第43話 ありがとう
うーん。
病室のベッドの上で、私は思いっきり背伸びをする。
ここでゴロゴロしていると、なんだかずいぶんと体が鈍ってくる気がする。
って言っても、ここに来てからまだ一日くらいしか経ってないから、実際は気がするだけなんだろうけどね。
私が久保田先生に捕まって、伊織ちゃん共々大変な目にあったのが、昨日の話。
久保田先生を私の正拳突きで沈めたのはよかったけど、それからも大変だった。
こんな時誰に助けを求めたらいいのかわからなかったけど、とりあえずスマホを見たら、伊織ちゃんのお父さんから何度も着信があった。
どうやら、いなくなった伊織ちゃんを探してたみたい。
とりあえず電話したら、すぐにやって来てくれて、警察に連絡したりこの病院の手配をしたり、それからのことは全部やってくれた。
当然、私のお父さんお母さんにも連絡がいって大騒ぎになったけど、その辺は思い出しただけでも疲れるから、今考えるのはやめておこう。
そうしている間も、伊織ちゃんはずっと渇きの症状に苦しんでた。自分で張った結界の中で、何度も何度も声をあげてもがいていた。
私は私で、血を吸われて大変なことになっていたから、すぐにこの病院に運ばれた。
伊織ちゃんも、ようやく薬の効果が切れた後、結界を解いてこの病院に運ばれてきたらしい。
らしいってのは、それからまだ直接は会ってないから。
(大丈夫かな? 今頃どうしてるかな?)
なんて思っていたら、病室のドアがノックされる。
どうぞと言ったら、そこから伊織ちゃんが姿を現した。
「えっ、もう動いて大丈夫なの?」
私だって、しばらくは安静にしてこの部屋から出ないようにって言われてる。
伊織ちゃんはどう見ても私より重症っぽかったから、今は絶対安静で寝たきりなんじゃって思ってた。
「まだしばらくは寝てるようにって言われた。けど、大丈夫って言って来た」
「いや、それって絶対大丈夫じゃなくない!?」
すぐに自分の病室に戻った方がいいんじゃないかって思ったけど、それを言う前に、伊織ちゃんは頭を下げた。
「ごめん。大変なことに巻き込んで。たくさん、怖い思いさせて」
「ちょっと、やめてよ。大変だったのは、伊織ちゃんだってそうじゃない!」
むしろ伊織ちゃんの方が、私よりもっとずっとひどいことになっていた。
「全部久保田先生のやったことなんだし、伊織ちゃんが謝るようなことなんて、何もないから」
あんなことして、久保田先生も当然無事じゃすまなかった。あの後警察に連れていかれて、今は取り調べをうけてるらしい。
「久保田先生、これからどうなるんだろうね」
「わからない。だだ、僕に打った薬を手に入れたことや、顔と名前を変えていたことから、かなりの数の協力者がいたらしい。全部調べるには時間がかかるって言ってた」
「それって、反吸血鬼派ってやつ?」
「うん。下手にそれが知られたら、人間と吸血鬼と関係が悪くなるかもしれないから、今回の事件は公開も報道も最小限になるだろうっても聞いた」
「そうなんだ──」
私には、その辺の難しいことはよくわからない。
けど自分たちがこうして助かったんだし、特に不満はなかった。
「あの人も、僕がいなければ、こんなことすることもなかったんだろうな」
「それは違うよ!」
伊織ちゃんが暗い顔をしたところで、すかさず言う。
「そりゃ、伊織ちゃんだって無関係じゃないけどさ、だからってあんなことしていいわけないじゃない」
久保田先生のしたことが、妹さんを亡くした悲しみから始まっていたとしても、あんなの絶対に間違ってる。
命がけで伊織ちゃんを助けようとしたお母さんが、喜ぶわけがない。
久保田先生の今後も気になったけど、それと同じくらい、ううん、それ以上に気になることが、もうひとつあった。
「ところで、伊織ちゃんはこれからどうするの?」
「えっ?」
「前にあった、おかしな渇きの理由、久保田先生の薬のせいだってわかったでしょ。なら、もう家に閉じこもることもないよね」
以前、久保田先生が私に渡して、伊織ちゃんに飲ませたスポーツドリンク。
その中に入ってた薬のせいで、強い渇きの症状が起きて、私を襲った。
