第33話 ずっとこの家で

 伊織ちゃんが、完全な吸血鬼じゃない。なんて言われても、私にはピンとこなかった。

 両親とも吸血鬼なのと、吸血鬼と人間の間に生まれた子。その二つにどんな違いがあるのかよくわからない。


 それより気になったのは、伊織ちゃんのお母さんについてだ。

 伊織ちゃんにだって、もちろんお母さんはいるはず。だけど私は、一度も見たことない。小さい頃この家に遊びに来た時も、迎えてくれたのは、伊織ちゃんとそのお父さんだった。


「伊織ちゃんの、お母さん……」

「ああ。私にとっては妻になるのだが、彼女は既に亡くなっていてね。君が初めてこの家に来た時よりも前の話だよ」

「あっ……」


 やっぱり。なんとなくそうじゃないかって思ってたけど、あまり言いたくなるような話じゃないだろうし、申し訳ない気持ちになってくる。


「君が気にすることはないよ。亡くなったのはもうずっと昔の話だからね。それより、話を続けていいかな」

「は、はい」


 そうだ。今大事なのは、伊織ちゃん自身のこと。

 完全な吸血鬼かそうでないかに、いったい何の違いがあるっていうんだろう。


「吸血鬼の存在が表に出てきたのは、歴史の中では比較的近年のことで、双方の血を引いた者がどうなるかは、まだまだ明らかになっていないことも多い。ただ、こんなデータがある。吸血鬼と人間との混血は、通常の吸血鬼と比べて、本能を制御するのが苦手な場合がある。つまり、渇きが起きたら、それを自分の意思ではとめられないという意味だ」

「それって……」

「ああ。さっき、伊織は違うと言ったのはそれだよ。私たち普通の吸血鬼なら、例え渇きの発作が起きても、それを抑え込むことができる。だが、本能を制御するのが苦手な場合、渇きの苦しみは、通常よりはるかに酷いものになる。そして渇きをなんとかする最も効率のいい手段が、人から血を吸って精気を得ることだ。伊織が、君にやったみたいにね」


 最後の一言を言った時、伊織ちゃんのお父さんは、微かに目を伏せる。それを口にするのは、すごく苦しかったのかもしれない。

 私も、聞いてて胸がザワザワした。


 だけどそれは、紛れもない現実。そうして伊織ちゃんは、私の血を吸ったんだ。


「実を言えば、私も妻も、それほど問題とは考えていなかったんだ。確かに、そんなことになるというデータはあったが、それも全てじゃない。発作が酷くなる子は、混血の子どもの中でもごく一部。実際に人の血を吸うまでになったのは、数える程しかない。そもそもそのデータ自体、調査した数が少なく不十分と言われていた。それがまさか、我が子によって証明されるとは」

「伊織ちゃんが、そのごく一部だったんですよね」

「ああ。それにしたって、人の血を吸うほど酷いものになるとは考えていなかった。せいぜい他よりも発作が苦しくなる程度のものだと思っていた。ただ、伊織は魔術が使える。君も知ってる、衝撃を放つものだ。子どもの頃の伊織は、感情が揺れ動くと本人の意思とは関係なく魔術を発動させることがあったからね。これもまた、人間と吸血鬼の間に生まれた子には、たまに見られる事例だそうだ。渇きで苦しむ時に、無意識に発動してしまうかもしれない。そんなことになったら、周囲に危害が及ぶ」


 伊織ちゃんが、魔術を使った時のことを思い出す。

 誰よりも本人が、使うことを怖がっていた、衝撃を放つ魔術。確かに、本人も制御できずに発動したら、大変なことになるかもしれない。


「それで、伊織ちゃんをずっと家の中に置いておくことにしたんですね」

「ああ。吸血鬼の力や魔術は、普通の人間だとどうすることもできないかもしれない。だが伊織と同じ吸血鬼の私なら、多少なりとも対処はできる。何よりそれなら、他の人に迷惑がかかることはない」


 それは、伊織ちゃんにとってはとても窮屈で、寂しいことだと思う。だけど、全くの間違いってわけでもないかもしれない。


 私もそうだったけど、ほとんどの人は吸血鬼の詳しい事情なんて知らないし、多分、ちゃんとした対応なんてのもできない。それなら、すぐになんとかできるところに置いておくのも、正解なのかもしれない。


「もちろんそれにしたって、一生閉じ込めておこうと思っていたわけじゃない」

「それは、わかります。昔、伊織ちゃんも言ってましたから。今はずっとこの家にいなきゃいけないけど、もう少ししたら自由に外に出ていいようになるって。そしたら、私と一緒に学校に通ってみたいって」


 それを話していた時の伊織ちゃんは、とても嬉しそうだった。

 結局、その時が来る前に私は引っ越していったけど、伊織ちゃんはその言葉通り、この家から外に出て、学校に通うようになっていた。


「本能を制御するのが苦手というのは、大抵の場合、一生そのままというわけじゃない。全く無くなることはないが、成長と共に落ち着いていく。魔術のコントロールだってそうだ。伊織も、もう大丈夫だと判断したからこそ、普通の生活をさせることができた。そしてそれから今まで、渇きで苦しむことはあっても、人を襲うなんてのは一度もなかった」


 これで、全て解決。伊織ちゃんのお父さんは、そんな風に思っていたのかもしれない。


 だけど、そうはならなかった。


「なら、どうして伊織ちゃんはあんな風になって、私の血を吸おうとしたんですか? 今までは、そんなことなかったんですよね」


 今までずっと大丈夫だったなら、どうして急にあんなことになってしまったの。


 けれど、私の知りたい答えは返ってこなかった。


「それは、私にもわからない。突然のことで、現在原因を調べてもらっているが、答えが出るのは、まだずっと先になるかもしれない」


 伊織ちゃんのお父さんも、まだわかってなかったんだ。

 今まで知らなかったことを次々と教えられて、少しずつ答えに近づいてきてると思ってたのに、その道が急に途切れてしまったような気分になる。


 落胆する私に向かって、伊織ちゃんのお父さんは、さらに続ける。


「さっき、伊織にはまた、この家から出ない生活をしてもらうかもしれないと言ったのもそのためだよ。あんなことになった原因がわからない以上、これまで通りの生活をしていたら、また同じことが起きるかもしれない。そんなことをさせるわけにはいかない」

「そんな……」


 じゃあ、もう伊織ちゃんと一緒に学校に通うことはできないの? 伊織ちゃんは、また前みたいに、この家の中だけで暮らして、外に出ることはできないの?


「もちろん、私もこんなことはしたくない。だが、何もしないわけにはいかない。でなければ、いつまた人を襲うかもわからない。その怖さは、君もよくわかっているはずだろう」


 ビクリと、体が震える。

 伊織ちゃんのお父さんの言う通り、襲われること、血と共に精気を吸われることの怖さを一番よくしってるのは、実際にそんな目にあった私かもしれない。

 あの時のことを思い出すと、そうするのが正しいことなのかもって思ってしまう。


 けど、なぜだろう。頭ではわかってるのに、それでもなぜか、すぐに頷くことはできなかった。


 本当にそれでいいの? 危ないかもしれないからって、また全部昔みたいに戻して、それでいいの?


 そんな、納得できない様子の私を見て、伊織ちゃんのお父さんは、こんなことを言い始めた。


「それに万が一のことが起きてしまったら、伊織や被害にあった者だけの問題ではなくなるかもしれないんだ」

「どういうことですか?」

「君は、反吸血鬼派というのを聞いたことがあるかい?」


 初めて聞く言葉だった。

 ただ、その響きから、なんとなく良くないものだって予感はした。

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