第35話 夢の中へ

 伊織ちゃんのお父さんの運転する車に乗ってからしばらく。私たちは住んでる街を出て、少し離れたところまでやって来ていた。


「これから行くのって、病院とは違うんですよね?」

「ああ。医療関係の施設には違いないが、吸血鬼の体に関するデータを調べる研究機関なんだ。そこでは、渇きの症状を抑える薬というのも研究されている」

「じゃあ、伊織ちゃんもその薬を使えば、苦しんだり他の人から血を吸ったりすることもなくなるんですか?」


 それなら一気に問題が解決しそう。けどそれができれば、最初からこんなに悩むはずがなかった。


「そうなってくれたら一番いいんだけどね。その薬というのはまだまだ研究段階なんだ。そもそも、伊織のように渇きの症状が強く出るのは極めて稀だから、力を入れて研究されている分野でもなかった」


 その極めて稀な中に、伊織ちゃんがいる。

 こんなこと考えても仕方ないけど、どうしても、そうじゃなかったらよかったのにって思ってしまう。


 そんな、沈んだ空気をなんとかしようと思ったのかもしれない。

 伊織ちゃんのお父さんが、急にこんなことを言ってきた。


「私の妻、伊織の母親も、元はそこで働いていたんだよ」

「伊織ちゃんのお母さんが?」

「ああ。彼女は医者の家系の生まれでね。彼女自身も医療に携わっていたんだが、中でも吸血鬼の身体に対する研究が専門だった。私とも、その縁で知り合ったんだよ」


 いったい、どんな人だったんだろう。

 その人だって、今の状況を知ったら、きっと伊織ちゃんに元気になってほしいって思うんだろうな。


(会ってみたかったな)


 そうしているうちに、車はついに目的地にたどり着く。

 研究機関なんて言うから、大きくて仰々しい建物を想像していたけど、思ったほど大きくはなかった。


 伊織ちゃんのお父さんが言うには、伊織ちゃんは昨日からここで寝泊まりして、色々な検査を受けているそうだ。


 車を降り、中に入ったところで、伊織ちゃんのお父さんが言う。


「これから伊織に会ってもらうことになるが、本当に一人でいいのかい? もしかしたら、また昨日みたいなことになるかもしれない」

「もちろんです。ここで怖がってるようなら、とても説得なんてできませんから」


 二人きりで話がしたいってのは、私から言い出したことだ。


 伊織ちゃんが、今まで通りじゃいられないって思ってるのは、私を傷つけたことへの負い目から。ならそれを何とかできるのは、きっと私しかいない。

 そして、その話をしっかりとするなら、他の人のいない、二人だけの方がいいと思った。


「ならば、これを持っていきなさい」


 そう言って、伊織ちゃんのお父さんは、あるものを渡してくる。それは、紫色をした水晶だった。


「これには、さっきも見せた結界の魔術の力が込められている。これを使えば、相手を一歩も動けないような、極めて小さい結界の中に閉じ込めることができるんだ。もしもまた、伊織に渇きの症状が出るようなら、迷わず使ってすぐに離れるんだ。これは、伊織にこれからも今まで通りの生活を送るらせる際の対策でもある」

「これが?」

「ああ。どうして急に渇きが発症したのかはわからない。だがいかに症状が酷くても、しばらく休めば治まるというのは変わらないだろう。ならその間、誰も不用意に近づくことなく、伊織自身も結界の中に留まれば、被害者を出さずにすむ。伊織を学校に通わせるなら、この水晶を君に渡して、結界を張る役目を頼むつもりだったんだ」