その原因がわからないうちは外に出ない方がいいって言ってたけど、それもこうして判明した。
しかも薬が原因ってことは、これから同じようなことが起きる心配もない。
「うん。だけど、本当にいいのかな。こんなにたくさんの人に迷惑かけたのに、僕だけ普通の生活に戻るなんて」
「またそういうこと言う」
今まで、事ある毎に自分を責めてきた伊織ちゃん。今回もこんなことを言い出すんじゃないかってのは、なんとなく思ってた。
もちろん、このまま言わせておくつもりはないから。
「昨日、伊織ちゃんが頑張ってなければ、私は死んでたかもしれないんだよ」
薬によって渇きが発症して、そんな状態で、私の血を吸った伊織ちゃん。
だけど、その途中で吸うのをやめた。
今までにないくらいのひどい渇きに襲われていたのに、理性だけで吸血衝動を抑えたんだ。それは、どんなに凄いことだったんだろう。
それだけじゃない。その後、久保田先生がナイフを突きつけてきた時だって、魔術で助けてくれた。
伊織ちゃんが頑張ってくれなきゃ、今頃どうなってたかわからない。
「それは、瑠璃ちゃんを守りたくて必死だったから……」
「必死になって頑張ってくれたんでしょ」
迷惑をかけたなんて言ってるけど、あんなに苦しい思いをしてまで私を助けてくれたってのを、忘れてほしくなかった。
「それにね、そんなに自分を責めても、きっと伊織ちゃんのお母さんは喜ばないよ」
昨日、久保田先生に言ったのと同じようなことを、今度は伊織ちゃんに言う。
伊織ちゃんのお母さんには会ったことがないから、どんな人かなんてわからない。
けれど、これだけは自信を持って言えた。
「お母さんは、命がけで伊織ちゃんを助けてくれたんだよ。そんな相手が、こんな風に悩んだり落ち込んだりしてるのを見たら、きっと悲しいと思うな。だって、私がそうだから」
もう、自分を責めるのはやめてほしかった。私のことやお母さんのことで、苦しんでほしくなかった。
それよりもっと、やりたいことを言ってほしかった。
だから、精一杯の願いを込めて聞く。
「伊織ちゃんは、本当はどうしたいの?」
伊織ちゃんは微かに唇を震わせながら、何か言いたげに口を開いて、だけど無言のまま閉じるを繰り返す。
だけどようやく、その思いが声になる。
「……また、学校に行ってみたいな。みんながやってるような普通を、僕もやってみたい」
やっぱりそう思ってくれてたんだ。
それは、子どもの頃、何度も言ってたことでもあった。
私がずっと、早く叶いますようにって思ってたことだった。
やっと聞けた本音に、胸の奥が温かくなってくる。
だけど、伊織ちゃんの言葉はそれだけじゃ終わらなかった。
「もちろん、学校に通うなら瑠璃ちゃんと一緒に」
「えっ?」
「それから、たまにでいいからデートもしたい」
「う……うん」
「ずっと、瑠璃ちゃんのそばにいたい」
「ふぇぇっ!?」
急になに!?
そりゃ、どうしたいのかって聞いたのは私だけど、こんなの言われるなんて思ってなかった。
カーッと、顔が火照ってくる。
びっくりするけど、ふざけや冗談で言ってるんじゃないってのは、見ればわかる。
伊織ちゃんは私に負けないくらい顔を赤くしながら、真剣な目でこっちを見てる。
「瑠璃ちゃんには、今まで迷惑かけてきた。痛い思いもさせたし、怖い目にもあわせた。だから、こんなこと言う資格なんてないのかもしれない。それでも僕は、瑠璃ちゃんと一緒にいたい。これが、僕のやりたいことだけど、こんなこと考えていいのかな?」
最後はちょっと自信なさげに言うのが、なんだかおかしい。
そんなの、なんて答えるかなんて決まってるのに。
「いいよ。ダメなんて言う奴がいたら、私がやっつける!」
そう言って、正拳突きのポーズをしながら笑うと、伊織ちゃんも、ようやく笑ってみせた。
「ありがとう。本当に、ありがとう──」
別に私は、大したことなんてしてないよ。
だけどごめんと言われるより、ありがとうの方が、ずっとずっと嬉しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます