第4話 打ち合わせ
授業は既に終了し、キャンパスはこの時間まで授業を受けていた学生たちで埋め尽くされている。
友人や恋人と連れ合って駅を目指す者もいれば、サークルなり部活なにり向かう者。図書館に向かう者もいる。目的もなくただ仲間と話している者も。
なんでもない青春の一ページというべき光景を尻目に、校門へと流れる人々から離脱してキャンパスの一角にある森へ向かう。なかなかに広大な面積を誇る森には狸やアライグマだけでなく猪まで生息するという噂もある鬱蒼とした森。
だが整備された道にはところどころにベンチが設置されており、中程まで行くと見えてくる三つの池には錦鯉がそれぞれ二十数匹泳いでいる。かつての学生がこっそり放流したのをモノ好きな学生が今でも餌をあげているらしい。
また、木道から見える植物たちもアスファルトで固められた地面に慣れた現代人たちには珍しいのでそれらに癒されるべく、近所にすむ住民たちもわざわざ散歩コースに加えるほどの評判ぶりであった。
その最深部にF棟は立っている。
もっとも、その奥にも森は続いているのだが道が整備されていない。
歴史の長いこの大学のなかでも現存する建築物では最も古いらしく、外壁はひび割れ、陽の当たらない片側には枯れた
「本当は誰も呼んでないですけどね」
十五時五十五分。F棟へ続く道を歩くのはぼくともう一人、山下さんであった。
C班でスマートフォンを持っていないのは彼女だけではなくもう一人いたということで、干柿は心底面倒臭そうな顔をしていた。
どうして二人で歩いているのかといえば、話した印象が見た目通りの頼りない山下さんよりも幾分かしっかりしていそうなぼくにこんな提案がされたからである。
「はあ〜〜〜……じゃあ二人は打ち合わせまで一緒にいて」
そう言われたときは意味が分からなかったが、ぼくが何か言う暇を与えずに干柿は続けた。
「この子、なんだかすごくぼんやりしてるし、LINE入れようにもできないから打ち合わせのこと忘れてそう。だから君とくっつけておけば大丈夫のはずよね? まさか二人同時に予定を忘れるなんてないはずだから。絶対来るのよ? 分かった? ……っとに……なんでスマホも持ってないんだか……」
干柿にこう言われ、気づけばぼくらC班以外が消えていた。それと同時に、もうすぐ二限目が始まってしまう——幸いこの教室は使われないようだったが——ことにも気づいた。
次は履修必須の科目であるため遅刻するのはまずいと思い、当の山下さんを向くやいなや
「じゃあ山下さん! 次ってどこの教室で授業受けるの?」
「え〜っと、B棟の三階の……どこだろう……あまり覚えてないです」
教室を覚えていなかった!
「じゃあ終わったらB棟の自販機がある入口に来て! そこで集合してこの後のことを話そう! それでいい?」
「はい……」
彼女が承諾したことを確認し、早歩きで教室を出た。確かに、授業ごとに教室が違うとどこがどれになるか分からなくなるよな。分かる。
しかしそんなぼくは二限の教室に滑り込んで、遅刻に厳しい教員に睨まれるだけでことなきを得たのだった。これも教室を覚えていたからなせた技である。
そして二限が終わり、昼休みに。
果たして——
彼女はB棟の自販機前にちゃんといた。外へ出ていく学生と中へ入っていく学生の交差した流れの中でただ一人立ち止まっていたので、行動の場違いぶりにかえって発見しやすかった。だが彼女のほうはぼくを探すでもなくただ立ち尽くしているのみ。スマートフォンで暇つぶしをしないのかと思ったが、そもそも持っていないことを思い出す。
ただ立っているだけの存在は今となっては珍しい。
勝手に納得しつつ近づいていくが、彼女はぼくをチラと見てすぐに視線を逸らしてしまった。
あれ?
