第37話 伊織ちゃんの過去 後編

 そこにはたくさんの人がいて、みんな喪服を着て泣いていた。


 みんなの視線が集まる先にあるのは、棺。そしてその中に入っているのは、伊織ちゃんのお母さんだ。

 その顔はすごく綺麗で、とても亡くなってるなんて思えない。そんな彼女に、何人もの人が次々に花を添えていた。


 だけど、その時だ。

 それまですすり泣きしか聞こえなかったその場所に、突然、怒鳴り声が響いた。


「この悪魔め!」


 その場にいた人たちが、いっせいに声のした方を向く。

 怒鳴っていたのは、一人の男の人。さっきも見た、伊織ちゃんの伯父さんだ。そして彼から怒声をぶつけられているのは、伊織ちゃんだった。


「僕は目の前で見たんだ。こいつが妹の血を吸って殺すのを。あいつは、死ぬようなケガじゃなかった。こいつがいなければ、死なずにすんだんだ!」


 さっき見た映像では、伊織ちゃんの伯父さんは優しそうな人で、伊織ちゃんにも笑って話しかけていた。

 だけど今、そんな面影はこれっぽっちもなく、ただただ怒りと憎しみをぶつけている。


 周りの人が抑えようとするけど、止まらない。


「お前は、お前たち吸血鬼は、人間と似てるだけの悪魔だ! そんな奴のために、なんで妹が死ななきゃならなかった。お前が死ぬべきだったんだ!」


 伊織ちゃんは、何も答えない。ただ、最初は呆然としていたのが、怒りの言葉をぶつけられる度に、その顔に恐怖と悲しみが広がっていく。


 元々、小さな子どもなんだ。こんなことをされて、限界を迎えるのにそう時間はかからなかった。


「やっ──!」


 短く悲鳴をあげると、そのとたん、辺りの空気が震え、置いてあったものが、一斉に弾き飛ばされた。


 伊織ちゃんの魔術、衝撃波だ。それが、本人の意志とは関係なく、めちゃめちゃに放たれていた。


 悲鳴と激しい物音が、何度も何度も響き渡る。

 それがどれくらい続いただろう。いつの間にか泣き叫んでいた伊織ちゃんは、急に電池が切れたみたいに泣き止んで、その場に倒れる。そのとたん、衝撃波もおさまった。


 その場にいたほとんどの人たちは、怯えるような目で、倒れた伊織ちゃんを見ていた。


 映し出された映像は、それでおしまい。光は消え、また真っ暗な世界が戻ってくる。


 だけど、それも長くは続かない。この夢の中の世界に来た時と同じように、急に、私の意識がぼんやりとしてくる。


 もう見せるものがなくなって、目覚める時が来たんだ。

 なんとなくそう悟りながら、私の意識はそこで完全に途切れた。




◆◇◆◇◆◇




 目を覚ますと、いつの間にか、伊織ちゃんが使っていたベッドの上に寝かされていた。


 さっきまで見ていた光景を思い出し、いつの間にか溜まっていた涙が零れ落ちる。

 心臓が、バクバクと嫌な音を立てる。


 あれは全部、私の見た夢。だけど、伊織ちゃんが経験した過去でもあるんだよね。


 その伊織ちゃんはというと、ベッドのすぐそばにあるイスに腰掛けていた。


「ごめんね。勝手に魔術をかけたりして。でもこれで、僕が何をしたかわかったよね」

「………うん」


 あれが、現実にあった出来事だって、信じたくなかった。

 だって、夢の中で見た伊織ちゃんは本当に小さかった。あんな幼いころに、あんな経験をしたっていうの?


「あの後、私が夢の中で見た後は、どうなったの?」

「だいたい、あれから想像出来る通りのことかな。僕が暴れたせいで、母さんの葬儀はめちゃくちゃになった。それからかな。僕が家にいる時、念の為外に出ないよう、父さんが結界を張るようになったのは。あっ、勘違いしないでね。父さんがそうしたのは、そうでもしなきゃ、母さんの親戚が納得しなかったから」

「お母さんの、親戚?」

「うん。僕みたいな危険なやつは、そうやって閉じ込めておけって言われたんだ」


 伊織ちゃんのお父さん、さっきはそんなこと、一言だって言ってなかった。

 けど、それも当然。だってそれを話すと、今聞いた話だってしなきゃいけなくなる。そんなの、伊織ちゃんのお父さんの口から言えるわけがない。


「一番怒ってたのは、伯父さんだった。葬儀の後も、何度か直接家まで来て色々言われたけど、ある時突然、周りに何も言わずにいなくなったらしい。あの人も、僕がいなければ、そんなになることもなかった」


 伊織ちゃんの伯父さん。お葬式の時、伊織ちゃんに向かって怒鳴り散らしていた姿を思い出す。あの後も、あんなことがあったんだ。あんなことを、何度も言われたんだ。


「伊織ちゃん、前に、悪魔って言われたことがあるって言ってたよね。それって、あの人のこと?」

「うん。だけど、仕方ないよ。僕のせいで、母さんは、あの人の妹は死んだ。血を吸うのを途中で吸うのをやめてたら、母さんは助かったかもしれない。けれど、僕はやめられなかった。自分が何をしているのかなんてわからずに、ただ血を吸うのに夢中になっていた」


