第41話 吸血
伊織ちゃんの伯父さん。
ある時突然いなくなったって聞いてたけど、まさかこんなに近くにいて、ずっと伊織ちゃんをつけ狙っていたなんて。
「あ……あぁ…………」
伊織ちゃんが、目に見えて狼狽える。突き出していた手が、さっきとは比べ物にならないくらい震え出す。
「君は覚えていないかもしれないが、僕はあの時、妹の血を吸い続ける君に、何度もやめろと叫んでた。ムダだったけどね」
久保田先生からは、さっきまで浮かべていた笑みは完全に消え、怒りと憎しみに満ちた目を向けている。
「それから僕は反吸血鬼派に入り、整形で顔を変え、偽の戸籍を作って別人になった。君に近づき、妹の仇をとるためにね」
魔術で攻撃されるのなんて少しも恐れてないように、グングンと伊織ちゃんに近づいていく。
対する伊織ちゃんは、何もできずにただ狼狽えるだけ。
そして久保田先生は、そんな無防備な伊織ちゃんのお腹に、持っていたナイフを突き刺した。
「あぁっ──!」
伊織ちゃんの顔が苦痛に歪み、お腹から血がポタポタと流れ出す。だけど、それで終わりじゃない。
久保田先生は、それからさらに二度三度、ナイフを引き抜いては突き刺すを繰り返した。
「伊織ちゃん!」
私の悲鳴と、伊織ちゃんが床に倒れる音とが重なった。
「死んだかな? いや、吸血鬼がそう簡単に死ぬわけがないか。まあ、これだけ血を流せばさすがに時間の問題だろうけどね」
久保田先生の言う通り、伊織ちゃんの体は微かに動いてて、なんとか生きてるってのがわかる。
だけどこれじゃ、いつ死んでもおかしくないかもしれない。
すぐに駆け寄りたかったけど、私の手は今も手錠で繋がれたままだ。
しかも、久保田先生のやろうとしていることは、まだ終わっていなかった。
「だけどね、そう簡単には死なせはしない。君にはちゃんと、悪魔の本性を出してから死んでもらわないと」
そう言って一度伊織ちゃんから離れ、そばにあった棚で、何かをゴソゴソと漁っていた。
それから再び伊織ちゃんに近づき、すぐそばにしゃがみ込む。
その手には、注射器が握られていた。
「な……なにそれ? 何をするつもりなの!?」
「これかい? これも、以前君に渡したものと同じように、渇きの症状を強制的に発症させるものだよ。これはこの前のと違って、注射を打たなければならないから、使うのは簡単じゃない。だがその分、効果が高く、即効性もある。これを打ったら、どうなると思う?」
「──っ! やめて! やめてぇっ!!!」
大声で叫びながら懇願するけど、久保田先生はそんなの聞いちゃくれない。
伊織ちゃんは、今の話が聞こえたのか、なんとか抵抗しようとする。だけどこんな大ケガをしていて、できるわけがなかった。
殴られてさらに動けなくなったところに、なんのためらいもなく注射針が突き立てられる。
「伊織ちゃん! 伊織ちゃん!!!」
久保田先生を止めたかった。体を張ってでも何とかしたかった。だけど私がいくら暴れても、手錠で繋がれている以上、近づくこともできなかった。
針を打たれた伊織ちゃんは、本当に死んでしまったんじゃないかって思うくらい、ピクリとも動かなくなっていた。
私がいくら名前を読んでも、なんの反応もない。
だけど間もなくして、それが一変する。
急に、今まで黙っていたのが嘘みたいに叫びはじめる。
「う…………あぁ……………うぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
悲鳴なんて、そんな生易しいものじゃなかった。まるで倉庫全てが揺れるような声をあげ、激しくのたうち回る。とても、大ケガをしてる人が出せる声とは思えなかった。
今まで、伊織ちゃんに渇きが発症したのを見たことは、何度もある。だけど、こんなに苦しそうなのなんて初めてだ。
もちろん、そんなことになって大丈夫なわけがない。
ただでさえ大ケガしているのに、こんなにも激しい苦しみが襲ってきてるんだ。
こうしている間にも、だんだんと命が削られているのかもしれない。
それを証明するみたいに、あんなに大きかった声が、少しずつ小さくなっていく。このまま声を出すこともできなくなってしまったら、その時こそ本当に死んでしまうようなきがした。
こんなことをしておいて、久保田先生は、苦しむ伊織ちゃんを満足そうに見ている。
それから何を思ったのか、私の方に近づいてきた。
「嫌っ!」
思わず身をすくめるけど、久保田先生の手には相変わらずナイフが握られてて、激しく抵抗するなんてことはできない。
怖いのに、伊織ちゃんにこんなことして許せないのに、どうすることもできなかった。
そんな中、久保田先生の手が、私につけられていた手錠に伸びる。そして、その手錠が外された。
「えっ……?」
当然、これで私は自由になる。
(もう、私は逃がしてやるってこと?)
