第31話 向かう場所

 ベッドの上で横になりながら、腕に繋がれた管と、その先にある点滴を見つめる。

 もう、どれくらいの間こうしているだろう。


 ここは、病院の一室。

 私の血を吸った後、急に意識を失った伊織ちゃん。

 それからは、いくら呼びかけても目を覚ますことはなかった。


 私も、血と精気を吸われたせいで、体はクタクタ。それでもこのままにはしておけないって、なんとか救急車を呼んで、ここまで運んでもらった。


 その間も、伊織ちゃんはずっと意識を失ったまま。病院の先生から、何があったのか聞かれたけど、そんなの私の方が知りたい。


 それでもなんとか、伊織ちゃんが急に渇きが起きて苦しみ出したこと、私から血と一緒に精気を吸い取ったこと、そしてその後意識を失ったことを話すと、伊織ちゃんはすぐにどこかの部屋に連れていかれた。


 私も私で色々検査を受け、今はこうして点滴を受けている。


 すると病室の扉が開いて、さっき私から話を聞いた先生が入ってきた。


「あの。伊織ちゃん、どうなったんですか?」


 ベッドから起き上がって尋ねると、そのとたん、頭がクラクラして目の前がチラついた。

 もうけっこうな時間休んでいるけど、まだまだ体は辛いままだ。


「急に動かない方がいい。君は精気を吸われたんだ。血は輸血でなんとかなるし、点滴で少しはマシになるが、しっかり回復するには時間をかけて休むしかない」


 先生が厳しい口調で言う。私は小さくはいと言って頷いたけど、話はまだ終わらなかった。


「しかし、これだけですんでまだマシなほうだったかもしれない。血を吸われたのは、たった一口なんだろ。もっとたくさん吸われていたら、命の危険があったかもしれない」


 それは、もう何度も聞いて知っている。だけど、実際に血と一緒に精気を吸われた今、その言葉がより一層重く感じた。


 あの時は、このまま死んじゃうんじゃないかって、本気で思ってた。


「吸血による精気の受け渡しなんて、決して軽々しく行わないように」

「はい……」


 先生の言葉に、もう一度小さく頷く。

 実際は、私からそうしたわけじゃなく、無理やり吸われたんだ。だけど、実はその辺は、説明する時嘘をついた。


 伊織ちゃんが苦しんでるのを見て、自分から精気を渡そうとして、血を吸わせた。そんな嘘を。


 だってそうしないと、伊織ちゃんが大変なことになると思ったから。


 吸血鬼が血を吸うのは、他人の身体を傷つけたってことで、犯罪になることもある。

 そうでなくたって、無理やり血を吸って危険な目にあわせたなんて知られたら、どう考えても良くないことになりそうだ。


 変なの。実際私は、無理やり血を吸われて、危ない目にあったんだ。

 あの時の伊織ちゃんはまるで別人で、本当に本当に怖かった。できることなら、すぐにその場から逃げ出したかった。

 なのに、どうしてそんな相手を庇おうとしてるんだろう。


(友達だから? 彼氏だから? 無事だったんだから、もういいやって思ってる?)


 そんなの、自分でもわかんない。

 豹変した伊織ちゃんは、怖くて怖くて怖くて仕方なかった。その気持ちは、今もまだ残ってる。


 だけど、最後に正気を取り戻した伊織ちゃんは、なぜか私よりも、ずっとずっと怯えているように見えた。

 それが頭から離れず、気がついたらそんな嘘をついていた。


「あの。伊織ちゃん──彼は、今どうなっているんですか? 渇きが起きるタイミングが、いつもより早いみたいなこと言ってたし、前に見た時よりも、ずっとずっと苦しそうだったんです。もしかしたら、何かおかしなことがあったのかも」


 私には何が何だかさっぱりわからないけど、病院の先生なら、何か教えてくれるかも。

 そう思ったけど、先生は静かに首を横に振った。


「それは、今調べている最中だ。だけど吸血鬼の体というのは特殊でね、普通の人間に対する医療とは、別の知識が必要なんだよ。そういうのは本来、私たちとは違う、専門の機関の仕事だ」