「あのー……」
「……なんですかあなた、またナンパさんですか? そういうのはいいので、断っております全部、はい」
「……」
「……」
「……」
「……あの、ナンパさん? いい加減にしてくれないとけいさ……あら? あ」
「さっきここで待ち合わせした者だけど……まだ覚えてる?」
彼女はポカンとして数秒固まっていたが、すぐに記憶を取り戻したようで
「ああ! さっきの! わわ! すみません!」
そう言って頭を下げた。
自分がなぜそこに立っているのかも忘れてしまったり、話しかけてきた異性はナンパ目的であることを決めてかかるあたり、相当思い込みが激しいタイプらしい。
そう思った。
待ち合わせの話でもそうだったように、やっぱりちょっと変わり者なのだろうか……。
しかし、話しかけられてすぐにナンパであると思い込んでいた辺り、日常的に声をかけられているのかもしれない。
でなければ、第一の可能性に本来の待ち人ではなくナンパが浮かぶことはないはずだ。
容姿も結構かわいいし。
「ん……無事に合流できて良かったよ。……さて」
さて、こうしている間にも時間は流れていき、学食を食べる余裕が削られていく。用はとっとと済ませてしまおうと思う。四限終わりに集合する場所を決めておくこと。しかしいかんせん、我々はスマートフォンを持っていない。
よし。
「さっき話してたC班の干柿さんが言ってたけどさ、ぼくたちはスマートフォンを持っていなくて連絡が取りずらいから今回みたいなその日のうちに片付けたい案件には弱いけれど、だからと言って時間まで行動を共にすることはないはずだよね。流されてうんうん言っちゃったけど、干柿さんの論理は別に正しくないよ。スマホ持ってない組が組んでも連絡はつかないからね。本当ならあとの二人にそれぞれ一人ずつくっついていればよかったんだよ。そうすればスマホを持っていないことの欠点が少なくとも今日は補われるわけだし」
あのときに感じた疑問をようやく口にすることで自分を納得させつつ、当の山下さんにもそれでいいと思わせる作戦だった。
「……なるほど。確かにそうですね。あの
「ね? だから別に今日の……え〜と何時だったっけ」
「十六時です」
「十六時まで一緒にいる必要はないよ」
「でもわたし、F棟っていうのがどこにあるのか知りません」
時は今に戻る。
隣を歩く彼女を見て、やはりこの時間まで一緒にいたのは正解だったと確信していた。
幸いなことに三限以降は授業がないというので、それなら図書室にいてくれれば十六時前に迎えにいくと言ったのだが、せっかくなので一緒に授業を受けると言う。なんなら昼食も一緒に摂ってしまった。
自身が履修していないのだから出席しても反映される成績はないのだが、幸いどちらも大教室での講義であったため誰からも怪しまれることはなかった。
遠くのほうで黒板に展開される講義を真剣に聞いている彼女をチラと見ると、二限で見せた頼りなげな印象はない。
引き締められた口元とパッチリと開かれた目。その凛々しさ……
時は今に戻る。
「ここがF棟。始めて来ました」
蔦に覆われた外壁を見てそう言った。
「そう。まあぼくも最初のガイダンスで来たとき以来だな。途中の池はたまに休みに行くけど、この校舎でやってる授業は履修してないし」
そもそもこんな僻地で授業する理由もよく分からない。
新設された綺麗な校舎はいくつもあるのだから。しかしまあ、ここにしか置かない機材とかがあるのだろう。ぼくら学部生には関係のない話だ。
「十六時からでしたね。ところで、なんの話し合いでしたっけ?」
「ええ!?」
ここに来た目的すらも忘れていたらしい彼女に驚きを隠せず大きな声を出してしまった。
「ああ、なんか発表の打ち合わせでしたっけ。すみません忘れっぽい性格で」
「いや性格の問題かそれ? なんの目的か分からずぼくに着いてきたっていうの?」
「ナンパさんだったらわざわざこんな遠くまで連れてこないでしょうし、大事な用なんだろうな〜とは思ってましたよ。たまたま思い出せなかっただけですので」
「……」
なんとも不思議な子だ。
屋根裏の手記 そうめん @soumen22
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