第34話 伊織ちゃんに会わせて

「君たちには馴染みがないかもしれないが、かつて吸血鬼は、物語に出てくるような想像上の存在、それも、怪物のようなものだと思われていた。それが世の中に出てきた際、そんな認識もあってか、吸血鬼は悪魔だと言って排除しようとする者達が現れた。それが、反吸血鬼派だ」

「そんな人達が?」


 伊織ちゃんのお父さんの言う通り、私にとっては本当に馴染みがない。

 大昔はどうか知らないけど、私が生まれた頃には吸血鬼が実在するのは当たり前みたいになってたし、伊織ちゃんと会う前から、怖いものってイメージは全くなかった。


 ただ、そんな人達とこの伊織ちゃんの一件と、いったいどんな関係があるんだろう。


「吸血鬼の存在が社会に認められるにつれ、反吸血鬼派は次第に姿を消していった。ただ、それは表面上の話で、実は今でもまだ、水面下ではかなりの人数と組織が動いている。隙あらば、吸血鬼は危険な存在なんだと、世間に知らしめようとしている」

「それって……」


 なんとなく、伊織ちゃんのお父さんが何を言いたいのか、見えてきたような気がした。


「私はこれでも、吸血鬼の中ではそれなりの立場にいてね。その息子が人を襲い大事になったと知ったら、奴らは一気に表に出てきてそれを騒ぎたてるかもしれない。そうなったら、吸血鬼全体にとって悪影響が出てしまう。そんなことになるわけにはいかない」

「なんですかそれ!」


 やっぱり。

 話の途中から、なんとなくそうじゃないかって思ってたけど、いざ言われたら、胸の中がすっごくモヤモヤしてくる。


 反吸血鬼派の人たちが、どんな思いで吸血鬼を攻撃しようとしてるかなんて知らない。だけど、それに伊織ちゃんが利用されるかもしれないって思ったら、腹が立った。


「どうして伊織ちゃんがそんな目にあわなきゃいけないの! ただ、普通に学校に行って、普通に生活したいだけなのに!」


 思わず叫んで、それで気づく。

 ああ。やっぱり私は、伊織ちゃんに、今まで通りいてほしいんだ。


 怖い思いもしたし、これからも危ないことが起きるかもしれないってのもわかった。けどそれでも、昔みたいに伊織ちゃんがこの家の中だけで過ごし、外に出られないなんて嫌だった。


 そして多分、そんな風に思ってるのは私だけじゃない。


「おじさんは、本当にそれでいいと思ってるんですか? 昔みたいに伊織ちゃんをこの家の中だけで過ごさせて、他の人とはほとんど会わせない。それで、平気なんですか? 違いますよね」


 伊織ちゃんのお父さんは、すぐには答えてくれなかった。

 けれど、絶対に私と同じ気持ちだって、自信を持って言える。


「だって、前に私に言ってくれたじゃないですか。早く、伊織ちゃんをここから出して、色んなところに連れていきたい。色んな人に会ってほしいって」


 それは、伊織ちゃんと遊ぶのに夢中になって、帰るのが遅くなった日。外はもう暗くなってきたし、一人で帰るのは危ないからって、車で私の家まで送ってもらった時のことだった。


 私の家に向かう途中、伊織ちゃんのお父さんは、急にありがとうって言ってきた。

 伊織ちゃんといつも遊んでくれて嬉しいって。いつか伊織ちゃんが外に出た時、こんな風に良い友達とたくさん出会ってほしいって。そう言ってた。


 私には難しい話はわからなかったけど、伊織ちゃんのことをたくさん考えてくれているのはわかって、そんな伊織ちゃんのお父さんが、私は好きだった。


 そんな人が、また伊織ちゃんをこの家の中だけで過ごさせるなんて、そんなのいいって思っているはずがない。


「……そうだね。君の言う通りだ。せっかく、息子が人並みの楽しさを見つけられたんだ。それを奪うようなまねなど、したいわけがない」


 返ってきたのは、思っていた通りの答え。その声は、微かに震えていた。

 やっぱりそうだ。伊織ちゃんのお父さんも、こんなのは嫌だって、ちゃんと思ってくれていた。


「どうにかする方法ってないんですか? どうしても、伊織ちゃんをまたこの家の中に閉じ込めておくしかないんですか?」


 また伊織ちゃんがあんなことになったら、どんなに危険か。

 私は、それを身をもって知っている。

 だから、なんとかしなきゃいけないのだって、悔しいけどわかる。

 だけど、本当にそうするしかないの?


 重い空気の中、再び、伊織ちゃんのお父さんが口を開く。


「最悪の事態にならないためには、このやり方が一番確実だと思っている。だがそれ以外の方法も、全くないわけではない。どうすれば、できる限りこれまで通りの生活を送ることができるかも、考えてはいる」

「そうなんですか!? なら、ぜひお願いします!」


 どんな方法かは知らないけど、今まで通りいられるなら、その方がいい。


 そう思ったけど、伊織ちゃんのお父さんの表情は、相変わらず固いままだ。


「私も、できることならその方がいい。だが、伊織自身はそうは思っていない」

「伊織ちゃんが?」


 いったいどうして。一瞬そう思ったけど、少し考えてみたら、その理由はすぐに思いつく。


「今回のことに、責任を感じているからですか?」

「ああ、そうだ。一度君を傷つけてしまった以上、もう今まで通りでいるべきではない。自分は人と関わるべきではない。そう考えているんだ」


 伊織ちゃんの性格からして、そんなことを言い出すのは、すぐに想像がついた。


 私の血を吸った後、伊織ちゃんはほんの少しの間だけ、正気に戻ってた。その時の、悲しそうな、怯えているような表情は、今でも思い出せる。


 あの時、私も怖かったけど、自分のしたことを知った伊織ちゃんは、もしかしたらもっと怖くて、自分を激しく責めていたのかもしれない。今まで通りでいられるって言われても、それを拒むくらいに。


「そんな。そりゃ、またあんなことになるならダメかもしれないけど、そうならない方法、あるんですよね?」

「そうならない。と言うより、最悪の事態にならないための予防策みたいなものだがね」


 なんにしたって、方法があるならやってほしい。


 こんなの、ただの気持ちの押し付けかもしれない。

 伊織ちゃんがどんな気持ちでそれを拒絶しているのか、その気持ちは私じゃわからないかもしれない。


 だけど私は、伊織ちゃんには今まで通りいてほしかった。自分自身を責めないでほしかった。


 改めて決意を固めたところで、伊織ちゃんのお父さんが言う。


「さっき君は、伊織に会うことができるかと言ったね。実は伊織は、もう君に会うべきではないかもしれないと言っていた。また、同じようなことが起きてしまうのを恐れてね。けれど、頼む。どうか伊織と会って、君の気持ちを伝えてやってはくれないか」


 そうして、深く深く、頭を下げてくる。

 伊織ちゃんのお父さんも、何とかしたくて必死なんだ。


 もちろん、私の答えは決まっていた。


「会います。ううん。どうか、会わせてください!」


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