手を回される。
「シャインお姉ちゃん! お花がたくさん咲いてるよ!」
「サン姫が呼んでいるな」
「そうね。私たちも行こう」
「ああ」
ぶんぶんと無邪気に腕を大きく振る従妹姫に手を振り返して、私たちは三人の元へと向かった。
「見て。十六夜くん、可愛いでしょ」
花畑に辿り着くと、サンが満面の笑みで近付いてきた。
どうやら、花冠を作ったらしい。
しかし、それは何故かサンではなく、十六夜王子の頭上に飾られていた。
「おや、十六夜。とても可愛らしいですよ。良かったですね」
「う……はい……」
十三歳の少年……可愛いと言われても嬉しくないだろうが、とてつもなく似合っていて可愛い。
断れなくて戸惑っている姿が、更に増長させていた。
「サン、十六夜王子と随分仲良くなったのね」
十六夜くん、と呼んでいた。
「うん!」
破顔するサン。そうか、この子の身近には、同じ年頃の子がいなかったのだった。
いつも、私とミラのことを羨ましがっていたっけ。
「良かったね、サン。十六夜王子、これからもサンと仲良くしてあげてね」
「も、もちろんです!」
微笑ましい光景を見ていると、一旦離れていたミラがこちらへ近付いてきた。
「お茶の用意が整いました。よろしければ、こちらへ」
「では、いただくとしようか」
「ミラ、ありがとう」
まだ遊ぶという二人から離れて、私たちは馬車の近くへと戻った。
「ミラも飲もうよ」
「いえ。ご一緒などと、どうか仰らないでください。恐れ多いです」
「むう……」
従者の手前、気を遣わねばならないのだろう。
こういう時、身分というものが邪魔をする。
「彼女の言う通りだよ、姫」
「わかっています……」
せっかく遊びに来たのに、ミラは控えてばかりで面白くないな……。
「あれ? あの二人、どこに行ったの?」
拗ねながら顔を上げると、花畑の方にいたはずの二人の姿が見当たらない。
ミラが、すかさず辺りを捜しに向かった。
「近くにはいらっしゃいませんでした。少しこの場を離れます。どうか、お二人はこちらに」
「わかった。従者も向かわせよう。姫のことは任せて。二人を頼んだよ」
「承知致しました」
ミラが駆けていく背中を、ただ見送る。
イズミは、不安顔の私に微笑んでくれた。
「サン姫なら大丈夫。聡明な子だ。無茶などせず、すぐに戻って来るよ」
「そう、よね……」
「十六夜も馬鹿ではない。少し羽目を外してしまったのだろう。二人とも幼いだけの子どもじゃないさ」
「うん……」
「しかし十六夜……帰ったら――」
口元だけで笑いながら、拳を握り締めるイズミ。
私は慌てて、そんな彼を宥めた。
「ダメよ。イジメないであげてね」
「サン姫を危ない目に遭わせていたら、絶対に許さない」
「もう……」
「――呑気なものだな」
突然、背後から聞こえた声。
私たちは、ハッとして振り返る。
「誰だ!」
「なんだ。一年でもう忘れたのか? アクア国の第二王子」
「何?」
「え……」
私を背中に隠しながら、突如現れたフードマントの男と対峙するイズミ。
その声と姿には、見覚えがあった。
「お前は――!」
従者が男を取り囲む。
しかし、イズミは彼らを下がらせた。
「下がるんだ。この方は、丁重にもてなせ」
「イズミ王子?」
「ここで問題を起こせば、条約を結んだ努力が泡になる」
「条約?」
条約を結んだ相手? 彼はただの一国民じゃないの?
それに、一年って言っていた……。
まさか――
「お久し振りですね。一年振りですか。十六夜に会いに来られたのですか?
イズミの言葉に、ぱさりとフードを外す男。
それは紛れもなく、あの森で獣を倒した彼。
しかし……。
「朧・望月王子?」
この人が、敵国――望月国の第一王子?
アクア国を蹂躙し、ナギサ王子を亡き者にした戦争を仕掛けた国の、女王の息子?
十六夜王子の、兄王子?
「姫とは先日振りか。勇敢にもお転婆なソレイユの姫よ」
「姫? 朧王子と会って……?」
イズミの言葉に答えられない。
私の心は、動揺に支配されていた。
どうして私は、望月国の王子を懐かしく感じているの――?
彼は何故、私のことを知っているのだろうか。
敵国の王族であるとわかっていながら、私のことを助けたの?
どうして、ここにいるの?
何故、今この場で私たちの前に現れたの?
「俺は、お前に会いに来た。ソレイユの姫よ」
「え?」
「お前を俺の妃に迎えたい。停戦中の戦争を終わらせるために」
「――え?」
彼の言葉を理解するのに、時間が掛かってしまった。
誰もが驚き、私たちは暫くその場から動くことができなかった。
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