第40話 あなたは誰?

 私が大人しくなると、久保田先生は少し離れて、近くにあった棚に何かを置いた。


 あれは、カメラ?

 倉庫の中全体が映るように撮影しているようだったけど、なんのためにそんなことをしているのかわからない。

 気になったけど、聞いて余計な刺激を与えるのも怖くて、黙っているしかなかった。


(伊織ちゃん、来ないで……)


 こんなのに伊織ちゃんを会わせたら、どうなってしまうのか。それを思うと、絶対に来てほしくなかった。


 だけどどんなに祈っても、それは無理だって、心の中ではわかっていたのかもしれない。


 だってあんな写真送られて、伊織ちゃんが何もしないはずがない。私のことを、放っておくはずがないんだから。


 今の伊織ちゃんは、昔みたいにほとんどを家の中で過ごしているけど、あの頃とは違って、お父さんが結界を張って外に出られなくしてる、なんてことはない。

 そんなことしなくても、小さな子どもとは違って、勝手に外に出るなんてことはしないだろうから。そして何より、伊織ちゃんのお父さんが、もう家の中に閉じ込めるのを良しとしてないから。


 だからやろうと思えば、抜け出して一人でここまで来るのだって、簡単にできそうだった。


 そして間もなく、そんな予想は間違ってなかったんだって思い知らされる。


 急に、倉庫の扉が、バンと激しい音を立てて開かれた。


「瑠璃ちゃん!」


 現れたのは、もちろん伊織ちゃん。他には、誰もいない。

 思った通り、久保田先生の指示に従って、たった一人でここまで来たんだ。


「瑠璃ちゃん、ケガはない? 酷いことされてない!?」


 伊織ちゃんの表情はとても不安そうで、どれだけ心配していたか、見ただけですぐにわかる。

 私はまだ震えていて、声も出せずにコクコクと頷いた。


 すると伊織ちゃんは、次に久保田先生を見る。


 さっきとは打って変わって、表情が一気に険しくなる。肩をワナワナと震わせ、怒っているってのが一目でわかった。


「約束通り、一人で来たみたいだね。よかったよかった。もし君以外の誰かがいたら、この子をどうしていたかわからなかったよ」


 久保田先生が、うっすらと笑いを浮かべながらそんなことを言う。だけど、笑っていられたのはそれまでだった。

 次の瞬間、久保田先生の体が大きく後ろに吹っ飛んだ。


「なぁっ!?」


 派手に音をたてながら、壁に叩きつけられる。伊織ちゃんの魔術による衝撃波だ。


 かなり強く打ち付けられたのか、久保田先生は倒れたままなかなか起き上がろうとしない。その間に、伊織ちゃんは私のところに駆け寄ってきた。


「大丈夫……じゃ、ないよね」


 そんなことない。そう言いたかったけど、実際その通りだ。

 最初スタンガンで気絶させられた以外はケガさせられるようなことはされてないけど、怖くて怖くて、今だって震えてる。


 だけど、伊織ちゃんが来てくれた。それだけで、少し安心できる。

 伊織ちゃんも、私がどこもケガしてないのを見て、少しだけ安心したみたい。


「逃げるよ」

「う、うん」


 でも私、手錠で繋がったまま。

 と思ったら、伊織ちゃんは、その手錠の鎖に向かって手をかざす。

 また、さっきみたいに魔術を使うんだ。


 そうすれば、鎖を壊して、ここから逃げられる? 私たち、助かるの?


 久保田先生が何をするつもりで伊織ちゃんをここに呼んだのかは知らないけど、あっさり吹き飛ばされたし、とても力づくで何とかできるとは思えない。

 今だって、倒れたままだ。


 だけど、伊織ちゃんが魔術を使おうとする直前、その久保田先生が、うめき声をあげながら起き上がってきた。


「まったく、恐ろしい力だね。さすがは吸血鬼だ」


 その途端、伊織ちゃんが手錠から手を離し、かわりに私を庇うように前に立ちながら、久保田先生に手の平を向けた。


「何かするようなら、もう一度撃つ。今度は手加減しない」

「そうやって僕を殺そうっていうのかね」

「…………そうだ。あなたがどんな理由で反吸血鬼派をやっているかは知らない。けど、瑠璃ちゃんを巻き込むなら、手加減なんてしない」


 伊織ちゃんは脅しつけるように言うけど、その手は微かに震えていた。

 前に、金城さん相手に魔術を使った時もそうだった。こんな時でも、相手が誰でも、やっぱり伊織ちゃんは怖いんだ。自分の力で、人を傷つけてしまうのが。


 一方久保田先生は、うっすらと不気味な笑いを浮かべていた。


(だ、大丈夫だよね?)


 久保田先生は、吹っ飛ばされた時スタンガンを落としたみたいで、手に持ってるのはナイフだけ。もちろんそれにしたって普通は十分危険だけど、伊織ちゃんには魔術があるし、さっきのを見てたら、負けることはないと思う。


 だけどそれは、本当に手加減なしで戦ったらの話。伊織ちゃんに、本当にそれができるの? それに久保田先生は、なんの考えもなしにこんなことしてるの?


 少しだけ治まっていた不安が、再び込み上げてくる。


 唐突に、久保田先生はこう言った。


「僕が反吸血鬼派をやってる理由か。君なら、それがわかるはずだと思うけどな」


 どういうこと?

 その言葉に困惑したのは、私だけじゃない。伊織ちゃんも、なにを言ってるのかわからないって感じで、ほんの少し、瞳が揺れる。


「まだわからないかい? あんなことをしておいて?」


 あんなこと?

 そういえば、さっき久保田先生は、伊織ちゃんに個人的な恨みがあるって言っていた。


「あなたは、いったい誰なんですか! 」


 伊織ちゃんが激しい口調で問い質すけど、久保田先生は少しも動じない。ゆっくりゆっくり、こっちに近づいてくる。


「まか、わからないのも無理はないか。バレないように、顔も名前も変えているんだから。それとも、もう僕のことなんて忘れているかな?」

「えっ──?」

「けれど、僕は一日だって君のことを忘れた日はなかった。君が妹を殺したあの日から、ずっとずっとこの時を待っていた」


 この人は、いったい何を言ってるんだろう。

 殺したって、伊織ちゃんが?


 そんなことあるわけない。そう思ったけど、ひとつだけ、たったひとつだけ、思い当たることがあった。

 伊織ちゃんの、お母さんだ。


 もちろんあんなの、とても伊織ちゃんが殺したなんて言えないと。お母さんは伊織ちゃんを助けようとして、その結果命を落とした。

 悲しいけど、それで伊織ちゃんを責めるなんて、やっていいわけがない。


 だけど、そんなことをした人が一人いた。

 それは、あの時あの事故の現場にいた、伊織ちゃんとお母さん以外の人でもあった。


「あなたは、まさか……」

「ああ、ようやく思い出してくれたんだね。この悪魔め」


 悪魔。その一言で確信する。

 私がその人を見たのは、伊織ちゃんが魔術で見せた夢の中。顔を変えたって言ってる通り、その時見たのとは、姿が全然違う。それでも間違いない。


 亡くなった、伊織ちゃんのお母さん。その、お兄さん。

 伊織ちゃんの、伯父さんだ。

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