第3話 C班

「それじゃあ、君は歴史担当ね」


 授業終了五分前から始まった役割分担はそれぞれの班で混乱をもたらしたが、ぼくの所属するC班は干柿品野ほしがきしなのの一声によって、五人のメンバーはすんなりと任務を仰せつかったのだった。


 そのほんの数十秒前。

「みんなごめんねぇ〜。申し訳ない! あとは各班で話し合ってね! じゃ!」

 発表の形式について話を聞きに行こうとしたのだろう。左の窓際に集まっていたA班の眼鏡をかけた真面目そうな女子生徒が席を立った状態で固まり、仲間に顔を向けて苦笑いをする。


 突貫工事で行われた班決めにより、仲間意識というものがそもそも希薄なこのクラスにおいて最悪ともいえる事態になった。教師が学生に決めさせること。それは主体性のある場合においてのみ有効であるのに、それを知らないのかこの少人数クラス(社会思想a)を受け持つ女性教員は姿を消してしまった。


 後に残ったのは『来週は十五分の発表を班ごとに行ってもらう』という宿題だけで、その形式についての説明は一切されなかった。それでも我々生徒は残された五分という時間で質問をするなりして事態の好転を図ることはできたはずだ。


 それなのに、誰もしない。


 そういう状況で、そんなことも言っていられない状況であることを分かっているのに誰もしない。


 ぼくもしない。


 気にするだに阿保らしい心理——みんなも分かっていないから大丈夫——が働き、残されたチャンスも消え失せてしまった。春から始まってはや一か月ばかりが過ぎたが、およそ交流と呼べるものがない人間たちに強制共同作業をやらせるとどうなるのかという社会実験はまさにこの場で行われたという……そういう現実だった。


 しかし、冒頭に述べたことから推測できるが、誰もやらないなら自分がやるしかないという考えを行動に起こす力ぼくにはあったのだ。極めて限定的な主体性である。


 自分の周りがしっかり者、それこそ受験時に夢見ていた大学に合格したような連中であるならば喜んで聞き役に徹し、割り振られた仕事を全うしていただろう。しかし班員がまとまるとか以前の状態ではどうすることもできない。一人がやる気を出したってしかたがないのだから、それぞれの役割を明白にするべくアクションを起こすのが先決だった。


 だって仕方がないじゃないか。ぼくは滑り止めに引っ掛かってFラン大学ここにいるのだから……


 自分がいる班だけはせめてましな発表ができるようにしようと、自分を助けるためにもまとめ役になろうと、息を吸って「さてじゃあ皆さん、とりあえず連絡先でも交換して打ち合わせでもしますかぁ」と言おうとした矢先に、それの機会も逃げた。


 鶴の一声によって。干柿品野である。


「君は歴史担当ね」

「え、うん」

「佐伯さんは冒頭の概要をまとめてもらって、松枝くんは日本からの観光ルートをお願い。私は見どころを調べるから……山下さんは全体のまとめを」


 あっという間に彼女を含めた五人に役割を振ってしまうと

「じゃあLINEグループ作ろっか。連絡とかはそこでやるんでいいよね?」


 そう言ってポケットからスマートフォンを取り出す。突然発揮されたリーダーシップにより困惑していたが佐伯さんはすぐに足元に置かれたリュックをあさり始め、松枝くんも机に置いた形の崩れてペシャンコになっているトートバッグからスマートフォンを取り出し、山下さんは……首をせわしなく動かして自分以外の班員の様子をうかがっては眉を顰めて顔を伏せてしまった。


 そんな様子を見てとった干柿品野が言う。

「あれ? 山下さんどうしたの? 早くグループ作っちゃわないと」

「ええと、あの、私……スマホ持ってなくて……」


 長いまつ毛に縁どられた目はぼくたちに向けられず、どこか離れた場所に向けられている……。疲れているのかな。


「え? じゃあ連絡とかどうしてるの?」


 干柿品野はやや口角を上げながら吐き捨てるように言った。他の二人も驚いた顔をしているが、会話には参加していない。一時的にでも協力するのだから友好な関係を築く絶好のチャンスだと思うのだが沈黙をしてしまうのを見ると、ただ周りに流されるままに生きてきたのかなと思ってしまう。これはぼくもかなりそうなのだが。

 山下さんはぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。

「え〜と……大学のメールアドレスがあるけらそこにメールしてもらって、構内にあるパソコンから確認してる」


「他のところでもそうしてきたの?」


「うん……」


「へぇ〜……」


 今までどうやって生きてきたのかかなり興味が湧くやりとりだったが、意味もなくつく嘘とは思ないので、おそらく本当なのだろう。


 山下さん(下の名前は知らない)はスマートフォンを持っておらず—固定電話もあるまい—連絡は大学のパソコン端末からメールを確認することで受け取っている。


 現代でスマートフォンを持っていない若い世代の人間を始めて知ったことと、そんな状態で築ける人間関係にはどんな深さがあるのか、我々のようなある人物と深く交流を持つことが可能なのかが疑問として湧いてきたが、すぐに不可能であることに思い至った。


 干柿は手元のスマートフォンを操作し、数秒間見つめて言う。

「はぁ……分かった。じゃあ今日の十六時過ぎに時間取れる? 食堂で打ち合わせするから。それでいい?」


「……はい」


 まるで怒られた子どもである。別にスマートフォンの所持は義務ではないのだからそもそも山下さんが責められるいわれはないはず。ややキレ気味に話していた干柿も、あんな態度を取ることはあるまい。やれやれ人間とはなぜこうも冷たいのか……。変わった人種を言下に批判する言い方しかできない。そんなことせずに面白がって接すれば彼女もいくらか楽だろう。

 そんなことを思っていると、沈黙を守っていた佐伯さんと松本くんに動きがあったらしく、ぼくの肩をとんとんと叩く存在があり。


 振り返ると女子生徒、つまり佐伯さんがいてその後ろに松本くんがいる。

 肩を叩いた佐伯さんはすぐに手を引っ込めてぼくの目をしっかりと見て言った。


「あの、LINEグループできたので追加いいですか?」


 呑気に構えていたが、そこで思い出した。ぼくは今この場に、リアルに存在している主体なのだった。


「ああ、ごめん。それがちょっとできないんだ」


 言わねばなるまい。


「ぼくもスマホ持ってなくて」

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