第32話 伊織ちゃんの秘密

 伊織ちゃんのお父さんからひとしきり謝られた後、家の中に通される。


 小さい頃も思ってたけど、部屋がいくつもあって、本当に大きな家。ううん、お屋敷だ。

 そういえば、伊織ちゃんのお父さん、吸血鬼の中ではかなり偉い人って聞いたことがある。


 大きな家に住んでるからって偉いとは限らないけど、説得力はあった。


 そんな人に、しかも、自分のお父さんより年上の人にあんなに謝られることなんてまずないから、どう反応したらいいかわからなかった。だけど伊織ちゃんのお父さんは、それでもまだ謝り足りなかったらしい。


 客間に通され、椅子に腰かけたところで、もう一度頭を下げられる。


「本来ならこちらから謝罪に伺わなければならないのに、わざわざ来てもらって申し訳ない。伊織のしたことは、どんなことをしても償うつもりだ」

「い、いえ、そんな……」


 そんなこと言われても、そこまで大事にする気はない。ううん。大事にしていいのかわからない。

 だって、何が起きたかなんて、まだ何もわかってないんだから。


「あの、伊織ちゃんは今どうしているんですか? さっき病院に行ったら、別のところに移ったって言われたんですけど、大丈夫なんですか?」


 どこにどういう理由で移動になったかなんてわからない。だけど、いくら連絡しても全然返事は来ないし、もしかしたら返事もできないくらい酷いことになってるんじゃないかって不安になってくる。


「そうだね。とりあえず、今は君に心配してもらうような悪い状態というわけではない。病院から移ったのは、色々と検査をするためなんだよ。吸血鬼の体を調べるには、普通の病院よりも、もっと適した研究機関があるからね。私も、もう少ししたらそこに行くつもりだ」

「そうなんですか。あの、私が伊織ちゃんに会うことってできますか?」


 とりあえず、酷いことになってるんじゃないってわかって、少しホッとする。


 そして、会えないくらいに危険な状態ってわけじゃないなら、やっぱり直接会ってみたかった。


 だけど伊織ちゃんのお父さんは、それに頷いてはくれなかった。


「そうだね。本当なら、伊織自身が君に謝罪しなければならないところだ。だが今は、君を伊織に会わせていいものかどうか迷っている。いや、君だけではなく、全ての人に、かな。また昔みたいに、この家からほとんど外には出ない生活になるかもしれない」

「えっ?」


 急に穏やかじゃない言葉が出てきて、思わず声を挙げる。

 伊織ちゃんのお父さんはそこまで言うと、そっと右手を上げ、この部屋の何もない空間へと向ける。

 するとそのとたん、部屋の一角に、薄い緑光の膜のようなものが現れた。


「私のこの力、覚えているかね?」

「はい。魔術のひとつ、結界ですよね」


 吸血鬼の魔術ってのは、伊織ちゃんが使ってたような衝撃波だけでなく、その種類も効果も様々。

 そして、伊織ちゃんのお父さんが得意としているのが、この結界術だ。

 これは、バリアみたいに、なんでもかんでも塞ぐってわけじゃない。ただ、対象となる誰かがこの膜の中に入ると、外に出ることができなくなる。閉じ込めてしまう。


 昔、私はこの結界を、この家に来る度に見ていた。だって以前は、この家全体を囲うような大きな結界が、常に張ってあったから。


 私は、結界が閉じ込める対象じゃなかったから、なんの問題もなく出入りできた。

 結界の対象になっていたのは、伊織ちゃん。伊織ちゃんは、お父さんが張った結界によって、この家から一歩も外に出ることはできなかった。


「伊織ちゃんがずっと家の中にいなきゃいけなかったのって、渇きのせいでしたよね?」

「ああ、そうだよ。万が一外に出て、そこで渇きが発症してしまったら大変なことになる。この結界も、そんな事態を避けるために張っていたものだった」


 いくらなんでも厳重すぎる気がするけど、昔は、そんなものなのかなって思ってた。


 けど、それをまたやるって言うの?


「どうして? だって、昔言ってたじゃないですか。今はこの結界の中から出すことはできないけど、いつかはそれも終わるって。そしたら、自由に外に出られるし、私みたいに学校に通うこともできるって」


 伊織ちゃんのお父さんだって、決して伊織ちゃんが嫌いだから閉じ込めてたわけじゃない。

 渇きが発症した時のためにそんなことしてたってのはわかってたし、その渇きの症状も、成長すると落ち着いてくるって言ってた。


 現に、再会した伊織ちゃんはこの家から外に出ていて、学校にも通うようになっていた。

 なのに、どうしてまたこの家に閉じ込めようとしているの?