 それは、責任重大だ。

 もちろん、そんなの使わないですむなら、それが一番いい。だけど、またあんなことが起きたらって考えると、そういう対策は必要なのかも。

 そしてそんな大事な役目なら、他の誰かでなく、私自身がやりたかった。


「やります。私だって、もう二度と伊織ちゃんにあんなことはさせたくないですから」


 そう言って、水晶を受け取る。

 それから私たちは建物の中を歩いていって、ひとつの部屋の前にたどり着く。


 この向こうに、伊織ちゃんがいるんだ。


「伊織のこと、よろしくお願いします」


 伊織ちゃんのお父さんに頭を下げられ、私は一人、部屋の扉を開く。


 部屋の中の様子は病院の病室のイメージとそう変わらない。

 ただ、部屋の大きさの割にベットはひとつしかなくて、広々とした印象があった。


 そのたった一つのベットの上で、伊織ちゃんは横になっていた。


 扉を開く音に気づいて、こっちを向く。


「──る、瑠璃ちゃん!?」


 そして私の顔を見たとたん、バッと起き上がって叫んだ。


「来ないで!」


 それから顔を真っ青にすると、まるで凍えているみたいに、ガタガタと震えだす。


「どうしてここに? 僕にあんな酷いことされて、どうして!?」


 それだけで、伊織ちゃんがどれだけ自分のしたことを後悔してるか、自分自身を責めているかがわかる。

 血を吸われた私よりも、ずっとずっと怖がっている。


 だけど私だって、来ないでって言われて、黙ってそれを受け入れたりはしない。


 伊織ちゃんが止めるのを無視して、どんどん近づいていく。そして、ニコッて笑顔を作る。


「伊織ちゃんのお父さんから、全部聞いたから。渇きのことも、伊織ちゃんが、それを抑えるのが苦手だってことも」

「だったら、僕がどれだけ危険かもわかってるよね。また同じようなことに、ううん、今度はもっと大変なことになるかもしれないんだよ!」

「けどおじさんは、そんなことにならずにすむ方法も考えてくれたでしょ」


 そこで私は、さっき伊織ちゃんのお父さんからもらった、紫色の水晶を取り出した。


「次に渇きが発症したら、これを使って結界の中で安静にしてたらいいんでしょ。元々乾きになった時は、他の人から離れて休んでたんだから、それが少し変わったって思えばいいじゃない」


 もちろん、そんな単純な話じゃないってのはわかってる。だけど深刻な感じで話して重い空気になるくらいなら、この方がいい。


「無理だよ。僕はもう、取り返しのつかないことをしたんだ。なのに、なんの罰も受けずに平和に過ごすなんて、あっていいはずがない」

「それって、私の血を吸ったこと? けど、私はこの通り無事だよ。それに伊織ちゃん、あの時、最後は自分で正気に戻ってた。私を心配してくれた。それでもう十分だよ」


 私を傷つけたことを後悔してるなら、そんな必要ないんだって、わかってほしかった。

 私の気持ちはとっくに決まってるんだよって、知ってほしかった。


 だけど伊織ちゃんは、ゆっくりと首を横に振る。


「違うんだ。もちろん、瑠璃ちゃんを傷つけたのだって、許してもらえることじゃない。けどその前に、初めて瑠璃ちゃんと会うよりもっと前に、僕はもうとっくに一線を超えているんだ」

「えっ?」

「本当は、その時にはもうわかってたはずなんだ。自分が、人と似た形をしているだけの悪魔だってことは」


 なにそれ?


 悪魔って言葉が、私の中にある、嫌な記憶を呼び起こさせる。

 伊織ちゃんが、自分のことを悪魔だって言って泣いてた記憶を。


 伊織ちゃんは、前に誰かにそんなことを言われたって言ってたけど、どうしてそんなことになったのかなんて見当もつかない。


 ただ、伊織ちゃんがそんなことを言われたんだって思うと、すごく嫌な気持ちになってくる。


「いったい、何があったの? 悪魔って、どうして伊織ちゃんがそんなこと言われなきゃならないの?」

「やっぱり。父さんも、その辺のことは言ってなかったんだ。言えるわけないか」


 返事をする伊織ちゃんの声は、酷く悲しそう。

 何があったのかますます気になって、それに、不安にもなってくる。


「全部教えるよ。ただし、夢の中でね」

「どういうこと?」


 よくわからないことを言われ、戸惑う。

 するとその時、伊織ちゃんの目が、ぼんやりと光ったような気がした。

 そして、急に強い眠気が襲ってくる。


(な、なにこれ?)


 そんな疑問を持ったのも、ほんの一瞬。まるで頭にモヤがかかったみたいに、あっという間に意識が遠くなっていく。


「瑠璃ちゃんには教えたくなかった。だけど、ちゃんと伝えなきゃ。僕の罪を。母さんを殺したってことを」


 伊織ちゃんが泣きそうな声でそんなことを言ったけど、その時私は既に意識を失っていて、倒れたところを伊織ちゃんに受け止められていた。

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