 精気をほしがるのは、吸血鬼の本能。そのせいで渇きが発症して、血を吸いたがる。そう、伊織ちゃんのお父さんは言っていた。


 そして伊織ちゃんは、特に昔の、まだ幼かった伊織ちゃんは、その本能を抑えることが苦手だった。


 それが、最悪の形で現れたんだ。


「伯父さんから言われたように、やっぱり僕は、人間と似ているだけの悪魔なんだと思う。けど瑠璃ちゃんと出会って、それを忘れた。ううん、忘れたふりをして、自分のしたことから目を逸らしてた。そのせいで、瑠璃ちゃんを傷つけた。そんな奴が、また今までと同じように暮らしていくなんて、あっていいわけがない」


 だから、昔みたいに、またあの家の中だけで過ごそうとしてるの? 誰にも迷惑かけないために、誰とも会わずに。


「瑠璃ちゃんだって、これでわかったでしょ。僕はもう、とっくに許されないことをしてたんだって。本当は、伯父さんの言ってた通り、僕は生きていちゃいけないのかもしれない。人の命を奪った悪魔には、そんな資格なんてないのかもしれない」


 伊織ちゃんの言葉はどこか優しげで、まるで私を諭しているようだった。自分がいかに許されない奴か、丁寧に教えてくれているようだった。


 そんなことができるのは、きっと伊織ちゃん自身が、本気でそう思っているから。だから、あんな悲しい夢を見せて、こうして言葉で説明してくれている。


 だけどさ──


 そんなのいくら聞いても、私はちっとも納得なんてできない。


「……なにさ、それ。なにさそれ! そんなわけないじゃない!」


 部屋中が震えるような大声で叫ぶ。静かに聞いているのも、もう限界だった。


「伊織ちゃんが悪魔? 生きてちゃいけない? そんなわけないじゃない! 悪魔なら、どうしてそんなに悲しい顔をしてるのよ!」

「えっ?」


 私の言葉に、伊織ちゃんが声をあげる。

 もしかして、気づいてなかったの? 自分が今、どれだけ悲しそうな顔をしているか。話をしている間、どんなに苦しそうだったか。


「お母さんが死んだこと、自分のしたこと。それをこんなに悲しんで後悔してるようなのが、悪魔なわけないじゃない!」


 伊織ちゃんだって辛いんだ。悲しいんだ。そんなの、見たらすぐにわかる。なのに、どうして悪魔なんて言われなきゃならないの?


 伊織ちゃんが吸血鬼でなけりゃ、あの時血を吸ったりしなけりゃ、お母さんは死なずにすんだかもしれない。けれど、それをやったのはお母さんなんだよ。それって、それだけ伊織ちゃんを助けたかったからじゃないの?


 気がつけば、いつの間にかまた涙が溢れていて、目の前がぼやけていた。


 伊織ちゃんが私の前で泣いたことなら何度もある。だけど、私がこんなにも泣くなんて初めてだった。


 伊織ちゃんを、悪魔だの、生きてちゃいけないだの、そんなこと言うやつは私がやっつける。


 昔私は、伊織ちゃんにそう言ったけど、今改めてそう思う。

 もしも私が、あの時お葬式の場所にいたら、絶対にそうしてた。悪魔なんて言わせなかった。それができなかったのが、すごく悔しい。


「もっと早くに、伊織ちゃんに会えてたらよかったのに」


 涙はますます溢れてきて、次々に頬を伝っていく。

 その涙を、伊織ちゃんが拭った。


「ごめんね。嫌な思いさせて」


 違う! そんな言葉を聞きたいんじゃない!


 私は、伊織ちゃんに今まで通りいてほしくて、そう説得するためにここに来た。だけど伊織ちゃんが抱えてたものは想像してたよりも遥かに大きい。こんなの、どうすればいいかなんてわからない。


 だけど少しでも、ほんの少しでもいいから、この気持ちが届いてほしかった。もう自分を責めないでって、伝わってほしかった。


「これだけは忘れないで。私は、伊織ちゃんの味方だから。絶対に、何があっても。だから、だからさ……お願いだから、一人にならないで」


 ありったけの思いを込めて伝える。伊織ちゃんの心を、少しでも動かしたかった。


 伊織ちゃんは、しばらくの間黙ったまま、何も答えないでいた。

 だけどそれから、ほんの僅かに唇が震えて、消えそうなくらいの小さな声で、ポツリと呟く。


「…………ありがとう」


 それからは、また黙ったまま。

 結局伊織ちゃんは、今まで通りの生活に戻るとは言ってくれなかった。私も、これ以上なんて言って説得したらいいかなんてわからなかった。


 ただ、伊織ちゃんの言ったありがとうに、本当の気持ちが込められているような気がした。

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