「事情が変わったからだよ。今の伊織は危険だ。それは、君もよくわかっているんじゃないのかい?」


 ビクリと体が震える。豹変した伊織ちゃんの姿が、頭に浮かぶ。


 確かに、あの時の伊織ちゃんの様子はおかしかった。危険って言われても、何も反論できないくらいに。

 それをなんとかするために、この家に閉じ込めようって言うの?


 だけど、それで納得するには、まだまだわからないことが多すぎた。


「伊織ちゃん、いったいどうしちゃったんですか? なんであんなことになったんですか?」


 あの時の伊織ちゃんは、確かに怖かった。おかしかった。けれどだからこそ、何もなしにあんなことになるなんて思えなかった。

 伊織ちゃんに何が起きたのか、知りたかった。


 伊織ちゃんのお父さんは、少しの間黙って、フーッと大きく息を吐く。

 それから、ゆっくりと言う。


「そうだね。君には全てを聞く権利があるだろう。それに私も、話しておきたい。伊織にとって初めての友人であった君には、知ってもらいたい」


 それから、また少しの間黙る。何から話せばいいのか、考えているのかもしれない。

 そうして、最初に言ったのがこれだった。


「伊織に時々起こっている渇きについては、君も知っているね。なら、どうして渇きなんてものが発症するのか、その理由は知っているかな?」

「えっと……確か、体の中にある精気が足りないからでしたよね」


 精気が足りない時、体がもっと精気がほしいと訴えてくる。それが、渇き。


 それを私に教えてくれたのは、他ならぬ、伊織ちゃんのお父さんだ。

 昔、私の目の前で初めて伊織に渇きが発症した時、そう言って説明してくれた。


 だけど今、伊織ちゃんのお父さんは、静かに首を横に振る。


「精気が足りないから。確かに、君や多くの人には、そんな風に説明していた。けれど、実際はそれとは少し違うのだよ」

「えっ?」

「そもそも、本当に精気が足りないのなら、おかしなところがあると思わないかい。何もせずにじっとしてるだけで治まり、定期的に発生する。こんなことがあると思うかい?」

「それは……」


 それは、どう思うかって言うか、実はあまり深くは考えてなかった。

 だって精気なんて目には見えないし、伊織ちゃんみたいな吸血鬼と関わらなければ、詳しく知る機会もそんなにない。

 そういうものだって言われたら、何となくそうなのかなって思ってた。

 でも、本当は違うの?


「じゃあ、伊織ちゃんはどうしてあんな発作を起こしてるんですか?」


 驚く私の前で、伊織ちゃんのお父さんが言う。


「理由などない。あえて言うなら、吸血鬼の本能みたいなものだ」

「えっ……?」


 どういうこと?

 告げられた言葉を聞いても、全然意味がわからない。

 それは、伊織ちゃんのお父さんも察してくれたみたいで、そこから改めて話し始める。


「私たち吸血鬼は、例え体の中にある精気の量が十分にあったとしても、それでも本能として欲しているんだ。そしてその本能は、渇きの発症と言った形で表に出てくる。言わば、胃が満たされていても、酷い空腹感が溢れてくるようなものだ。本当に精気が不足していても渇きは起こるから、周りにはそう説明していただけなんだ」

「じゃあ、休んでるだけで治ったり、定期的に起きたりするのは──」

「精気を欲するという本能は、一定の周期毎に高まるようになっている。だが精気そのものが足りないわけではないから、時間を置けば治まりはする。そして、また一定の周期がくれば同じようなことが起きる。それの繰り返しさ」


 伊織ちゃんのお父さんの言ってること、すぐには信じられなかった。


 今まで聞いてた渇きとは全然違うし、だいいち、今の話じゃよくわからないところもある。


「今の話だと、伊織ちゃん以外の吸血鬼も、例えばおじさんだってそうなるんですよね。けど、そんな話聞いたことないんですけど?」


 私が会ったことのある吸血鬼は、伊織ちゃんと、今目の前にいるそのお父さんくらい。けど、吸血鬼に関する知識なら、人並みくらいには持ってるつもりだ。


 今の話みたいに、全部の吸血鬼がそんな風になってるなら、そんなのとっくに知ってるはず。


「それは、普通の吸血鬼にとっては大したことがないからだよ。例え渇きの症状が現れても、そこまで大きな発作が起きるわけじゃない。だが、伊織は違う。そしてそれこそが、伊織をずっとこの家に置いていた理由。これからまたそうしようとしている理由なのだよ」


 そこまで言って、伊織ちゃんのお父さんの表情が、より一層険しくなった。


「実は伊織は、完全な吸血鬼じゃない。吸血鬼である私と人間である母親との間に生まれた子なんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る