 じゃあ、伊織ちゃんに何があったかは、わからないままなんだ。


 先生の説明は、そこで終わり。私はそれからもしばらくの間、点滴を受けながらベッドで休んでいたけど、だいぶ楽になったところで、今日はもう帰るように言われてしまった。


「あの、最後に伊織ちゃんに会うことってできますか?」


 あんなことがあった後だから、正直会うのが怖い気もしたけど、このまま顔を見ずに帰るのも嫌だった。


 だけど私の希望は、あっさり却下される。


「申し訳ないが、今は色々検査をしている最中なんだ。吸血鬼の体は調べるのにも時間がかかる」

「そうですか……」


 吸血鬼だから。

 先生の言う通り、私たち人間と吸血鬼は、姿形は似ていても、違うところがたくさんある。検査するにしたって、時間がかかるのも仕方ないのかもしれない。

 ここで、どうしても会わせてなんて無理を言うわけにはいかない。


 ただ、伊織ちゃんの存在が、今までよりも遠いものになってしまったような気がした。


 病院には、お父さんとお母さんが迎えに来てくれて、こんなことになったのに騒然としてたけど、ここでも本当のことは言わずにごまかした。


 無理やり血を吸われて死ぬかもしれないところでしたなんて言ったら、お父さんとお母さんは、ひっくり返って倒れちゃうかもしれないから。


 それから家に帰って夜になっても、伊織ちゃんからの連絡は何も無かった。私からスマホで電話をかけても繋がらないし、メッセージを送っても反応なし。


 そうしているうちに一夜が明け、次の日の日曜日になる。

 伊織ちゃんからの連絡は、まだ来ない。


(そんなに検査に時間がかかってるの? それとも、何か連絡できない理由でもあるの?)


 何があってるかなんてさっぱりわからない。わからないからこそ、不安だけが大きくなっていく。

 そして、こんな状況でじっとしていられるほど、私に落ち着きなんてものはなかった。


「ちょっと出かけてくる」


 そう言って、家を出る。

 お父さんとお母さんは、昨日病院送りになったこともあって、大丈夫かって言われたけど、一晩休んでだいぶマシになってる。せいぜい、たまに少しフラつくくらい。


 それにしたって決して本調子じゃないけど、このまま何もしないでいる方が嫌だった。


 行き先は、昨日行った病院。だけど、伊織ちゃんのことを訪ねたら、もうここにはいなくて、別の場所に移ったと言われてしまった。


 退院じゃなくて、別の場所に行ったんだ。なら、いったいどこに?

 もちろんそれも聞いてみたけど、守秘義務がどうとか言われて、教えてもらえなかった。


(伊織ちゃんをここに連れてきたの、私なんだけど。なのに、教えてもらえないの?)


 不満はあったけど、ここで駄々をこねてもどうにもなりそうにない。

 なら、どうすればいい?


 どこに移ったかなんて、もちろん見当もつかない。スマホのメッセージへの返信も、相変わらずなし。だけど、手がかりが全くないわけじゃない。


 そうして向かったのは、街外れにある山の近くにある洋館。子どもの頃何度も訪れた、伊織ちゃんの家だ。











 伊織ちゃんの家には、子供のころ遊びに行ったことは何度もあるけど、伊織ちゃんと再会してからは、一度も来たことがない。


 そんな、数年ぶりにやって来た伊織ちゃんの家である洋館は、あの頃と同じで、大きくて立派。そして、どこか厳かな雰囲気を放っていた。


 いくら昔何度も来たことある場所って言っても、こんな大きな家を訪ねるのは、少し緊張する。

 子供の頃の方が、何も気にせず気軽に来れてたかもしれない。


 そもそも勢いで来てはみたけど、いくら気になるからって、いきなり家にやって来るのは失礼だったかな。

 だいいち、今家には誰もいないってことだってあるかもしれない。


 そんなことを考えて躊躇するけど、やっぱりどうなってるのか知りたいって気持ちには勝てなかった。

 意を決して、門につけられているチャイムを押すと、門が自動で開いた。

 これって、入ってもいいってことだよね。


 そうして庭を抜け、洋館の正面玄関の前までたどり着く。

 するとちょうどそのタイミングで玄関が開いて、中から一人の男の人が出てきた。


 歳は、私のお父さんよりちょっと上くらい。彫りの深い端正な顔立ちで、上品な雰囲気を漂わせている。

 上品すぎて、知らない人なら軽々しく近寄っちゃいけないって思いそう。


 ただ、私にとっては知らない人じゃない。


「おじさん、久しぶりです。私のこと、覚えていますか?」


 尋ねると、その人は私をまっすぐに見つめたまま、ゆっくりと答えた。


「ああ、瑠璃ちゃんだね。大きくなったね」


 この人は、伊織ちゃんのお父さん。昔、私がこの家に遊びに来た時は、伊織ちゃんと一緒に何度も出迎えてくれた人。

 私と伊織ちゃんの二人で遊ぶ時も、常にこの洋館のどこかにはいたし、お菓子を用意してくれたこともあった。伊織ちゃんが魔術を暴発させた時も、実はすぐに飛んできていて、ケガはないかって心配してくれた。渇きが発症した時は、すぐに私を家に返して、それからはひとりで看病してたって聞いている。


 私にとっては、優しいおじさんって感じ。


 だけど、今その表情は、ひどく曇っていた。

 そして私が何か言う前に、深く頭を下げてきた。


「息子が、伊織がとんでもないことをしてしまった。本当に、申し訳ない」


 数年ぶりに会う、伊織ちゃんのお父さん。それがまさかこんな形になるなんて、少し前まで想像もしていなかった。



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