だけど、久保田先生がそんな甘いことを考えてるなんて、これっぽっちも思えない。
「い、いったい、なんのつもりなの?」
震えながら、やっとの思いで聞く。
「見ての通り、このままだと、彼はもうすぐ死ぬ。けどね、たったひとつだけ、助かる方法がある」
「な、なに?」
こんな人の言葉、信じていいのかわからない。だけど、本当に伊織ちゃんが助かるかもしれないなら、なんにだってすがりたかった。
「簡単なことだよ。君が、血と一緒に精気を吸わせたらいい。ただし、そうなったら確実に死ぬだろうけどね」
とたんに、私の顔が引き攣る。
久保田先生の言う通りだ。吸血鬼は、たくさんの精気を吸い取ると、致命傷のような大ケガだって治せる。昔、伊織ちゃんが事故にあった時だって、そうやって治った。
だけどその結果、伊織ちゃんのお母さんは亡くなった。伊織ちゃんに歯止めがきかなくなって、あまりにたくさんの血と精気を吸いすぎたから。
もちろん伊織ちゃんは、それから成長して、昔みたいに吸血衝動が抑えられなくなることはないって聞いてる。
けれどそれは、普段の話。薬のせいであんなにも激しく渇きが発症してる今、とても歯止めが効くとは思えなかった。
さらにひとつ、どうしても気になることがあった。
「ど、どうして私にそんなこと話すんですか?」
久保田先生の目的が伊織ちゃんを殺すことなら、このまま放っておくか、ひと思いにとどめをさせばすむ話。わざわざ薬を打って、さらに助ける方法なんて話す理由がわからない。
「僕はね、妹の仇を討つため、彼をなんとしても始末してやりたい。だけどね、殺すのではなく、彼ら吸血鬼がいかに恐ろしい存在か、世の中に知らしめたいとも思っているんだ。例えばそう、彼が君を死なせる映像を世間に公開したら、どうなると思う?」
久保田先生はそう言うと、さっき、近くの棚に置いたカメラに目をやった。カメラはさっきからずっと回っていて、ここでの様子を記録し続けている。
そこでようやく、この人が何をしようとしているかわかった。
「それが、あなたの目的だったんですか!?」
「ああ、そうだとも。彼が以前そうやって妹を殺した時、その出来事は揉み消された。子どもだからとか、彼を助けようとした時に起きた不幸な事故だとか言われてね。だが、今回は違う。君の血を吸う瞬間を公開すれば、みんなも気づくはずだ。奴ら吸血鬼が、人の形をしただけの悪魔だってことをね」
ゾワリと、恐怖と一緒に得体の知れない気持ち悪さが体中を包む。
計画の残酷さももちろんだけど、もっと恐ろしいのは、それを一切悪びれている様子がないってことだ。
この人は、吸血鬼が悪魔だって知らしめることが、本気で正しいって信じてる。
「全部あなたが仕組んだことじゃない! こんなことして吸血鬼が危険だって言っても、誰も聞くはずない! 」
「どうかな? 一度世に出た映像を完全に消し去るのは不可能だ。君が血を吸われ息絶える姿は永遠に残る。それを見た者が少しでも吸血鬼に嫌悪感を持ってくれれば、それで十分だ」
「そんな!?」
伊織ちゃんのお母さんが目の前で亡くなったことで、歪んでしまったのかもしれない。だけど、私には久保田先生の方が、ずっとずっと悪魔に見えた。
「うまくいくかは賭けだったけど、なんとかここまで来れた。だけどね、これでも君を巻き込んでしまったのは悪いと思っているんだよ。だからせめて、最後の選択は君に任せよう。彼をこのまま死なせるか、それとも血を与えるか、好きな方を選ぶといい」
まるでそれが優しさだっていうように、久保田先生が言う。
だけどもちろん、こんなの優しさでもなんでもない。
伊織ちゃんが死ぬか、私が伊織ちゃんに血を吸われて死んで、それが世の中に公開される。どっちにしたって、待っているのは最悪の結末でしかない。
こんなの、どっちも選びたくない。
だけど、だけどそれでも、このどっちかしか選べないのなら、どうしたいかは、すぐに決まった。
その瞬間、今までボロボロと零れていた涙が、よりいっそう溢れてくる。
「ごめんね、伊織ちゃん」
流れる涙を拭うことなく、私は駆け寄った。伊織ちゃんの元に。
そして自分の着ている服の襟を強引に引っ張って首元を露わにすると、倒れている伊織ちゃんの体を起こして、口をそこに押し当てた。
「伊織ちゃん。私の血を吸って!」
こうすれば、伊織ちゃんの命は助けることができる。
もちろんそれは、久保田先生の思い通り。伊織ちゃんは助かっても、多分私は死んじゃうんだろうな。
そのことをたくさんの人に知られたら、それから伊織ちゃんがどうなるかはわからない。それ以前に、私の血を吸って死なせたって知ったら、きっとすごく傷つくと思う。後悔すると思う。
もしかしたら私は、すごく余計で、残酷なことをしようとしてるのかもしれない。
けどそれでも、今はこうすることしかできなかった。
全部久保田先生の思い通りになるってわかっていても、死にそうな伊織ちゃんを前にして、それを助けないなんてできなかった。
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